V遊記

第8回


 さて、化粧を終えた健蔵がさあ出発しようとすると、何と、化粧のしかたを教えてもらおうと、村の女たちが押し掛けてきて引き留めたのである。健蔵は丁寧に応対し、どうすればよりきれいに見えるか指導したが、結局その日は化粧の指導で暮れてしまい、もう一晩村長の家にやっかいになることなった。
 翌日、健蔵の準備が整い、いよいよ出発となったが、健蔵の心ははずまなかった。その原因は准八戒の存在にあった。美しくないのだ。健蔵の目には、剛空は粗野な美しさを秘めているように見えたが、准八戒には、素朴さや生命力の強さは感じられても美しさが感じられなかった。美しいことを至上の価値とする健蔵には、准八戒とともに旅をすることが苦痛に感じられた。
 そんな健蔵をよそに、剛空は准八戒に話しかけた。
剛空「旅にでたら帰ってこられないかもしれないけど、荷物はないのか」
准「何もないで。人間界に来たときに持って来たんはこれ一つや」
 そう言って准八戒はあるものをふところから出して見せたが、それを見て健蔵の心は晴れた。
 准八戒が、ただ一つ持ってきたものとして出して見せたのはドライヤーだった。
剛空「ドライヤーだけか」
准「ああ、これだけや。パンツも持って来ぃへんかったから、苦労したわ」
 ただ一つの持ち物としてドライヤーを選んだのなら、美しさを求める気持ちが備わっているに違いない。健蔵は、そう思うとうれしくなった。おサカ様とナガンノン様のすることに間違いはない。
 こうして健蔵は准八戒も仲間に加えて旅を続けた。
 昼には進み夜には宿り、日を重ねるうちに大きな川のほとりの村に着いた。
 川岸に立って眺めたが、向こう岸も見えないほどの幅がある。
剛空「うひゃー、こりゃあすごいや」
准「舟でもないとあかんわ。探してみよ」
 剛空と准八戒が舟を探しに歩き回っている間、健蔵は川の浅瀬に足を踏み入れてみた。疲れた足に冷たい水が心地よい。西に傾いた太陽の光が川面にきらめいている。
「おやめさい。すぐに上がって」
 突然後ろから声をかけられて驚くと、村人らしい男が駆け寄って来るところだった。
「その川には妖怪がいますぞ」
 健蔵がいそいで川岸に上がると、男は健蔵の手を握り、川から離れたところへ引っ張っていった。だいぶ川から離れたところで足を止め、男は言った。
「お坊様、無事で何よりでした」
健蔵「化け物がいるのですか」
男「はい、おそろしい妖怪がおります。川を渡ろうとした旅の人が何人も飲み込まれました」
 男が言うには、この川のまんなかの深みに妖怪が住んでおり、舟で川を渡ろうとする人間をしばしば餌食にするのだという。特に、今まで僧で川を無事に渡れたものはいなかったという。
 男の話が終わった時に、剛空と准八戒が戻ってきた。健蔵が今聞いた話をしてやると、
剛空「道理で。みんな、舟があっても向こうまで行くのは嫌だというわけだ」
准「こっちも同じや、お師匠さんの話をしたら、お坊さんはよけいだめや言われたわ」
 日暮れも近いので、その日は、男に村長の家に案内してもらい、そこで一晩世話になることになった。
 次の日、朝食が済むと、
剛空「師匠はここで化粧して待っててください。俺と准で妖怪をやっつけてきます」
准「おれたち二人なら、舟なしでも川の真ん中までいけますから」
 そこで健蔵は妖怪は二人に任せることにし、化粧を始めた。例によって、村中の女が化粧のしかたを習いに来たのは言うまでもない。村の男たちは、村中の女が健蔵をちやほやするのを見て、最初は嫌な顔をしていたが、健蔵は、化粧には興味はあっても女に興味を持たないらしいことが分かって、健蔵を丁寧にもてなした。
 さて剛空と准八戒は、筋斗雲に乗り、低空飛行で川の中央をめざした。
 しばらく進むと、ひときわ川の色が濃くなっているところがあった。
剛空「どうもここが深いところらしい」
准「まあ、兄貴はここで待っとって。おれがおびき出してくるわ」
 そう言うと、准八戒はドボンと水に飛び込んだ。手には三つ又のまぐわを持ち、川底めがけて泳いでいく。
 川底に着いた時には光が乏しくなり、だいぶ薄暗くなっていた。
「やい妖怪、おるんやったらさっさと出てこんかい」
 そう叫ぶんでしばらく待っていると、遠くから黒い影が近づいてくるのが見えた。
「さあ、早いとこ勝負しいや」
 准八戒はそう言ってまぐわを構えたが、影は少し離れたところで止まり、八戒のまわりを泳いで回り始めた。影が回るのにつれて八戒のまわりに渦ができる。とうとう八戒の体も回り始めた。
「うっ、あかん」
 水の中では戦況不利と見て、准八戒は水面めざして泳ぎ始めた。妖怪は回るのをやめ、後ろからついてくる。水面が近くなったとき、八戒はわざと遅く泳ぎ、妖怪が追いつくのを待った。妖怪が手が届くところへ来たとき、准八戒はむんずと妖怪の手をつかんで引き寄せ、
「兄貴、つかまえたで。ちょっと力貸してや」
と叫んだ。すぐに剛空が飛び込んできて、これも妖怪を抱きかかえ、二人がかりで水中から引き抜いた。
 暴れる妖怪を何とか押さえながら筋斗雲に乗り、川岸までひとっ飛び。何とか二人で妖怪を陸に上げた。しかし、陸に上がっても妖怪は強かった。体格でも腕力でも剛空、准八戒ともにかなわない。妖怪は空手の覚えがあるらしく、突き、蹴りとも威力がある。
 その戦いに気づいて村人たちが集まった。健蔵もかけつけ、女たちに囲まれながら見守っている。健蔵はもちろん、村人たちも陸上で妖怪の姿を見るのは初めてだった。妖怪は、体は体は細めだが筋肉はよくついている。水中に住んでいるわりには、魚のような大きな丸い目をしているわけではなく、逆に目が細かった。そして、首のまわりには、ネックレスのように、人間の頭蓋骨を連ねたものをかけていた。
 妖怪は、僧の姿をした健蔵に気がつくとますます猛り狂い、二人をふりほどいて健蔵の方へ向かった。慌てた准八戒は、自分と妖怪の間にいた剛空の体を踏み台にしてジャンプすると、妖怪に飛びかかり、肩車をするような格好になって妖怪の顔をかきむしった。これには妖怪も立ち止まり、何とか八戒を振り落とそうとする。
 健蔵は見ていて気が気ではなかった。こんな時にナガンノン様が来てくれたら……。そう思って天を仰いだが、ナガンノンが現れる気配はない。
 剛空も如意棒を構えてはいるが、八戒と妖怪が組んずほぐれつするのでうかつに打ち込めない。とうとう妖怪は准八戒を頭に乗せたままその場でグルグル回り始めた。
 さてこの後どうなったか、それは次回で。