【 ROUND 3 】
◆
そういえば朝から何も食べていなかったと思い出し、三蔵は台所へ向かった。
この宿は簡易キッチンが備え付けられていて、簡単な調理くらいはできるようになっていたのだ。
と言っても、料理をしに来たのでは無い。
すぐに食べられる物が冷蔵庫にでも入っていれば、それをつまもうか、と思ったまでのこと。
「キュ〜」
歩き出した三蔵の後に、ジープもついて来た。
「これじゃ食えねーな」
冷蔵庫の中に入っていたのは、これから調理されるのを待っている食材ばかりだ。
レタスやハムなど、そのまま生でも食べられる物もあるにはあるが、包装を剥がすのも面倒臭い。
冷蔵庫の上方には更に扉があり、その中に白い箱が入っていたが、三蔵は中身を確かめようともしなかった。
「チッ…」
ビールだけ取って扉を閉める。
そして、そのまま戻ろうとした時、法衣を引っ張られる感じがして後ろを振り向いた。
「キュー!」
ジープが三蔵の注意を引こうとしていたのだ。
その小さな体が載っているシンク横の調理台の上には、ラップに包まれた皿が置かれてあった。
「ん? 食い物か?」
ご丁寧にメモまで添えられている。
そこには、
『三蔵へ お腹が空いたら、これを1分間チンして食べてくださいね。 -八戒より- 』
と書かれてあった。
どうやら、出掛ける前に八戒が用意してくれていたらしい。
しかし、三蔵は首を傾げていた。
「 “チン” とは何だ???」
◆
「もう来ねーかな」
大勢で襲い掛かって来た敵を全滅させた悟空は、逃した妖怪はいないかと隅々にまで目を凝らした。
すると、窓が開いているので部屋の中の様子が見える建物を見つけた。
テーブルの上には美味しそうな料理が並んでいる。
遅い昼食を用意しているようだ。
「美味そう……」
思わず涎が出てきた。
「ううう、腹減ったー」
お弁当だと八戒が持たせてくれた握り飯は既に全部食べてしまった。
しかし、まだ宿には戻れない。
八戒からは、「夜になってから戻ってきてくださいね」 と言われてある。
三蔵が眠ってから、ということらしい。
「会いてーなー」
三蔵に。
あの金色の髪と紫の瞳が恋しい。
口煩くても、すぐにハリセンや銃を持ち出されても、三蔵を慕う気持ちは変わらない。
「三蔵……」
まだ数時間しか経っていないというのに、もう恋しくなってしまった。
悟空は徐に立ち上がると、空に向かって思いっきり叫んだ。
「三蔵ーーー!!」
◆
「わからん」
宿の台所では、三蔵が腕組みをしたまま考え込んでいた。
「一体何のことだ?」
“チン” と音がする物と言えば、経を読む時に慣らす鐘が真っ先に思い浮かぶ。
手に持って鳴らす鈴にも、“チン” と響く物があった。
「他には……」
何があるというのか。
「さっぱりわからん……」
悩む三蔵を見ていたジープが、再び法衣を引っ張った。
「ん、どうした?」
「キュー!」
ジープが翼を伸ばして指し示した先には、四角い箱が置かれてあった。
「これは…何だ???」
扉を開けば、中は空洞だ。
外側には、数字が並んでいるタイマーのようなつまみ。
「ふんっ」
不意に、三蔵の眉間の皺が緩んだ。
「これを使えってのか」
わかったぞ、とばかりに大きく頷くと、三蔵は皿を中のターンテーブルにセットして、ぐりんとつまみを回した。
◆
何も起こらないまま店に辿り着き、取り置きしてもらっていた品物も受け取りを済ませた。
食料は既に昨日買ってあるので心配無い。
買い物は以上で終了だ。
「三蔵、ちゃんと食べてるでしょうか…」
見張っていなければ空腹はビールで誤魔化してしまう三蔵だが、人間なのだから腹も空くだろう。
そう思って、八戒は焼きソバを作って置いて来たのだ。
ビールのつまみにもなるだろうし、野菜も肉も一緒に摂れるので栄養面でも十分だ。
カップ麺などでもいいかとも思ったが、三蔵のことだからお湯を沸かすのも面倒臭がるはず。
だから、インスタント食品よりも簡単にできるよう、レンジで温めるだけの状態にしておいた。
もっと手軽なサンドイッチでも良かったかもしれない。
けれど、もう師走が目の前に来ているのだから温かい食べ物の方がいいだろうと考えてのことだ。
しかし、ふと不安が過った。
「まさか、電子レンジが使えない、なんてことは無いでしょうね…?」
一度発生してしまった不安要素は、容易には頭から振り払えない。
「三蔵っ!」
思わず叫ぶと、八戒は小走りに駆け出した。
◆
八戒が残していったメモには “1分間” という指示が書かれてある。
しかし、三蔵が適当に回した目盛りはそれを大幅に越えていた。
「まだかっ」
自分のせいで時間が掛かっているとは露ほども思わず、三蔵がイライラとしだした時、“チン” と音がなった。
「ほおぅ、それで “チン” か」
納得した様子の三蔵が扉を開けると、中に見えたのは少し焦げたようにも見える焼きソバ。
空腹なのでそれでも構わない、と取り出そうとする。
が。
「アチッ!!」
熱くて素手では持てず、床に落としてしまった。
皿が割れ、中身も散乱している。
「………」
横で見ていたジープが、悲しげに 「キュ〜」 と鳴いた。
◆
「ん? 何の匂いだ?」
自分の服から安物の香水のような匂いがしてくる。
「さっきの奴か…」
