第7回

神社に着くと、鳥居のところに自転車が三台放り出してあった。博はそのうちの一台に見覚えがあった。
「准一のです。きっとここにいます」
 昌行たちも、剛の自転車があることにすぐに気付き、走り出した。博も急いで後に続く。境内に三人の姿は見えなかった。昌行たちは何も言わず裏へ向かった。
 千引の岩の前にも少年たちの姿はなかった。しかし、昌行は岩の前に立ってじっと見つめた。
「あいつら、勝手に」
 昌行が言うと、快彦が続けた。
「行っちまった」
 博が尋ねた。
「行ったって、どこへ」
「向こう側だ。この岩の」
 昌行の答えに博は驚いた。
「向こう側って、まさか」
「黄泉の国だ」
「准一は」
「一緒に入ったんだ。どうして入れたんだろう。俺たちとは生まれが違うのに」
 博は少し考えて、
「生まれは関係ないんです。血筋できまることじゃなくて、本人や周りの人がどう思うかで決まっていたんですよ」
と言った。
「そんなはずはない。あんただって、あの三つの丸は俺たち兄弟のことだと思っていたじゃないか」
「そうですね……。でも、間違っていました。三人ということだったんですね。ただ、それがどうして二枚あるのか……」
 快彦が口を開いた。
「あいつらだけじゃ無理だ」
 快彦はじっと岩を、岩の向こうを見つめたまま言った。
「あの三人じゃだめだ。俺たちも行こう」
「よし」
 昌行は頷くと、博に向かって言った。
「准一くんは関係がないはずだ。なんとかこっちに戻れるようにしてみる。あんたは准一くんが出てきたらすぐ逃げるんだ。運転はできるか」
 博が頷くと、昌行は車のキーを投げてよこした。
「できるだけ遠くへ逃げろ」
 そう言うと返事を待たず、快彦の手を握り、岩の前に並んで立った。しかし、何も起こらない。
「変だ。准一が入れたのに俺たちが入れないはずがない」
 快彦の声は少し震えていた。
「俺たちはもうお役御免ってことなのか。一度ケガをしたらもう役に立たないのか」
「落ち着け。入れるはずだ」
 そういう昌行の声にも不安が現れていた。
「俺たち二人もきっと入れる」
 しかし、依然として何も起こらない。
「絵馬が二枚ある理由が分かりましたよ」
 博はできるだけ声を落ち着かせて言った。
「三人が二組なんです」
「二組……」
 昌行が博を見た。
「そうです。きっとそのために僕がこの町に来たんです」
「お前なんかじゃだめなはずだ」
 快彦はそう言ったが、声に力はなかった。
 博はキーをポケットにいれると、黙って近い方にいた快彦の手を握った。快彦はそれを拒まなかった。
「三人なら入れるはずです」
 そう言うと、博も昌行と快彦と一緒に岩を見上げた。博にも、大地が大きく揺れているのが感じられた。

 比良坂神社の宮司が、普段着で買い物から帰ってきた。止めてある車と自転車を見ると、
「今日はお客さんが多いな」
と言って境内に入ったが人の姿はない。首をかしげ、買い物袋をさげたまま裏へ回ったが、岩のところにも誰もいなかった。

