【第20章】









〔20−1〕


抱かれたいなどとは決して望んでいなかったはずなのに、期待しているような言葉を口にしてしまった。
悟浄はその状況を上手く利用して、いつの間にか三蔵を組み敷いている。

部屋に入った時からどことなく三蔵の緊張が解けずにいたのは、警戒していたせいか。
それは、悟浄が手を出すかもしれないという前提があったからに他ならない。
その時が来るのを三蔵は無意識のうちに待っていたのではないだろうか、と、悟浄は思っていた。
紫暗の瞳の奥で、ゆらめく小さな炎が見えた気がしたから。
触れた白い肌が、熱く火照っていたから。

知らない間に内側で生じていた火種は、接吻で一気に燃え上がった。
しっかりと相手の舌に応えていては、同意の上だと取られても仕方が無い。
しかし悟浄は、敢えてそれは表に出さず、ただ流されたのだと思わせるようにした。
その方が、三蔵自身、自分を納得させやすいだろうと考えたからだ。

紅い毛先が頬に触れ、悟浄の顔が近付いて来た時、三蔵は観念したかの如く、ゆっくりと瞼を閉じた。
圧し掛かる重みが次第に増してゆく。
けれど、固くしていた身に唇は下りて来なかった。
代わりに三蔵が感じたのは、優しく温かな感触。

悟浄が、ぎゅっと三蔵を抱き締めていた。
意外に思ってそっと目を開けてみると、視界を紅く長い髪が覆っている。
自分を包んでいるのは間違い無く悟浄だ。
だが、何故こんな展開なのだ…?

以前のように好き勝手に抱かれてしまうのかと思って身構えていた自分が、急激に恥ずかしくなる。
さっきのくちづけの優しさといい、途惑いが先に立ち、かえってどうしていいかわからない。
自分よりも大きな身体が乗っているのだから重いはずなのに、それさえも心地良く感じてしまう。
そんな己に、三蔵はまた困惑し、居た堪れずに身じろぎした。

すると、悟浄が頭を僅かに持ち上げた。
身体の位置がずれたことで、天井に付けられた照明の光源が三蔵の目に直接飛び込んで来る。

「眩しい…」

目を細くしてそう呟くと、悟浄はじっと三蔵を見下ろしていたが、やがてベッドサイドのランプに手を伸ばした。
仄かな明かりを灯してから、三蔵を残してベッドを下りてゆく。

逃げる隙ができた。
なのに三蔵は、次の行動に移らなかった。
いや、移せなかったと言った方が正しいのかもしれない。

組み敷かれた時、然したる抵抗もしなかった。
それは何故だ?
今もまた、重みが突然消えてしまった寂しさだけ感じている。
…それは、何故だ?

――― この男が……俺を………

ドアへ近付く後ろ姿に目を遣ると、じわじわと熱を孕みつつある下半身を意識した。

「!!」

この先の展開を期待しているかのような己の身体を真正面からは受け入れられず、三蔵は思わず身を起こした。
前屈みになり、気を逸らそうと試みてみる。
その動きに気付いた悟浄が、ふと振り返った。

「っ…」

二人の目が合い、三蔵の全身に緊張が走る。
そのまま固まって動けなくなってしまった三蔵を視界に入れながら、悟浄の手が壁に伸びた。
パチリ、とスイッチの音が聞こえたと同時に天井の照明が消え、明かりは、ランプが放つ光だけになった。
ベッドの上に足を投げ出して座ったままの三蔵の左半分が、ランプに照らされ暗闇の中でぼんやりと浮かび上がる。
陰影が付いたことにより、三蔵の危うさが一層際立って見え、この上なく美しい。

ごくり、と悟浄が生唾を飲み下した。
眼差しが深くなり、視線は突き刺さりそうなほど鋭くなっている。

三蔵はその視線から逃れるように顔を背けた。
そして、気持ちも身体も落ち着かせるべく、煙草を取り出して咥え、火を点ける為にライターを手にした。
しかし、なかなか炎が立ってくれない。

「……チッ」
「どした?」

ベッドまで戻って来た悟浄が何気ない風で訊くと、三蔵は持っていたライターをジーンズのポケットに捻じ込んだ。

「火ぃ貸せ」

相手の顔は見ないで、要求だけ突き付ける。
そんな三蔵に文句を言うでも無く、悟浄は自分のライターを差し出し、火を灯した。

「ん」
「……」

一瞬の躊躇があったが、火だけを見ながら煙草を近付けようとした三蔵の顔がそちらに向いた。
すぐそばに悟浄がいるのに、あまりにも無防備なその顔。
じっと見ていた悟浄の眉が顰められた。

――― ここに居ンのが俺だってわかってんのか?

