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 海老のテリーヌが運ばれてきた。バジリコ風味のソースが添えられている。



 料理は申し分なく、アデスの舌は、その奥深い味を堪能した。だが気持ちは、どうやってクルーゼと会話をはずませようかということばかりを考えて、浮わつき気味だった。



 戦争については話すなと注意された。しかし、それなら、何を話題にすればいいのだろう。

 クルーゼの指揮下に入って、しばらく経った。軍務に関しては、多くの言葉を交わしてきた。だが未だに、一個人として、彼が何に興味を持っているのかが、皆目わからないのだ。



 彼は必要なこと以外は、口にしない。戦場では、指示を出すだけだ。彼のプライベートな話を耳にしたことはない。

 アデスは上官の感触の良さそうな話題を探る。



「ヒューマン・コメディーの芝居がロングラン上演されてますね。私も一度、観たことがあります。血のバレンタインの後、一時、中止されたようですが……また上演されるようになって、嬉しいですよ。プラントは、以前と同じ状態であってほしいんです。戦争になど影響されずに……」

「オペラ歌手が主役の物語らしいな。ミュージカル風の芝居だと聞いたが」

「ええ。歌うシーンが多いんですよ。私はあまり、芝居やミュージカルは観ないのですが、楽しめました。セットや衣装も豪華で、凝ってましたし。

隊長は、演劇はご覧にならないのですか」

「ああ、そんなにな……だが、おまえが薦めるのなら、機会があれば、観てもいいな」

「ええ、ぜひ、どうぞ。あの劇場はシートがゆったりしていて、くつろげますよ」



 他にも、プロボクシングのタイトルマッチや乗用車の新型モデル、馴染みのカフェでの噂話や身内の近況など、色々と話しかけてみた。

 しかし、いずれも会話がふくらむことはなかった。クルーゼは静かに耳を傾けて、短く返答するばかりだ。その口許には、ずっと妖艶な微笑みがのぼっていた。



 アデスの困惑は、ますます大きくなった。クルーゼから誘っておいて、彼は会話の続行に協力してくれない。自分ひとりが、場を持たせるのに苦労している。

 だが不思議に、彼を責める気にはなれなかった。むしろ、自らをふがいなく感じた。すすんで話をしようという気持ちに、彼をさせられるぐらいの、面白い話題が提供できないのだから。

 隊長に、つまらない男だと思われたくない……アデスは胸の内で息をついた。



 牛フィレ肉のステーキを切っていると、ソースに目が留まった。トマトの果肉が刻み込まれている。

「おかしな友人がいたんですよ……トマトが苦手で」



 アデスは頭を上げると、気分を新たにするように、張りを持たせた声で話し始めた。

「トマトの味は嫌いではないんです。でも、形が……種の部分が気持ち悪いと言ってました。緑色で、どろりとしていて。それが耐えられないらしくて。

 変わった奴でしょう? 他に好き嫌いはなかったんですが。高校のクラスメートで……」



 ふいに心に甦った友達だった。

一度思い起こすと、その男のエピソードがいくつも現れてきた。入学して意気投合してから、いいことも悪いことも、一緒に経験した。

勉学やスポーツにおいて、常に良きライバルだった。学校や家で、他愛ない雑談で盛り上がった。彼が恋をした時には、好きになった少女の家を見に行った。

気にくわない教師がいたが、彼は逆らい、自分は中立的な態度を崩せなかった。生徒会に立候補した彼を、仲間たちで応援した。落選したが、皆との連帯感は強まった──。



そんな思い出話を、クルーゼに披露した。相づちしか返って来なくても、友人との逸話なら、喋る材料に事欠かなかった。

完全にアデスの一人語りだ。しかしクルーゼは、気を逸らしてはいないようだった。アデスの青春時代の出来事を、そっと脳裏にしまい込むように、穏やかな表情で聞いている。



「情熱家のせいか、思い込みが激しくて、融通が利かないところがあったので、衝突もしましたが……ケンカをしても、憎めませんでしたね」

 私にとっては懐かしい思い出でも、隊長にとっては見知らぬ男の話など、退屈なだけだろう。それはわかっているのだが……。

 なのに何故、こうして友人の話を続けてしまうのだろう……アデスは喋りながら自問していた。



おそらく、それは……隊長に、この話題を鼻白む気配が微塵も感じられないからだ。その様子が、自分の口を閉じさせないのだ──不思議に思う一方で、アデスはおぼろに、饒舌の理由を理解していた。

