【 ROUND 1 】
◆
「どう思います?」
「んー、まあいいんじゃねぇの。 この間もオマエに訊かれた時にそう答えてたンだろ?」
「ええ、三蔵の望みを叶えてあげるには丁度いいタイミングですし」
「ま、たまには、ってことで」
「悟空は?」
「……俺は、一緒にいちゃダメ……?」
「おやおや〜、飼い主から離されたら寂しいってか?」
「ちげーよ!」
「何だよ、そういうコトだろーが」
「そうじゃなくて! いっ…、一緒にいた方がナンかあった時すぐ守れるだろ!!」
「はっ、そんなヤワな奴じゃねーって」
「でもっ!!」
「二人とも! それくらいにしといてください。 アチラが起きちゃいますから」
「「あ……」」
悟浄と悟空が騒ぎ出したのを、八戒が素早く止めた。
二人とも口を押さえると、隣の様子をこっそり窺っている。
ここは旅の途中で立ち寄った宿なのだが、長期滞在型らしく台所が付いていた。
他にもいくつか宿はあったけれど、存分に料理の腕を振るいたくなった八戒がここを希望したのだ。
あとの三人は、野宿でなければどこでも構わない、といった意見だったので反対する者もいない。
久々に町に辿り着き、屋根のある部屋で休めればそれだけで有り難いという状況により即決だった。
部屋に入る扉を開ければ、すぐ右手に簡易キッチン。
左にはドアを隔ててトイレと洗面所とバスルームがまとまっている。
そして、まっすぐ進むと一室だけの部屋だ。
二段ベッドが二つ、左右の壁に沿って配置されており、中央には丸いテーブルと椅子が四脚あった。
窓は正面の一箇所のみだが、天井近くまでの大きさだったので結構開放的だ。
ベッドのある部屋と三人が密談している台所の間には、一応壁があるものの完全には仕切られていない。
その為、大きな声を出すと寝ている三蔵を起こしてしまいそうだったのだ。
「大丈夫だな」
「うん」
すうすうと微かな寝息が聞こえているのならば、起きてはいないだろう。
「三蔵、よく寝てるね」
「今日は久しぶりの宿ですからね。 今までの野宿の疲れも溜まっていたんでしょう」
「寝てる時だけは可愛いんだけどよ」
「うんうん!」
整った顔はまるで精巧に作られた人形かと見間違うほどだ。
その美しい面立ちのせいで過去には辛い目にも遭ったらしいが、鑑賞するならばこれ以上の眼福は無い。
「で、悟空、さっきの話の続きですけど」
「う……」
「あなたが嫌だと言うのなら無理強いはしません。 でも」
「……ん?」
「遠くにいてもあなたの声は三蔵には聞こえるんですよね」
「あ……」
「それって、ただそばにいるよりもとても深い繋がりのような気がしませんか?」
「っ!!……わかった」
穏やかに説得され、悟空もようやく頷いた。
「では、先ほどの計画通り、ということで」
「OK」
「…うん」
「キュ〜」
「あ、ジープもいましたね」
八戒の傍らで大人しくしていたジープが、初めて自己主張するかのように声を上げた。
「そうだ、せっかくですからジープにも加わってもらいましょうか。 三蔵のお守り、頼んでもいいですか?」
「えっ、ジープは残んの?!」
ジープが残るのなら自分も残りたい、という思いは口には出さずにぐっと堪え、悟空が八戒に訊ねる。
「ジープなら煩くないですから、三蔵の気には障らないでしょう」
「今、俺らが三蔵にとっては邪魔みたいに聞こえたのは気のせいか?」
「アナタ達も喧嘩などをせずに煩くしなければ、三蔵の眉間の皺も減るでしょうに」
「お〜? 問題は俺らだけなのかー?! 八戒だって構い過ぎて煩がられてる時があンだろーによ」
「…何ですって?」
「うっ…」
突然、身も凍るような殺気に包まれ、悟浄は思わず肌を粟立たせた。
「なあ、そんくらいにしとかないと三蔵起きちゃうよ…」
同じく寒気に襲われた悟空が、それとなく仲裁に入る。
「あ、そうですね……。 すみませんでした、悟空。 僕としたことが大人気無かったですね」
言われた八戒は、バツの悪い表情をしながらも素直に謝罪した。
さっきの悟浄の指摘が痛いところを突いてきたので、ついムキになってしまったのだ。
「で、ジープだけど…?」
「そうでした。 ジープには………」
八戒が話す計画に、二人と一匹は耳を傾けた。
◆
そもそもの始まりは、数ヶ月前。
ファミレス事件が片付いて旅を再開していた時に遡る。
「三蔵、いつもより眉間に皺が寄っていますが、どうかしました?」