さっきは唇を奪われたと言うのに、容易に組み敷かれていたと言うのに、警戒心の欠片も無い。
猶予は与えたはずだ。
それに三蔵は気付いていたのかいないのか、身体が自由になってもこの部屋から逃げ出そうとしなかった。

――― どういうつもりだ……

今までも、悟浄の行き過ぎた振舞いに対し、最初は抵抗しても最後はその身体から力は抜けていた。
流されていただけ、とも言えるが、あの三蔵なのだから、本気で嫌ならとことん拒むだろう。
だが、表情や身体の反応を見る限り、拒絶とまではいっていない。
なのに、結果的には快楽を享受していながらも、いつもその事実を否定するような態度を取るのだ。

紅い瞳が一瞬眇められる。
そして、煙草の先端に火が触れる寸前に、パチン、とライターの蓋を閉じた。

「………?」

訝しげに見上げている三蔵を見据えた悟浄が、白い指先から煙草を引き抜き、サイドテーブルに放った。

「何しやがる!」

抗議の声を上げた三蔵の肩を掴み、再びベッドに押し倒す。
馬乗りになり、逃げられないように体重を掛けて、三蔵の両手首を掴み頭上でひとまとめにした。

「っ!!」
「おまえ見てっとイラつくんだよ」

慌てて抵抗しかけた三蔵だったが、悟浄が覆い被さるとやっと驚愕の色を浮かべた。
何をされようとしていたのかを改めて思い出したのか、咄嗟に身体が強張る。

……が。
間近に抱え込んだ時、悟浄は気付いてしまった。
三蔵の身体が疼いていると。
瞳の奥で見た気がした炎はまだ消えていなかったと。

理性が本能を押し留めようとしている。
素直になればどれだけ愉悦を味わえるかわかっていても、三蔵はギリギリまでそれを認めない。
普段の生活においてもそうだった。
いつも気を張って、神経を尖らせて、仲間がいるのにひとりで立っているような顔をしている。
べったりと寄り掛かれ、などとは言うつもりも無いが、手を借りれば楽になる場面でもそうしないのだ。

けれど、それは悟浄にも言えるのかもしれない。
こちらからモーションを掛けた相手でも、深くまで踏み込まれると躊躇した。
誰に対してもそうだった中で、以前八戒にだけは、他の奴には言わない部分まで喋ってしまったことがある。
友情が芽生えていたのかもしれないが、それでも、あくまで同居人だった。

旅が始まり、悟空と八戒が三蔵との絆を確認していく中で、悟浄はひとり第三者的な立場でいたのは否めない。
ただ、自分が陰鬱な雰囲気が嫌いだったから、場を明るく盛り上げることに抵抗は無かった。
しかし、馴れ馴れしく肩を組んだりするのは、逆に予防線の意味も込めている。
互いの強さは認めていても、冗談を言いつつじゃれあったりしても、どこか冷静に距離を測っている自分。

そこまで考えて、わかってしまった。
自分と三蔵は似ているのだろう。
強がるところも、甘えないところも、それで無理してしまう部分も、よく似ている。
だからこそ、こんなに苛立つ。
こんなに、気になる……。

窓の外がまた白く光り、辺りに雷鳴が轟いた。
雨も強くなって来たらしい。

悟浄は落ち掛かる髪をかき上げ、ランプの明かりに顔を晒した。
そして、たっぷりと見せつけるようにしてから、自分の下で固まっている三蔵の耳元に唇を寄せた。

「雨、止まねーな」

今このひとときだけ、頑なな心を溶かしてしまえば、少しは楽になれるだろうか。
役割も背負っているものも取り除き、互いの個と個だけでぶつかり合えば、少しは自由を味わえるだろうか。

だが、刹那の解放は可能でも、身体を繋げてしまえばその事実は消えない。
それでも、今、三蔵を抱きたい。
三蔵も、心は認めなくとも、身体は悟浄が行動に移すのを待っているはずだ。
その証拠に、密着している三蔵の局部が形を変えつつある。
本人も自覚しているのだろう。
それ以上反応してしまわないようにと、懸命に耐えている様子が手に取るようにわかった。

耳朶を唇で挟んだだけで、身体がびくりとした。
舌で舐れば、息を呑む気配が伝わって来る。

「感じんなら、素直に感じてろ」

耳に直接声を送った途端、三蔵の身体が逃げを打とうともがきだした。
けれど、圧し掛かられて下半身は動かせず、両腕も拘束されている状態では首を振るくらいしか抵抗できない。
悟浄は顔を上げて、三蔵を真上から覗き込んだ。