 博たちは薄明かりの中にいた。目には薄明かりの世界であるように見えるが、そこに存在しているものを容易に感じ取ることができた。准一たちは前方にいた。そばへ行こうと思うと、一瞬のうちに博たち三人は准一たちのすぐ後ろに来ていた。しかし、博は、手を伸ばしても触れることができないような気がした。准一たちも気付いているのかいないのか、振り向こうともしなかった。
 はるか前方に何かがうごめいているのが感じられる。それはゆっくりとこちらに近づいてくる。その表面は波打ち、地面を舐めるようにしてこちらにくる。巨大なアメーバのように思えた。
「あれは……」
 博がつぶやくと、昌行が答えた。
「あれが黄泉醜女(よもつしこめ)だ」
「あれが……。あんなものだったのか」
「蛭子(ひるこ)の仲間なんじゃないのか」
「なるほど……」
 今度は健が言った。
「あれに食われるのかな」
「食われてたまるか」
 准一が反発して言った。
「でも、山ぶとうと筍は……」
「ああ、それは確かに食われた。でも、桃は食われんかった。そうやな、博さん」
 准一は振り向きもせずにそう言った。誰もが、目で見なくてもお互いの存在を感じているようだ。
「そうだよ。桃は魔除けだったんだ」
「それなら、俺たちも桃になろ。桃になってあれを追い返そ」
「できるかな」
 健の声は弱々しかった。
「やればできる。ここまできたら、やるしかないんや」
 六人の回りが少し明るくなった。
「きっとできる」
 博も言った。
「あの二枚の絵馬は、三人じゃだめでも六人なら大丈夫だっていうことをあらわしているんだ。六人なら大丈夫だ」
 六人の回りだけがどんどん明るくなっていく。六人の体から光が放たれているようだった。その光に触れて、近くまで来ていた黄泉醜女の動きが鈍くなった。
「勝てる」
 剛も言った。
「俺たちなら勝てる。俺たちは、食われるために生まれてきたんじゃないんだ」
 黄泉醜女は前進するのをやめた。
「おっ、止まったぞ」
 快彦の声は弾んでいた。
「勝てそうじゃねえか」
 黄泉醜女はなんどか光に触れてみた後、退却し始めた。
「逃げてくよ、剛」
 健の声もうれしそうだった。剛は黙って頷いた。
「まだ何かあったはずや」
「まだ来る」
 昌行の声は落ち着いていた。博は遠ざかっていく黄泉醜女の向こうに意識を向けた。次に来るのは千五百の黄泉軍(よもついくさ)を率いた八くさの雷神(いかづちがみ)のはずだ。
 雷神はすぐに来た。球状の暗黒が八つ、次々に奥の方から飛んできた。その球から真っ黒な稲妻状のものが無数に放たれ、六人に向かってくる。それは六人の回りの光に触れると消えたが、光ははその分だけ弱くなった。
「雷なのに暗いんだ」
 健がつぶやいた。
「黄泉の国だからな。光の代わりに闇になるんだろう」
 昌行は相変わらず落ち着いている。
「このままやと、俺らも暗くなってしまうで」
「准一、お前自分で言ったじゃないか。思うことが大切なんだ。俺たちからもっともっと強い光が出ていると思おう」
 剛が励ました。
「そうやったな」
 六人の回りの光が少し強くなった。しかし、闇の稲妻は絶え間なく飛んでくる。暗黒球の雷神もだいぶ近くなってきた。
「おりゃあ」
 突然快彦が叫び、雷神に向かって指を向けると、その指先から強い光線が飛び、雷神を貫いた。暗黒球は少し小さくなったように思えた。
「そりゃ」
 快彦は気合いと共に光を飛ばす。
「できると思え。そうすればできる」
 快彦の言葉に、剛もまねしてやってみた。確かに指先から光が飛ぶ。健も光を飛ばした。准一はウルトラマンのまねをして、胸の前で手を組み、右手の手首の辺りから光線を発して、飛んでくる闇の稲妻を打ち落としている。しかし、暗黒球はどんどん迫ってきた。
 黙っていた昌行は、両手で何かを抱えるようにしていた。その手の中には大きな光の玉がある。
「これでどうだ」
 昌行は、ふりかぶるとその光球をなげつけた。光球は雷神の一つに命中し、雷神はかなり押し戻されたが、じきに光を飲み込んだ。小さくはなったが、またこちらへ向かってくる。
 博は必死に思い出そうとしていた。雷神をどうやって追い払ったのか。黄泉醜女から逃げた後、雷神が追ってきた時に伊耶那岐はどうしたのか。
「十拳剣(とつかつるぎ)だ」
 博は自分の手に剣を持っている様子を頭に思い浮かべた。しかし、手もとにはぼんやりした光の棒が見えるだけだった。剣を握っている感覚を具体化することがうまくできないのだ。これでは弱すぎる。何か握れるもの、光の依代(よりしろ)になるものはないか。ポケットを探ったとき、昌行から受け取った車のキーが手に触れた。
 博はキーを握りしめると、准一たちの間を抜けて一番前に出た。手には光の剣を握っている。