運転しながら時折三蔵の様子を窺っていた八戒が、神妙な面持ちで訊ねた。
「コイツらのせいでいらん厄介事に巻き込まれるのは毎度のことだが…」
「もう慣れちゃいましたね」
あははと笑い飛ばす八戒をちらりと見遣ると、三蔵は肺まで入れた煙を溜め息と共に吐き出した。
「いい加減、この煩さが何とかならんかと思ってな」
「はあ………」
後部座席では相変わらず些細なことで喧嘩が始まっていたのだ。
「だーからぁ、何でそれが俺の負けになるんだよ!」
「手持ちのカードが無くなりゃそれで終わりだろうがよ」
「悟浄がインチキしたんだから、俺の勝ちだろ?!」
「何言ってんの。 途中で見抜けなかったオマエがとろくせぇってーの」
「言ったなー! このインチキ河童!」
「何だと、もうイッペン言ってみやがれ、この能無し猿がっ!」
「猿って言うなーーー!!」
「猿〜猿〜脳ミソ空っぽのおサルちゃぁ〜ん」
「ゴキ河童! エロ河童!! ヘタレ河童!!!」
「あーもう、うっせー!!!!!」
いきなり立ち上がった三蔵が、振り向きざまに銃をぶっ放した。
「ギャーッ!!」
慌てて避けた悟浄と悟空はぜいぜいと肩で荒い息をついている。
「危ねー!」
「全くですよ三蔵、運転中に立つのは危険ですから座ってください」
「って、おい! そっちかよ!!」
八戒の、的を射ているのだかどうだかわからない台詞に、思わず悟浄がツッコミを入れた。
「お二人も、そろそろ終わりにしてくださいね」
「へーい……」
本気で撃ってきた三蔵をこれ以上刺激しないようにと、悟浄と悟空は後ろで小さくなっている。
「話は変わりますが、三蔵」
「あ?」
「今、欲しいモノって何ですか?」
「いきなりだな」
「スミマセン」
ニコニコと音が聞こえそうなほどの笑顔で謝罪の言葉を述べた八戒が、「で?」 と促した。
「ふむ……今、というならば “一人の時間” だろうな」
「あ、やっぱり…」
八戒の笑みが、今度は苦笑に変わっている。
「丸一日くらいはこの煩いのから離れてみてぇな」
「それは結構、切実な願いっぽいですね」
「ふんっ……」
旅が終わるまで、この面子からは離れられないだろう。
誰かが途中で脱落すれば別だが、どこまでもしぶといコイツらは殺しても死なない。
うざったくなる時が多いが、頼もしく思える時も確かにあるのだ。
「その願い、叶えてあげましょうか…」
誰にも聞こえないくらいにそっと呟いた八戒の言葉は、荒野を吹く風に乗って流れて行った……。
◆
宿で迎えた二日目の朝。
開け放された窓からは朝の爽やかな空気が流れ込んで来ている。
「おはようございます、三蔵。 今日もいい天気ですよ」
「………」
三蔵が目を覚ますと、他の三人はもう着替えを済ませていた。
「何だオマエら、やけに早ぇじゃねぇか……」
どこかいつもと違う感じがするのだが、違和感の原因が掴めない。
「この町で買い出ししておきたい物があるんですが、車が入れない狭い道を行かないといけないんです」
「キュ〜」
ジープが、相槌を打つかのようにタイミング良く鳴いた。
「それで、荷物持ちを手伝ってもらいたいんですけど……、三蔵は行きませんよね?」
「訊かずともわかってるって顔なら最初っから訊くな」
「ったく、ちったあ手伝えっての」
横から口を挟んだ悟浄を一瞥すると、三蔵はふんっと鼻を鳴らした。
「下僕は下僕の役目があるだろうが。 せいぜい気張ることだな」
どこか見下したようにも受け取れるその物言いは、喧嘩を吹っ掛けているとしか聞こえない。
目覚めの一服を旨そうに味わっている三蔵を、悟浄は睨み付けてはいたがぐっと耐えて、
「……ぜってぇコロス……」
と小声で呟きつつ中指を立てると、先に部屋を出て行った。
「………?」
悟浄が何も言い返して来なかったことに又もや違和感を覚える。
しかし、いちいち気にする三蔵では無かった。
「何か足りない物があれば買ってきますが?」
煙草はまだストックがあるし、ビールも買い置きがあると昨夜八戒が話していたはずだ。
それならば、今日一日過ごす分には問題無い。
「いや、特には無い」
「そうですか。 全部終わらせるにはちょっと時間が掛かるかもしれないんですけど…」
「構わず行け」
「わかりました。 あ、ジープは置いていきますね。 少し休ませてあげたいので」
「ああ」
「では行ってきます」
八戒の後から悟空も続いて部屋を出ようとしたが、扉が閉まる直前、振り返って中を覗いてみた。