「前にも言ったろ」

羞恥と僅かな期待が入り交じったような紫暗の瞳が、悟浄を睨み付ける。

「…何をだ……?」
「俺はおまえが欲しいんじゃねえ、って。 ただ、刻み付けてぇだけなんだよ、俺ってヤツがいるってコトを」

その身体に、その心に。
普段は忘れていてもいい。
けれど、何かの時にその傷が意識の片隅にでも引っ掛かれば。

――― そんなモノ……、既に刻まれている………

三蔵は、ぎりっと奥歯を噛み締め、心の中で呟いた。
この男のことは、殺してやりたいほど憎んでいる。
目的を果たし旅を終わらせるまで、この男から離れるわけにはいかないのだ。

三蔵が抱いている憎悪は、裏返せば強い執着だ、と本人が気付く機会は無いかもしれない。
冷静に見えて感情が先に立つ三蔵が己を客観視するのは、厭世的になった時。
以前は、果てしなく落ち込んだ夜もあった。
しかし今は、悟浄をこの手で殺すという願望がある為、そこまで鬱になることも少なくなっていた。

――― もう逃げない

真っ直ぐに見上げて来る視線をまともに受けて、悟浄が三蔵を見つめる。

『逃げない』

その想いは、悟浄も同じように抱いていた。
もう逃げない。
そして、三蔵にも逃げさせない。
始まってしまったのなら、終りまで見届けなければならない。
例えそれが修羅の道でも、既に引き返すことはできないのだから。

相手を束縛したり、未来を誓い合ったりするのでは無い。
よって、これは恋愛では無い。
けれど、この場限りで終わる関係では無く、行為自体に意味もある。
よって、一時の遊びでも無い。

相手への想いの強さは、愛情の比では無いかもしれない。
それはある意味、エゴの塊とも言えるだろう。

いつしか深く結ばれていた、触れれば傷つかずには済まない鋭利な絆。
今、三蔵と悟浄は、誰よりも強く互いのことだけを考えていた。







窓の外では、まだ雷が鳴り続けている。
雨足も更に強まり、耳に届く音が大きくなって来た。

悟浄が、足は三蔵の下半身に巻き付けたまま、上半身だけを横にずらせた。
両腕を押さえ付けているのとは別の手が三蔵の顔を撫で、シャツに下りてゆく。
悟浄はわざと三蔵とは目を合わせずに、指先だけを見つめていた。

熱い………。
三蔵は錯覚だとわかっていながらも、悟浄の視線が辿る先に神経が集中し、その部分に熱さを感じてしまった。

無骨な手が襟の合わせ目をなぞり、三番目から填められていたボタンを、ひとつひとつ時間を掛けて外していく。
あまりにもゆっくりなそのテンポに、三蔵が焦れた。
一気に引き裂かれたのなら条件反射で抵抗するのだが、これでは逆に動けない。
鼓動が高鳴り、胸が大きく上下してしまう。
三蔵は唇を固く引き結んだまま、顔を悟浄の反対側へと背けた。

思い切り横を向いているものだから、三蔵の首の筋が強調されている。
そこへ、悟浄はそっと唇を寄せた。

「っ!」

三蔵は首を竦めたが、声は出さないように耐えた。
しかし、小動物の怯えにも似たふるふるとした震えは隠せない。
色香さえ滲んでいるその姿にそそられ、悟浄は更に舌を使い、耳の付け根あたりをそっと舐めた。

「!!……」

逃れるべく仰け反った顎のラインを、悟浄の大きな掌が優しく撫でる。

「やっぱ感度いいな」
「なっ…!!」

きっと睨み付けても、潤んだ瞳は雄を煽るばかりだ。
無言の抗議は気にも止めず、悟浄は再び時間を使ってシャツのボタンを外していった。

「……っ………」

腹部の上で蠢く悟浄の指の動きが、じわじわといたぶられているかのような感覚に陥らせる。
三蔵は、早く済ませて欲しかったがそうとは口に出せず、ただ耐えるしかなかった。

やがて最後のボタンが外されると、またゆっくりとした動きで悟浄の手が脇腹を這い上がって来た。
どこまでも優しいその動作に、三蔵はやはり混乱している。

嘗て、悟浄に抱かれた時はいつも無理矢理だった。
怒涛のような激情に呑まれ、翻弄され、こちらの気持ちもペースも無視したまま追い上げられていたのだ。
だから、こんな扱いをされると途惑ってしまう。

「何故だ……」
「ん? 何が?」

三蔵がどうしていいかわからずつい口にしてしまった疑問の内容を、悟浄はすぐに察することができず問い返した。

「こんな、…………やり方」

悟浄は一瞬、それが何を差しているのかに思い至らなかった。
しかし、優しく頬を撫でると三蔵が 「それだ」 という目付きをしたので、ようやく理解した。
三蔵は、こういった丁寧な扱いに慣れていないのだと。

