【 ROUND 4 】
◆
「何の音ですか?!」
部屋の前で聞き耳を立てていた八戒達だったが、突然聞こえた大きな音に驚き思わずドアを開けた。
「う……」
「ひゃあ……」
飛び込んで来た三人は、あまりの惨状に目を疑った。
「何じゃコレ………」
部屋は、泥棒に入られたとしか思えないほど、荷物が荒らされて散乱している。
台所の床には、割れた皿や焼きソバが無残な姿を晒したままで。
それよりも気になったのは、辺り一面に飛び散っていた卵の白身や黄身らしきものの残骸だ。
「キュ〜〜〜〜〜!!」
いきなりジープが八戒目掛けて飛んで来た。
「ジープ!」
「キュ〜キュ〜キュ〜」
いつもの如くに肩に止まると、心細かったのを伝えるように八戒の頬に顔を摺り寄せてくる。
「一体、どうしたんですか?」
この状況から推察するに、さっきの爆発音は卵が破裂した音だろう。
「三蔵…?」
三蔵は、と見れば、片手にミトン、片手にマヨネーズという姿で台所に立ち竦んでいた。
「大丈夫…ですか?」
爆発の瞬間、大きなマヨネーズを顔の前にかざしていたのか、顔は無事だった。
しかし、頭髪と体は卵の残骸にまみれている。
「……何でもねぇ………」
「何でもない訳がないでしょう…」
やれやれ、といった調子で八戒が溜め息をついた時、ぐう、と三蔵の腹が鳴った。
釣られて、悟空と悟浄の腹も盛大に鳴った。
くう、と八戒の腹の虫も鳴いた。
「おやおや、はらぺこ4兄弟ですか」
三人とも、食欲よりも三蔵を優先させたのだ。
三蔵の場合は、自業自得なのだが…。
「何か作りましょう。 材料は揃っていますし」
「わーい、飯〜メシ〜〜〜!」
悟空が無邪気に喜んでいる。
それは、食べ物にありつける、という喜びでもあったが、三蔵の顔を見られて安心したのも大きかったようだ。
「三蔵はシャワーを浴びてきてください。 着替えはすぐに僕が持って行きますから」
「……」
マヨネーズとミトンを八戒によって取り除かれた三蔵は、むっつりしたままだったが素直に肯いた。
「食事の用意をしておきますので、ゆっくりしてきてくださいね」
「……ああ」
最後に八戒の声を聞いてからたった数時間しか経っていないのに、世話を焼かれるのが久しぶりに感じる。
あまりに構われると煩わしいと思ったりもしたが、今はどこか心地良かった。
「さて」
三蔵がバスルームに消えるのを見届けてから、八戒が二人を呼んだ。
「では悟空は向こうの部屋の片付け、悟浄は台所の拭き掃除をしてください」
「えー、何で俺らだけこき使われるんだよー!」
「そうだそうだ!」
文句たらたらの二人だったが、八戒は容赦しない。
「今日が何の日かわかってるでしょ?」
「う……」
それを言われると弱い。
悟浄と悟空はぶつくさと文句を言いながらも手を動かし始めた。
三蔵は何もしなくていいのだ。
だって今日は、三蔵の……。
◆
「うわっ、何だコレ?!」
「何なに、何を騒いで……げっ! 朝はこんなの無かったよな……?」
「どうしたんですか?」
悟空と悟浄が驚いた声を上げているのを聞きつけて、八戒も調理の手を休めて顔を覗かせた。
「見てみ、この壁」
「壁がどうしたと…………うわあ」
そこには、悟浄と八戒の目線よりも少し低い位置に、かなり大きな焼け焦げが出来ていた。
直径50cmくらいはあるだろうか。
三蔵とジープとの間でどんな攻防がなされていたのか。
その予想外の展開を改めて突き付けられたように感じ、八戒は頭を抱えた。
「一人にすべきでは無かったかもしれませんね…」
八戒が、「後で宿の人に謝っておきます」 と力無く続ける。
