第9回
雨の中。剛は百姓達に斬りかかっている野盗たちに、やけくそのような勢いで向かっていく。一人を斬るが、次の敵にかかる前に、激しい雨が作った水たまりに足を取られて倒れる剛。すぐさま起きようとして、粘土質の濡れた土にまた転ぶ。敵がかかってくる。それを刀でよけるが、敵の方が優勢だ。とうとう、やられるっと、剛が目を閉じる。だが、なぜか敵がぐらりとよろけ、水しぶきをあげて倒れる。不思議なことだが、今の剛はそう考える力も失っているようだ。
剛はゆらっと立ち上がる。当面、敵はいない。百姓達が見守る中、剛は寝かされている長野に近寄り、肩で支えて立ち上がろうとする。
「長野さん、しっかり!!」
「いい、いいんだ、森田。このままで、いい」
長野は、深い傷を負いながらも、やさしく言う。
「森田……、一度おぬしは拙者に、よい田畑は作れたか、と聞いたことがあったな」
「……」
「……作れたこともある。百姓達と一緒になって、笑いあった日もあったのだ……」
「……」
「だが、あの日、堤防は破れた」
「長野さん、しゃべらないで……」
「すさまじい勢いで、河は田畑を襲った……。いや、田畑などどうでもよかった。百姓が……、女子供まで……、拙者を信じていたのに……、死んでいった……」
「長野さん!」
森田の顔は濡れている。雨のせいなのか涙のせいなのか、わからない。
「拙者は弱い人間だ……。それからずっと、死に場所を探していた。本当は、みなに指図する資格などなかった……」
「そんなことは……、ありません……!! 長野さん、しっかりして下さい!!」
「……少しは役にたっただろうか……」
剛は、唇を噛みしめながら頷く。
「ここに来て、楽しかった……。みなにありがとうと……」
そこまでだった。長野が頭をぐらりと倒す。
「長野さん、長野さん……!!」
雨の中、剛がいつまでも長野の名を呼ぶ。いつの間にか、百姓達の姿は見えない。剛は、人の気配に振り向く。
濡れそぼって立っているのは健だった。長野の死を悼むようにうつむいて、健はじっと立っていた。
激しい雨の中、島田が叫ぶ。
「首領、引き上げましょう!」
高嶋は、しかし、まだ村の方を窺っている。
「首領、もういけません。手下どもなど、まだこれからいくらでも集まって来ます。こんな村に拘泥するのは無駄です!」
「……うむ」
煮え切らない返事をして、高嶋も馬の首を返そうとする。が、その時。
「……手下を見殺しにして、てめえらは逃げんのかよ……」
雨の中、ゆっくりと歩いてきた人影が、凄みのある声で言う。
「……ぬっ!?」
高嶋は回しかけた馬の首を、再びもとに戻す。
「首領!」
じれた島田が、すでに馬を数歩動かしながら、高嶋を呼ぶ。
「相手になることはありません。たかが、金目当ての雇われ者です!!」
だが、高嶋は人影に目を据えたまま動かない。
「首領!!」
島田はこれが最後というように高嶋を呼び、高嶋が動かないと見るや、高嶋を見捨てて走り出す。
高嶋はちらりと島田の後ろ姿に目をやるが、動揺した様子もない。
「何者だ」
人影に問う。
「……今の男が言った通りだ」
坂本は、ひたと高嶋に目を向けたまま答える。
「百姓に金で雇われた用心棒さ……」
「ほう」
高嶋が真面目な顔で尋ねる。
「金か。どれだけだ」
「……一日五十。てめえ達をやりゃ、それに加えて、一人につき一分だ」
「ずいぶん安い値を付けられたものだな」
「……」
「……くだらないと思わないのか」
「……」
「武士だ侍だとおだてられて、結局はいつも利用されるだけだ。真面目にやっても高が知れてる。かと言ってはみ出した人間には生きる場所はねえ。……そんな人生、くだらねえと思わねえのかよ」
「……くだらねえ……?」
「そうだ。くだらん」
「……じゃあ、百姓を痛めつけりゃくだらなくねえのか」
一瞬、二人はにらみ合う。だが、しばらくして高嶋は大声で笑い出す。