思い返してみれば、暴漢に襲われた時も自分が抱いた時も、いつも無理強いされていたのだ。
三蔵が女性と経験があるかどうかは定かでは無いが、未経験だと悟浄は思っている。
優しく満ち足りた交わりなどは思い浮かびもしないのだろう。
奪われるばかりだったのに、今は違う。
初めての扱いを受け、困惑している。
悟浄はそんな三蔵を、哀しく、また愛しく思った。

「余計なコトは喋んな」

悟浄自身、こんな風に三蔵に接しようと考えてしていたのでは無かった。
ただ、今は三蔵を存分に味わいたくて、そして、三蔵にも快感を与えたかっただけだ。
それが優しく丁寧な愛撫になっていたのには、三蔵の訴えで初めて気付いた。
そして改めて、傷付けない抱き方で終わってもいいかと考えた。

だが、そんな経緯を改めて説明したところで何にもならないだろう。
言葉はいつも役不足だ。
どれだけ単語を繋げても、思いの全ては相手に伝わらない。
それならば、身体を繋げた方が、この想いは直截に伝わる。
悟浄は、顎を掴んで顔を寄せた。

「っ…!」

くちづけで自分の唇を塞がれた三蔵は、内部からせり上がって来る感情を吐き出せずに呻いた。

「何か言いてぇんなら、素直に感じたままを声に出せ」
「んんっ!」

長い長いくちづけは、若干の荒々しさはあったものの、やはり優しい。
互いの息も奪い合い、舌を絡ませ、口腔の隅々まで味わい尽くすくちづけに、三蔵の思考は蕩けそうだった。

強張っていた身体は弛緩しており、いつの間にか両腕の拘束は解かれている。
悟浄は既に何も身に付けていない。
そして、三蔵も下半身を覆っていたものは全て脱がされていた。
それに気付いたのは、悟浄の指が三蔵自身に触れた時だ。

「んっ!!」

ダイレクトな刺激が一気に脳まで駆け上がった。
既に張り詰めていた分身を握られ、三蔵は思わず首を振って悟浄の唇から逃れた。

「あ…ああっっ!!」

容赦無く追い上げる指先の巧みな動きに釣られて、三蔵の口から漏れる喘ぎ。
眉間に寄った皺は、絶頂が近いことを伝えている。
つま先が丸まり身体が突っ張ったその瞬間、「くっ」 と呻いて三蔵は悟浄の手の中に己の精を放った。

軽い痙攣を起こしたかのようにびくびくと動く三蔵を見ながら、震える白い足を割る。
その間に自分の下半身を割り込ませた時、かっ、と三蔵の目が見開かれた。

悟浄がゆっくりと三蔵に覆い被さる。
二人の身体が密着する。
三蔵の肌は、抱かれるという感覚をまだしっかりと覚えていた。

次こそ、また以前と同じ扱いに戻るかもしれない。
紫暗の瞳に、微かに怯えのような色が浮かんでいるのを見た悟浄は、ちくりと刺した胸の痛みを堪えた。
だが、弁解もしない、説明もしない、ただ行動で示すのみ。
そう思い、黙ったまま手の中のぬめりを三蔵の秘所に塗ってゆく。

「あっ!!」

初めての感触に、三蔵の身体がびくっと跳ねた。
痛くは無いが、捉えどころの無い奇妙な感じから逃れたくて、三蔵は身を捩る。
何より、そんな場所に悟浄の指が入っているということ自体が信じられないのだ。

「力を抜け。 おまえの為にしてんだから」

解されている、と三蔵の思考が働くまで、暫しの時間を要した。
しかし、そう言われたところで、恥ずかしさと緊張からうまく脱力できない。
苦笑した悟浄は、片腕で小さな頭を抱え込んだ。
抱き寄せて髪と耳朶を優しく撫でつつ、顔を寄せて唇を啄ばむ。

「ん……」

ふっと三蔵の強張りが解けた。
顔の角度を変えながらくちづけを続けると、次第に力が抜けていくのがわかった。
そのまま、怖がらせないように指を増やし、徐々に秘孔を広げてゆく。

「はあっ…あ……」

途切れ途切れの吐息が熱い。
感じている三蔵の顔はこの上なく扇情的で、悟浄は自分の限界が近いのを感じた。
指を抜き、細い腰を抱えてから、三蔵に声を掛ける。

「挿れるぜ」
「え……あっ!!」

解してあったとはいえ、質量を増した悟浄の昂ぶりにとって三蔵の秘所は狭かった。
余裕の無い場所に先頭部分が収まっただけで、三蔵が苦しげに息を詰めている。

「息、止めんな。 ゆっくり呼吸しろ」

圧迫感はどうにもやり過ごせないが、言われるままに深呼吸を繰り返すと、少しは楽になった。

「まだまだこれからだぜ」

三蔵が息を吐いた瞬間、悟浄が一気に身体を押し進める。

「はっ……、ああっ!!!!!」
「うっ!」

根元まできっちり咥え込まれ、悟浄もあまりの心地良さに思わず呻いた。
三蔵を抱いているのは自分なのに、こちらが包み込まれているかのようだ。
この世のものとは思えないほど気持ちいい。

