【 ROUND 2 】







静かだ……。

「………」

耳が休まれば心も落ち着く。

「………」

新聞も集中して読める。

「……………マジで静かだな」

外からもあまり物音が聞こえてこない。
部屋の窓は裏通りに面しているからか、ほとんど人通りも無く、遠くで微かに生活音が聞こえるくらいだ。

しばしの平穏。
これまでの旅の様子からは考えられないほどの静寂。
ここまで静かだと、まるで異次元に迷い込んだのではないかという錯覚さえ感じてしまう。

「おい、茶」

つい、声が出た。
だが、当然のことだが誰も返事はしない。

「チッ……」

皆、出払っていたのだと改めて思い出し、不便さに舌打ちした。

「キュ…キュ……」

と、そこへ、よたよたとジープが羽ばたきつつ、電気ポットや湯呑みや急須などが載ったワゴンを押して現れた。

「ん、居たのか」
「キュー!」
「……で、何をしようってんだ?」

急須の蓋を口で咥えて横に置く。
ポットの注ぎ口の下に来るように本体だけの急須を動かすと、給湯ボタンの位置に足を掛けた。

「ほお、なかなか器用なもんだな」

ジープは休ませてあげたいと八戒が伝えていたが、三蔵の耳には残っていない。
自分の手を煩わせずに済むならそれでよしとばかりに、手伝おうともせず眺めているだけだ。

「キュッ…キュー」

ジープがボタンを押すと、勢いよくお湯が出てきた。
が。

「あちっ!」

急須の位置がずれていたのか、上手く入らずに熱湯が辺りに飛び跳ねた。

「キュー!!」

しかし、何とかお湯を注ごうと、ジープは懸命にボタンを押し続ける。

「あーもういいっ」

新聞紙で防御していた三蔵が思わず叫んだが、ジープは止めようとしない。
八戒に任された大切な任務。

 『三蔵の為に、美味しいお茶を淹れてあげてくださいね』

大好きなあの微笑みと共に頼まれたのだから頑張らずにはいられないのだ。

「キューッ!!」
「ジープ、止まれっ!!」

車だった時にブレーキを掛けられたかのように、その言葉でようやくジープは静止した。

「わかった、オマエの厚意は有難く受け取ろう」
「キュ?」
「飲めば満足なんだろ?」

何を言われたのか理解できないジープが小首を傾げてじっと三蔵を見ている。
その視線を受けながら、三蔵は茶葉が飛び散ったままの急須から湯呑みに茶を注ぐと一気に呷った。

「これでいいんだな」

口の中に茶葉が残ったが、何とか平気な顔をしてジープに問い掛ける。

「キュ〜!」

満足そうにジープが鳴いた。

「もう構うな。 わかったな」

三蔵がそう念を押すと、ジープは先ほどよりも高らかに 「キュー!」 と一声鳴いた。







「三蔵、どうしてるでしょうね…」

買い残していた品物を受け取りに店を目指していた八戒だったが、気もそぞろといったところだ。

「そろそろ喉も渇いている頃ですよね…」

本当ならば、一人でのんびりと買い物するつもりだった。
もちろん、妖怪の襲撃には備えていつでも闘えるべく注意はしている。
でも、平和な時間が保てているならば、自分もそれを満喫しようと思っていた。
なのに…。

「ジープはちゃんとお世話できてるでしょうか…」

気になるのは部屋に残してきた三蔵のことばかり。
そして、三蔵の面倒を見るようにと言い残してきたジープの様子も気掛かりだった。

「緑茶は熱湯を注いでしまうと駄目ですから、温度設定のできるポットを借りておきましたが…」

三蔵は不味ければ不味いとハッキリ言う。
しかし、美味くても賞賛の声は聞かれない。
ただ、黙々と口に運んでいたり、お代わりを要求された時、八戒は喜びを感じるのだ。

「はあっ…」

思わず嘆息してしまう。
三蔵の世話を焼けないことが、これほどまでに辛いとは。
最初は、いつもやっている言動をやらないだけだから、少々物足りないくらいかなと思っていた。
けれど…。