けれど、入り口からは三蔵の使っていたベッドは見えない。
「三蔵………」
思わず零れた呟きを聞かなかったふりをして、八戒は静かに悟空を促した。
◆
「よく我慢しましたね、悟浄」
「はらわた煮え繰り返りまくりだけどな」
外に出た三人は、宿から完全に離れたことを確認してから口を開いた。
「あそこで喧嘩おっぱじめたら意味ねーもんな!」
「悟空…」
いつも以上に明るく振舞っている悟空を、八戒はどこか申し訳なさそうな表情で見つめた。
「ええ、今日は三蔵に一日静かに過ごしてもらうというのが一番の目的ですからね」
「うん!」
毎日毎日、同じ顔を突き合わせ、事ある毎に言い合いや取っ組み合いの喧嘩になっている日々。
いい加減うんざりすると、三蔵はよく愚痴を零していたが、旅が終わるまでこの状態が続くのは仕方が無い。
そんな中、一日くらいは三人が三蔵から離れて一人にしてあげようと八戒が提案したのは、この町に来てからだ。
ジープを酷使してきたという理由から、休息の為に二泊三日の滞在日程を承諾させたのは昨日のこと。
大きな町で物資も情報も豊富そうだったので、次の出発の準備に万全を期したいと願い出て三蔵の承諾を得た。
実際は昨日の買い出しでほとんどの物が揃ってはいた。
けれど、旅の支度は八戒に任せっきりの三蔵はその事実に気付いていない。
「三蔵はいつも通りでしたね」
「宿も特に変わった様子も無し」
「このままで済んでくれればいいんですが…」
三人が町へ出て来たのには、三蔵を一人にするという他にも理由があった。
昨日、町の中を歩いていた時に耳に入ってきた、「妖怪に襲われた」 という話し声。
八戒が善良な旅人を装って聞き出したところによると、すぐ近くの町に住んでいた人が被害に遭ったらしい。
「三蔵を追ってきたという訳でも無さそうですが、三蔵が町へ入ったという噂は流れる可能性があります」
「昨日はいつもの格好で歩いていたからな」
「ええ、気付いた人がいてもおかしくありません」
そうなると、近隣に出没しているらしい妖怪達がこの町に集まってくるかもしれない。
いつもならば事が起こってから対処してきたが、今日だけは防げるものならば事前に防ぎたかった。
できれば、三蔵の手を煩わせることなく、妖怪の攻撃を食い止めたかったのだ。
何故ならば…、
「今日は三蔵にはゆっくりしてもらいたいですからね〜」
「三蔵、どうしてるかな…」
「案外、俺らのコトが恋しくなってたりしてな」
キツイ言い方をする時、本当の感情はその裏側にあったりもするのだと、悟浄も何と無く気付いてはいた。
だから、ぞんざいな口調に対して立腹したとしても、怒りは一時で収まる方が多い。
「少しは僕達の有り難味もわかってもらわないといけませんしね」
「やけに熱心にコトを進めると思ったら、それが本当の目的だったりすんの?」
「まあ、それもあるかなー、なんて」
「食えねぇ奴」
「ふふふ」
三蔵の為、というのは本心からだろうが、それだけで済ませないのが八戒だ。
その策略にうまく乗れば自分にも恩恵が来るかもしれないと思ったからこそ、悟浄は八戒の指示通りに従った。
「では、ここで分かれましょうか」
「ああ」
「エリアは頭に入っていますね?」
「俺はこっちだよな」
悟空が指差したのは町の南側。
「俺はコッチ、と」
悟浄が親指で示したのは、町の北側だった。
「僕は買い出しの続きを済ませつつ、宿の付近を見張っておきます」
「そこまで侵入させねーようにすりゃいいんだろ?」
「ええ、頼みますよ、悟空」
「おうっ!」
勢い良く返事すると、悟空は空を翔るかの如くに飛んで行った。
「んじゃ、俺もスタンバっとくわ」
「頼りにしてますからね、悟浄」
「任せとけってーの」
「よろしく」
後ろ姿を見せながらひらひらと手を振って応えた悟浄が、悟空とは反対の方へゆっくりと歩きだす。
「僕も行くとしますか」
三蔵と離れる名残惜しさは悟空だけでは無く自分自身も感じていた。
けれど、言い出しっぺがいきなり挫けてしまっては示しがつかない。
八戒は後ろ髪を引かれつつも、急いでその場を後にした。
◆
「………」
一人になった部屋で、三蔵はのんびりと新聞に目を通している。
「喉が渇いたな……」
独り言のような三蔵の呟きを、ジープの耳は聞き逃さなかった。
◆
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