カカシ×イルカ
小説 遊亜様



『かくも真摯な』
 



 

【一】 ……始まりの時



人間として成長していくのに一番必要なのは、愛情だ。



 * * * * *



当たり障りの無い会話がふと途切れた。
いつも感じている言いようの無い不安が、急に顔を覗かせる。

大丈夫だろうか。
俺は、ちゃんとできているのだろうか…。

「カカシさん、どうされました?」

イルカ先生に問われて、俺はぼんやりしていた焦点を目の前のグラスに合わせ直した。
店内は絶え間無くざわめいているというのに、自分の周りだけが切り取られているような気分。

「……俺、どこか間違ってませんか?」
「え…?」

唐突な俺の言葉に、イルカ先生はすぐに返答できないでいる。

「こういった付き合いはほとんど経験が無くて……、何かおかしなところがあるなら教えてください」
「別に……問題はありませんよ。 と言うか、友達付き合いに間違いも何もありませんから」
「……」
「難しく考えずに、お互いが素直に気持ちをぶつけ合えばいいんですよ。 ね」

そう言って、イルカ先生はにっこりと笑う。
俺は、曖昧な表情にならないよう気を付けながら微笑みを返していた。

俺を否定せず、求めていた方向へと自然に誘導してくれたイルカ先生。
彼は自分の考えを押し付けるのではなく、こちらの考えもきちんと汲み取ってくれる。
そして、共に過ごす楽しい時間を作ってくれた。
そんなイルカ先生がたまらなく愛しく、そして、……その分だけ自分が哀しい。

物心つく前からずっと、人を殺し続けてきた。
手に付いた血は消えてくれない。
他の人には見えなくても、自分には見えてしまう。
赤く染まった手は、誰にも差し伸べることができない。
諦めにも似た感情が垂れ流しになっていても構わず、俺はいつもひとりの世界を選んでいた。

なのに、目の前に現われた貴方は、俺に真っ直ぐに向き合ってきた。
コチラをどこか眩しそうに見る眼差しにはなっても、その視線に畏れや蔑みが含まれたことは一度も無く。
それどころか、ソチラのテリトリーであるはずの普通の暮らしという奴に俺を引っ張り込もうとさえしている。

太陽みたいな貴方と俺とでは、こんなにも隔たりがあるのに。
それを、貴方は突き破ろうと、無くそうとしてくれた。
けれど、貴方のそばにいる限り、俺は余計にその差異を意識せずにはおれなくて。

イルカ先生の言った内容は理論としては納得できるが、実体験が乏しい俺には本質の部分では理解しきれない。
本物の感覚が伴わないから、本当のトコロは俺には………よくわからない。
それは、仕方が無いのだ。

一人だけいた親友と呼べる相手は早くに亡くし、その後、心は閉ざしたままで。
欠けた部分を埋める努力もせずに、オトナになってしまった。
だから、誰かと接していても、自分ではこれでいいのかどうか判断できない。
そう思うこと自体が既におかしいのだろうが、不安だけが募っていく己の心は揺らぐばかりだった。

イルカ先生といると、自分の未熟な部分ばかりが目についてしまう。
忍としては引けを取らないと思えても、人として、男としては自信が無くて。

「私は、貴方に憧れているんです。 貴方のような立派な忍になれたら、と」

イルカ先生は少し頬を赤らめつつ、穏やかな声で、でも、はっきりとそう言った。

「俺なんて、……そんな大層な者じゃありません」

それは本心からだった。
忍として認められているという実感が無いわけではないが、だから何だというのだ、と思ってしまう。

暗部を退いて久しいものの、今でももちろん、依頼があれば殺しだとて平気で行う。
自らの意思で行うのでは無いからと言って、その行為が人としての道に反していないとは言えないだろう。
それが自分の仕事だからと、割り切ったのはいつだったか。
もう忘れてしまったくらいの遠い昔。
世間の仕組みや善悪さえまともに理解していたかどうかあやふやな時期から、既にこの手は血に塗れていた。
自分に課せられた使命を全うしていただけ。
俺が必要とされている場所が、ただ日の当たらない処だったというだけだ。

そんな、やや感傷に浸り気味になった一瞬の隙を、イルカ先生は見逃さなかった。
自分の言葉で俺が気分を害したのでは無いか?
そう考えているかのように、手が口元に当てられ、黒い瞳が落ち着きを無くしている。

またやってしまった……。
繕う言葉も探せず、俺はただ申し訳無いという気持ちから、イルカ先生を直視できずに視線を逸らせた。
それが、余計にこの人を苦しめることになっている。
そう後から気付いても修正不可能なほどに気持ちに余裕が無く、ただ時間が過ぎてゆくのを待つしかできない。

「そろそろ帰りましょうか」

和やかな会話の続きかと錯覚させるほどの柔らかい声音が、俺の耳に届いた。
さっきの困惑の表情は欠片も残さず、いつもの微笑みが俺に向けられている。

イルカ先生は大人だ。
困っている俺を更に困らせるような真似はしなかった。
もしも謝られでもしたら、俺は余計に何て言えばいいのかわからなかったはず。
イルカ先生は、多分、それが読めていたのだろう。

この人には敵わない、と思った。
そして、もっと近付きたいと思った。

実は、近付けたなら伝えたいことがあった。
いつからか自分の胸の奥に潜んでいた、この想い……。

最初は我慢した。
隠し通そうとした。
でも、押さえたままだと知らずに膨れ上がって、そのうちに爆発してしまいそうだ。

そうなる前に、言葉にできる余裕がある間に、きちんと伝えてしまいたい。
それはこの人の望む言葉では無いかもしれない。
言ってしまうと、再びこんな風に共に過ごせるひとときは訪れないかもしれない。

