『 二律背反 』
――― 傷つけたいわけじゃなかったんだ
――― けど……………
【第1章】
〔1−1〕
パンッ、パンパンッ!
町のざわめきに掻き消されながら、乾いた音が三つ響いた。
それを聞きつけた付近の住民は、厄介事が己の身に降り掛からないようにと、じっと息をひそめている。
やがてすぐに、いつもと何も変わらない時間が流れ出す。
そのうちに、何人かが音のした部屋を探し当てて集まってきた。
そこには、死体が二つ転がっていた。
一人は額の中央を撃ち抜かれ、もう一人は背中に二発の銃弾を受けている。
どちらも下半身が剥き出しのままだ。
息をするモノは、その部屋には既に存在していない。
撃った人物は銃と共に姿を消していた。
集まって来た者達は皆、死体を見ても手を合わそうとしなかった。
中には転がっている身体を足蹴にしている者もいた。
死んだ時に、人はその真価を問われるものなのかもしれない。
〔1−2〕
「悟浄ぉー! 八戒ぃー!!」
「相変わらず声がでけーなー、チビ猿」
「いらっしゃい、悟空」
突然の来客だったが、八戒は嬉しそうに出迎えた。
テーブルについてポーカーの研究をしていた悟浄も、遊び相手が来てどこか楽しそうにしている。
しかし、飛び込んで来た悟空はそんな二人に構わず、キョロキョロと部屋の中を見廻していた。
「なあなあ、三蔵来てない?」
「あん? あの仏頂面、今日はまだ拝んでねーけど」
「そっか……」
「どうかしたんですか?」
珍しく難しい顔で考え込んでいる悟空を見て、八戒の表情もやや固くなった。
「夕方には戻ってくるって言ってたのに、帰ってこなくて……寺の周りも探したけど、どこにもいなくて」
「仕事が長引いてんじゃねーの?」
悟浄が何でも無いように言うと、悟空はぶんぶんと首を横に振った。
「違う!! 寺のヤツらもみんなそう言って全然心配してなかったけど、違う!」
「悟空、落ち着いて」
八戒は立ち尽くしたままの悟空を椅子に座らせ、その前にしゃがんで質問した。
「あなたは、三蔵に何か起こったかもしれないと思っているんですね?」
「よくわかんないけど…なんか嫌な感じがするんだ……」
やや俯いた大きな金色の瞳が不安気に揺れている。
「じっとしてられなくて、ここに居てくれればいいなと思って来たんだけど……」
「僕も、今日は三蔵の姿を見ていません」
その言葉を聞いて、悟空は徐に前にいる八戒の腕を掴んだ。
「やっぱり、何かあったのかな? 三蔵、大丈夫かな?」
あいつなら殺したって死なない、と言いかけた悟浄だったが、口にするのを辞めた。
悟空の必死な様子は、いつものように冗談で紛らわせる程度で済むものではなかったのだ。
だが、黙っていたって事態は変わらない。
「ちょっと、その辺、見てくるわ」
悟浄が席を立つと、弾かれるようにして悟空が顔を上げた。
今まで見たことの無い縋るような眼は、悟浄をさえも不安にさせる。
そう感じたことは表に出さず、いつものようにからかいの表情を作ってみた。
「飼い主がいなくなったから、餌の心配か?」
「そんなんじゃ……!」
反論しかけた悟空の頭に、悟浄の大きな手がぽんと乗せられた。
「 ま、今晩はここでゆっくり八戒の手料理でも食べさせて貰えや」
「悟浄……」
「寺のマズイ飯じゃ無くて、かえって良かったんじゃねーの」
そう言うと、悟浄は笑いながら外へと出て行った。
「待って、俺も行く!」
慌てて飛び出そうとした悟空を、八戒が引き止めた。
「三蔵のことは悟浄に任せて」
「でも……」
「ご飯、まだでしょ? 僕もなんですよ。 ご馳走たくさん作りますから、一緒に食べてくれませんか?」
「……うん、わかった。 ここで待ってる」
「はい」
八戒はにっこりと微笑んで台所へ向かった。
「俺も手伝う」
じっとしていられず、悟空もその後を追って行く。
今は、何もせずに待っていることなんてできない。
とにかく、身体を動かしていたかった。
「では、食べたい材料を選んでください」
「何でもいいの?」
「ええ、好きなだけ」
「やったー!」
何にしようかと明るい声を出しながら悟空が冷蔵庫を覗き込んでいる。
束の間でも、いつもの元気な悟空に戻ったようで、その背を見つめていた八戒はやや安堵した。
