V遊記

第10回


 さて船の上で井乃浄が健蔵に言うには、
「えへへ、師匠。師匠は男ですよね」
健蔵「そうだよ」
井「実はね、師匠。今までずっと勘違いしてまして」
健蔵「何を」
井「いやあ、坊さんが通るなんて言うもんだから、てっきりよぼよぼの爺さんだと思ってたんですよ。最初から、どんな人か教えてくれりゃあ、俺も楽しみに待ってたのに。おサカ様も人が悪いや。どうにも気が短いもんだから、通りかかる坊さんをみんな食っちまって気の毒なことをしたなあ」
 一人で楽しく話している井乃浄を見て、健蔵は内心うんざりした気持ちだった。おサカ様とナガンノンにはそれなりに考えがあって井乃浄を選び、一緒に旅をさせることにしたのだろうが、ほかにもっとましなのがいなかったのだろうか。
 首の周りをドクロで固めているのが妖怪らしくはあったが、顔立ちが「恐ろしい」などという言葉からおよそほど遠いので、こっけいでさえある。何なのだこの男は。
井「そもそも天界でしくじったのも短気がもとでね。ずっと下っ端で、いつまでたっても上にあがれなくて、どんどん後輩に先を越されちまって、いらいらしてたところに気に入らないやつがからんで来たもんだから、つい喧嘩になっちまって……」
 健蔵が聞いていようが聞いていまいがお構いなしに話している。
井「それでね、師匠」
健蔵「ん?」
井「師匠は女は好きですか」
 突然話が変わった上、話が下卑てきていやになったが無視するのも具合が悪く、
「女でも男でも美しい人が好きだ」
井「師匠は面食いですか」
健蔵「そういうわけじゃないよ。美しい自分を求めようという気持ちが必要だと思うんだ。生まれつきがどうこういうわけじゃない」
井「実はね、川底にいるときにうわさで聞いたんですが、川の向こうにはそれはそれはきれいな女がいるらしいんですよ。女王で、国を治めているそうでね。その女のとりこになると、離れられなくなるそうですよ。もしかしたら会えるんじゃないんですかね。いやあ、師匠の弟子になって本当に良かったなあ」
 勝手に盛り上がっている井乃浄の相手はやめて、健蔵は剛空と八戒の乗った舟の方に目を向けた。剛空はこちらを見ていたが、八戒は早くも村長がくれた弁当をあけて食べている。これからどうなるのだろう、健蔵は不安にならずにいられなかった。
 そうこうするうちに舟は向こう岸に着いた。
 健蔵は丁寧に村人に礼を言い、用意ができるとすぐに出発した。
 井乃浄は当然という顔で健蔵の荷物を持ち、馬にまたがった健蔵の横に立った。剛空はそれを見てにやりと笑っただけで、先に立って歩き出す。最後尾になった八戒は、別に何も考えずについて歩いてくる。
 そうしてしばらくは何事もなく旅が続き、幾日かたった時。いつものように、旅人が作った細い道をたどっていくと、丘の上に出た。彼方には町が一つ見える。町の中央には城もあるらしい。
剛空「城がありますね」
 それを聞くと之浄が先頭に飛び出した。
「きっとそこだ。きれいな女! 楽しみだなあ」
剛空「何だそれ」
井「いやね、なんかすごくきれいな女がいるんだって。ほんとすごいらしいよ」
准「町があるっちゅうことは、飯屋もあるっちゅうことやな」
井「食いもんなんかどうでもいいじゃねえか。きれいな女ってのを見に行こうぜ」
准「俺には食い物のほうが大事や」
 剛空は苦笑しながら健蔵の乗った馬の手綱を取り、先に立って道を行く。健蔵は、之浄がだいぶうち解けた様子なので少しほっとした。
 ゆるやかな下り坂を降りていくと、途中で道が二つに分かれていた。一つは町へ続き、一つは町を迂回しているようだった。
剛空「変だな。何で道が分かれているんだろう」
井「何かわけありのやつらが道をつくったんだろう。やばいことしちゃって町に入れないやつとか」
剛空「そうかなあ。もしかするとあの町には入らない方がいいのかもしれないぞ」