「オレらがいないと大変だってのが身に沁みたんじゃね?」
「だといいんですが」
「三蔵、火傷とかはして無かったよな?」
「あ……」
悟空に指摘されるまで気付かなかった。
誰よりも何よりも三蔵を優先させる悟空が、壁よりも三蔵の身体のことを真っ先に心配している。
「大丈夫だと思いますよ。 卵まみれになっていましたが、傷などはありませんでしたから」
「なら良かったー」
それならば安心だと、悟空は再び片付けに取り掛かった。
「生きてりゃOKっしょ」
「そんなアバウトな」
「ま、無事で何よりってことで」
「そうですね」
悟浄がクールに、八戒は穏やかに微笑みを浮かべている。
二人とも、三蔵が無事でいたことは心底嬉しいのだ。
「さ、早くしないと三蔵があがってきちゃいますね」
「おう、急ごうぜ」
「ええ」
三蔵の為に動く三人を、ジープが羨ましそうに見ていた。
◆
「では、今日一日お疲れ様でした」
「乾杯〜!!」
何とか元通りになった部屋で、食事会兼飲み会が始まった。
「わーい、いっただーきまーす!!」
悟空は早速、八戒が腕に縒りをかけて作ったご馳走をぱくついている。
「うっめー!! 最高〜〜〜!!」
「こら猿っ、肉を一人占めしてんじゃねーよ!」
「ほらそこ、喧嘩しないで。 お代わりならまだ十分にありますから」
「マジ? やったー!」
「てめーはもうちょっと加減して食えっての」
「何だよー、うめぇんだからいいじゃねーかよっ!」
少し前の静けさが夢だったかのように、いつも通りの騒々しさが戻ってきていた。
「三蔵、これも」
八戒が三蔵の為に特別に提供したのは、シンプルなゆで卵。
もちろん隣にはお徳用マヨネーズも用意されている。
「お口に合えばいいんですけど」
どうぞ、と勧められて、三蔵は綺麗に殻が剥かれてあるゆで卵を手に取った。
白くすべすべとしたゆるやかな曲線に、薄い黄色のマヨネーズが絞り出される。
パクリ、と半分だけ口にする。
ゆっくりと咀嚼しながら、残りの黄身が見えた部分に再びマヨネーズを山のように盛った。
パクリ。
もぐもぐ。
ゴクリ。
「まだありますよ」
「ん?」
「食べ過ぎは禁物ですが、あと一個くらいならいいかな、と思いまして、……如何です?」
八戒が差し出したもう一枚の皿を見て、三蔵は無言のまま手を伸ばした。
よく見れば、口端が僅かに上がっている。
紫暗の瞳も、ゆで卵とマヨネーズに夢中らしい。
「食べていただけて良かった」
三蔵が喜んでくれて、本当に良かった。
口に出しては言わないが、見ていればわかる。
三蔵の満足そうな様子を見られるのが八戒にとっての幸せでもあるのだ。
「さ、さ、他のもどんどん食べてくださいね」
テンションが上がり気味の八戒が、次々と料理を取り分けてゆく。
自分の皿にも山盛りの料理を載せられた悟浄は、正面に座っている三蔵の様子をさっきからじっと見ていた。
悟空との料理の取り合いにも飽きてぼーっとしていたところに、黙々とゆで卵を口に運ぶ三蔵が目に入ったのだ。
「なあ、ゆで卵にマヨネーズって “卵&卵” じゃねーのか?」
「それがどうした」
ぎろりと三蔵の目が眇められる。
「ま、人それぞれ好みってのがあんだろうから、別にいいけど」
「ふんっ」
鼻であしらった三蔵は、八戒がよそってくれた “にゅう麺” にもマヨネーズをトッピングし始めた。
「おまっ、マヨネーズ食い過ぎ!」
「ほっとけ!!」
賑やかな食卓、美味しい食事。
三蔵も食欲が進むのか、いつもよりも食べている気がする。
「なあなあ、デザートは無いの?」
「オマエ、まだ入んの?」
「甘いのが食いてーよぉ」
