追悼 アデス×クルーゼ
『邂逅』

小説 恣音 様



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 さわさわと穏やかな話し声が揺れている。



 それに拍子を付けるように、食器が触れ合う硬い音や、椅子の脚が床をこする濁った音が聞こえてくる。

 柔らかな光がテーブルの上に降りていた。頭上の優美なシャンデリアからだ。



 食卓にはワインが置かれて、前菜のひと皿が運ばれていた。灯りを受けて、光の雫をともしているワイングラスは、深遠な赤色で満たされている。卓上に気品高く咲いている、深紅の薔薇のようだ。



「すまなかったな。急に誘って。今夜は他に、予定があったのではないか」



 静かにかけられた声に、アデスは前菜のアスパラガスを切る手を止めた。

「いえ、一人で何をしようかと迷っていましたから。呼んでいただけて、嬉しく思っています」

 真面目な態度を崩さずに、前の席に座っている青年に答えた。口許をゆるめた、かすかな微笑みが返ってきた。



「では、時間を気にすることはないな。一度、君とは、軍務を離れて、ゆっくりと話せる機会が欲しかったのでね」

 アデスの上官であるラウ・ル・クルーゼは、二本の指をワイングラスに添えた。



女のそれと見まごうように細く、ほとんど陽にさらされていないかのように色白の指だ。アデスはそのたおやかさに、思わず目が引き付けられた。

「私でよろしければ、何時まででも、お付き合いいたします、隊長」

 指にとどまろうとする視線を、慌ててはずした。料理をフォークに刺す。



 クルーゼは黒に近いダークグレーのスーツを着ていた。同系色のネクタイを締めている。

 肩口に、優しいウェーブの金髪が掛かっている。その透明感のある淡い金の光が、暗色のスーツに映えていた。

 彼の瞳は、黒っぽいサングラスで隠されている。卵形のかんばせに着用されたそれは、金の髪を映え立たせているスーツと同様に、より彼の顔色の白さを目立たせる働きをしていた。



 アデスもスーツ姿だ。手持ちの中で、もっとも上等なクラシックスタイルの一着を選んだ。

 有名な高級レストランでのディナーだ。自分のために、いや、それ以上に招待してくれた隊長のために、気恥ずかしくない格好でなければならない。



 予想していたとおり、周囲は裕福そうな客ばかりだった。ブランドものの衣服で身を包んだ、顔つきや態度に余裕の感じられる人々。婦人方の耳や首元を飾っている、宝石や貴金属のアクセサリーがきらびやかだ。
 プラントの外の世界では、戦争が行われている。しかし、この店内は、無慈悲な硝煙とは無縁だった。

地球連合軍との戦いに身を投じているアデスには、戦争などどこ吹く風といった、客たちの様子が歯がゆかった。だが、その一方で、彼らのこの、死や損失への不安を抱いていない生活を守らなくてはならないとも思った。



「ここへは、初めて来ました。いつかは、食事をしてみたいと思っていたのですが……隊長が叶えてくださいました」

 サーモンにケッパーを添えると、ふと頭を起こして、アデスは話し掛けた。



 赤ワインに口を付けていたクルーゼは、ほのかに唇をほころばせた。それはロゼのワインのように、初々しい紅さを持って、つややかに濡れている。

 彼の頬も、控えめな紅が差しているように見える。それほど飲んではいないはずだが、少し気だるいと感じられる室内の空気のせいだろうか。



 アデスは胸の高まりを覚えた。わずかに首をかしげて、微笑んでいるクルーゼの顔。そこに、可憐な少女と、妖艶な美女の気配を感じ取ったのだ。

穢れなきものと、色香を熟知しているもの──両者が混在しているような、不可思議な上官の雰囲気は、アデスを当惑させるのに充分だった。



──バカな。何を考えているのだ、私は。男である隊長に対して、女の面影を連想するとは。確かに隊長は、軍人らしからぬ容姿ではあるが。

それにしても、動悸が早まるとはどういうことだ。隊長に失礼だぞ。まるで、初恋の相手と会っているようではないか。初めて、プライベートで隊長と食事をして、緊張しているせいかもしれないが……。



早く心音を平常に戻そうと、アデスは視線を落とすと、食べることに注意を向けた。

アデスの焦りを知ってか知らずか、クルーゼは蠱惑的な微笑を浮かべ続けていた。



「今回の休暇は四日後までだが……明日からは、私は査問会や国防委員たちとの会合などで忙しくなるからな。君と食事が出来るのは、今夜しかないと思った。

 このレストランは、景色が気に入っていてね。いい眺めだよ。心が休まるな」



 壁面ガラスになっている窓の外には、庭園が設けられている。緑濃い低木が茂って、愛らしい花々が優しげに佇んでいる。

小川がせせらいで、鳥や小動物などのオブジェが点在している。ポツポツとともっているガーデンライトは、小さな緑園に捉えられた光のシャボン玉のようだ。



この店は、二つの紡錘形がドッキングした形を成しているプラント中央部のくびれ──センターに向かってそびえ立つ、巨大なシャフトタワーの中層に位置している。庭園の向こうに目をやれば、タワー底部に向かって広がっている街並みが見渡せる。



