【四】 覚悟 〜 受け入れし者の―― 〜
その書類を見た時、イルカの手が止まった。
提出する前にチェックして欲しいと頼まれて、イルカはカカシと共にアカデミーの会議室に篭っていた。
カカシが見せたのは、下忍認定に至る経過報告書。
自分が目を掛けていた生徒を送り出す時は不安の方が大きかった。
しかし、それが杞憂だったと思えるほど、この上忍師は的確に子供たちを導いてくれている。
感謝の気持ちが尊敬の念に変わり、そして更に別のものに膨れ上がろうとした。
イルカの中で、はっきりと言葉にはできなかったカカシへの想いがこみ上げてくる。
それが、まだ形にはならないまま唐突に溢れ出してしまいそうで。
カカシはそんなイルカに気付かず、まだ何枚かある手元の書類に目を落としていた。
「どうでしょう? 初めて合格者を出したもので、何を書けばいいのか勝手がわからない部分もありまして」
「………」
「んっ? イルカ先生…!」
イルカはいつの間にか立ち上がり、カカシを後ろから抱き締めていた。
今はただ、こうしていたくて。
カカシに自分の気持ちを伝えたいのに、うまく言葉が出て来ない。
そのもどかしさが、自然とイルカを動かせた。
「貴方のお蔭ですよ」
カカシは首に回された腕に手を添えると、愛しそうにそっと撫でながら呟く。
「え?」
「あいつらも、いい先生に教わったものだ」
「カカシさん……」
「そう言う俺も、自分の気持ちを貴方に正直にぶつけて、今までより前向きになれました」
イルカは、カカシがこれまで通ってきたであろう闇の世界を思った。
そして、今、この人が日の当たる場所に居てくれる事実を嬉しく感じた。
ついこの間、自分の膝枕で穏やかな寝顔を見せてくれたカカシ。
それはほんの少しの時間だったけれど、静かでありながら、かつて経験したことの無い濃密なひととき。
しかし、向けられた愛情を受け留めきれず、苦しくなってその場から立ち去った自分を、イルカは今、悔んでいた。
「あと少し、待っていてくれますか?」
愛情を示してくれたカカシにきちんと返したい。
『好きだ』 という言葉だけじゃなく、全身で。
背中に額を押し付けつつ出したその声には、確かな決意が潜んでいた。
けれど、その思いとは裏腹に微かに震える身体。
「待ちます。 貴方が待ってと言うのなら、いつまでだって」
カカシはイルカの僅かな動揺に気付かないフリで答えた。
懸命に自分を受け入れようとしてくれている様子が、充分に伝わってくるから。
イルカも、自分の意図を汲んでくれたカカシを、もっと近くで感じたいと思い始めていた。
「重いですか?」
「心地良い重さでーす」
「もうちょっとだけ、このままでもいいですか……?」
「もちろん」
カカシの手が、自分の胸の前にあるイルカの手を愛しげに包み込む。
イルカはカカシにしがみ付いたまま、伝わる鼓動や体温や、何もかもを身体全体で感じていた。
*
数日後、カカシはイルカの部屋に居た。
手作りの夕食をご馳走になった後は、土産に持って来た酒を間に、暫し無言の時間が流れている。
誘ったのはイルカだったが、カカシを部屋に迎え入れてから、まだその目的を伝えることができていなかった。
そんなイルカに対して、カカシは何も問わない。
“待っていて” と言った、その時が来たのだろうとは思っていた。
けれど、イルカがきちんと向かってくるまで、自分からは動くまいと決めていた。
「まだ飲みますか?」
テーブルに置かれていた一升瓶の栓に手を伸ばしたイルカから出てきた言葉は、本題からかけ離れている。
「イルカ先生が飲むなら付き合いますよ」
「………優しいですね、カカシさんは……」
決心したはずなのに、ここへきてまだ迷っている自分。
イルカは居たたまれず、つい席を立って窓際へと向かってしまった。
雲の切れ間から差し込む月明かり。
窓に手を付いて空を見上げていると、カカシが立ち上がったのがガラスに映って見えた。
イルカは鼓動が早くなるのを感じた。
しかし、カカシは近付いて来ない。
着たままだったベストを脱いで空いている椅子の背凭れに掛けただけで、また元いた場所へと戻ってしまった。
待ってくれている……。
その様子を見ていたイルカは、遂に心を決めた。
小さく深呼吸してから振り向くと、カカシの視線とぶつかった。
目を逸らさないまま上衣を脱ぐ。
晒される上半身。
そのまま、カカシに近付くイルカ。
一瞬、カカシは息を詰めた。
テーブルまで戻ったイルカは、脱いだ服をカカシのベストの上に置いた。
カカシが重なった服に目をやる。
その視線がイルカに戻った瞬間、新たな時が刻まれ始めた。
「先にシャワーを使わせてください」
イルカは落ち着いた声でそう言うと、浴室へと消えて行った。
その後姿を、カカシは黙ったまま見送り、もう一度、重なる服を見つめた。
ひとり部屋に残されたカカシの胸中は、凪いだ水面のように静かだった。
グラスに残っていた酒を一気に呷ってから、先ほどイルカが空を見上げていた窓辺へ歩み寄る。
窓の向こうに見えたのは、時々雲が覆い隠してしまうが、確かに存在する月の光。