果てしない食欲に呆れていた悟浄の横で、悟空が八戒に強請っている。
すると、三蔵も八戒の方へ顔を向けた。
「何かあるのか?」
「オマエもかよっ!」
デザートは別腹だと喚く悟空に三蔵も微かに肯いている。
二人は甘い物に目が無い。
今日の料理人は、そこのところはちゃんと熟知していた。
「ありますよ、ちょっと待っていてくださいね」
八戒が待ってましたとばかりにいそいそと台所へ向かった。
早くデザートを口にしたい悟空は、まめにテーブルの上の皿を片付けて場所を開けている。
「よく働くね〜」
「働かざるもの食うべからず!」
「おっ、どこで覚えたんだ? ンな言葉」
「手伝わない悟浄にはデザートあげないもーん」
「その台詞は、このえら〜いお坊様にも言ってやれよ」
悟浄が煙草で示した先にいるのは玄奘三蔵法師。
「三蔵はいいんだよ。 ……だって」
「お待たせしました〜」
悟空が何か言い掛けた時、八戒がトレイを持って戻ってきた。
「うわあ、ケーキだー!」
見た瞬間、悟空はケーキに夢中になり、続きを言うのを忘れてしまった。
「閉店間際のケーキ屋さんの前を通ったらホールで安売りしてたんです」
それは八戒が考えた言い訳だ。
本当は、昨日の買い物の途中で店を見つけた瞬間に飛び込み、翌朝一番に受け取るということで予約を済ませていた。
そして今朝、開店前に無理を言って開けてもらい購入。
密かに部屋へ持ち帰ったケーキは、冷蔵庫のチルドルームに入れておいたのだった。
「甘味を抑えたチーズケーキですから、お酒にも合うかな、と思って」
「俺、一番ちっちゃいのにしてくれ」
「いらねーんなら俺が食う!」
「誰がやるかよっ! やっぱ八戒、大きいのにして!」
「何だよー! 欲しくねーんならムキになんなくてもいいだろー!」
「おめーにやるくれぇなら俺が全部食っちまってやる!」
「ケチー! ケチ河童ーっ!!」
「うっせーよ、この食い意地張りまくり猿!」
「てめぇら、俺の分は残しておけよ」
「「……は、はい」」
ドスの効いた低音ボイスの三蔵がいきなり割って入り、悟浄と悟空は思わず掴み合っていた手を止めた。
「僕が分けますから、喧嘩しないで」
八戒が微笑みながら仲裁に入る。
紫と紅と金色の三対の瞳が、ケーキにナイフを入れる八戒の手元をじっと見つめていた。
(三蔵、そんなに食べたかったのなら…)
ずっと冷蔵庫の中にあったのに。
三蔵が見つけて食べてくれれば一番いいと思っていたが、箱を開けてもいなかったようだ。
でも、それで良かったのだろう。
わざわざメッセージを書いてもらった飾りのプレートは、見られずに済んで正解だったかもしれないから。
三蔵が見ればきっと眉を顰めるだけだろうし、もしも意味のあるケーキだとわかれば食べてくれないかもしれない。
あまり構って欲しくなさそうにする三蔵は、勝手に世話を焼く分はいいのだけれど、特別なことは嫌がるのだ。
「飲み物、持って来ますね」
ケーキサーブを終えた八戒が台所へ向かうと、調理台の上に残してあった甘い匂いの残る箱にジープが首を突っ込んでいた。
「ジープもお疲れ様でした。 これ、皆には内緒で食べますか?」
ジープが見つめていたのはチョコレートで作られたプレート。
さっき、こっそりとケーキから外しておいた物だ。
「キュー!」
八戒に食べさせてもらうのはジープにとって嬉しいひととき。
今日はよく頑張ったのだから、一際美味しい。
小さな口いっぱいに咥えた端から、ホワイトチョコの文字が見えている。
そこに書かれていたのは……。
『 HAPPY BIRTHDAY SANZO 』