三蔵様vお誕生日おめでとうございます(〃∇〃) !


『イイニク♪』


小説 遊亜様v






「はい、では今日はここまでにしましょう」
「わーい、終わり〜!」
「お茶の用意をしてきますから、待っていてくださいね」
「んじゃ俺、おやつ出しとく!」

悟浄と八戒が暮らす家は、悟空にとっては既に我が家も同然だった。

「例のアレですね」

八戒がくすくすと笑っている。
“アレ” とは、先日食べ切れなかったお菓子のことだ。

八戒が用意してくれたのに珍しく残ってしまったお菓子は、寺へ持ち帰るのを許してもらえなかった。
食事を腹一杯ご馳走になり、その上まだ欲張る悟空を、三蔵は甘やかしたりしない。
そこで悟空は、次に遊びに来た時にこっそり食べるつもりで、三蔵の目を盗んでこの家に隠し場所を作った。

その次に悟空が訪れたのは、数えるとあの日から十日ほど経った今日。
本来はいつもの勉強会の日だったが、三蔵に急用ができた為、悟浄と八戒の家に悟空がやって来たのだった。

家に入ってすぐ、悟空はどこかへ向かおうとした。
勉強を始める前に確認しておかなければいけないことがある。
目的はお菓子だ。
けれど、当の悟空がどこへ隠したのか思い出せない、という出来事が起こった。

期待に膨らんでいた胸が萎んでゆく音が聞こえてきそうなほどの落胆。
傍目にも可哀想になるくらい落ち込んでいる悟空を前に、悟浄は何もしてやれない。
しかし、八戒がそっと近付き、小声で耳打ちした途端、悟空の顔がぱあっと明るくなった。
魔法の呪文は、

『米櫃の中』

前に悟空が来ていた時、食事の後片付けをしていると、大事なものを隠すにはどこがいいかと相談された。
八戒は少し考えて、「米櫃の中にヘソクリを隠す、という話を聞いたりしますね」 と答えた。

本当に自分が何かを隠したい場合、八戒はかなり用心深くなる。
メモひとつとっても、当人にしかわからない記号を多用した文章は、まるでスパイの暗号文だ。
物を隠すならば取って置きの秘密の空間はもちろんあるが、易々と教えるわけにはいかない。
だから悟空への返事は、オーソドックスな隠し場所にした。

すると、悟空はいそいそと米櫃へ近付き、大事そうに服の下に抱えていたお菓子の袋をその中へ押し込んだ。
入れている現場を見ていたので、八戒が隠し場所を知っているのは当然だ。
だが、今にも泣きそうになっていた悟空にとっては、目の前に現れたその姿は救世主のようだった。

「八戒って、本当にいろんなコトよく覚えてるよなー!」

悟空がキラキラと瞳を輝かせて八戒を見ている。
無事にお菓子と再会できてからは、上機嫌でいつも以上に八戒に纏わりついていた。

「数字にも強ぇしな」

横で暇を持て余していた悟浄が、紫煙を吐きつつ密かに苦笑した。
計算も速く記憶力も抜群の八戒に舌を巻いた覚えがある。
八戒の前では、何か誤魔化そうとしても無駄な努力というもの。
何月何日いつどこで何をしていたか、本人よりも詳細に覚えているのだから敵わない。

「なあなあ、どうやって覚えんの?」
「そうですね〜」

穏やかな微笑を二人に見せていた八戒は、コーヒーカップをそれぞれの前に置くと、椅子に腰を落ち着けた。

「物事についてはそのまま脳にインプットしちゃいますが、数字などは語路合せで覚えたりもしますね」
「ゴロアワセ?」
「歴史の年号を覚える時などに使ったりするでしょ?」
「ネンゴー?」
「覚えねーよ、そんなモン」

人差し指を立てて当然のことのように答える八戒に、悟空と悟浄は同時に声を上げた。

「例えば、『鳴くよウグイス平安京』 で、『794年、平安京に遷都された』 ですとか」
「?」
「???」

じっと聞いている二人の頭には、ハテナマークが浮かんでいる。

「『いい国つくろう鎌倉幕府』 で 『1192年、鎌倉に幕府が開かれた』 とか」
「鎌倉ってどこ?」
「バクフって食えんの?」
「ばーか、ったくおめえは食いモンしか頭にねーのか」
「知らねーんだからしょーがねーだろっ! んじゃ、悟浄は知ってんのかよっ?!」
「ったりめぇだろ、んなもん、バクフだろ? バクフって言やあ、あの……ほれ、その……」
「カタカナで言っちゃってる時点で降参を認めた方がいいと思いますけどね」

