第5回
翌日。村人が堀を掘るのを手伝っている剛。そこへ井ノ原が来る。
「俺、気になってさっき見てきたんだけどよ」
「え?」
「准のことだよ。……こっぴどく坂本さんにやられてたよ。……坂本さんも少し手加減してやればいいのになあ」
「……」
あばら屋近くの草地。
えい、とうっと声がして、棒きれを青眼に構えた坂本の懐に、手製の木刀を振りかざした岡田がかかっていく。
岡田の木刀はあまりにも軽く振り払われ、坂本は棒きれで、背中を見せた岡田を叩く。岡田はどうっと地面に倒れる。
「く、くそっ」
岡田、立とうとして立てない。が、どうにか立ち上がり、
「まだまだやっ」
怒鳴る。昨日にもましてすごい顔である。
「おい、まだやるのか」
坂本は、うざったそうな顔。
「いいかげんでやめとけ」
「いややっ。俺かてあんさんらと同じや。野盗退治を請け負ってここに来たんや。絶対に強くなるんや!」
岡田、よろよろと坂本に突きかかっていく。坂本はそれをひょいと避けて。
「しょうがねえな。強くなるまでやめねえってんだな」
「そうや!」
「……わかった。……じゃあ、今度は俺の方からかかって行くぞ」
岡田、頷く。坂本は岡田を見据えて言う。
「今からじゃあ、一から教えてもしょうがねえ。……だがな、おめえはなにも免許皆伝になろうってんじゃねえんだ。野盗を倒しさえすればいい」
「……」
「それにはまず、自分がやられねえこった。相手がかかってきたらよける。……こんなことが実戦では案外できねえもんなんだ。……こわいぞ。真剣でかかってこられてもびびらずに、相手を見て、背を見せずによけろ」
「……」
「まずその稽古だ。俺が真剣でかかるのをよけられるようになったら、次に攻撃の仕方を教えてやる。……おまえはな、どこで覚えたか木刀を上段に振りかざしてるが、それはやめろ」
「……」
「相手をよけたら、間髪を入れずに突くんだ。突け、突きまくるんだ」
「……」
「素人が斬っても、刀って奴はうまく骨までも届かねえ。……だがな、突きゃあ、心の臓にだって届くんだ。……どうでえ、わかったか」
岡田、真剣な面もちで再び頷く。
「よし、わかったら、俺の言ったようにやってみろ!!」
坂本の声が、今まで聞いたことのない気迫をはらんで、晴天に響く。
「おい、おまえ、大丈夫かよ」
今日の井ノ原の声には、からかいの調子はない。心底心配している。
それもその筈、夕飯の時間に皆が揃うと、岡田は体中切り傷だらけだったのである。
井ノ原だけではない、長野も剛も、飯椀を持ちながら、痛々しいばかりの岡田を心配そうに見ている。岡田はそんな皆の視線を無視して、どうにか腕を動かし、飯をかっくらっているが、井ノ原は坂本に、きっとして言う。
「坂本さん、いくら教えんのが面倒だからって、ここまでやることはねえだろう。……もういい、こいつは俺達の方で使うから、もうあんたには頼まねえよ」
坂本は酒を飲む手をふと止め、言う。
「そうしてくれるとありがてえな」
「そんなん、いやや!」
岡田が、井ノ原をにらみつけるように言う。
「井ノ原はん、余計な口出しせえへんといて! こんな傷、けんがなんかの草の汁塗ってくれたから、もう治ってるんや!」
「……え?」
「俺は坂本はんにもっともっと教えてもらいたいんや。……坂本はん、明日も思いきりお願いします!」
真剣な顔で頭を下げる岡田。坂本、ふんっといった感じで酒を飲む。驚いて岡田を見る井ノ原。
健は向こうで、餌を食べ終わった青をなでてやっている。
長野は岡田の気迫を眼を細めて見ていたが、やがて箸を休めて皆に言う。
「そうだ、少し聞いて貰いたいことがある」
一同は長野を見る。
「竹矢来、堀の方はだいぶ形が付いてきた。見張り小屋もできたから、これから我々は順番で見張り小屋の方に常駐した方がいいと思う」
「……」