みはかし
「ここに御佩
とつか
の十拳
しりへで
の剣を抜きて、後手
 
にふきつつ逃げ来ませる」

 自然に『古事記』の文が口をついて出た。
 博は雷神に背を向け、剣を後ろ手に持った。
「みんな後ろを向くんだ」
「なんでやねん」
「後ろ手で振ることに意味があるんだ。早く」
 昌行はすぐに後ろを向いた。ほかの四人もそれに続く。全員が後ろを向いたのを確認して、博は剣を振った。
 剣は一瞬太陽のような輝きを見せ、余りのまぶしさに六人は全員目を閉じた。それでもまぶたを通して光が目に入り、目の前が真っ白になった。後ろを向いていなかったらどうなっていたかわからない。
「このためにも後ろを向く必要があったんだ」
 そう言って博は剣を握っていた手を見た。手に握られているのは小さな車のキーだけだった。振り向くと、暗黒球の雷神は消滅していた。
「博さんすごいで」
 准一は感心していた。健と剛も笑顔で博を見た。快彦も笑顔で顔で博を見ている。
「これで終わりやったかな」
「最後に一番すごいのが来るはずだ」
 昌行が冷静な声で言った。博は、気持ちを集中してあたりの様子を探った。黄泉醜女もだいぶダメージを受けたらしい。弱々しく逃げていく。
 六人は、遠ざかっていく黄泉醜女の向こうから、より強大な力を持ったものがこちらへ向かってくるのを感じていた。
 そしてそれはまだ離れたところにいるように思えたが、唐突に六人に覆い被さった。
 それは形としては存在していなかった。手触りも何もない。しかし、それに包み込まれていることははっきり感じ取ることができた。
 光でもなく闇でもなく、目で見ることも手で触れることもできないものだった。
「何やこれ……」
 准一の声はおびえていた。
「俺たち、食われちゃったのかな」
 健の声はみんなの気持ちを表していた。
「長野さん、何とかできないか」
 快彦が博に声をかけた。博にすがらなくてはならないほど、快彦も不安な気持ちになっていた。
 博は必死になって『古事記』の内容を思い出そうとしていた。黄泉比良坂の坂本で、伊耶那岐は伊耶那美と何を話したのか。しかし、博の博としての意識はだんだん薄れていった。気がつくと、六人は互いの存在を意識することができなくなっていた。孤立しているのではない。六人が一つに溶け合い、自分と他人の区別がなくなっているのだ。
「毎日人を死なせるからそれに対抗して子供が産まれるようにするんだ」
 それは昌行の声だった。そして同時に博の声でもあった。融合した六人の存在は、伊耶那美に包み込まれ、少しずつ小さくなっていく。

  いやはて
最後にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに
ちびき
千引
いは
石をその黄泉
比良坂に引き
へて、その石を中に置きて、おのもおのも むか
対ひ立ちて、
ことど
事戸を渡す時
に、伊耶那美の命のりたまはく、
うつく
しき
な せ
汝兄
みこと
、かくしたまはば、
ひとくさ
の国の人草
、一日に ちかしら
千頭
くび
絞り
殺さむ」
とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、のりたまはく、
うつく
しき
なにも
汝妹
みこと
いまし
しか
したまはば、
は一日に ち い ほ
千五百
うぶや
産屋
立てむ」
とのりたまひき。

