◆　７．


「ん……」
「気がつきましたか、三蔵」

三蔵が目を覚ました時、八戒はいつもの姿に戻っていた。

「八戒？ ……っ！ 触るなっ！！」

いつもよりも紅潮している頬を見て、発熱具合を確かめようと額に持っていった八戒の手が払われた。
動いた拍子にシーツが体に纏わりついたのが三蔵に何かをもたらしたらしく、身じろぎしている。
その顔には、困惑と羞恥が浮かんでいた。

「三蔵、何が起こったのか聞かせてくれませんか」

八戒の問いに三蔵が記憶を手繰り寄せるが、はっきり覚えていることはほとんど無いという。
離れの部屋に漂っていた甘い香りにも気付かなかったと。
きっと、煙草の匂いがその侵入を許してしまったのだろう。

そういえば、と三蔵は何かを思い出したようにハッとした顔で八戒を見た。

「おまえ、妖力を……」
「…見られていましたか」

八戒は深くため息をついた。

「村の人達を殺しました」
「何っ？！」
「貴方を……こんな目に遭わせたから」

三蔵は言い返すことも聞き返すこともできなかった。
自分の体に起こっている変化は、作為的にもたらされたものだ。
それを誰がしたのかは、ぼんやりとした意識の中で見聞きした姿と今の八戒の言葉で判明した。

「……俺を一人にしろ」
「え？」
「出て行けと言っている……」
「三蔵」
「近寄るなっ！」

三蔵は、内側から流れ出しそうになる欲情や寝具によって与えられる物理的な刺激と闘っていた。
体のどこかが何かに触れると、火が点いたようにそこが熱くなる。
八戒の視線にすら体の一部が反応してしまう。

こんなことは初めてだった。
だから、どうすればいいのかわからない。
苦痛なら我慢できる、しかしこれは……。
とにかく耐えていればいいのだろうか。
けれど、いつまで……。

「早く…行け」

鼓動が早くなり、呼吸さえも苦しくなってきたが、強気な口調は崩れない。

「一人では無理なんです、三蔵」
「？……」
「その体は、薬を使われただけではないんです」

自分の身に起こっていることが八戒には気付かれていた。
そう理解した途端、三蔵は悔しさと恥ずかしさで唇を噛み締めた。
そのまま無言で睨み付けている紫暗の瞳が 「では何だ」 と問い掛けている。

「術をかけられてしまったようです」
「…術？」
「ええ。 でも、説明する前に、しておきたいことがあります」
「何…だ…」
「そのままでは無理なので……」
「八戒？……はうっ！」

八戒はいつの間にか手元に集めていた気を、三蔵の鳩尾に向けて放った。
傷つけず、ただ気絶させる為だけに。

意識があるうちは、決して触らせてはくれないだろう。
でも、少しでも早く、身体を清めてあげたい。
外側に残っている薬を洗い流すだけではない。
穢れた手が辿ったであろう跡も、できることならすべて消してしまいたかった。

「誰か、お湯を……と言っても、もう誰も残っていないんでしたね」

八戒は自分の台詞に苦笑すると、台所を探しに立った。

村の住人はすべて殺してしまった。
先ほどの闘いは村人総出で向かってきた。
男も女も皆、何かに取り憑かれたような形相で、妖怪も人間も見分けがつかないほどだった。

怖いのは妖怪だけではない。
過去の経験からわかっていたことを再認識させられた。
けれど…。
できれば、殺したくは無かった…人間までもは……。


* * *


湯を沸かし、清潔なタオルを探し出して戻ってきた八戒は、先ほどと変わらぬ三蔵の姿に胸を撫で下ろした。

この人のことだから、無理にでも自分をどうにかしようとするだろう。
それも、人の手を借りまいとして。
けれど、今回ばかりはそうもいかない。

「三蔵、まだ起きないでくださいね」

一応声を掛け、シーツをはぐ。
二人は余裕で寝転がることができるほど広いベッドの中央に横たわる三蔵。
この部屋に初めて入ってきた時に見た裸身が、また目の前に現れた。

何かを塗られた痕跡のある下半身。
中からも、と言っていたから、無理やり嚥下もさせられたのだろう。

目のやり場に困るとか、触れるのを躊躇われるなどとは言っていられない。
八戒は手早く三蔵の身体を拭いていった。
やらなければならないことは、まだまだあったから。

八戒が次に手にしたのは、枕とシーツだった。
枕は縫い目を破り、中の綿を取り出した。
シーツは引き裂き、何本もの長い帯状にした。

準備を終えた八戒は枕元に立つと、金糸の髪の一筋を指先で確かめるようにしながら三蔵の顔を見つめた。

「三蔵……」

今、他に選択肢は無い。
熟考の為の時間も無い。
そんな時、貴方なら迷わず突き進むのだろうか。

もしも…。
ここに横たわっているのが悟浄や悟空であったなら、自分は同じ行動を取っただろうか…？

いや、今は仮定の話は関係無い。
目の前にいるこの人を救うことだけを考えなければ。
八戒は、悩むよりも身体を動かすことに専念しようとした。

自覚しそうになった想いは決して表に出すまいと、心に決めて。