八戒の突っ込みに、悟浄は 「るせぇ…」 とむくれた。

「俺は 『イイクニ』 より 『イイニク』 の方がいいな〜」
「悟空、涎が出てますよ」

好き勝手に想像し始めた悟空の腹の虫が鳴っている。
保父さんに変身してタオルで顔を拭いてやっている八戒の横では、悟浄が目尻を下げていた。

「『イイニク』か………むふふ」
「悟浄、教育的に良くない妄想は控えてくださいね」
「俺が頭ん中でナニ考えようと勝手だろー」
「“肉欲” という単語はアナタの為にあるのかもしれませんね」

悟空とは違う意味での涎を垂らしそうになっている悟浄を見て、八戒はやれやれと苦笑した。

「八戒は?」

大人しく世話を焼かれていた悟空が不意に口を開き、八戒の手が止まる。

「え、僕が何ですか?」
「『イイニク』 好きじゃねーの?」
「『イイニク』 …ですか? そうですね………ニク……29ですか……」

八戒がふむと考え込む顔付きになった。

「 “9” は “苦” に繋がると考えられ嫌われる数字でもありますが、 “2” から続けて “29” になれば」

何の講義が始まるのかと、二人はじっと耳を傾けている。

「 “ふたつ” と “く” で “ふく” つまり “福” とも読めて縁起のいい数字になったりもするんですよね」
「フク?」
「ええ、幸福の “福”。 まあ、僕には縁の無い単語ですが…」
「そこっ、勝手に暗くなってんじゃねぇよ」

わざとらしく項垂れた八戒に悟浄が茶々を入れた。

「だって、僕の人生を振り返ってみれば……」
「この俺様に拾われたのはラッキーだとは思わねぇのか?」
「……」

何故そこまで、と思うほどの自信たっぷりな言い方に、顔を見合わせた八戒と悟空は苦い顔だ。

「僕は肉よりも福ですね。 『イイフク』、どこかに転がってませんかね…」

八戒がまたわざと暗さを醸し出す。

「だから、俺の話はどうなったんだよっ!」

息巻く悟浄をよそに、溜め息をつく八戒を見た悟空は 「俺が “フク” を探して来てやろうか?」 と慰めている。
そこへ、玄関の扉を叩く音が聞こえた。

「あっ、三蔵だ!!」

訪問者が誰なのか確かめる前に飛び出した悟空がドアを開けると、そこには正装姿の三蔵が立っていた。

「三蔵、お帰り!」
「ああ」
「出張、お疲れ様でした」
「急なことで悪かった」

出迎えた八戒に、三蔵が言葉だけで詫びる。

(悪いなんてこれっぽっちも思ってねーくせに)

そのぞんざいな口調に言い返したくなったが、悟浄は止めておいた。
何か言ったところで、いつも言い負かされてしまう。
それが悔しくもあり、むかつくところでもあり、一度でもいいから優位に立ちたいと常々思っている。
だから悟浄は、仏頂面しか見せない三蔵に対してあまりいい印象を持っていない。
悟空と八戒は三蔵の来訪を歓迎しているようだったが、自分はそれほどでは無かった。

(あんだけ綺麗な顔立ちしてんだから、笑えばきっと可愛いんだろうけど)

そんな日が来るなどとは、想像もできはしないが。
悟浄は我関せずといった風にごろりとソファに寝そべり、咥えていた煙草を燻らせた。
三蔵の応対は、同居人に任せておけばいい。

「いいえ、一日楽しく過ごせましたから」

八戒はじっと三蔵を見つめ、ゆるりと首を横に振った。

「悟空、待たせたな。 帰るぞ」
「うんっ!」

それまで八戒を心配していたことなどは綺麗さっぱり忘れた顔で、悟空の目にはもう三蔵しか映っていない。

「お茶くらい飲んで行けば…」
「今日はまだ片付けねばならん用がある」
「では、今度またゆっくりご飯でも」
「そのうちな。 次は寺へ来てくれ」
「わかりました。 悟空、また再来週」
「うん、またな!」