そして、上官の優しげな態度に甘えることにした。



「多少、理不尽であっても、私が譲歩してました。ですが、私も頑固ですので、折れたフリをして、根本のところは譲らなかったりしました。それはあいつもわかってました。それを承知で、お互い歩み寄りました」

「本当に仲がよかったのだな」

「ええ……親友、でした」

 クルーゼに物分りのいい指導者のような、穏やかな口調で話されると、次の言葉がするりと出て来る。

胸に秘めていた想いを、抵抗なく彼に打ち明けてしまうのだ。

「でも……一度だけ、本気で衝突しました。本物のケンカでした……最初で、最後の」

 重苦しい塊が、喉の奥を圧迫した。



 楽しい思い出の後に現れてきた、苦い記憶。それを露わにしたくはなかった。

だがクルーゼの全てを受け止めるかのような雰囲気が、先を促しているように思えた。

そしてこの青年は、その記憶に伴なう辛さを吸収して、私を楽にしてくれるのではないか……という気がした。



アデスは静かな呼吸を数回、繰り返すと、話し始めた。

「彼との考えの違いに気づいたのは、知り合ってまもなくでした。それを突き詰めると言い争いになるので、その議論は避けていました。ですが、高校を卒業する年に、それと直面しなければならなくなったのです。

 あいつは、中立国へ……オーブの大学に進む道を選びました。プラントを離れることを決めたのです。彼はコーディネーターとナチュラルは宥和すべきだと考えていました。我々はナチュラルから派生した種なのだから、彼らとの混血を繰り返すことで、ゆるやかにナチュラルへの回帰を目指すべきだ、と。それがヒトという生物としての、自然な在り方だと。

しかし私は、我々コーディネーターが生み出されたしまった今、それは不可能な夢想だと思うのです。我々はもはや、ひとつの種族として確立しています。彼の主張は、我々が持っている生存の権利を否定しています。我々にも、ナチュラルと同等に、未来があるのです。なのに、それを途絶させてしまおうという、あいつの考えには、私は同意できなかったのです」



その当時に、親友と交わした舌戦を思い出すと、アデスの胸裡は熱くなった。

「他のささいなケンカのように、この問題については、曖昧に終わらせることは出来ませんでした。若かったですから、とことんまでやり合いましたよ。とても傷つけ合ってね。

そして、決別しました。まったく口を利かないまま……あいつはプラントを去っていきました。私は見送りにも行きませんでした。そのまま、あいつはオーブに住んでいます」

クルーゼは黙っていた。電灯に光っているサングラスの下の目は、じっと部下に注がれているようだ。



アデスはしばらく俯いてから、溜め息とともに、面を上げた。

「それから一度も、連絡は取っていません。ただ……昔のクラスメートから、あいつに相談を受けたと聞きました。プラントに戻ろうか迷っている、と。

 昔と考えは変わっていないそうです。でも、コーディネーターとして、何か仲間を助けられるのではないか……と。家族はこちらにいますし、戦争が長引いて、いたたまれなくなったのでしょう。

……私のことも、何をしているか、尋ねたそうですよ」



力なげに、薄く笑った。

「相談を受けた友人が、仕事を探してやっています。あいつは食品バイオの専門家なので、食料の生産開発で役に立ちたいと希望しているらしいです。

 戻ってくるかもしれませんね。私と顔を合わせることは……もうないだろうと思いますが」



 やはり、クルーゼからの反応はなかった。

だがアデスは、心にわだかまっていた辛い経験を聞いてもらったことで、すっきりとした気分を感じていた。

そして、それを吐き出す機会を与えてくれたクルーゼに感謝した。

アデスはフィレ肉を口に運んだ。少し経って、クルーゼもナイフとフォークを動かし始めた。



アデスが会話をリードして、クルーゼは聞き役に回る。それからも、その構図は変わらなかった。

だがアデスは、食事を始めた頃よりずっと、緊張を和らげていた。クルーゼの食べる様子や、かすかな表情の変化、優雅な手指の動きを見るのが楽しかった。



アデスの中では、彼はその場において、上官ではなく、憧れを抱きながら見守るべき人になっていた。



食後のプチケーキは普段、口にするデザートよりも、舌の上で甘くとろけた。

デミタスのコーヒーは豊かな香りで、深いコクがあった。







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