しかし、悟空から視線を外すと、途端に顔つきが厳しくなった。
両手は、祈りを捧げるように胸の前で組んでいる。
――― 頼みますよ、悟浄……
本当は、自分も三蔵を探しに行きたかった。
けれど、ここへ助けを求めてきた悟空を一人にしておくことはできない。
役割分担を考えるなら、現状が妥当だろう。
外はすっかり日が暮れている。
夜になると、物騒な輩も多く出没する。
待っているだけしかできないもどかしさを噛み締めながらも、八戒はひたすら三蔵の無事を祈り続けていた。
〔1−3〕
町に来るまで注意深く周囲に目を遣っていたが、三蔵らしき姿はどこにもない。
ひとまず情報を集めようと、悟浄は馴染みの酒場へと足を踏み入れた。
「よ!」
「おや、今日はもう来ないかと思ってた」
マスターがグラスを磨きながら穏やかに出迎えてくれる。
「ちょっと聞きたいことがあってな」
「なんだい?」
悟浄はカウンターに肘を付いて、店内を見廻した。
「金髪坊主、来てねぇ?」
「あー、あの綺麗なお坊様? ここにはいらっしゃってないけど……」
「けど?」
「夕方、向こうの通りでお見かけしたよ」
「ホントか?!」
「ああ。 ただ、一緒にいた奴等がなあ…」
「何?」
「お前さんはまだ知らないか……最近、どっから流れてきたのか、札付きのワルが居付くようになってね」
悟空が感じた嫌なこととは、そういうことだったのか。
「それから?」
「その後は知らん。 こっちも仕事の途中だったしな」
「サンキュ。 またゆっくり飲ませてもらうぜ」
「いつでもどうぞ」
背中に声を受けながら、悟浄は店を後にした。
この町に来ていたことはわかった。
問題は、その先だ。
――― 何か厄介なことに巻き込まれてなけりゃいいけどよ……
溜まり場をいくつか見て廻ったが、三蔵の姿は無い。
けれど、他の目撃証言もいくつか得られた。
やはり、何人かの男達と一緒に居たようだ。
「ったく、どこにいんだよ、あの生臭坊主はっ!」
もう、結構歩き回っていた。
足が疲れて来ている。
けれど、あと少しで辿り着けそうな気もしていた。
嫌な感じがするのは悟空だけでは無かったのだ。
探し始めて、言いようの無いもやもやしたものが自分の中にも巣食ってきている。
だから、早く三蔵の安否を確かめたくて、悟浄は休むこともせずに足を運んでいた。
「腹減ったー! …って、それは猿の台詞か〜」
ぶつぶつと文句を言いながら歩いていると、町外れまで来てしまった。
既にこの町を出ている可能性も考えられる。
しかし、もう少し町の中を当たってみようと考え、引き返そうとした時、視界の端に何かを捕らえた。
「ん?!」
建物と建物の隙間に人影が見える。
手足をだらんと伸ばして壁にもたれるように座っている男は、この辺りでは他に見ない金糸の髪をしていた。
「三蔵…?」
声を掛けながら悟浄が近付いたが、反応しない。
ただ、近くで見たその姿は尋常では無かった。
口の端から流れる血。
顔は青痣ができていて、殴られたのだと一目でわかる。
ビリビリに引き裂かれた黒のアンダーシャツは申し訳程度に首の周りに残っているだけ。
帯も結ばず羽織っている法衣も、ところどころが破れ、血が付いている。
左手に銃を握ったままで、右手は懐に突っ込んでいた。
下肢に何を履いているのかはわからなかったが、法衣の間から覗くのは素足だ。
そして、裸足。
どこからここまできたのか、足の裏は土で黒く汚れている。
「……」
悟浄はしゃがむと三蔵の頚動脈に触れてみた。
脈はある。
まだ生きている。
「脅かすなっつーの……」
指から銃を離して胸に抱えていた経文と共にポケットに仕舞い、三蔵の身体を肩に担ぎ上げた。
表通りには出ず、奥へと歩き出す。
しばらく進むと、足を掴んでいた悟浄の手に何かが伝い落ちてきた。
立ち止まって灯りの下で確かめようとした眼に飛び込んだのは、三蔵の内腿を伝う赤い筋。
乾いて黒くなった上に、新しい赤が鮮やかに流れている。
「クソッ」
悟浄は抱き締めるように三蔵を抱え直すと、足早に路地裏へと消えていった。
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