こんな快感は生きていて初めてかもしれない。
もしかすると、知らないうちにあの世にでも行っちまったのだろうか…?
そう疑ってしまうくらい、強烈でありながら現実感の薄い感覚。
己と他者との境界線も曖昧な、極上の一体感。
この感じは、生きていて味わえるものなのだろうか。

――― ああっ、三蔵……

死をも連想させる強烈な快楽に、悟浄は不思議な満足感を得ていた。
旅の終わりを待つことなく、自分は既に三蔵に殺されている。
だが、この悦楽を味わえるなら、何度でも殺されてやろう。
悟浄はうっとりとした眼差しで三蔵を見遣った。

三蔵は、あっあっ、と切れ切れに声を漏らしながらも、悟浄が与える律動を受け続けている。
ただ、自由になっていた両手は悟浄の背には回されず、ひたすらシーツを掴んでいた。
それに気付いた悟浄が、腰を抱えていた手を身体の下から抜き、三蔵の右手を握る。
十指が絡み合ったせいで、より深く繋がったような錯覚に二人とも陥った。

「………」

不意に三蔵が目を開けると、虚空を見つめた。
小休止とばかりに動きを止めた悟浄が、穏やかな声で囁く。

「どうかしたか?」

悟浄の問い掛けで、握られていた三蔵の指がぴくんと動いた。
その反応は相手にも伝わっている。
何か言いたげな三蔵を見て、悟浄は次のリアクションを待つことにした。
すると三蔵は、空いていた左手を自分から見えるところまで持ち上げ、手首の内側をじっと眺めた。

「また付けて欲しい?」
「誰がっ!」

無意識の行動の意味を指摘され、三蔵が慌てて取り繕うように腕を投げ出す。
ついでに握られていた手も振り解こうとしたが、それは無理だった。

「もう、必要ねーよ、そんな印は」
「? ……っ」

指の付け根が痛くなるほど、さらに握り込まれる。

「おまえの身体ん中に、たっぷり刻んでおくから」

いつの間にか、三蔵の左手が悟浄の肩の位置にあった。
初めは押し戻そうとしたのかもしれない。
だが、五本の指はしっかりと肩を掴んでいる。
爪も皮膚に食い込みそうだ。

その手は確かに、自分と悟浄との距離を測っていた。
まだ、しっかりと意識のある三蔵。

――― もっと乱れさせたい………

悟浄の目が細められる。

「もう満足?」

余裕のある表情での悟浄の問い掛けに、

「…てめぇは、こんなモンで満足するのか」

と、三蔵は荒い息を無理に整えつつ、悟浄を睨み上げるようにして答えた。
どこまでも気丈な紫暗の瞳が、加虐心を果てしなく掻き立てる。

「そう来なきゃな」

呟くや否や、悟浄がぐっと腰を突き上げた。

「はあっ!!……」

最奥まで貫かれた三蔵が、背をしならせて仰け反る。
その身体を押え付けながら、悟浄は更に奥を求めて分身を三蔵へと突き立てた。

雨が激しさを増している。
窓を叩き付ける雨粒の音が煩いほどだ。

「もっとだ!」
「んっ!…うっ…」

堪え切れない声が漏れてしまうのを懸命に耐えている三蔵を見て、悟浄は更に攻め続ける。

「遠慮すんな、思いっきり叫んじまえ」

そう言った悟浄の声も、雨音のせいでよく聞き取れない。

「ぐっ…ぁ……はあっ……」
「おまえの声なんて、雨が掻き消してくれっからよ」
「ああっ!!!!!」

雨と雷が重なった耳をつんざく爆音に、三蔵の声が混じっていった。
もう、どれだけ叫んでも、誰に気付かれることも無いだろう。

建物が揺れるほどの豪雨に負けないくらい、悟浄と三蔵の肢体が激しく絡み合う。
優しい愛撫は今までとは違う感覚ももたらしてくれたが、甘さは二人の間に必要なものでは無かった。
大事にし合うよりも、激しさと痛みがより深く互いの存在を知らしめてくれる。

悟浄が三蔵の中で達した時、三蔵の爪が皮膚を突き破った。
その痛みは、快感でもあった。

――― 傷つけたいわけじゃなかったんだ

――― けど……………

傷つけることでしか絆が確認できないのならば、優しさよりもそちらを選ぶ。
安らぎなんてモノはずっといらないから、いつも傷だらけでいい。
俺達はそれがいい。
それで、いい………。