「これは結構キツイかも…」

はあっ、とまた八戒は一つ溜息を零した。







「ガス切れか…?」

お茶騒動が一段落したので一服、と煙草を取り出したが、肝心のライターが役に立たない。

「おい、火、………あ…………チッ」

そうだ、今は誰も居ないのだ。
一人残されていたことを思い出し、三蔵はまた舌打ちした。

「ったく」

いつもならば、悟浄の火を奪い取るか、八戒か悟空に代わりのライターを用意させれば事足りていた。
しかし今は、欲求を満たしたければ己で何とかしなければならない。

「面倒くせーな…」

…とは思っても、コレばかりは我慢できない。
そんな三蔵を、横からじっと見ている視線があった。

「ん? 何だ?」
「……」

テーブルの上をトコトコと歩いてジープが三蔵のそばまで近寄ってきて。

「ジープ…?」

小さな口をクワッと開けた。

「な…何を……?」

ボッ!

「わっ!!!」







見晴らしのいい屋根の上に陣取った悟空は、異変を感じればすぐに察知できるように集中力を高めていた。
しかし、よく晴れた青空に白い雲が浮かんで流れてゆく光景は平和そのものだ。

「あ〜あ、つまんねーな」

三蔵と一緒に居たかったのに、遠くへ追い遣られてしまった。

「でも、三蔵に静かに過ごしてもらう為だかんな」

全ては三蔵の為。
そう思うだけで、力が漲ってくる。

一番大切な人と一番一緒に過ごしたかった今日のこの日。
でも、今までずっと行動を共にしてきたのだし、隣に居ることだけがすべてでは無い。
遠く離れていても繋がっていると思えるのは、かなり幸せな関係なのではないだろうか。

自分の声が届いた三蔵。
自分を生の世界へ導いてくれた三蔵。
輝く黄金の髪は太陽のようで…。

「あれ…いつかもこんな風に思ったことがあった気がする………」

 『太陽みたいだ』

頭上の眩しい光に向かって手を伸ばす。

「三蔵…」

名を呼ぶだけで胸が熱くなる。
生きていると、実感する。

「俺、頑張る!!」

改めて気合を入れ直して、異常は無いかと辺りの様子を探った。
すると。

「!」

研ぎ澄ませていた五感が何かの気配を感じた。

「来たっ!!」

その瞬間、侵入してきた妖怪を目指して、悟空の体が宙を舞った。







ジープが炎を吐くと、三蔵が持っていたタバコはほとんど燃え滓になっていた。

「………」
「キュ〜?」

困っている三蔵を助けてあげた!
…とでも言いたげにジープが胸を張っていたが、動かなくなってしまった三蔵を見て不思議そうな顔をしている。
そのつぶらな瞳を前にして、三蔵は静かに溜め息を吐いた。

「………もう、気持ちだけで結構だ」
「キュー!」

自分も三蔵の役に立った!
三蔵の言葉を礼だと取ったジープは、翼を広げて喜びを全身で表している。

「……ったく……」

脱力しつつも再び煙草を咥えた三蔵は、予備のライターが残って無いかと自分の荷物を探し始めた。
ぽいぽいと中身を出していくが、目的の物はなかなか見当たらない。

「チッ」

イライラと鞄を放り投げると、次は八戒の荷物に目を付けた。
無言のまま近寄り、また中身を漁り出す。
しかし、ここにもライターは無かった。

「どこだ?!」

怒りに任せて、二段ベッドの上に置いてあった悟浄と悟空の荷物も引き摺り下ろした。
どちらも逆さにして中身を全部床にぶちまけたが、やはりライターは出てこない。

「あのクソ河童、どこに隠しやがったっ!!」

悪態を吐きつつ部屋を見渡すと、テーブルに載ったまま三蔵の様子を眺めていたジープと目が合った。

「あ…」

ジープの視線は、三蔵が咥えている煙草に向けられている。

「いや、いい…、今はいいんだ」

ノーサンキューだと伝えるべく片手で制止しようとするが、ジープはその動きを 「合図を送られた」 と受け取った。

「キュー!」

ばさっと翼を広げて羽ばたいたジープが、三蔵の顔の前で空中静止する。

「ジープ…?」

三蔵を正面に捉え、再び、ジープがクワッと大きく口を開いた。

「うわっ!!!!!」







「アイツ、困ってんだろなー」

くくく、と悟浄の口から笑い声が漏れた。
何故なら、三蔵の手元にあるライターは、使える回数が残り少ないはずだから。
そして今、あの部屋には三蔵が使っているモノの他にライターは残っていないから。

