V遊記

第17回

 さて、一人で舞い上がっている井乃浄に向かって剛空が言ったことには、
「なんだったら、ここに残ってもいいんだぜ」
井「え、いいのかい。でも……」
剛空「お師匠さんを守るのは俺一人で充分だ。八戒、お前も残って毎日うまいもの食わせてもらえ」
准「そないに怒らんでもええやん」
剛空「怒ってるわけじゃない。お前らはお師匠さんと一緒に行くよりも、ここにいる方がいいんだろ」
准「怒っとるやん」
井「だいたい、ここに残れるわけないじゃないか。おサカ様に言われた通りにしなくちゃ」
剛空「だったら、ごちゃごちゃ未練たらしいこと言うんじゃないよ」
 化粧を落とし終えた健蔵、皆の方を振り向いて、
「剛空、そんなに言わなくたっていいじゃないか。井乃浄も准八戒も本気でいってるわけじゃないだろうし。この家の人たちも軽い気持ちでちょっと言ってみただけだと思うよ」
「でも、変だと思いませんか」
と、剛空。
「どうしてあんなに料理が出てきたのか。女五人の家でいつもあれだけのごちそうの材料があるとは思えません。まるで俺たちが来るのを待ちかまえていたみたいだ」
井「それは思い過ごしだよ」
准「どっちにしろ、食わしてくれたんやから、ええやん」
井「そうだよな。待ちかまえていたとしても俺を待っていてくれたんならいいや」
 剛空はじろっと井乃浄をにらんだが、それ以上は何も言わず、横になって布団をかぶった。

 翌朝は朝からごちそう攻め。
准「うひゃー、天国やなあ」
女あるじ「どんどん召し上がってくださいね。女ばかりだと少ししか料理が作れなくてつまらなかったんです」
 わきから他の女も、
「そうなんですよ。それに、男の方がいると、何となくうれしくなりますしね」
女あるじ「またそんなこと言って」
井「やっぱり女だけじゃ不安でしょうね」
女あるじ「そりゃあ不安です。皆さんのように男の方ばかりなのとは違いますわ」
女「けど、そちらも男ばかりでも寂しくありません?」
井「そりゃあ、まあ、ちょっとは、ね」
 剛空がにらんだが井乃浄は気がつかない。
女あるじ「でも、健蔵様がおきれいやから、私どものような女は物の数に入らないでしょう」
井「いや、師匠は別格ですから。みなさん充分美しく見えますよ」
女「お上手ね。でも健蔵様って、ほんとうにおきれいね」
 ほかの女も、
「昨日は薄暗くてよく分からなかったけど、お化粧なさっていないお顔でもこんなにおきれいなんだから、もしもお化粧なさったらどんなかしら」
井「師匠はいつも化粧するんですよ。今日もこれから化粧します」
女「まあ、ぜひお化粧なさった顔を拝見したいわ」
 健蔵は顔を赤くして俯いた。
女あるじ「そんなにじろじろ見て失礼よ」
 しかし女たちは口々に、
「健蔵様、よろしかったら、私どもの持っている化粧品をお使いください。女所帯ですから、たくさんありますよ」
「よその土地のお化粧の仕方もたくさんご覧になってるんでしょう。教えていただきたいわ」
 などと声をかける。
 これには健蔵、少し心を動かされた。
女「それに、皆さん長旅でお疲れでしょう。もう一日ぐらい、ここで骨休めなさったらいかがです」
女あるじ「妹たちは、もっともっといろんな料理が作れるんですよ」
 これには准八戒が心を動かされ、
准「そりゃあええ。お師匠様、どうやろ、もう一日」
と、剛空の顔色をうかがいながら健蔵に言った。
健蔵「そうだね……」
 女の一人が、
「私たちも、もう少し男の方とお話をしてみたいし」
と言って井乃浄に目配せをしたので、井乃浄はもう天にも昇る気持ち。
井「もう一泊しましょう。ね、お師匠様」
 健蔵は剛空を見て、
「どうだろう、もう一日」
 剛空、苦虫をかみつぶしたような顔になり、
「お師匠様がそう言うなら、仕方がないでしょう」
 もう一泊することになり、井乃浄と准八戒は大喜び、
 翌日、健蔵は女たちと化粧について話し合い、准八戒はひたすら食べ続け、井乃浄は女たちを笑わせては自分もニコニコしていたが、剛空は一日中ふてくされて寝台に横になっていた。
 こうしてその日も暮れ、夕食になると、女たちはまた一行を引き留めにかかったが、健蔵は、今度は毅然として、
「みなさんとお話しするのは私にとっても楽しいことです。しかし、私は行かなくてはならないところがあります。明日こそはおいとま申し上げます」
 剛空は満足して頷いたが、准八戒と井乃浄は不満顔。
 寝室に戻ると、准八戒と井乃浄は健蔵にもう少しここにいようとねだり始めた。
准「もっと違う種類の料理もある、っちゅう話なんやけど……」
井「女ばかりここに残していくっていうのはちょっと不安が……」
剛空「不安じゃなくて未練だろ。いいよ、お前はここに残れ」
 井乃浄、これにはムッとして、
「そこまで言うんなら俺は残る。勝手に行け」
 剛空、今度は准八戒に向かって、
「お前はどうするんだ」
 准八戒、ちょっと考えたが、
「やっぱ一緒に行く。途中で投げ出すっちゅうのは俺の性に合わん」
 そこで、剛空は健蔵に向かって、
「こういうことです。師匠、明日になったら井乃浄を置いて出発しましょう」
健蔵「そうだね。井乃浄、短い間だったけど、助けてくれてありがとう。元気でね」
 この言葉には井乃浄も思わずホロリ。
「お師匠様……。私は……」
剛空「やっぱり一緒に行くか」
井「ここに残ります」
 こうしてそれぞれ気まずいものを感じながら眠りについたが、翌朝はまぶしくて目が覚めた。体を起こしてみると、何と野外で地面の上に寝ていた。馬はわきに生えている木につながれ、足もとの草を食べている。
 驚いていると、聞き覚えのある声がした。
「おいおい、そんなことじゃ困るな」
 その声に驚いて健蔵たちが声のした方を見ると、なんとおサカ様が立っている。隣にはナガンノンがいて体から光を放っている。
健蔵「ナガンノン様!」
 健蔵は思わずうれしくなって駆け寄った。
ナガンノン「健蔵、よく誘惑に負けなかったな」
 周りを見回した剛空、
「あれっ、井乃浄がいない」
 その時、はるか上から声がした。
「おーい、助けてくれえ」
 一同が見上げると、かたわらの高い木のてっぺんに井乃浄が縛り付けられている。
准「どうなっとんねん」
 井乃浄を見上げたおサカ様、
「お前たちの気持ちを試すために、知り合いに手伝ってもらって誘惑してみたのだ。井乃浄、情けないぞ」
井「そ、そんなあ」
 情けない思いの井乃浄をよそに、健蔵はナガンノンにあることを尋ねた。
 さて健蔵は何を尋ねたのか、それは次回で。