〔20−2〕


知らない間に意識を飛ばしてしまっていたらしい。
三蔵が目を開けた時、外は暗く、まだ夜更けのようだった。
辺りは先ほどよりは静かだが、空気は湿り気を帯びていたので、小雨になったのかもしれない。

隣の男は下半身はジーンズを履いていたものの、上半身は裸のままだ。
大きな身体を投げ出して、すうすうと寝息を立てている。
三蔵は真っ裸で、行為の最中も着ていたはずのシャツが脱げ、代わりに大きなバスタオルが身体を覆っていた。

「………」

上半身を起こして部屋の中を見渡すと、椅子の背もたれにジーンズと一緒にシャツが掛けられているのが目に入った。
気付けば、昨夜の残滓は残っておらず、身体も拭かれて綺麗になっている。

「チッ……」

軽く舌打ちしつつベッドから足を下ろし、そのまま腰掛けた状態でしばらくぼんやりと思考を漂わせた。
ぐるぐるとまとまりのない光景が瞼の裏に現われては消えていく。

ふと、三蔵の脳裏に、在りし日の光明三蔵法師の姿が浮かんだ。
お師匠様は、澄み切った青空に橙色の紙飛行機を飛ばしてこう仰った。

『相反(あいはん)する色だからこそ、お互いの持ち味を引き立てあう』

…と。
相反する色が互いを引き立てあうのならば、相反する思いは互いにどのように作用するのだろう。

――― 守りたかったんだ

あの方を……。
しかし、守れなかった。
お師匠様を失った時、初めて己の不甲斐無さを知った。
自分のことだけで手一杯で、決して強くは無いのだと思い知らされた。
その時、思ったのは、

――― 守らなくていいものが欲しい

心を通わせるような相手は必要無い。
深く関わらずとも済むような関係だけでいい。
自分はひとりで生きていくと決めたのだ。
三蔵として歩む為に必要なのは、強い肉体と、それにも増して強い精神(こころ)だけ。

『強くありなさい、玄奘三蔵法師』

それがあの方の最後の言葉であり、最後の願いでもあった。
だから、強くあろうと心に決めた。

けれど、弱く脆い部分はどうしても取り除けない。
そこを突かれてしまった。
この、悟浄という男に………。

悟浄は最初から守らなくてもいい存在だった。
と言うよりも、特に関わりの無い人物のはずだった。
なのに、誰よりも深いところにまで入り込まれてしまった。
心も身体も、最奥まで貫かれ、自分でさえ触れなかった場所にまで侵入されてしまった。

排除したいのに、関係を断ち切ることができない。
誰よりも憎んでいるのに、一番囚われてしまっている。
自分の中で、あの方を超える存在になりそうなのが怖い……。

――― そんなことは、この俺が許さないが!

お師匠様から託された “三蔵法師” という役割。
それを全うするのが自分の生きる道だ。
だから、三蔵法師としての役目を終えるまで “個” の部分は封印しておく………。

無駄なことなんて無い、と言っていたのは八戒だったか。
ならば、この部屋で起こったことも何か意味があるのだろう。

――― 強くある為の試練ならば、受けて立ってやる

三蔵は、意識だけを背後の男に向けた。
そして、固い決意を胸に、ぐっと奥歯を噛み締めた。

その後ろでは、悟浄が気付かれないように薄く目を開けていた。
男としてはそれほど広くない背中をじっと見つめる。

無数の傷は、これまで過酷な日々を生き抜いて来た証だ。
どこか強がっているようにも見えるその背中を、悟浄は抱き締めたくなった。
だが、それは思うだけに留めた。

三蔵は前へ前へ進もうとする。
悟浄にしてみれば、目指す場所はひとつなのだから何をそんなに急ぐのかと呆れもするほどだ。
だが、三蔵はその到着点も見えていないのでは、と思える余裕の無さで、日々を経ている。

一体、どこへ行こうというのか。
三仏神の命とやらの他に、三蔵の目的が別にあるのか。

訊いたところで答えが返って来るとは思えない。
自分のテリトリーに侵入されるのを極端に嫌う三蔵は、個人的な事情をほとんど語らない。
己が何か問題を抱えていたとしても、それを表に出す場面はまず無いのだ。

欠片さえ見つけられないままかと思っていたが、引っ掛かったことがひとつあった。
カミサマに経文を奪われた時の執着心。
その行動は、“三蔵だから” という理由だけでは無い気がした。

『あれは俺のものだ』

自分の所有物だと強調していた三蔵。
きっと、誰にも渡せない大切な物なのだろう。

三蔵が三蔵法師である限り、あの魔天経文は三蔵と共にあり続ける。
が、三蔵の前は、別の三蔵法師があの経典を守って来たはずだ。
それが、そこが、三蔵が拘っている部分なのだろうか……?