けれど、もう俺は自分を止める術(すべ)を持たなかった。
だから、今、行動に移す。



「イルカ先生、まだお時間ありますか?」



 * * * * *



「どうぞ」
「お邪魔します」

もう少し一緒にいられたらいいのに、と思っていると、「近くですから寄っていきませんか」 と誘われた。
俺は即座に肯き、そして、カカシさんの部屋へ初めて足を踏み入れた。
そこは、必要最低限の家具や物しか無い部屋。
だが、生活感が無いわけでもなく、ただシンプルな暮らしのようだった。

「今、お茶でも淹れますから。 イルカ先生はゆっくりしていてください」
「お構いなく!」

最初こそ、俺は借りてきた猫の如くぎこちなく固まって、視線を落ち着き無くさ迷わせていた。
が、ふと気になるものを見つけたので、引き寄せられるようにそばへと近付いてみる。

それは、ベッドが置かれている窓際のスペースに、観葉植物と共に並んで立て掛けてあった、二つの写真立て。
どちらも、子供三人と大人が一人、身体を寄せ合って写っている。

左にある一枚の写真をじっと見つめた。
右端でにこりともしない顔を撮られているのは、多分小さな頃のカカシさんだろう。
顔がマスクで半分覆われているのは今と変わらない。

この写真を見ればわかる。
四代目がどれだけの愛情を注いで、この人を育てたのか。
束の間の穏やかなひととき。
カカシさんだけ仏頂面ではあるが、他の仲間は楽しげな表情。
仲良さそうな笑い声までが聞こえてきそうだ。

そして、もう一枚の写真。
恩師と同じポーズで、恩師と一緒に撮ったのと同じ構図で、写真の中に納まっているカカシさん。
ここから感じられるのは、貴方の部下への愛情。
サスケにライバル心を燃やしながらも、頭に置かれたカカシさんの手はそのままにしているナルト。
可愛らしいポーズを決めているサクラ。
照れくさいのを隠しているサスケ。
みんな、普段は文句を言いながらも、この上忍師が大好きなのだろう。
それは貴方が、厳しくも誠意を持って子供たちに接しているから…。

「よく撮れてるでしょ」
「あ! スミマセン、勝手に見てしまって……」

いつの間に後ろに立たれたのか気付かなかった。
俺はいたずらが見つかった子供のように慌てたが、カカシさんはただにっこりと微笑みを浮かべている。

「いえいえ、どうぞ遠慮無く」
「はあ、どうも…」

遠慮無くとは言われたが、もう十分と言っていいほど見たので、そそくさとお茶が運ばれたテーブルへと戻った。

「もっと楽にしてくださいね」

そう言ったカカシさんは、ベストを脱いで額当ても取っている。
そんな姿は初めてで。
自宅にまで上がり込んではいたが、改めてプライベートな部分と接した気がして、俺は何故かどぎまぎしていた。
常に無く気持ちが昂ぶっているようだ。

嬉しかったのだろうか。
憧れの人に近付けた気になって。
仕事を離れても接点ができた気がして。

「では、お言葉に甘えて…」

こちらが堅苦しい格好をしていてはカカシさんもリラックスできないだろう。
俺は同じようにベストと額当てを外した。

カカシさんにじっと見られながら脱ぐのは、少し恥ずかしかった。
男同士なのに。
裸になるわけじゃ無いのに。
俺は、赤くなっているかもしれない顔を見られまいと、後ろを向いて座っている椅子の背凭れにベストを掛けた。

「俺、イルカ先生の声、好きです」
「え…?!」

いきなり言われて顔を戻した俺は、嬉しさと困惑が交じり合ったおかしな表情になっていたかもしれない。

「耳に心地良いんですよ、貴方の声は。 静かに話している時も、子供たちを叱り飛ばしている元気な声も」
「悪ガキばかりですから、ついつい大声を出す癖が付いてしまって…」
「腹から出てる、って感じで、気持ちいいくらいです」
「はあ……」

誉められてる―――んだよな?
憧れの人から “部分的” にでも好きだと言われて、俺は舞い上がりそうな気分だった。

「その声で俺の名前を呼んでもらえると、ゾクゾクします」
「え……」

じっと見つめられている。
心臓がドクンと大きく打ったのがわかった。

何だ、この雰囲気は……。
鼓動がどんどん早くなる。
落ち着こうと湯呑みに手を伸ばしたが、震える指先はそれをうまく掴めず、テーブルに倒してしまった。

「スミマセンっ! 台拭きっ!!」

俺は咄嗟に立ち上がると、逃げるように台所へ向かった。
台拭き……台拭き……。
初めての場所では、何がどこにあるかわからずうろうろしてしまう。
家人に任せればいいのだろうが、俺はじっとしていられなかったんだ。

部屋の中の密度が濃くなったような。
時間の進み具合さえ違って感じられるような。
頭に血が上って、わんわんと耳鳴りがしそうな。

あの、緊迫した空間に留まっていられなかった。
逃げるのは卑怯だとは思うが、ああいった場面には慣れていないから……。

身体が自然と動いてしまっても仕方が無い。
台拭きを取って戻れば、またあの場に飛び込むことになるが、それでも、少しでも猶予が欲しかった。
自分を落ち着かせる間が。
何か起ころうとしているなら、それに対処できるよう準備する為の時間が。

だが、事態は俺が考えていた以上の展開を見せた。

「イルカ先生、俺は―――――」

目的の物が見つかった時、カカシさんの声が俺の背中に投げ掛けられた。

「…………………………え? 今、何て………?」








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