 井乃浄が反対するよりも早く八戒が口を開いた。
「町や町。町に行こ。町で何か食べよ」
 井乃浄もそれに力を得て、
「そうだよ。町だよな。町に行こう!」
剛空「町に行かない道の方がもっといいところに通じてるのかもしれないぜ」
井「そうかなあ。とにかく町に行ってみようよ。俺なんかずっと水の底にいて、町なんて見るのはほんとに久しぶりなんだからさ」
 剛空が判断を仰ごうと健蔵の顔を見上げたとき、旅の商人らしい男がこちらへ歩いてくるのが見えた。男は、町を迂回する道の方からやってくる。
健蔵「旅の人が通る。あの人に道のことを聞いてみよう」
 男も、こちらに気づいたらしく、こちらの様子を窺うような目をして歩いてくる。男がすぐ近くまで来たとき、馬から降りた健蔵が話しかけた。
「ちょっとうかがいますが」
男「何でしょうか」
健蔵「わたし共は川の方から参りましたが、ここでどうして道が分かれているのでしょうか。あなたがおいでになった道は、わざわざあの町を避けて遠回りしているように見えますが」
男「お坊さん、あの町のことをご存じないようですね。あの町はおそろしい町です」
剛空「何が恐ろしいんだ」
井「そりゃあ女だろ。女は怖いよ」
男「その通り、女です。何しろあの町には」
と、男が話し始めたとき、さっと強い風が吹いたかと思うと、健蔵の体が浮き上がった。
健蔵「うわあ」
 残りの四人が驚いていると、健蔵の体は風に乗って町の方へ飛んでいく。
 剛空は「しまった」と叫ぶと、金斗雲に飛び乗り、後を追う。八戒と之浄も慌てて後を追う。旅の男は川の方へ逃げていった。
 剛空は必死に健蔵を追ったが、健蔵の体はあっという間に、町の中央にそびえる城に吸い込まれてしまった。剛空は城の屋根に降り立つと、小さな羽虫に姿を変えて窓から中に入ってみた。城の大広間へ行くと、大勢の家来を従ええ、上座の中央に女王が座っている。健蔵はその前の床に倒れていた。
 健蔵がやっと体を起こし立ち上がると、女王が声をかけた。
「やはりわたしの思った通りね。かわいい坊やだわ」
 健蔵は何が何だかわからず、あたりを見回している。
女王「坊や、わたしのそばへおいで」
 健蔵、女王に目を向けたが、恐ろしくてそばへ寄る気はしない。
 剛空もその時になって女王をまじまじと見たが、見かけは大人の女で、三十代というところ。美しい女のようにも見えるが、全身から怪しげなオーラが放たれている。
女王「怖がらなくていいのよ、坊や。わたしのほうからそっちへ行くわ」
 女王は立ち上がり、すごみのある笑顔を見せながら健蔵の方へ足を進めた。剛空は健蔵を救おうと、羽虫の姿のまま女王と健蔵の間に入り、そこで元の姿に戻ろうとした瞬間、女王が、
「うるさい虫だこと」
と言って、フッと剛空を吹き飛ばした。その息は恐るべき力を持っていて、剛空はあらがいようもなく窓の外へ吹き飛ばされた。あやうく地面に墜落しそうになったが何とか金斗雲を呼び寄せてそれに乗り、やむなくひとまず八戒と井乃浄のところへ飛んでいった。
 八戒と井乃浄は息を切らせて道を駆け下りてくる途中だったが、剛空が現れたので足を止めた。
准「お師匠さんは」
剛空「変な女につかまっちまった」
井「変な女? きれいな女だったかい」
剛空「きれいというか何というか……。たぶん妖怪だ。あいつがいるから町を通らない道ができたんだ」
井「なるほどなあ。人間離れしたきれいな女だっていうから楽しみにしてたのに、ほんとに人間じゃなかったんだ。ちょっとがっかりだな」
剛空「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
准「どないしょ」
剛空「こうなったらあの町に行ってみるしかないだろう」
 そこで三人、馬を連れてくると、用心しながら町の門をくぐった。
 さて三人はどのようにして健蔵を取り戻すのか。それは次回で。