綺麗な女に化けた妖怪が体を摺り寄せてきた時の移り香だろう。
「迷惑な話だ、ったく」
悟浄は指に挟んでいた煙草を服に近付けると、満遍なく煙で燻していった。
「しっかし、スタイルは良かったよなー」
現われた時点から敵だとはわかっていたが、一瞬、ときめいてしまったのは事実だ。
男ならば誰でもコロリと騙されそうなほど、完璧な容姿をしていたから。
「中途半端に煽られると、後が辛いってーの」
体が密着した時に悟浄の雄の部分が反応しそうになった。
だがそれは、生理現象なので仕方が無いとも言える。
決して、女の色香に迷いそうになったのでは無い。
美しかったが、確かに色気もあったのだろうが、悟浄の琴線には触れなかったのだ。
官能的といえば、思い出すのは一人の姿。
「三蔵……」
そこらの女よりも三蔵の方が数倍色気を感じる。
そんな自分に気付いた悟浄は、最初こそ焦った。
同性に対して性的興奮を覚えるなど、今までは考えられなかったからだ。
だが、柔軟な思考は順応性も高く、自分がいいと思えるならばそれを受け入れようと、そう決めてからは楽になった。
離れていてもはっきりと脳裏に浮かぶ。
キラキラと煌く金糸の髪。
紫暗の瞳は心臓を打ち抜くかというほど鋭く。
少し厚めの唇は、きっと柔らかなはず……。
「あ、やべ……」
悟浄は思わず前屈みになった。
「三蔵ぉ〜」
唐突に三蔵に会いたくなった。
名前を呼ぶと余計に、姿を見ずにはいられなくなる。
「くそっ…」
足が勝手に宿へと向かう。
こんなにも心を奪われていたのかと、悟浄は今改めて実感していた。
◆
ぐう…、と三蔵の腹の虫が鳴った。
「なるほどな」
コレは食べ物を温めることができる箱で、取り出す時は熱いから気をつければいいのだ。
ならば、何か温めてみれば…。
再び、冷蔵庫を開けてみる。
ざっと見渡した中で目に付いたのは生卵。
「ゆで卵」
…にマヨネーズというのはなかなかいける組み合わせだ。
想像すると、思わず生唾が出てきた。
「決まりだな」
さすがの三蔵も、卵をそのまま置くのはどうかと躊躇したので、水切り篭の中にあった皿を取り出した。
一番大きそうな卵を一つ載せた皿をターンテーブルの中央に置き、ぐりんとつまみを回してタイマーをセットする。
箱の中が明るくなり、中が回り出した。
「ふふん」
箱の上に大きな手袋のような物があるのも見付けた。
熱くなったモノも、これを使って持てば多分大丈夫なのだろう。
「よーし」
今度は、問題無いはずだ。
ミトンをしっかりと両手にはめた三蔵は、レンジの前で出来あがりを待ち構えていた。
◆
「あれ、二人ともどうしたんですか? 予定よりも早いんじゃ…?」
宿の前で三人がばったりと鉢合わせした。
「そーいうオマエだって早いじゃねーかよ」
「僕は、三蔵が一人で大丈夫だろうかと心配で…」
「俺だって!」
「………」
「えへ」
「あは」
「ははは」
顔を見合わせて気まずそうに笑う。
三人とも、三蔵を想う気持ちはしっかりと持っているのだ。
それを互いにわかっているからこそ、敢えて深くは突っ込まずにいた。
「ところで、僕が見張っていた辺りは特に何も起こらなかったんですが、そちらは?」
「来た来た! 団体で来たぜ!」
悟空が興奮気味に喋り出す。
「全部やっつけたんだけどさ、もう腹が減って我慢できなくて……」
戻ってきた言い訳のように話す悟空を、八戒は 「それはそれはお疲れ様でした」 と労うだけに留めた。
「こっちも来たぜ。 一応片付けといたからしばらくは大丈夫なんじゃねぇ?」
「そうですか、悟浄もご苦労様でした」
「なあ、まだ戻っちゃだめかな?」
悟空が真摯な眼差しで八戒を見上げる。
早く三蔵に会いたいという想いが溢れ出そうだ。
「悟空……。 うーん、そうですね〜」
そろそろ夕暮れも近くなってきた。
それでも、三人が部屋を出てから半日も経たないが、三蔵も少しはひとりの時間を過ごせただろう。
「取り敢えず、様子を見に戻りましょうか」
「うん!」
「まだ気付かれてはいけませんから、そっと、静かにね」
「わかった!!」
「しーーーーっ!!!」
悟浄が口に人差し指を当てて悟空を睨みつける。
「(バレるだろうがよ!)」
「(悪ぃ……)」
小声で注意された悟空は、同じように小声で返した。
「(気をつけてくださいね、悟空)」
「(ごめん)」
抜き足差し足忍び足。
三人は足音を忍ばせて三蔵が待つ部屋へと向かった。
◆
“チン” と音が鳴ってレンジが止まった。
「おっ!」
遂に三蔵が待ちに待った時がやってきた。
ミトンをはめた両手で皿を掴み、慎重に卵を取り出す。
一旦調理台に皿を置くと、一呼吸入れた。
「ふうっ……」
今度は落とさないようにと、息までも止めて真剣に臨んでいたのだ。
「ふんっ、簡単じゃねーか」
あとは、殻を剥けばすぐにでも食べられるだろう。
待ちきれずにマヨネーズを片手に掴んだ。
八戒がわざわざ三蔵の為にと買っておいた、お徳用1kgサイズのマヨネーズだ。
「熱いのか……?」
様子を見ようと伸ばした手が卵に触れた、その瞬間。
ボンッ!!!!!
いきなり卵が爆発した。
「………………………………………………………え?」
◆
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