さっさと歩く三蔵の後を追い掛けながら、悟空はバイバイと大きく手を振って帰って行った。
見送る深緑の瞳は、背の高い方の後姿を追っている。

「また、再来週……」

自分の耳にしか届かないくらいの小声でそっと繰り返す。
二週間経てば、また逢える。
姿を見て、言葉を交わせる。

影も見えなくなってから、八戒は扉を閉めた。
外は、霜月の冷たい風が吹いていた。







「おや、あのみなさんは三蔵のお付の方達では……」

勉強会の為に寺を訪ねた八戒は、庭の隅で数人が額を寄せ合っているのを見かけた。
本人は必要無いと煩わしそうにしているが、常日頃、三蔵の身の回りの世話を熱心に焼いている僧達だ。
挨拶しようと思ったものの、深刻そうな雰囲気に声を掛けるのは躊躇われる。

「困りました……」

その言葉を耳にして、寺で何かあったのかと、八戒の顔から対人用の笑みが消えた。
もしも三蔵が絡んでいるのなら、自分にとっても他人事では無くなる。

「何とか説得できんものか…」
「もう一週間を切ってしまったというのに……」

ヒソヒソと喋っている様子に、自然と聞き耳が立ってしまう。

「勝手に事を運ぶわけにもいきませんし……」
「今度の火曜は三蔵様のお出掛けの予定が無く、丁度いいのですが…」

三蔵の名前が出たので、八戒はさらに会話に集中した。

(来週の火曜とは月が替わる二日前…、その日に三蔵がどうしたというんでしょう……?)

「私達はただお祝いしたいだけですのに…」
「我々だけで祝うのも盛り上がりはしますが、やはりどこか空しいですし…」
「去年は、『そんなにやりたきゃ釈迦に甘茶でもぶっかけておけ!』…… などと言われましたな……」
「尊いお方に変わりは無くとも、三蔵様は特別ですからっ…」
「ええ、ええ!」

僧侶達はどうしたというのか、みな頬を染めてうっとりしている。
その姿を盗み見た八戒は、瞬時に事情を察した。

(なるほど、そういうことですか……)

三蔵が特別なのは自分もだ。
もちろん、悟空にとっても同じだろう。
悟浄はどうなのかは判断に迷うものの、一応知人ではある。
それはあくまでも、自分と悟空を介してなのだが。

四人一緒の空間はとても和む。
悟空と悟浄の軽い喧嘩や三蔵の怒声も、八戒には嬉しいものだった。
常に前を向いて今を生きている三人の姿は眩しいほどで。
輪の中にいれば、パワフルな生命力を自分も分けてもらっているような気がしていた。
だから、そのメンバーのことは大切にしたい。

(ナイスなタイミングでした)

極上の笑みを浮かべて、入手した情報を脳にインプットする。

(せっかくの日なのに本人は祝われたくない、……と。 さて、どうしましょうか……)

何か考え事をしているようではあったが、三蔵の待つ執務室へと向かう八戒の足取りは、いつもより軽く見えた。







「はい、よくできました。 ではこれでお終いにしましょう」
「うん! じゃー俺、飲み物もらってくる!」
「お願いします」

慌てないで気をつけて、と八戒に送り出され、悟空が寺の厨房へと駆けてゆく。

「三蔵も呼んできましょうか」

三蔵はついさっき、調べ物があると言って部屋を出て行った。
行き先は多分、書庫のはず。
初めて悟空に勉強を教えに来た時、寺の中を案内された途中で書庫の前も通った。
その場所は入り組んでいる廊下の先にある為、迷う者もいるらしい。
だが、一度しか歩いていない八戒は記憶を頼りに、最短コースで辿り着いた。

「三蔵、こちらですか?」

扉が開いており明かりも点いているから多分まだ中に居るのだろうと声を掛けたが、返事が無い。

(あれ……擦れ違いましたか……?)

広い部屋なので聞こえなかっただけかもしれないと考え、八戒は足を踏み入れた。
中を見るのは初めてだったが、ぎっしりと隙間無く巻物や書物が納められている光景は壮観だ。
隅の方には、多分未整理であろう資料が堆く山になっていて、壁との間に蜘蛛の巣まで張っている。
貴重な文献もあるだろうに、勿体無い。
いつか時間が取れれば片付けを申し出ようか、と思いつつ辺りを見回すと、棚の奥に金糸の髪が見えた。

「っ……」

詰めた息を吐くような荒い息遣いが聞こえてくる。

(三蔵……?)