「とりあえず明日から、拙者、井ノ原、森田は交替で向こうに寝泊まりする」
井ノ原と剛は頷く。そして、長野は優しく、
「准、おまえは坂本さんにしっかり仕込んでもらえよ。おまえが強くなるのを期待してるからな」
岡田、深く頷く。
静かな夜である。井ノ原はふと目を覚ますと、みんなの寝姿を見回す。隙間だらけのあばら屋なので、月の光が入って薄明るい。井ノ原は、そっと床を出る。
あばら屋を出ると、草地に、座り込んだ剛の背中が見える。
「何だよ、こんなところにいたのか」
井ノ原に声をかけられ、剛は振り向く。
「何かあったのかと思ったじゃねえか」
そう言いながら、井ノ原も剛の隣に座り込む。
「えれえきれいなお月さんだ」
「……」
「ほんとに野盗なんてくんのかよって感じだなあ」
「……」
「……。なあ、おまえ、何だって一人で旅なんてしてる? ……親は?」
「いません」
「その若さでそんだけ強くて、もったいないじゃねえか。俺や坂本さんみたいになっちまったら、もうどうしようもねえが、おまえや長野さんみたいなのは、早くどっかに仕官して城勤めでもしたらいい」
「城勤めなど……」
吐き捨てるように剛が言う。
「くだらない!」
井ノ原、そんな剛の横顔を見てから顔をそらして、軽い感じに言う。
「……まあな。人それぞれ、いろいろあらあな」
剛はちょっと黙り、それから井ノ原を見て尋ねる。
「……井ノ原さんは……、いろいろあったんですか?」
「俺か?」
おどけた感じに井ノ原が言う。
「見りゃわかんだろ。酒と女で放蕩してるうちにおきまりの勘当さ」
「……放蕩」
そう言って剛は井ノ原の顔を見る。相手に嘘をつかせないまだ少年めいた瞳にまじまじと見られて、井ノ原は少し狼狽した様子。
「な、なんだよ。放蕩息子が珍しいか」
「いえ」
剛はそのまま続ける。
「……井ノ原さんは妙な格好をしてますが、ほんとうはまじめで優しい人です。……酒と女遊びに身を持ち崩すようには見えません」
「へへん」
井ノ原は鼻で笑って、
「利いた風なこと言うじゃないか。……ま、いいんだよ」
「……」
「それが誰にとってもいちばんいい結末だったんだから、それでいいんだ……」
「……」
「……しかし、俺達六人、わけのわかんねえ組み合わせだよなあ」
「……」
「けどよ、俺、なんだか気に入っちまってよ。頭が良くて面倒見のいい長野さんはもちろん、のんだくれの坂本さんも、お調子者の准も、口の利けねえけんも、もちろん、おまえもさ。……なんか、俺ら六人いりゃ、何でも出来るって気がするぜ。おい、笑うなよ」
格好をつけた井ノ原の言葉に、剛は珍しい笑顔を見せている。剛が笑うと、二つの八重歯がにっと出るのに、井ノ原は初めて気がつく。
「井ノ原さんは楽天家ですね」
「そうか?」
「……明日には死ぬか、それとも人の命を奪わなくてはならないかもしれないのに……」
剛の顔にはもう笑顔はない。井ノ原は答えた。
「……そうかもしれねえな」
「ここの木を伐り倒してみたら、ちょうどいい見張り場所になった」
大きな松を伐り倒した切り株の上に立って、長野がそう言う。今日の空は薄く曇っているが、長野の言うとおり、その場所は実に眺めがいい。眼下に、若緑の田畑が広がっている。
「まさかずっと田は突っ切ってはこないだろうが、向こうの山からこちらにくるには、どうしてもこの下を通らなければならない。夜でもわかるはずだ」
井ノ原、剛、せんだが真剣に頷く。
「もちろん、敵がずっと山沿いに村の北側に回った場合はここからは見えない。だがその時は、さっき見せた二か所の見張り所のどちらかで察知できるだろう」
長野が続けて言う。
「新しいこの三カ所の見張り所で、今までよりずっと効果的に敵を見つけることが出来ると思う。……せん吉、村人にも、見張り所を変えることを知らせてくれ。これからはわれわれもひとりずつ見張り所に入る。それぞれ当番の百姓と二人一組になるのがいいだろう」