「……百姓痛めつけてんのは俺達だけか?」
「……」
「え? もっと痛めつけてんのは、金のある奴らじゃねえのか? 城の中でいばりくさってる奴らじゃねえのか? そんなやつらはぬくぬくとして、金のねえ者ばかりがつまんねえことに命まで懸けて生きてかなきゃなんねえんだ。こんな世の中、くだらなくねえか?」
そう言って、高嶋は、怒ったような笑顔を作る。坂本は答えない。
「短けえ人生だ。やりたいことをやるさ。こんだ、代官所でも襲ってみるか。俺達を見て見ぬ振りしてる奴ら、どんな顔をするかなあ。……まあ、そこまで覇気のあるやつぁそうはいねえけどよ。腕っ節に自信のある奴も、腹いっぱいで酒飲んで女抱けりゃ、それ以上のことは考えてねえからなあ。要するに、馬鹿よ」
「……」
「どうだ、おめえ。まんざら馬鹿でもねえ面してるじゃねえか。……俺と組まねえか?」 「……」
「なんか、でけえことをしてみたくねえか?」
坂本は、答えずに刀を抜く。そして、言う。
「……馬から下りろよ」
高嶋は怪訝な顔。坂本は続ける。
「つまんねえ御託並べやがって。俺が今してえことは、おめえを斬ることだよ」
その言葉に、高嶋は目をむいて坂本をにらみつける。
そして、にやりと笑うと、坂本から目を離さぬまま、ゆっくりと馬から下りる。
雨は降り続いている。雨の音だけが二人を囲む。
向かい合う二人。
「おめえとは話が合いそうだと思ったんだがなあ……」
対峙してじりじりと足を動かしながら、高嶋が言う。
「……合わねえよ」
坂本が無表情に答える。
「……俺は今、世の中がおもしろくてたまんねえんだ……」
濡れそぼった井ノ原が、肩で息をしながら周囲を見回している。井ノ原が今倒した野盗の死体にも、雨は容赦なく降りつけている。次の獲物を狙う井ノ原が、人の気配にはっと振り返る。
「……誰だっ」
「……井ノ原さんっ」
剛だった。駆けてきたらしい。息を弾ませている。剛は立ち止まって井ノ原の顔を見つめる。
「なんでえ、森田か」
井ノ原はほっとしたように刀を鞘に戻す。
「どうした」
その問には答えず、剛は不思議に無表情に、
「……いてくれてよかった」
とだけつぶやく。
「?」
少し剛の様子がおかしいと井ノ原は気がつく。無言で早足に歩き出した剛の後を追いかけるように井ノ原も雨の中を歩き出す。
「どうした。坂本さんから聞いたぜ。森田がなかなか頼りになったってな」
「……」
「……。まあ、しゃべる気にもなんねえよな。……この有様じゃなあ……」
かすれた声でそう言って、井ノ原は自分の姿を見回す。剛もだが、二人とも血だらけの着物は破れ、地獄から帰ってきたと言ってもよいようななりだ。しかも、雨。雨は顔を洗うように流れ、二人の顎の先からしたたり落ちている。剛はすぐにはなにも言わない。そんな剛を見る井ノ原の瞳にも、深い疲労が沈んでいる。
「坂本さんと准がみつけられない……」
剛がつぶやくように言う。
「早く見つけないと……」
「……そうだな」
井ノ原がそう相づちを打ったとき、どこからか人の話し声が聞こえた。二人ははっと振り向いた。
雨の中から現れたのは、負傷者を運んでいる百姓達だった。剛と井ノ原に気がつくと、百姓達は黙ったまま頭を下げる。
「俺達の仲間を見かけなかったか」
井ノ原の問に、誰も答えない。
「……どうだ、もう野盗はいねえか」
「……」
やはり答えぬまま、百姓達は去っていく。
「ちぇ」
立ち止まって百姓達を見送ると、剛はもう歩き去っている。
「おい、置いてくなよ」
井ノ原が声をかけると、剛は突然振り返って叫んだ。
「ふたりはどこかで野盗と戦っているのかも知れません! 俺達の助けを待ってるかも知れません!!」
「そ、そりゃそうだが……」
剛の表情が普通ではない。人を殺すことにあれだけ抵抗を持っていた森田だから、やはりこれだけの戦いにどっかおかしくなったのかと井ノ原は心配になる。