何をしているのかと訝しく思った八戒は、気配を消してそっと覗いてみた。

「…クソッ……」

小さく吐き捨てた三蔵が、背伸びをして、更に手を上に伸ばしている。
どうやら、棚の一番上の書物が取れないらしい。

「三蔵、失礼しますよ」

素早く近付き、一応断ってから経文が載っている肩に手を置く。

「!!」

突然現われた八戒に背後から覆い被さられ、三蔵が身を固くした。

「これですか?」

伸ばされたままになっていた指の先にある本を引っ張り出す。

「あ……ああ」
「はい、どうぞ」

頭の上から本が下りてきた。

「……余計なコトを……」
「あちらに踏み台がありましたから、使えば楽に取れるでしょうに」
「面倒臭ぇ」

どこか拗ねているように聞こえるのは、身長差を悔しがっているのだろうか。

「少しの差でも、違いは大きいですからね」
「チッ」

苦い顔で舌打ちした三蔵は、肩にまだ八戒の手が置かれているのを抗議すべく、斜め後ろを睨んだ。

「いつまで載っけてんだ、どけろ」
「うわっ! 三蔵、どうしたんですか、これっ?」
「な、何がだ…?」

急な大声に驚いた三蔵が思わず振り返ろうとしたが、八戒に阻まれた。

「離せっ」
「三蔵、動かないで」

真剣な声は問題の大きさを感じさせる。
三蔵は一体何が起こったのかと、言われるままに静止して様子を伺った。

「部屋の隅々まで探検してきたんですか?」
「何のことだ……」
「頭に蜘蛛の巣が付いてますよ」
「はあ?」

そんなモンがどうした、と吐き捨てて八戒の手を振り切ろうとしたが、そっと抱えられているだけなのに動けない。

「この部屋はもっとちゃんと掃除しなくてはいけませんね」
「俺以外はほとんど使わんからな……って、そんなことはどうでもいい。 さっさとこの手をどけろ」
「駄目です」
「貴様、どういうつもりだ」
「どういうって、このままにはしておけないでしょ」

ドスの効いた低音で威嚇されても、八戒は全く動揺しない。

「構うな、自分で取れる」
「でも、闇雲に取ろうとしても難しいですよ」
「適当に払えばいいだけだろ」
「そして、適当に残ってしまった蜘蛛の巣が悟空やお寺のみなさんに見つかれば、もっと構われる事態に陥ります」
「っ……」

痛い所を突かれたとばかりに、三蔵が言葉に詰まった。
八戒の言う通り、あれこれと構いたがる寺の僧侶には閉口していた。
そして、悟空は三蔵のことになると他の誰よりも目敏いのだ。

「僕が取りましょう。 すぐに済みますからじっとしていてください」
「…やるならさっさと済ませろ」

仏頂面のまま吐き捨てて、三蔵は渋々ではあったが八戒に任せた。

「はい」

返事と共に、八戒の長い指が三蔵の髪に触れる。
思わず、ゾクリと身震いした。
そのまま身を固くしている三蔵を見て、八戒がくすりと笑みを零す。

「三蔵、そんなに緊張しないで」
「!」

耳元で発せられた声は、囁きなのに思いのほか大きく響く。
三蔵は声と共に吹き込まれた吐息を感じて、思わず首を竦めた。

「ほらほら、動かない」

肩に置いていた八戒の左手が、改めて三蔵をしっかりと固定する。

「はっ……」

名前を呼ぼうとしたものの、上手く声が出ない。
後ろから半ば抱きかかえられているような格好だ。
先ほどよりも八戒の身体と密着している背中に、全神経が集中してゆく。

「あと少しですから我慢してくださいね」
「……」

八戒が真剣に手を動かしているのは見なくてもわかる。
この体勢はわざとでは無く、仕方が無い状況だ。
そう思って三蔵は堪えた。

(素直な三蔵というのはレアですね)

八戒は貴重な体験に心躍る思いでいた。
いつも眺めるだけだった金糸の髪に細い肩。
僧侶達から生き仏の如く崇められている三蔵に、罪人である自分の手が触れている。
それだけでも奇跡に近いのに、目の前の三蔵は普段とは違う佇まいだったりするのだ。

(いい心地……)

元々世話好きではあったが、三蔵の世話を焼くという行為は特別に思えた。
三蔵の隣は選ばれた者にのみ許される場所。
今は、様々な偶然も重なってこうしてそばにいるが、次の機会は保証されていない。

もっと三蔵と一緒にいたい、とふと思った。
ずっと三蔵と一緒だったらどんなにいいか、とも思った。

自分が寺に入ったとして、と考えたが、出家が可能でも三蔵のお付になれるとは限らない。
同じ屋根の下で暮らすのはそれ以上に無理だ。
三蔵が町に下りて暮らすなどという選択肢は最初から存在しないのだろう。