ヘビースモーカーな三蔵は、煙草と同じくらいライターも手放せない。
一緒にいる時は、手持ちの火が無くなると同じ喫煙者の悟浄を頼るか、八戒に予備のライターを出させていた。

しかし昨日、八戒はいつもいざという時の為に用意している使い捨てライターを買わなかった。
自分の予備が幾つかあるという悟浄の言葉のせいだ。

三蔵を一人残して行くと決まった時、悟浄の中で咄嗟に悪戯心が湧き上がった。
困難に直面した時、一人だとどう対処するのか。
その状況を作りたいが為に、鞄に入れていたライターは三蔵が寝ている隙に全部こっそりと持ち出しておいた。
もちろん、八戒にも気付かれないように注意を払って、だ。

「俺が居ない不便さをちったぁわかれ、っつーの」

三蔵に必要とされたい、と願うのは悟浄も同じだった。
自分の意思では無く、勝手に決められたこの旅ではあったが、悟浄はそれなりに楽しんでいる。
同行者も、仲間としては悪くないと思っているし、何より三蔵が一緒というのが興味深いのだ。

人々が仏の如くに敬ってやまない三蔵法師。
その高貴な人物が、ゴロツキも同然だった自分と同じ目線に立っている。
言い合いもすれば殴り合いだって平気でやる。

(こんなヤツ、今まで会ったことがねぇ…)

それが興味を持った最初だったか。
煙草も酒も自分に負けないくらいで、女は……こればっかりは悟浄とは違う世界に生きているようなのだが。

「面白ぇよな、アイツ」

三蔵の姿を思い出してふっと笑みを浮かべた悟浄の前に、人影が近寄ってきた。

「そこの素敵なお兄さん」

石造りの建物の壁にもたれて煙草を吸っていた悟浄に声を掛けてきたのは、一人の綺麗な女性だ。

「火を貰えないかしら」
「お安い御用だぜ、ハニー」
「うふん♪」

悟浄に体を摺り寄せ、女は火が点いた煙草を深く吸い込むと、ゆっくり煙を吐き出した。

「こんなところで何してるの?」
「来訪者を待っててね。今日来るかどうかわかんねーんだけど」
「それなら、アタシと遊ばない?」

胸の大きさや腰のくびれを強調すべく体をくねらせて、女は媚びを売るように悟浄を見上げた。

「昼間っから大胆だねー、オネエサン」
「ふふ、イイコトしよ♪」
「いいね〜、でもそーいうのは」

シュルッと錫丈が現れ、

「うっ!」

という呻き声と共に物陰に潜んでいた妖怪が切られて倒れてきた。

「二人っきりになってからの方がイイんじゃねぇ?」

言うや否や、悟浄は向かってくる敵を次々に薙ぎ倒してゆく。

「クソッ!」
「逃がすかっ!!」

背を向けて走り出した女に向かって鎖が伸びた。

「うぎゃっ!」

喉元を掻き切られると、女の姿をしていた妖怪は醜い本当の姿に戻りながら息絶えた。

「げっ、元はそんなんかよー。 迂闊に誘いに乗んなくて良かった〜」

ふうっと息を吐いて呼吸を整えると、悟浄はまた煙草を取り出して火を点けた。

「一丁あがりっ、と」







「はあっ、はあっ、はあっ……」

間一髪のところで炎から逃れられた。
まともにくらっていたら真っ黒焦げになっていただろう。

「キュー?」

もう煙草は無いのかとジープが探している。

「!!」

三蔵は慌てて、つい癖で口に持って行きそうになっていた一本を袂に隠した。
その時、くう、と三蔵の腹の虫が鳴いた。






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