様々な色の街の灯が、びっしりと連なって下方へと伸びている。しかし、その美麗な流れは、やがて何かに遮られたかのように中断される。

そしてその先には、広大な闇が沈んでいる。プラント基底部の大半を占める、海面である。



吸い込まれそうに、深い闇だ。多くはないが、小島があるので、そこの人造物の灯火がひっそりと光っている。黒い絨毯にこぼした、数粒の宝石のようで、しめやかな美しさがある。



「ええ、いい景色ですね。私もそう思います」

 アデスも窓外を眺めて言った。



日頃から、あまり感傷的な気分にはならない彼だが、闇と光のコントラストには、美しさと、一抹の哀しさがある。アデスは胸に、わずかに甘酸っぱいものが沁み出してくるのを感じた。

どこまでも続く闇の情景。それは、彼が軍艦で航行する宇宙を想起させた。赤や白の街の灯は、艦隊の航空灯のようだ。



「いつまで……続くのでしょうか。この戦争は」

 外を見やったまま、独り言のように呟いた。



 クルーゼがワイングラスを卓上に置いた。

「弱気になっているのか。君らしくもない」

「いえ、そのようなことは……!」

 慌てて、アデスは否定した。クルーゼ隊指揮艦・ヴェサリウスの艦長という大任を任されている身だ。士気を疑われるようなことがあってはならない。



 上官の顔をまっすぐ捉えて、慎重に言葉を継いだ。

「ただ……我々は技術力は、地球連合軍をはるかにしのいでいます。戦力とは、兵の数ではありません。地球軍に劣る少数でも、勝算はある──シミュレーションでは、そう回答が出たはずです。全宙域は我々が制しました。しかし、地球が落とせません。奴らがMSの開発に着手したばかりの今のうちに、制圧しておきたいと願うのですが、地上部隊の奮闘に任せるしかありません。

 奴らの新型MSを奪取できたのは、隊長の並外れた手腕によるものです。地上部隊にも、隊長のような指揮官がいれば、膠着した戦局に、一気にカタが着くと思うのですが……」



「地上部隊は善戦している。ただ、止まない地球軍の反撃に、精神的にも疲労が募っているのは確かだろう。勝敗を決するのは兵器の優劣であって、兵の数ではない──
それには同意するが、叩いても減る様相を見せぬ敵は、兵の精神にダメージを与える。優れた兵器を動かすのも、所詮は兵だ。気力を衰退させた兵士に、満足な働きはできないな」

「開戦時より、士気が下がってきたのは認めますが……我々の精神レベルは、ナチュラルとは違います。意志の力で、常に心を一定の状態に保てるはずです。我々は肉体的にも精神的にも、ナチュラルより優れているのです。そのことを、地上部隊には思い出してもらいたいものです」



 クルーゼは微動だにせず、アデスを注視していた。

少し経って、上質の音楽のように、耳触りのいい滑らかな声で語った。



「私の見方では……想定していたよりも、戦争は長引くだろう。ナチュラルを見くびってはならん。我らの慢心が、プラントを劣勢に導くかもしれんぞ。

 十中八九、情勢は激化する。地球軍がMSを開発し、あのようにしぶとい新造艦を造るなどと、誰が予想していた。必死なのだよ、奴らも。追い詰められた者は、実力以上の力を発揮する。だが我々も、我々の権利と生存を賭けて、譲歩するわけにはいかない。ナチュラルも後退しない。行き着くところまで、行くしかないのかもしれんな……殲滅戦のように」

「そのような、救いのない戦いは……」



急くように言いかけて、アデスは唇を閉じた。

周りのテーブルで談笑している客たちに、横目を流す。そして、苦しそうに眉根をひそめた。



「……しかし、隊長のおっしゃるとおりかもしれません。ですが、我々軍人の役目は、自国の損害を最小限にとどめ、自国民の生命と財産を守ることです。プラントへの攻撃は、何としてでも避けなければなりません。そのためには、脅威となり得る地球軍の足つきのデータを、決して持ち帰らせては──」



「その話は、今はやめよう」

 いきなり、クルーゼが肘を曲げて、片手で制した。



 アデスは次に言おうとしていた文句を飲み込んだ。

「今夜は、一般の市民として、おまえと話がしたかったんだ。軍議は、軍の制服を着用している時でいい」

「……はっ」



 柔らかいながらも、凛とした態度で告げた上官を、上目で見据えながら、アデスは従った。



















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