邪魔なものを取り払えば、真実はひとつ。
今、ここで一歩を踏み出そうとしている二人にとって、大切なのはお互いを想う気持ちだけ。
必要なのは、胸の奥に確かに在る、溢れんばかりの愛情だけ。
いつから好きだったのかなんて、もう覚えていない。
きっと、出逢ってしまったのが運命だったのだろう。
シャワーを済ませたイルカに呼ばれるまでずっと、カカシはその場に立ったまま感慨深げに空を眺めていた。
*
イルカは、今までは異性との経験しか無い。
何日も続く男ばかりの任務先もあったが、上司から伽を命じられずに済んできた。
単純に運が良かったのだ。
望んでもいないのに身体を繋げるなど、命令でもやりたくは無いと思っていたから。
ただ、現場では断られないのはわかっていたが。
その経験が無いことが、良かったのか悪かったのか。
カカシに組み敷かれたイルカは、相手に対する好意を越える恐怖心に包まれていた。
予備知識なんて実践とは違っていたりする方が多いものだから、あまり役に立ってはくれない。
痛いだろうということは知っていても、それがどれほどの痛みなのか。
ここで、カカシを拒絶するという選択肢は端から思考の中には存在しない。
イルカはただ、必死で自分と闘っていた。
一方、カカシは戦場において男性との経験があった。
それは、下の階級の者を使って、昂ぶる熱を一方的に解放する為だけの行為。
心など微塵も紛れてはいない。
望んで同性と身体を繋げるのは初めてだと言ってもいいかもしれない。
だから、少々途惑いがあった。
カカシの下で、イルカが苦痛に顔を歪めている。
まだ、カカシの指がやっと入っただけなのに、これほど大変なものだとは。
過去の場面では、どれだけ痛がろうが気になど留めなかった。
相手は人形と同じ。
こちらの欲求を処理できれば、それだけで良かったのだ。
だが、今は違う。
イルカに痛い思いはさせたくない。
自分だけ気持ちいい思いをしたって嬉しくない。
「遠慮……しないでください……」
イルカは、カカシの肌に爪が食い込むほど力んでしまっている。
辛いだろうに、カカシに全てを委ねようとしていた。
その、耐える様子にさえそそられる。
一層、愛しさが込み上げる。
「ゆっくり慣らしていきますから、できるだけ楽にして、……そう」
少しでも気を紛らせるべく、カカシは絶え間無くくちづけを与え、言葉をかけてやった。
「あっ……」
力が抜けた途端に、イルカの中にカカシの指が吸い込まれる。
ゆっくりと揉みしだくように慣らしていくと、イルカも段々と加減がわかってきた。
耐えていただけの顔が、少しずつ緩んでいく。
イルカがほとんど痛みも感じなくなった頃、カカシは既に硬くなっている自分自身に潤滑油を塗った。
「イルカ先生、いいですね?」
「……はい………」
期待と不安が混ざり合った表情でイルカが応える。
「俺の目を見てて」
カカシが優しく微笑む。
「カカシさん……」
色の違う双眸をじっと見つめたイルカは、身体も心も溶かされていくように感じた。
「入れるよ」
「んっ……あっ、ああっ………っつ! ーーーーーーーー!!」
指とでは比べ物にならない。
イルカが声にならない悲鳴を上げる。
「イルカ先生……ッ……好きっ……もっと力、抜いて………」
「あっ……っ………」
「そう、もっと俺を感じて」
イルカは目を大きく見開いたまま、カカシが与える振動を受け続けている。
苦痛が去ったわけでは無いが、次第に快感も加わり、状況を把握する余裕も出てきた。
「俺………カカシさんと、繋がってる……」
「ええ、俺達いまひとつです」
「ああ……カカシさん………」
イルカの瞳に涙が溢れた。
お互いの愛情を確かめあうように、何度もくちづけが交わされる。
カカシの動きが一層激しくなった。
最奥まで突き上げる。
イルカが揺さぶられながらもカカシを離すまいとしがみ付く。
カカシの手がイルカ自身を扱き始めた。
「ぅあっ! ……カカ……あっ、ダメ、もうっ……!!」
仰け反ったイルカの身体をぎゅっと抱き締めると、カカシの手の中でイルカが達した。
と同時に、カカシもイルカの内部に己自身を迸らせた。
いつの間にか雲は流れ去り、月がその姿を露わにしている。
静かになった部屋では、肌を白く浮かび上がらせた二人の荒い息遣いだけが聞こえていた。
*
「今度、お月見なんていかがですか?」
イルカの乱れた髪を掻き上げ、涙の跡を拭ってやりながら、カカシが耳元で囁く。
「いいですね。 お団子を用意しなきゃ」
「色気の後は、食い気ですか」
「えっ…いや、だって月見に団子は付き物でしょ……」
「そういうところが大好きで〜す」
くすくすと笑って、カカシはイルカの目元にひとつキスを落とす。
しばし見つめ合う二人。
そこには、今までとは違った穏やかな空気が流れていた。
目と目で語り合う二人の想いは、言葉にせずとも同じだった。
――― 貴方を、愛しています………
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