「へいっ」
百姓・せん吉ことせんだはすっとんでいく。
「では、森田にこの場所を頼むか」
「……はい」
「大丈夫か」
そう尋ねたのは井ノ原である。
「……もちろんです」
そう言って、剛は井ノ原に尋ね返す。
「俺では不安ですか」
「いや。……そう言う訳じゃないんだが」
井ノ原は言葉を濁して、
「……ちょっと言ってみただけだ」
「あとで坂本さんのところにも言ってくるよ。我々も時々は交代できるようにしよう」
そう言うと、長野は北側の見張り所のある方へ歩き出す。井ノ原もそのあとについてぶらぶらと歩き出す。それを見送る剛。
雲が厚くなり、久々に暗い夜になった。ばさばさっという音がして、梢が揺れる。剛ははっとして辺りを見回す。寝ていたつもりはないが、暗闇の中なので、自分でもわからない。
「おい。……おい」
すぐ側にいるはずの見張りの百姓を呼んでみる。会ったときから、眠そうな顔をした奴だと思ったが、案の定返事がない。
「……おい!」
声を荒げる。
「へ、……へい」
やっと起きたらしく、百姓は寝ぼけた声を出す。
「今、物音がしなかったか?」
そう言って剛は耳を澄ます。しばらくして、ほー、ほーという鳴き声。
「……みみずくでさあ」
明らかにほっとした様子で百姓が言う。
「あっしもずっと起きてましたから、間違いねえだよ。ありゃ、みみずくでさ」
うそをつけ、と思って剛は百姓の方をにらむ。
「こんな時に眠れるなんて、おまえは剛胆だな」
皮肉混じりに言ってみる。
「……へえ。よくそう言われまさあ」
百姓は悪びれもせずそんな答を言う。剛はため息をつく。
朝。百姓は口を開け、よだれを垂らして寝呆けている。剛も、つい、うとうとと頭を垂れている。
「森田」
呼ばれて、剛はぼんやり顔を上げ、目を開ける。目の前には、長野の笑顔。
「長野さん……」
「一晩中、ご苦労だったな。百姓の方にももうすぐ交代が来る。そうしたら森田も少し横になるといい」
「長野さんの見張り場は?」
「拙者はまだ庄屋といろいろ打ち合わせしておきたいことがあるんで、さっき坂本さんに替わってもらった。かなりぶつくさ言われたが」
「全然寝てないんですか」
「さすがに眠いので、これから少し寝させてもらうよ。准が森田と交代するといいんだが、あいつは一日中の稽古で、ほんとに体が参っている。今日は少し休ませてやらないとかわいそうだ」
「井ノ原さんは?」
「井ノ原は気持ちよさそうに寝てたよ。一緒の百姓がきまじめに見張りをしてた。まあ、どこも百姓と二人交代交代でどうにかやったってとこだ」
「そうですか」
それだけ言って長野は去っていく。自分も疲れているだろうに、わざわざ剛の様子を見に来たらしい。
剛はどうにか目を開ける。こいつの代わりの百姓が来るまでは起きていようと思うが、それが、どういう訳か、来ない。眠気に負けそうになるが、いつ何時敵が来るかもと思うと、やはり、はっと目が覚める。そんなとき、誰かが剛の肩にそっと触れる。びくっと振り返る剛。そこにいたのは、健。
剛、安心して、
「……けんか。どうした」
健、剛に寝るようにという仕草。
「俺に、寝ろ、と言うのか。……おまえが替わるって?」
健、頷く。
「よい。けんは小屋に戻っていろ」
健、首を横に振る。
「おまえじゃ、いざというとき、困るだろう」
健、青をなでて、大丈夫、と言う仕草。
「青がいるから大丈夫って?」
健、再び頷く。
「……そうだな。けんの青は、とても賢い犬だからな」
そう言って、剛は青をなでる。もう青は剛のこともわかっていて、おとなしくしている。
健、青をほめられて、嬉しそう。
そんな健に、剛もとうとう。
「じゃあ、頼む。なにかあったら、必ず起こしてくれよ」