“玄奘” と呼ばれることにも抵抗を示した。
きっと、その名を大事にしているのだろう。
その名を付けてくれた人のことも……。

(ま、別にナンでもいいんだけどよ)

どこを目指そうが、どこへ急ごうが、一向に構わない。
三蔵が行くと言うなら、自分はそれに従うだけだから。
これからも三蔵と共に旅を続けるのは変わらないのだ。

不意に三蔵が腰を上げたので、悟浄はまた眠ったフリを続けた。
裸の後ろ姿を見守りたい気もしたが、今は我慢、と瞼を閉じる。

椅子に掛けられた衣服を身に着けた三蔵が、サイドテーブルに置かれていた小銃を手にした。
数時間ぶりの感触を確かめている。
そのまま去ろうとした時、テーブル上の一本の煙草に気付いた。
それは、吸おうとしたところを悟浄に取り上げられたものだった。

手に取った瞬間、握り潰しそうなほど指先に力が入ったが、一拍置いて、思い直したように口に咥えた。
同じくテーブルの上にあった悟浄のライターで火を点け、ゆっくりと吸い込む。
長い溜め息のような息と共に、煙が吐き出された。
だが、口にしたのはその一回きり。
三蔵はしばらく佇んでいたが、そのまま一度も悟浄を振り返らずに部屋を出て行った。

この時間なら、今からでも一眠りできるだろう。
遠ざかる足音を聞きつつそう考えた悟浄は、自分も寝直そうと目を閉じ掛けた。
しかし、シーツに移った三蔵の残り香よりも強い煙の匂いに気付き、首だけを上げて灰皿を探した。
三蔵が、さっき吸っていた煙草を消し損ねたのかと思ったのだ。

だがそこには、煙の立ち昇っている煙草が、フィルターが潰されずに綺麗なままで置かれてあった。
三蔵は、悟浄が目覚めていたことに気付いていたのかもしれない。

「多分、火のお礼ってコトなんだろうな」

これで貸し借り無し。
次に顔を合わせた時は、また対等な位置に立つのだ。

思いがけず用意されていたモノ。
それは、自分の煙草はやらんと言っていた三蔵からの “置き土産” と言うよりは、挑戦状のようである。

「あいつ……」

悟浄はふっと笑みを浮かべると、その吸い差しを指に挟み、続きを味わった。

「三蔵の味、ってか」

余韻を惜しむようにしながら、悟浄は三蔵が残した煙草を最後までふかしていた。




〔20−3〕


数日前、温泉宿があった町を出たのはまだ雨雲が残る朝だったが、それからはずっと晴天が続いている。
野宿を経ながら、地図を頼りに西を目指し、四人は着々と目的地へと向かっていた。
今日も朝からいい天気で、空にぽっかりと浮かんだ白い雲が目にも鮮やかだ。

「綿菓子みたいだなー」

悟空の腹がくうぅっと鳴った。

「食いてぇ〜、あれ欲しい〜〜〜!」
「雲を取るのは至難の業でしょうね」

ハンドルを握ったまま、八戒が生真面目に答える。

「欲しいものは、簡単には手に入りませんよ」

そう言いながらも、悟空が心ゆくまで雲を眺められるようにと、少しスピードを落としてやった。
手に入らないからこそ、心が求めて止まないということもあるのかもしれない。
八戒は隣に座っている人物を横目でこっそり確認し、人知れず満足げに微笑んでいた。

「あんな雲、美味そうに見えたところで実際は食えねぇだろうが」

現実的な悟浄に対して、悟空が 「いいじゃねーか!」 と反論している。

「どう足掻いても雲は雲、他の何物にもなりゃしねぇ。 自分にだけ都合良くなんてぇのは無理な話だっつーの」

どこか達観したような言葉はしばし空中を漂い、やがてそれぞれの胸の中に沁み込んで行った。
束の間の静寂を破ったのは、やはり悟空だ。

「もうー腹減ったー! 弁当食いてぇよぉ〜〜〜〜〜!!」

悟空がだらしなく口を開けたまま後部座席にへたり込んでいる。
食事も気に入っていた温泉宿で食堂の調理員とも仲良くなった悟空は、出発前に巨大な弁当を作ってもらっていた。
そのおかげで数時間は機嫌よく後部座席に収まっていられた。
しかし、宿を出てからは野宿が続いた為、簡素な食事ばかりになり、悟空の胃袋は満たされていなかったのだ。

