半助の部屋を飛び出して、利吉はただ走り続けた。
何もかもがショックだった。
見合いを肯定されたこと。拒まれたこと。刃物を突きつけられたこと。
男としての誇りも、忍びとしての矜持も足下から崩されたようで、それは半助
への愛しさ故なのか、憎しみの方が勝ってしまったのか。
それさえもわからなくって、ただ走り続けた。
気がつくと学園からずいぶん離れ、都に近い場所まで来ていた。
まさか実家に帰るわけにもいかないだろう。
かといって、半助と過ごすための休暇を入れてしまっている。
今更ながらこの状況が、利吉には悔しくてたまらなかった。
見合いなど利吉にはなんの意味もなかった。ただ父と母があまりにも熱心に勧
めるので義理を立てただけのことだ。一度会って断ればそれで済む、そんな程度
のものだと思っていた。
確かに、愛らしい娘ではあったが、それだけのこと。
それなのに、まわりはこの話がなかったことになるなど考えもつかないように
浮き足だっている。
煩わしさから逃げるように、適当にはぐらかして半助のもとへ行ってみれば、
一足先に学園に帰った父から、半助が利吉の見合いを喜んでいると聞かされる始
末で。
道中、桜並木を見つけ、春になったら半助を誘おうと浮かれていた自分がなん
だか惨めでたまらなかった。
ふらふらと足を進めれば、そこは白粉と香のあやしい匂いが漂う遊郭の入り口
だった。やけになった利吉が一歩踏み出そうとしたとき、思わぬ強い力で腕を引
かれた。
「おい、なにをしている」
※ ※ ※ ※ ※ ※
利吉と忍術学園の元教師、大木雅之助は、大木のなじみの茶屋の二階にいた。
「で、どうしたんだ」
「・・・・・・」
「だんまりか。
あそこでおまえさんに会いさえしなけりゃ、今頃はきれいどころとしっぽり
やってたんだぜ。聞かせてもらうくらいの権利はあるだろう」
「別に、頼んだわけじゃありません」
「ははは、まあ、そういうな」
気を悪くするでもなく、大木は利吉に酒を勧める。
利吉とて、尊敬している大木を無碍に扱うこともできない。勧められた酒に口
を付けながらあきらめたようにため息をついた。
「半助と喧嘩でもしたのか」
「見合いを・・・・・したんです・・・土井先生がそれを喜んでいると・・・
・・。
やはり、土井先生も・・・・世間体とか、いろいろ考えるのかと思うと、腹
が立って・・・・」
「は? 半助が、世間体だと?あいつは天涯孤独だ。おまえさんも知ってるだろう。
そんなものあるもんか」
「でも、教師の職を失うことになったりしたら・・・」
今度こそあきれかえったというように、大木は杯を持つ手を止めて目を見開い
た。
「あのなあ、おまえと半助がどうにかなってることくらい、学園の者はみんな
知っとるわい。
知らんのはおまえの親父さんくらいじゃ。親ばかもええとこだわな。
今更そんなことで、半助がクビになるわけなかろう。
それにな、たとえ教師を辞めても・・・・半助は少しも困らんだろうよ。
あいつほどの腕を持ってりゃどうとでもなる」
「・・・・・・」
「ははあ、さてはおまえさん、半助に妬いて止めて欲しかったんだろ」
「そんなっ・・・・・」
大木はふふっと笑いながら酒を含む。
「だいたい、半助という者がありながら見合いをしたのは、おまえさんだろう
が」
「それは・・・・、それは、父や母があまりに熱心に・・・」
「だからっ、だからだろうが。
半助が考えているのは、おまえの世間体だ。そんなこともわからんのか」
「・・・・・・」
「まったく・・・。
山田先生がおまえさんのことをまだまだ子供だと言っていたが・・・。
なあ、利吉よ」
大木は、器に残っている酒を一気に飲み干すと利吉を見据えた。
「おまえも若いのに一流のなんのとおだてられて、いろいろなことにこだわり
たいのはわかるがな。
ちっぽけな誇りにしがみついて、いつまでもつまらん意地を張っていると・
・・・・大事なものを失うぞ」
つづく