「……大丈夫か、おまえ。……長野さんはどうしたんだ」
「……」
答えない剛の顔をちらっと見て、井ノ原は剛の気持ちをほぐすようにわざと楽しげに言う。
「まあ、あの人のことだ。今度は百姓の手当だなんだとあれこれ忙しい……」
井ノ原が言い終わらぬうちに、剛が叫んだ。
「長野さんは死にました!」
「……え」
信じられぬように剛を見る井ノ原。
「百姓をかばって死んだんです! だから、早く、早く准と坂本さんを……」
「……」
「見つけないと……、もし、二人も……」
そう言いながら、剛は片手で顔を押さえる。井ノ原はまだ、言葉の意味が理解できないように突っ立っている。
「思った通りだ」
すさまじい笑みを浮かべながら高嶋が言う。
「……やるな」
坂本は答えない。肩で息をしている。
二人はもうすでに何度か剣を合わせたらしい。坂本の頬の、さっきまでなかった一条の切り傷が、雨に赤い血を滲ませている。
「ふふっ」
そう笑う高嶋の方が優勢なようだ。
「だから言ったのによう。たった一分(いちぶ)のために、大事な命賭けんのか?」
「……」
坂本の瞳が鋭くなる。それに呼応して、高嶋の顔からも笑みが消える。我知らず、二人は息を整え、お互いの目を見つめたまま姿勢を正す。じりじりと足を動かして立ち位置を整えながら、青眼に構える。まるでこれが、ちゃんとした立会人の居る、御前試合ででもあるかのように、端然と。
なぜだかそれは、二人に、昔まだきまじめな少年だった頃を思い出させる。若く、己の未来に理想を持っていた、剣に夢中で励み、日々道場で友人達と試合をした、そんな頃を思い出させる……。
先に動いたのは高嶋。彼の右足が絶妙の間合いで地を蹴る。
「うおおおおお!」
坂本が動いたのも、ほぼ同時だった。火花のような視線。雨をも寄せ付けない気合い。二人は身を低くしてすれ違う。
そして。
……その一瞬が終わった後、残されたのは、雨の音。
雨の中、まだ体勢を崩さない二人。高嶋がその姿勢のままにやりと笑って……、水たまりの中に崩れ落ちる。泥が赤く滲む。
坂本は振り返る。しばらくそのままで動かない高嶋を見つめた後、坂本はつかつかと高嶋に近づく。
あれほど饒舌だったのに、もうなにも語らない高嶋。その死に顔はむしろ安らかである。 「……」
坂本はしばらく黙ったままその顔を見ている。
そこへ、前方から水しぶきのあがる音。なんの警戒もない音である。坂本が顔を上げる。
「坂本はん!」
泣くような笑うような、変な表情で岡田が駆けて来た。
泣き笑いの顔のまま、岡田は坂本の側に立ち止まる。まだ息を弾ませている彼の頬は、こんな雨のさなかでも紅潮している。若いのだ。坂本はそんな岡田を見る。
唐突に坂本は歩き出す。岡田はあわててついてくる。
しばらく二人は黙って歩く。だが、やがて我慢できなくなって、岡田がつぶやくように言う。
「殺されたんや」
坂本が構わずに歩いていると、岡田の語調が強くなる。
「なあ、坂本はん、聞いてや!」
「……」
「人が殺されたんや、俺の見ている前で……。なにも悪いことしたわけやないのに」
「……」
「それなのに俺は、なにもしてやれんかった……。俺なんか、いてもなにもできんかった……。なんとか、なんとかしようといくら思っても、俺なんかに出来ることって言ったら、それこそ強がることだけやった……」
初めて聞く、泣き出しそうな声だった。泣き笑いのように見えた顔は、どうやら涙を我慢していた顔らしい。
「お久美ちゃんの目の前で、みすみすおっかさんは殺されちまった。お久美ちゃんを助けようとした若いもんも、やっぱり助からなかった……。みんなの言うとおりや、俺はやっぱり……、いつまでたっても半端もんや……。ちゃんとしたことは、ひとつもできんのや……」
坂本は立ち止まって岡田を振り返った。