では、共に旅をするというのはどうだ。
しかし三蔵は時々出張に出たりもしているものの、そこに自分が同行する理由は無い。
休みを取ってどこかにぶらっと、というのはそれこそ夢物語だ。

どう考えても、自分と三蔵は一緒にはいられない。
元より、そんな状況は望んではいけないことなのかもしれない。
ならば、せめて今だけは……。

手で大まかに取ったあと、残ってしまった蜘蛛の巣は自分のハンカチを使って拭き取ってゆく。
両手でやればもっと楽にもっと早く済んだとは思うが、三蔵を離したくなかった。
けれど、その思いは知られてはならない。
己の鼓動の高鳴りが三蔵に伝わってくれるなと祈りつつ、八戒は作業に没頭した。

「後ろは取れましたから、あとは前ですね。 こっちを向いてください」

身体の向きを勝手に変えられ、八戒と真正面で向き合う形になった。

「……!」

すぐ目の前に顔がある。
八戒の目線は三蔵の髪に向けられている為、見つめ合う体勢にはならなかったが、視線は横へ逸らせた。
しかし、それだけではどうにもならず、あまりの至近距離にかなり緊張を強いられ、三蔵は思わず息を詰めた。

「三蔵、もっと楽にしていてください」
「ん…?」

八戒が喋ると、いい香りが漂ってきた。

「さっきから甘い匂いがしてたのは、おまえか……?」
「ああ、飴を舐めていましたから」

問題が解けたご褒美に飴玉を用意していた。
が、悟空は幾つも貰うと、ひとつを八戒に差し出した。

「一緒に食べた方が美味しいから、って僕にもくれたんです。 優しい子ですね、悟空は」
「あんまり食いモンで釣るな」
「あはは、気をつけます。 でも、悟空の笑顔は大切なものですから。 僕にとっても」
「……も?」

目線だけが八戒に向く。
同じタイミングで、八戒の瞳も三蔵を捉えた。
眼差しが交差する。
視界の空間が切り取られる。
頭に、血が上る………。

「貴方もでしょ、三蔵」

言葉に引っ掛かりつい訊き直した三蔵は、八戒に乗せられたと気付いた。

「ふん、別に……」

目を逸らして知らん顔をしようとした三蔵を、八戒がすかさず捕まえる。

「じっとして」
「うっ!」

顔を両手で挟まれ、前を向かされた。
今度は、真正面でじっと見つめ合う。
だが、それは一瞬のことで、三蔵は思わず両目を閉じてしまった。

「!!」

ぎゅっと目を瞑っている三蔵が、八戒の心を疼かせる。
苦しげな表情は、どこか淫らで、とても美しい。
何かを耐えている様は、別の姿態も想像させるので厄介だ。

(三蔵……無防備過ぎるのも考えものです……)

今だけ、と我慢するつもりだったのに、我慢しきれなくなりそうだ。
八戒は理性を総動員させて溢れそうになった本能を抑えた。
そして、両手はそのままに頭を垂れる。
と。
額と額がごつんとぶつかった。

「っ?!……八戒?」

衝撃に思わず目を開けた三蔵は、逆に八戒が目を瞑っているのを見た。

「どうした?」

その苦しそうな様子に、三蔵が何気なく声を掛ける。

「……いえ、すみません、ちょっと立ち眩みがして……」

苦し紛れの良い訳ではあったが、強ち嘘でも無い。
三蔵の匂い立つ色香に、くらくらと眩暈さえ感じたのは確かだから。

「もう大丈夫です」

ようやく身体を離して、八戒がいつもの笑みを見せた。

「おまえは……」
「はい」

三蔵がどこか険しい顔をしているので、八戒は何を言われるのだろうかと少し気を引き締めた。

「不幸なのか?」
「はい?」

いきなりなその言葉の真意がわからず、八戒が首を傾げる。

「悟空が訊いて来たんだがな。 八戒は幸せじゃ無いのかと」
「あー」

それは多分、『フク』 の話をしていた時の会話だと思い当たった。
そして、『イイニク』 からの連想だったことも思い出した。

(そうだ、『イイニク』 ……)

八戒の頭の中で、瞬時のうちに様々なシミュレーションが行われる。
現時点で考え得る、一番現実的で一番効果的なプランは何か。
笑顔の裏でそんな風に頭を巡らせているとは感じさせないようにしつつ、八戒は三蔵の問いに答えを用意した。

