ぶいろく党伝

第8回

 お久美の家。賢吉達が着いたところ。
 「お久美!」
 賢吉が戸を叩きながら声をかける。
 「お久美、ここはあぶねえ! 庄屋さまの屋敷に避難しろ! ……お久美!」
 何度も呼んで、やっと遠藤が出てくる。
 「……賢吉……」
 遠藤の顔にはいつもの元気が全くなく、目が赤い。
 「ど、どうしたんだよ」
 「おっかさん、とても動けない。血、血を吐いて……」
 こらえきれずに、遠藤の目から涙がこぼれる。 
 「だけどよ……」
 小橋は遠藤の様子に戸惑いながらも、
 「ここにおまえ達だけいて、なんかあったら……」
 言いかけたとき、小橋の仲間の一人が甲高い声をあげる。
 「賢吉っ、……あれっ」
 皆はぎょっとして振り向く。そこに。
 十騎ほどの野盗が駆けてくるのが遠く見える。そのうちの大半はもっと人家の多い方に曲がって行くが、残りの二騎がまっすぐにこちらに向かってくる。  

 岡田がきょろきょろしながらお久美の家の手前の細い橋の上で立ち止まる。その時、
 「キャー!!」
 女の子の叫び声。岡田、顔色を変えてお久美の家に向かう。 
 お久美の家。家の前に二頭の馬が放されている。
 家の戸は開きっぱなし。のぞかなくても、家の中の様子が見えてくる。毛深い野盗の腕が遠藤久美子を後ろから抱きかかえるようにしている。その隣にはにやにや笑っている痩せ形の野盗。その手前に、竹槍を構えてはいるものの、手が震えている小橋ともう一人の若者。二人の足許近くに、血だらけで倒れているもう一人の若者の姿。
 「ほらよ。……おめえらもこうなるんだぜ」
 皮肉そうに言う痩せた野盗。
 小橋達二人は、足が地面にくっついたように動けないでいる。
 「頼んだぜ」
 毛深い方の野盗が言う。
 「なかなかかわいい顔してるじゃねえか。……女は久しぶりだからなあ」
 そう言うと毛深い野盗は遠藤の襟元に手を入れようとする。
 「いやああ!!」
 遠藤は必死でその腕を逃れようとするが、どうしようもない。
 「お、お久美……」
 這うようにして母親が奥から出てくる。遠藤は振り返るが、野盗は母親のことなど気にもとめない。
 「や、やめて……、お久美を離して……」
 枯れ枝のような手で、母親は、野盗が遠藤をつかんだ腕をほどこうとする。
 野盗はやっとうるさそうに母親の方を見て、
 「邪魔だあっ」
 言いざま、母親をはり倒す。
 「おっかさん!」
 遠藤の叫び声。小橋達も思わず竹槍を繰り出そうとするが、もう一人の野盗ににらまれ、やはり動けない。母親は折れるように倒れ、苦しそうに咳き込む。
 「おとなしくしてりゃあかわいがってやるよ……」
 毛深い方の野盗がそう言って遠藤の襟をぐいっと引き下げようとし、痩せた野盗がそれを見てにやっと鼻で笑ったその時。
 「……それまでやで!」
 薄暗い土間に入ってきたのは、岡田。
 「……その子から離れろ!」
 驚いたように岡田を見る、小橋ともう一人の若者。痩せた方の野盗が嫌な目で岡田を見る。痩せた野盗はなにも言わず小橋達の隣を通り、岡田の前まで来ると、いきなり岡田に斬りつける。
 だが、岡田はそれを紙一枚の差でよけた! 
 かわしながらも岡田は、体を斜にし、左足を一歩踏み込む。そしてそのまま勢いをつけると、右手ですぐ刀を突き出した。それは、油断していた野盗の脇腹を、確かに刺し通した。
 「……!」
 なにも言わずに野盗は岡田をにらみつける。にらみ返す岡田。油断なく野盗から目を離さぬまま、岡田は刺した刀を引き抜いた。何秒かの出来事なのに、岡田は肩で息をしている。夢中なあまりなにも考えず動いていた。今になって体が震え出しそうになる。
 脇腹の傷は致命傷ではない。痩せた野盗は顔色を青くしながらもじりじりと岡田に近づき、再びかかってくる。だがそれは、先程の早さはなかった。指先が冷たくなるような感覚に襲われながらも、連日の猛稽古は無駄ではなかった。岡田はその刃先をかわす。
 小橋達はどうすることも出来ずその様子を見ている。
 しばし、痩せた野盗も岡田もにらみ合ったまま動かない。遠藤の後ろに倒れた母親の、聞いている方が苦しくなるような咳き込みの声だけが小さな家の中に響く。
 遠藤を抱きすくめていた野盗の目に苛立ちの色が宿り、野盗は乱暴に遠藤を突き放すと立ち上がる。
 「けっ。邪魔くせえ」