「准」
坂本は言った。
「おめえはえれえ奴だよ」
「……」
「弱え奴が殺されそうなのを見て、なんとかしようとしたおめえはえれえ奴だ」
「……」
「ちっとも半端もんなんかじゃねえ」
それだけ言って坂本はまたくるりと向きを変えると歩き出した。岡田はしばらく立ち止まったままだったが、やがて、岡田が駆け足で後をついてくる音が坂本に聞こえる。坂本はその足跡に、
「おめえが生きててうれしいぜ」
そう呟いてみる。
しばらくして岡田が言う。
「生きてられたんは、もちろん坂本はんにいろいろ教わったからやけど、でも、それだけやない。……青が助けてくれたんや」
「……青が?」
「そうや。青、すごかったで。野盗に食いついて離れんのや」
「……」
「それに、まだ不思議なことがあってん。……俺がやったわけでもないのに、目の前で野盗が急に倒れたんや。こう、ばったり前のめりに」
「……」
「俺も夢中だったし、細かいことは憶えとらんけど……。俺の他に誰かおったようでもなかったのになあ……」
いつのまにか坂本は立ち止まっている。
「……ちょっと見てみてえな」
「え?」
「そりゃ、どこらあたりだ。そんな不思議なことなら見ておきてえなあ……」
森の中を一人馬を走らせる島田。と、その時。
馬の足になにか刺さったらしい。馬は急に驚いたようにいななくと、後足立ちになった。 振り落とされた島田は、しかし怪我もなく素早く立ち上がると、周囲を見回して叫ぶ。
「……誰だっ」
雨の向こうにじっとこちらを見る人影。島田は目を凝らす。どうやらそれは少年のようだ。
「……お前か!?」
半分信じられないように島田が言う。人影は答えない。島田の顔に、残虐な笑みが浮かぶ。
「ふん。おまえ、あいつらになにを教えられた。馬の通る道に菱でも撒いたのか」
「……」
「どうする気だ。……仲間は見あたらないようだが。まあいたとしても百姓の五六人、わたしの敵ではない」
「……」
「なぜ黙っている。……野盗を倒せたのがうれしいのか。……百姓でもやればできるとでも言うのか」
「……」
島田が、きちがいのように笑い出す。
「傑作だ、こんなガキが……、たった一人でこのわたしに向かって来ようとは……」
島田は顔をゆがめ、いつまでも笑う。人影が言う。
「……なにをしてる。早くかかって来い」
「……なんだと」
島田は笑いを止め、眼を剥いて人影を見つめる。
「……きさま……」
だが、人影の方は、動揺する気配もない。
「殺してやるっ、殺してやるっ!」
人影の不思議に静かな気配が、かえって島田を凶暴にした。人とは思えない形相で島田はそう口走ると、人影に向かって斬りかかる。
「殺してやるーーっ」
だが、確かに人影に向かって一直線に走ったのに、そこには誰もいない。きょろきょろとあたりを見回す島田。
「……じゃあ、今度はこっちから行かせてもらう」
声が背後からする。振り向きざまに相手を斬ろうと振り上げた島田の刀に、刀を掴んだ手首ごと、分銅のついた鎖が宙を飛んできてからみついた。
「うぬっ!?」
島田はからまった鎖ごと右手を引き、空いた左手で素早く鎖の飛んできた方向へ小柄を放つ。人影はそれを軽々と飛びよけ、しかも、空中を回転するようにしながら、島田に向かってなにかを放った。
「う」
島田が硬直する。
人影が裸足の足で地に降りる。
島田は目を見開いたまま倒れる。その首筋に深々と刺さる、くない。倒れた島田を振り返り、眉を曇らせるのは……、そう、健だ。
「くうん、くうん」
いつからいたのか、青が鼻を鳴らして、悲しそうな表情の健を見上げている。健はそんな青の首を抱き、眼をつぶる。
(つづく)
長野くんが……。ごめんなさい……。涙。(hirune 98.4.18)
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