そう言うと、剛はすぐ側に横になる。横になったと思うと、もう軽く寝息を立てて寝入っている剛。健はくすっと笑って、一人、松の切り株の上で辺りを見回す。その健の表情がいつもと違う。風が彼の髪をなぶる。眉を曇らせて辺りを見回す彼が、一瞬はっとする美貌に見える。青は、そんな彼の隣で、精悍な表情で辺りをうかがっている。
見張りは三日目を迎えた。
あれから空はなかなか晴れない。薄ぼんやりとした夜空の下、見張り所の剛は目をつぶっている。
「剛」
闇の中に、死んだ父親の声がした。
「剛、元気か」
「父上……」
「おまえはわたしの自慢の息子だ。幼い頃から、すばらしい剣の素質を持った息子だとよく人にほめられたものだ。……どうだ、おまえの剣は人の役に立っているか?」
生きているときと同じ、暖かな声だ。だが、剛はその声に身を固くした。
「……」
「剛、どうした。なぜ答えない?」
「……。なぜ? なぜと、父上が俺に聞くのですか?」
父の生前に口答えなどしたことはない。だが、思わず口が動いた。
「それでは、俺にも聞かせてください。父上は……父上は、俺がいるのになぜ死んだのですか?」
声がうわずった。
「俺がいるのに……なぜっ」
怒鳴って、自分の声にはっとして目が覚めた。
……やはり寝ていた。振り向くと、今日一緒に見張りをしているまだ若い百姓が、驚いた顔でこちらを見ている。剛は下を向いたまま尋ねる。
「……俺は今、何か言っていたか?」
「いんや、苦しそうにうなってただよ。どっか具合でも悪いだか?」
百姓がそう答えたとき。
剛ははっと頭を上げた。
聞こえた。かすかだったが確かに馬の声だ。
「聞いたな」
そう言うと、百姓が引きつった声で答える。
「馬、馬が遠くで……」
「確かに聞こえたな」
「へ、へえ」
「俺は残る。おまえは知らせに行け。まず、この先の連絡小屋に詰めている者に知らせろ。 それから井ノ原さん、長野さんのところへ回れ!」
「わ、わかっただ!!」
若い百姓はまろぶように小屋を出ていく。剛は目を凝らした。まだ、敵かどうかもわからない。だが、確かに向かいの山中の方から馬の声は聞こえた。
敵ではないのかも知れない。敵だとしても、これから田の中の道を突っ切ってくるのか、それとも山沿いに村の北側に回る気か。様子が分かるまでもうしばらくは身動きがとれない。剛は闇にじっと目を凝らす。
……来た!
山陰を、動くものが見えたような気がした。気のせいか、馬の足音が聞こえるような気がする。いや、いななきがする。さっきよりずっとはっきりと。
敵は、確かにこの高台の下に向かっている。ここが一番近いからだろう。だが、そう大勢とは思えなかった。偵察だろうか。
「森田」
突然、聞いたことのある低い声がした。剛は振り向く。
「坂本さん!」
坂本の姿を見ると、自分が急にほっとしたことに気がついた。
「今夜はおまえと替わってくれと長野に頼まれてたんだよ。……歩いてきたらそこでちょうど見張りの百姓があわてて走ってくるのに会った。……ついに来やがったか」
「でも、五騎か六騎ほどです。見てください!」
剛は坂本を見張り所に上げる。
今はもう、馬に乗った人影がはっきり見える。人の怒鳴り声も聞こえてきた。
「なるほど。……下見に来たようにも見えねえな」
坂本が言う。
「おそらく、人よりちょっとでもいい目を見てえ奴が抜け駆けしてきやがったんだろう。……飛んで火に入る夏の虫たあ、このことだ」
坂本は剛を振り返る。
「この下は、濠が掘ってあるな」
「はい」
「まさか待ち伏せしてるとも思ってねえだろう。俺とおまえで全員やれる」
「……」
「……来な!」
(つづく)
剛くんは松寿丸や輝元のキャラを受けてちょっとファザコンな役なの……。でもそういうの剛くん似合うよね!?(hirune 98.3.21)
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