 これからは一日に千人ずつ殺す、という伊耶那美に対して、伊耶那岐はそれなら毎日千五百人ずつ生まれるようにする、と言うのだ。
「俺たちに生まれてくる子供の数を決められるわけがないだろう」
「怒って追いかけてきたのに愛しきって言うんだね……」
 それは剛と健の声であり、六人全員の気持ちでもあった。
「子供は何かの象徴だ」
「何の」
 六人は同時に言葉を発し同時に反問した。千五百人ずつ生まれるというのは何をあらわしているのか。
「子供じゃない」
「生まれてくるもの、ということなんだ」
 ますます六人の存在が小さなものになってきた。
「伊耶那美が最後に生んだのは火の神だったよな」
 かすかに残っている昌行の意識が長野の意識に語りかけた。
「そうです。それで焼け死にました」
 博が答えた。そして、火の神が何をあらわすのか六人は同時に理解した。
「光だ」
 その時、六人の存在がいくらか堅固なものになったように思えた。
「光が子供なのか」
 快彦の意識だった。その疑問は快彦の心に生まれると同時に、ほかの五人の心に伝わった。そして、六人は同時に気がついた。
「光は希望だ」
 日々生まれてくるもの、それは希望だ。希望は毎日のように失われていく。しかし、それを上回る新たな希望を生み出すことができるのだ。
 六人は再び一人一人の存在に戻りつつあった。そして、再び六人は輝きだした。その光が伊耶那美を押し戻した時、六人は伊耶那美に触れることができた。
 そこには、愛と憎しみとが矛盾することなく同時に存在していた。そしてその時、伊耶那美が六人に語りかけたように思えた。
「希望を、光を生むのが私……。闇を生むのも私……。光になるのも闇になるのも、自身が決めること」
「負けんで」
と、准一。
「俺たちなら大丈夫だ」
と剛。
「食べられるために生まれてきたんじゃないんだ」
と、健。
「俺たちが希望を生み出してやる」
と、快彦。
「僕たち自身が希望なんだ」
と博。
 そして、昌行の、
「決まってるさ。俺たちは」
という言葉に続けて、六人が声を揃えて言った。
「光だ」
 その瞬間、黄泉の世界は光に満たされた。

「あっついなあ」
 准一は額の汗を拭って空を見上げた。どうやらバスは少し遅れているらしい。予定の時間になったのに、まだ見えない。
 畑や田んぼの中を真っ直ぐ通っている道で、准一はバスを、いや、バスに乗っているはずのいとこを待っていた。いとこは、隣の市の駅からバスに乗ってここで降りるはずだ。バス停にはほかに人はいない。
 准一は、バスを待つ間、自分の将来のことを考えた。母親は大学へ行けというが、勉強が好きなわけではない。ところが、いとこの博は勉強が好きで大学院に行っている。同級生で、いつも一緒にいる健は、成績がいいので、推薦で大学に入れそうだ。きっといい大学に入って東京にでもいくのだろう。剛は、サッカー部のある会社を見つけて就職することにしていた。剛もどこかよその土地で生活することになるのだろう。剛の二人の兄は、町の援助を受けている会社を解消して、自分たちだけで新しい仕事を始めることになるはずだ。自分はどうなるのだろう。准一は確かな予想を立てることはできなかったが、なんだが明るい未来が自分を待っているような気がした。ほかの五人もきっと同じはずだ。
 「あれ、なんで俺って、こないにほかの人のことを知っているんやろ」
 准一が独り言を言った時、博の乗ったバスが走ってくるのが見えた。

(終わり)


 これで終わりです。「この後どうなったんだー」などということは聞かないように。
 連載の途中から、タイトルを「Toughness」にすればよかったかな、と思ったけれど後の祭り。
 実はこれ、元ネタがあります。といっても盗作じゃないよ。何かと言うと、予告編に載せた「復讐の血脈」です。
 予告編の話を思いついた時に、この話を日本に置き換えたら諸星大二郎のマンガのような話になるなあ、と思ったのがきっかけでした。
 いかがでしたか。

1998.11.3.hongming