『Blue Moon』        小説 遊亜さま


◆ 5.


眼前に曝け出されている白い裸体。
そばまで駆け寄った八戒は咄嗟に、ベッドの足元にくしゃくしゃになっていたシーツを三蔵にかけていた。
露な姿を、これ以上他人の目に触れさせたくなくて。

八戒の拳がゆっくりと握り締められていく。
肩がわなわなと震えだした。

「おまえ達、この人に……この人に何をしたーーーっ!!」

三蔵を見つめたまま呟くように発せられた声は、最後には絶叫になっていた。
それは、今まで見たこともないような激しいオーラを纏った八戒だった。
怒りで髪の毛が逆立ち、その視線はそれだけで人を射貫いてしまいそうなほどに鋭い。

「坊主の肉を食うと寿命が延びるらしいな」
「赤ん坊の生き血よりは効果がありそうね」
「“三蔵” であるそいつを使えば、不老不死の薬を作るのも夢ではない」
「けど、殺してしまうには勿体無いくらいの器量だ」
「味見をしてからでも遅くないと村長が仰ってな」
「今ごろ、こいつもいい気分になってるだろうよ」
「中からも外からも」
「欲しくて欲しくて堪らないほどにね」
「へっへっへっ」

人間と妖怪の声が代わる代わる八戒に投げかけられる。

三蔵を食らうつもりか。
それに、赤ん坊がどうしたって?
子供の姿を見なかった理由を知ってしまった八戒は、村の住人の残虐さに憤りを感じた。

ふと目を上げると、この部屋には奥にもうひとつベッドがあった。
そこに、三蔵が着ていた法衣やアンダーが無造作に置かれているのが見えた。
経文と銃もその下敷きになっているのが見てとれる。
三蔵を身包み剥がした時、何もかも一緒くたにされていたのだろう。
その有様は、ここでは三蔵の体のみが目当てとされ、それ以外には興味を示されなかったことを伝えている。
三蔵の大事な物が無事だったことに、八戒はひとまず安堵した。
しかし、自分にとって大事なものを踏みにじられたことへの決着をつけなければならない。

「おまえも一緒に愉しむかい」

へらへらと笑いながら一番前にいた一人が近づこうとしたが、足を踏み出した途端、気の塊に吹き飛ばされた。

「こ…こいつ、やっちまえ!」

飛びかかろうとした数人が、またもや一瞬のうちに倒れ伏した。
その後ろから、村長が姿を現わした。

「おや、目が覚めるのが早かったようだね。 これではタイムテーブルが狂ってしまう」
「あなたが…こんなことを…」

返事の代わりに、その口元がいやらしい笑みを浮かべた。
八戒はありったけの怒りを込めて目の前の男を睨んだ。

暴走していたのは妖怪だけでは無かった。
人間もまた、己の欲望を満たす為、人としての心を忘れてしまっていたのだ。
それ故、妖怪との共存が成り立っていたのだろう。

「お聞きしたいことがあります」
「何だね?」
「悟空と悟浄を殺さなかったのは?」
「労働力確保の為だ。 あの二人は頑丈そうだからね」

淡々と村長が答える。

「僕だけ動けるようにしておいたのは?」
「君は、あの二人よりも警戒心が強かった。 それと」
「それと?」
「君も私好みだったのでね」

八戒は、宴の最中、何度かこの男と目が合ったことを思い出した。
客人に対するただの気遣いかと思っていたが、どうやら違っていたようだ。

「最後にひとつ」

これを聞かないと、対処のしようが無い。
八戒は暴れ出しそうになる自分を押さえながら口を開いた。

「三蔵に、何をしたんですか?」

村長の顔が、またいやらしく歪んだ。

「この村特製の媚薬を与えてやった」

答える声は、これ以上ないくらい楽しそうに弾んでいた。

「それだけですか?」
「まだあるぜ」

村長の横に立っていた男がにやにや笑っている。
八戒の質問に答えたのは、自分達を村長のもとへと案内した妖怪だった。

「とっておきの術をかけておいた」
「何っ…?」
「その身体に誰かを受け入れて交わらない限り、狂ったような淫乱のまま、っていう素敵な術をな」

一瞬、八戒の目が限界まで見開かれた。
驚愕はすぐ、悔恨へと変化していく。
唇を噛み締め、ぎゅっと目を瞑り、嫌々をするように左右に揺れていた頭ががっくりと落ちた。

「おやおや、一回しか味見できない予定だったのか?」
「村長がお気に召せば、何度でも気が済むまで術をかければいいことじゃないですか」
「それもそうだな」

項垂れている侵入者のことなど気にもしていないように、あはははと楽しげに笑っている住人達。
妖怪の一人が、八戒を村長のもとへ連れて行こうと肩を掴んだ。
その時、顔を上げたと同時に見開かれた深緑の瞳がその妖怪を認識した途端、激しい気の塊が弾けた。
吹き飛ばされた体が壁を突き抜け外まで飛んでいき、人の背丈よりも大きな庭石にぶつかってようやく止まる。
辺りには、バラバラにちぎれた残骸が飛び散っていた。

「うわあっ!!」

部屋にいた者達が一斉に後退りする。
中には向かっていこうとする妖怪もいたが、それは村長に止められた。

「私の屋敷をこれ以上壊さないでくれ」

村人は素直に従い、皆、外へと出ていった。

「君も当然、来るだろう?」
「僕がここを離れる間、この人の無事が保証されるなら」
「約束しよう。 私も、お楽しみは大切に取っておきたいからね」

村長は不敵な笑みを見せると、部屋を後にした。
一人残された八戒は、村人達が待っているであろう方向を睨みつけた。

「三蔵、すぐに戻ります」

三蔵に背を向けたままそう言うと、自分の左耳に手をやった。
その手がスローモーションのようにゆっくり離れる。
コロンコロンとカフスが床に落ちる音がした。

「許さない…」

その声が三蔵に届いたはずはない。
けれど、八戒が呟いた時、三蔵の瞼が微かに動いた。
ぼんやりとした意識の中、一度だけ開かれた目で彼は見ていた。
出て行こうとした後姿のシルエット、その耳と爪がいつもより長く尖っていたことを。



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