 野盗は岡田の方に歩きかけるが、その時、まだ咳き込んでいる母親の方を振り返り、
 「うるせえっ」
 と一刀に斬り伏せる。背中から斬られ、声も発さず、そのままうずくまるように倒れる母親。鋭い沈黙の中、全員の視線が倒れた母親に集まる。
 「……おっかさんっ」
 呆然としていた遠藤が、悲鳴のように叫びながら母親に取りすがる。
 「おっかさん、おっかさん!」
 「……ちくしょう……」
 唇をかみしめる岡田。
 「……こいつっ」
 小橋と若者も耐えきれず、やや及び腰ながらも野盗に竹槍を突き掛ける。だがそれを、まだ遠藤の母親の血の付いたままの刀で野盗は払いのける。払いのけながら、返す刀で小橋ではない方の若者を肩から斜めにばっさりと斬り下ろす。
 「うわあ!」
 倒れる若者。
 「弥太郎っ」
 若者の名を呼ぶ小橋。
 「くそっ、くそっ」
 小橋はがむしゃらに野盗に突きかかる。あっさりとそれを刀で払いのける野盗。しかし刀はたやすく小橋の腕まで届く。
 「うっ」
 腕を斬られて小橋は尻餅を突くように倒れるが、そう深い傷でないようだ。
 だが、そんな小橋に目もくれず、野盗は岡田にねらいをつける。
 二対一。痩せた野盗にも皮肉な笑みが戻る。追いつめられた岡田の息使いが荒くなる。毛深い野盗の太い腕が岡田を斬ろうと動こうとしたとき。
 なにか茶色いものが、目に止まらない早さで戸口から駆け込んでくる。そしてそのまま、茶色いものは、一つも無駄のない動きで野盗の体を駆け上るようにし、その喉笛に噛みつく。
 「うぬっ!?」
 野盗がのけぞる。
 「青!?」
 岡田が信じられないように叫ぶ。
 そう、茶色いものは、青。しかしいつもの青とは違う。闘争本能をむき出しにした、鋭い瞳。訓練された熊狩りの猟犬のように、青は一度噛みついた獲物から離れない。
 「ぐわ、こいつ……」
 野盗も必死で青を引き離そうとする。あまりのことに痩せた野盗も息を飲んでそれを見つめるが、その時、岡田の声。
 「おい、なにしてる。逃げるんや!!」
 その声に我を取り戻して、小橋が腕を押さえながら立ち上がって叫ぶ。
 「……お久美!!」
 遠藤はまだ母親に取りすがっている。小橋は遠藤の母親の首筋に手を当て、母親が死んでいるのを見て取ると、遠藤を母親から引き離す。
 「お久美、逃げるぞ!!」
 自失した遠藤を抱えて逃げようとする小橋。どうにか青を体から振り払った野盗は、しかし今にも青が再び飛びかかろうとしているので動けない。痩せた野盗に岡田が言う。
 「来い、勝負や!!」
 岡田は体を野盗にむけたまま、誘うように屋外に出る。野盗は岡田をにらみながらやはり屋外に出る。その後ろを、遠藤を抱えた小橋が左右を確かめながら逃げ出す。
 「……こっちや、こっち……」
 岡田は不敵な笑みさえ浮かべながら、小橋達の逃げたのと逆の、小さな木橋のかかった枯れ小川の方に野盗を誘う。
 「……准様をなめたらあかんで……」
 「……」
 「他の仲間が待ち伏せされたのは知っとるやろ……。あれはみんな、俺達がやったんや!」
 野盗の顔に、疑いと共に、もしや、という色。
 「ほら、この橋渡らんかい。……ここにも仕掛けがあるよって……」
 野盗、しばし動かない。岡田の額に冷や汗。だが、追いつめられた野盗は、突然にかけ声と共に斬りかかってくる。
 「ど百姓がああ!!」
 その剣先が岡田の胸から腹をかすり、ぼろな着物に血が滲むが、とにかく岡田はよける。よけるが、体勢が崩れ、仰向きに倒れてしまう。にやりと笑う野盗。岡田は目をつぶると、
 「うわあああ!!」
 必死でめくらめっぽう刀を振り回す。野盗は薄笑いでそれをよけ、岡田を斬ろうとするが、次の瞬間。
 「ぐわ」
 血を吐きながら前のめりに倒れたのは、岡田ではなく、痩せた野盗だった。
 しばらく、つぶった目を開けられず、刀を振り回していた岡田。しかし、やっと目を開けると、目の前には野盗が倒れている。
 「……?」
 岡田、きょろきょろとあたりを見回し、つぶやく。
 「……なにがあったんや……?」
 そして立ち上がりながら、
 「青……!?」
 再び青が自分を助けてくれたのかとあたりを見回すが、青の姿はない。岡田、ほんの少しだけ考えるようにしているが、じきに遠藤や小橋が去った方に駆け出していく。
 あとに残ったのは、痩せた野盗の死体。その首筋に後ろから刺さっているのは、しのびの武器、くない。