「ピクニックじゃねぇんだぞ」

助手席で腕を組んでいた三蔵の眉間に皺が寄った。

「あれ、違うんですか?」

八戒が隣をチラッと見てから、楽しそうな声で誰とも無しに訊く。

「似たようなモンだって」

三蔵の後ろで煙草を吸っていた悟浄が、空に向けて煙をゆっくりと吐き出した。

「かな?」
「だろ」
「ですね」
「…チッ」

三蔵の舌打ちに、三人がこっそりと笑みを浮かべている。

「おらっ、さっさと行けっ!」
「じゃ、今日も飛ばしますよ〜」

八戒は皆に声を掛けると、勢いよくアクセルを踏み込んだ。







広大な土地では変化に富んだ景色にぶつかりながらの行程だ。
岩だらけの荒地を抜けると、鬱蒼とした森林地帯に出たこともあった。
山を越え谷を越え、もうどのくらい走っただろう。
大小様々な町も幾つか通り過ぎ、色んな出会いと別れを繰り返して来た。
そして今もまた、四人だけの孤独な旅を続けている。

目指すは西域・天竺国。
桃源郷を取り戻すべく、今は振り返らずに、ただ突き進むだけ。

三蔵一行を乗せたジープは、今日もまた砂埃を上げながら、次の町を目指して疾走している。











終わり














二律背反・遊亜様のコメントになります***********************************


関さんと平田さんのデュエット曲 『 bad friends 』は、私の大好きな曲のひとつです。
三蔵と悟浄、この二人の関係を見事に言い表しているなあと、聴く度に歌詞を噛み締めてしまうほどで。
その世界を文章で表現できたら…。
それが、『二律背反』 を書こうと思ったきっかけでした。
改めて歌詞を意識しながら聴き直している時、耳に引っ掛かったのが 「don't cry」 の部分。
実は、53の前作に当たる 『夢の痕』 で、完成前に削った台詞があったのです。
三蔵に対して悟浄が言う 「泣くなよ」。
これを言わせたかったのに、一場面書いてみたものの、どうしても流れにそぐわなかった為、思い切って削ることに…。
だから、今度こそこの台詞を使おう!…と、ただそれだけを決めて、53で1本書ければと考えていました。
83を書けば53が書きたくなり、順番としては次は53という気分でしたから。(三ちゃん総受けは別モノってコトで…)
舞台裏の話になりますが、それまでは全部完成させてから、まとめてかやさんに送付していたのです。
しかし、今度の53は今までよりも長くなりそうで、完成を待つといつになるかわからない…。
どうしようかと躊躇していると、「連載でも構いませんよ」 とかやさんから提案を頂きました。
後ろで書いてしまった内容の辻褄合わせに前の部分も書き直す、…なんてのはいつものことで、
書いている途中、何度も何度も最初から読み直さないと前に進めない私にとって、連載は未知の領域でした。
それでも、新しい展開から何か生まれそうな気もしましたので、不安要素を抱きつつもお引き受けし、
2年前の三蔵の誕生日、見切り発車ではありましたが 『二律背反』 が何とかスタートしました。
当初の予定の倍以上の長さになったのは、「長くして欲しい」 と仰られたかやさんのせいです(笑)
いえいえ、想像を遥かに超えた量になっても、挫けることなく最後まで走り切れたのは、かやさんのお力があってこそ(*^^*)
連載という形式で良かったのは、毎回ひとつずつ送る度にかやさんから感想をいただけたことでした。
いつもストックが無い状態で、ひとつ書き上げて送ったらすぐ次に取り掛かるという、自分で自分を追い詰めているような中で、
かやさんの熱い感想が、とても励みになっていましたから。
また、かやさんを通して、『二律背反』 を楽しみに読んでくださっている方々の存在を伺えたことも、何より心強いものでした。
この場をお借りして、皆様に御礼申し上げます。
長きに渡りお付き合いくださいまして、本当に有難うございました!!

<遊亜>
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連載ありがとうございましたっっ
毎回すごい楽しみに読ませていただいてまして、読み終わるのが辛かったので
とにかくできるだけ長く書いてくださいと、我がまま言いまくりました//
遊亜さんのお話の中でも、二律背反のゴジョさんは、すこぶるカッコ良くてv
ゴジョさんはヘタレなばかりではないのだと気付くことができました!(殴)
三ちゃんはかなりゴジョたんに捕われつつ、まだまだ誰のモノにもなってない
これからの二人もすごく楽しみな終わり方でv
また続きも書いてください(〃∇〃) ふふふ
次の連載も皆様お楽しみにっっ//感想もメールで送っていただけると嬉しいです
WEB拍手くらい設置すれば良いんですが…すみません

それで、連載終了を記念しまして、見国がヘタレなイラストを描かせていただきました
どのシーンでしょう〜
オマケイラストへ→

皆様からのイラストも募集中です(≧∇≦)//









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