「悟空の前で福がどこかに転がっていないか、という話はしましたが」

笑いながら答えると、三蔵はふんっと鼻であしらった。

「僕は不幸じゃありません。 上を見ればキリ無いでしょうけど、今の生活は気に入ってますし」
「なら、悟空にもそう言っとけ。 俺に何とかしろと煩くてかなわん」
「ご迷惑をおかけしました」

苦情に対して、苦笑しつつ謝る。
軽く下げた頭を上げると、八戒はどこか躊躇いを含んだ顔つきになった。

「三蔵は、……幸せですか?」
「……考えたこともねぇな」
「そうですか」

一拍空いた間からも、やや辛そうにも見える無表情からも、三蔵の心の内を推測するのは可能に思えた。
寺へ通ううちに耳に入ってきた三蔵の過去。
まだ断片的ではあったが、過酷なものだったという事実は本人と接していても感じられる。

だが、八戒はその会話をそこで終わらせた。
そして唐突に 「あ、そうだ」 と明るい声を出した。

「悟空が飲み物を用意してくれているんです。 一緒に戻りましょう」

本来の目的を思い出して言うと、三蔵はぶっきらぼうに 「行くぞ」 とだけ告げて先に出口へと向かった。

「ところで三蔵、来週なんですけどお忙しいですか?」

書庫の鍵をかけている三蔵を待つ間、世間話の調子で八戒が訊く。

「何か用か?」
「用というほどでは無くて、うちで皆で一緒にご飯でもどうかな、と思ったんですけど」
「メシか……悟空も連れてけと煩いしな…」
「今、新酒の時期じゃないですか。 実は、いいお酒が手に入ったんです」
「酒?」
「ええ、蔵出しの逸品で、絞りたての生酒。 限定品です」
「ほお」
「生ですから賞味期限がありまして、それが、来週の火曜までなんですよ」
「なら、その火曜日で構わん。 確か、何も予定は無かったはずだ」

その日は寺にいたくない、という事情も手伝い、三蔵は即答した。
これで、煩く付き纏っていた僧侶達からも逃げられるだろう。

「わかりました、火曜日ですね。 では、そのつもりで用意しておきます」
「ああ」
「当日は朝から悟空をお借りしてもいいですか? 買い物も勉強になりますから、臨時の野外学習ということで」
「買い食いはさせんなよ」
「はい」

八戒の穏やかな微笑みは、普段と何も変わり無いように見えた。







「たっだぃま〜〜〜♪」
「お帰りなさい、悟浄。 おや、上機嫌ですね」
「わかる〜?」
「何かいいことでもありましたか?」

ソファにどすんと腰を下ろした悟浄にコーヒーを用意しつつ、八戒が問う。

「おうよ、聞いてくれる〜? 今夜はツキにツキまくってよっ!」
「それはそれは」
「過去最高に稼いだ夜だぜ」
「はい、どうぞ」
「お、サンキュ」

八戒はコーヒーカップを手渡し終えたのに、悟浄の前から離れない。

「ん?」
「良かったですね。 なら」

両手の掌を上に向けて揃え、悟浄の目の前に差し出した。

「……何、その手?」
「昨日言ったでしょ? 今度三蔵達を呼んで一緒に食事するって」
「ああ、聞いた」
「すき焼きにしようかと思ってるんです」
「おう、そりゃいいな。 ……で?」
「すき焼きはお肉の味で決まりますよね。 お肉と言ってもピンからキリまであって…」
「……ああ……」
「せっかくお客様を招待するんですから、美味しいと言ってもらいたいですよね〜」
「う、うん、そりゃそうだ…けど……」
「いやあ、甲斐性がある世帯主で僕は幸せ者です」
「はあ?!」
「ね♪」

にこやかな微笑みは最強の武器でもある。
別に命令されているわけでも魔法にかけられているわけでも無いのに、悟浄は手は素直に従った。
いや、この場では従うほか無かったとも言える。
ポケットを弄り札束を掴むと、八戒の視線に促されるまま稼ぎ分を差し出した。

「それで全部ですか?」
「あ…ああ」

後で嘘がばれればどんな恐怖が待っているかわからない。
悟浄は念の為もう一度ポケットの隅々まで探り、それで全てだと確認した。

八戒がにこりと微笑んで手を伸ばす。
そして、悟浄はがっくりと頭を垂れた。

「根こそぎってどーよ…」


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