 村の路上。野盗や村人の死体がいくつか散らばり、怪我をした馬が立ち上がろうともがいている。
 馬を乗り捨てた坂本、そして井ノ原が、肩で息をしながら野盗と斬り結んでいる。坂本も井ノ原も、いくつかの傷で着物は破れ、血が滲んでいる。すでに敵も味方も、人ではなく、鬼であるかのような姿である。

 大きな倉。どうやら野盗が一人、ここに逃げ込んで来ているらしい。息を潜めて戸口の陰に集まっている五六人の百姓達。一人が目で合図する。「おう!」一斉のかけ声と共に、百姓達は竹槍を繰り出す。「がっ……」奇妙な声を発して体を竹槍に貫かれる野盗。

 野盗たちが馬で駆け抜けようとする道の両側で、立木に隠れながら待ち伏せする長野と剛。すでにかなりの返り血を浴びている。茂みの陰には竹槍を握りしめた百姓たちの姿も見える。
 「うおおおお!!」
 刀を振り上げ、雄叫びをあげて走り込んでくる野盗。長野と剛は瞬間眼を見合わせ、両側から飛び出し、身を低くして敵の攻撃をよけながら馬に乗った野盗の足を狙う。
 「ぐわっ」
 足を斬られた野盗がのけぞり、手綱を手放す。馬は驚いていななき、落馬した野盗にかまわずそのまま走り去る。
 だが、すでに次の敵が目の前に来ている。剛と長野は新しい敵に、息を荒げながら立ち向かう。
 急に斬りつけて来た二人に驚いて、野盗を振り落として倒れる馬。投げ出された野盗が倒れたまま顔だけを上げるのが見えた。
 はじめに足を斬られた野盗は、立ち上がれずに地べたを転げている。そこへ、
 「こいつめえ!!」
 血走った目をした百姓の若者が、その野盗めがけてひとり飛び出し、竹槍を構える。
 「こいつめ、こいつめ」
 若者が何度も野盗の体を竹槍で刺す。先程からの闘いと血のにおいにすっかり興奮しきっているのだ。だが、
 「あぶねえっ」
 他の百姓の叫び声が聞こえた。
 敵がまだ来ないかと様子を窺っていた長野が、その声に振り向いて息を飲む。
 「!」
 落馬した二人めの野盗が、抜き身を振りかざし、その若者の背後に迫っていたのである。この野盗が倒れたのは落馬の衝撃の為だけで、剛と長野の攻撃は避けていたらしい。手傷を負っていない。確かに手応えはあったと思ったが、それはどうやら馬の脇腹を斬っただけだったようだ。
 「百姓めえ!!」
 野盗の怒号に、はっとしてやっと我に返った若者が半ば呆けたような顔を上げる。
 「……待て!!」
 長野が声をあげて駆けつけるのを、道の向かいから剛は見ていた。剛の場所からはとても百姓の若者を助けるのに間に合わない。だが、おそろしい予感がして、剛は長野に向かって駆け出していた。
 長野とて間に合わなかったのだ。野盗を斬る体勢も取れぬまま、長野はその若者を突き飛ばすようにして野盗と若者の間に入っていた。野盗が猛々しく太い作りの剣を振り下ろす。長野はまるで自らその剣に斬られようとしたようでさえあった。
 「長野さんっ」
 剛の必死の叫びもむなしい。
 「うっ……」
 なんの抵抗もせず、長野の体が崩れ落ちる。
 長野を斬った野盗は、今度は剛の方を振り向く。剛は一瞬、なにをすればいいのかわからない。眼の前に長野が倒れているのだ。だが、野盗のにやりと笑った顔が、剛に我を取り戻させる。倒れた長野を見て一瞬自分を失っていた剛の瞳に、敵を突き刺すような視線が戻る。
 「てめえらは、侍のくせに、ど百姓のお仲間かい」
 にたりとしたまま、野盗は倒れた長野を足で転がす。
 「……!!」
 剛は無言で野盗をにらむ。野盗は馬鹿にしたような顔を崩さない。
 剛は、刀を握り直す。体の芯からの怒りが、むしろ掌を冷たくしている。冴え冴えと野盗の動きが見える。
 機を逃さず剛は斬りかかる。一度は野盗はその剣を受けた。野盗の顔から笑いが消える。思いがけなく鋭い剛の気合いだったからである。そして、間を外した剛の次の剣先は、見事に野盗の胴を刺し抜いていた。
 「うおおっ」
 野盗が腹を押さえてよろめく。
 「……おい、今だ!! 突け!!」
 剛の声に、息を飲んで斬り合いを見守っていた百姓たちが、思い出したように竹槍を繰り出す。体を何本もの竹槍に刺され、倒れる野盗。
 だが剛はもうそれを見ていない。
 「……長野さん!!」
 剛はすぐさま長野に駆け寄る。そして長野を抱き起こすが、死んでいるのか生きているのか、血だまりの中の長野は動かない。
 その長野の上に、雨がぽつんと降り始める。

 庄屋の家。
 戸を締め切った広い座敷に、子供の泣き声。女達は黙りこくっている。年寄りの念仏の声が余計に陰気くさい。
 「怖い、怖いよ……」
 そう言って一人で泣いている子供をそっと抱いたのは、松本恵。
 「泣かないのよ」
 子供は松本を見て、
 「でも、お姉ちゃん。野盗がおっとうを斬り殺してたら……。みんなやられちゃってたら……。そいで、ここまで来たら……」
 それを聞いて、周りにいた子供たちまでこらえきれなくなって泣き出す。
 松本はその子達の背を優しくなでて。
 「大丈夫。おっとうたちは強いよ。やられたりしない」
 「んだ」
 一人、泣かなかった男の子が言う。
 「おら、おっとうに聞いただ。えれえお侍さん達が知恵を出して、野盗が来ねえようにしてくれてるって」
 その言葉に子供達が顔を上げる。
 「それ、ほんとうだよ。おら一度、そっと外に出て見たことがあるよ。若え侍が刀持って、すげえ稽古してんだよ。もう一人の強そうな侍にいくらやられてもやめねえんだ。おら、びっくりしちゃった。……あのねお姉ちゃん、血が出ても、やめねえんだよ」
 そう言い出す子もいて、一座の子供達は泣くのをやめる。
 「ね、わかったでしょ。大丈夫なんだよ」
 子供達が泣きやんだので松本はほっとしてそう言って。
 「みんなで一緒にお祈りしようか。みんなも、おっかあも、おっとうも、みいんな無事でいられますようにって」
 子供達は、その言葉に、真剣な顔で頷く。松本、掌を合わせて祈る。それをまねする子供達。
 そんな庄屋屋敷にも雨が降り出す。座敷の中にいても聞こえる雨の音。祈る子供達の中で、松本は顔を上げてつぶやく。
 「……雨……」

(つづく)


 何かとんでもないことになって来ちゃった。……私の手には余る。はあ……(ためいき)(hirune 98.4.11)


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