第5回

 翌日、朝食を終えた博が、公民館へでも行こうかと外へ出て歩き出すと、軽トラックが横に止まった。
「乗っていきませんか」
 声をかけられて運転席を見ると、昌行が座っていた。しかし、昌行の目はただの親切で言っているようではなかった。博は一瞬躊躇したが、あえて助手席に乗り込んだ。
「今日も公民館へ行くんですか」
 すぐに車を走らせ、昌行は尋ねた。
「出てくるのを待っていたんじゃないんですか」
 博が言うと、昌行はちらっと博の顔を見て言った。
「うちのことをあれこれ調べ回るのはやめてもらいたい」
「……」
「プライバシーの侵害だ」
 博はしばらく黙っていた。
「坂本さんは、今の生活に、いや、今の状況に満足していますか」
「今の状況……。満足も何もないよ。これで生活しているんだから。この町にはそんなに仕事もないし」
「受け入れるしかない、ということですか」
「この町で生きてる人間は、みんなそう思ってるさ」
「剛くんもですか」
 昌行は車を止めて博をにらんだ。
「だから、なんでそうやって人の家のことをあれこれ穿鑿するんだ」
「古い町にはいろいろなしきたりがあることは知っています。でも、それをそのまま残せばいいってものじゃない。本来の意義を探り出して、害のあるものは取り除くようにすることも必要だと思うんです。わたしの研究がそのために役立つことがあれば……」
「降りてくれ」
 博は昌行の顔を見た。
「降りろ。そしてこの町から出て行け。よそ者にわかってたまるか」
 博がおとなしく車から降りると、昌行はもう一度博をにらんでから車を走らせた。


 博が公民館に着いた時には、昨日の少女はもう来ていた。博が近づいていくと、少女はうれしそうに会釈した。
「お祖母さんに会えないかな。話を聞きたいんだけど」
「昨日の話ですか」
「うん」
「もう三年前に死んじゃったんです」
「そうなのか……」
「でも、わたしも詳しいんですよ」
 博は図書室を見回した。いつまでもここで話しているわけにはいかない。
「じゃあ、ちょっとロビーで聞かせてもらえないかな。ジュースぐらいおごるよ」
 少女は荷物を置いてついてきた。
「コーラでいいかな」
「ウーロン茶にしてください。コーラはカロリーが高いから」
 博はウーロン茶を二本買うと、一本を少女に渡し、
「昨日もきいたけど、片目や片足の妖怪の話はないかな。片目の魚でもいいんだけど」
と言って、ノートを広げた。
「そういうのは聞いたことはありません」
「じゃ、比良坂神社にまつわる話は」
「ありますけど……」
 そう言って少女は辺りを見回した。
「あまり人に言っちゃいけないって言われてるんです」
「理由は」
「この町に災いが起きるからって」
「おおまかなところでいいんだけど」
 少女はウーロン茶を一口飲み、少し考えて話し始めた。
「迷信ですよね、きっと」
「でも、タブーというのは、それをタブーと思っている人にとっては意味のあることだから、無理に話してくれなくてもいいよ」
「大丈夫です。それに、わたしもそんなに詳しくきいたわけじゃないし。比良坂神社の裏の崖に大きな岩がありますよね。行ってみましたか」
「うん、見た」
「あそこから化け物が出てきたことがあるって言うんです」
「いつ頃かな」
「江戸時代の初め頃だって。でも、そう言われているだけで、証拠はないんです」
 博は黙ってノートに内容を書き付けた。少女はそれを見て話を続けた。
「それで、その時、その化け物を退治してくれた人がいて……」
「出てきた化け物を退治した、と」
「それが、出てきたんじゃなくて、出てくる前にその人が中に入っていって防いだのが本当らしいっていう話もあるそうです」
「その人の名前は」
「あの、それが、剛くんの……、坂本くんの……」
 その時、後ろから、低く抑えた声がした。
「何の話をしているんだ」
 博と少女が振り返ると、快彦が立っていた。
「坂本がどうしたって」
 快彦が少女をにらむと、少女は、
「ごめんなさい」
と言って図書室へ逃げていった。博が立ち上がると、快彦は、
「なんでそうやってうちのことを嗅ぎ回るんだよ」
と言って博をにらんだ。
「わたしの後をつけていたんですか」
「ここに入った時からずっと見てたよ」
「話を聞かせていただけませんか」
「話すことなんかねえよ」
 そう言うと、快彦は立ち去ったが、快彦が去り際につぶやいた言葉がいつまでも博の耳に残った。
「こっちは命がかかってるんだ……」

 准一は川岸の岩の上に寝そべっていた。
 近づいてくる足音が聞こえたが、目を閉じたままでいると、
「相変わらず、口を開けて寝てるな」
という声が聞こえた。
「寝とらん。何の用や、剛くん。呼び出しといて遅れたらあかんよ」
 准一はそう言って体を起こし、剛の方に向き直った。剛の隣には健が立っている。
「わかるだろ」
「わからん」
「あの男のことだよ」
「博さんか」
「いろいろ俺の家のことを調べ回ってるらしい」
「だいぶ興味を持っとるらしいで」
「迷惑だ」
「でも、博さんは剛くんたちの役に立ちたいと思うとるんや」
「どう役に立つんだよ」
 准一は川の方に体を向けた。その隣に剛、剛の隣に健が腰を下ろす。
「こないだ、剛くんと健くんがここで話しとったな」
「ああ」
「俺に聞かれとんのがわかっとって話しとった」
「……そうだ」
「ほんとは助けて欲しい、思うとんのやないか」
「助けなんかいらない。冗談じゃない」
「なんか、家のことっちゅうか、進路のことっちゅうか、そういうことで悩んどるんやないのか」
 剛は近くにあった小石を川に投げ入れ、
「悩んでなんかいないさ」
と、吐き捨てるように言った。
「健くんはどうなん」
 尋ねられて、健が口を開いた。
「俺もこの町にいることに決めたから」
「決めたんやのうて、決められとんのやないのか」
「……」
 剛は健の方を向き、
「健はよそに行ってもいいんだ」
と言ったが、健は剛の顔を見て首を振り、
「僕だけそういうことはできない」
とつぶやいた。
「だから、それは一体何が理由なんや。俺にも教えてくれ」
「准一には理解できないよ」
 健が言うと、剛がそれに言葉を続けた。
「准一は俺たちのような家には生まれなかったから」
 准一はキッとなって立ち上がり、剛の方に体を向けた。
「何やそれは。生まれた家がどうかで何もかも決まるような言い方やな」
「人によってはそうだろ」
「確かにそういう部分はある。俺かて、おとうが生きとったら、この町には来いへんかったやろし、もっと違う人生があったはずや。でもな、生まれた家だけが問題なんか」
 剛は黙り、健が答えた。
「人によってはそうなんだよ」
「ええか、生まれた家が何だろうが、剛くんは剛くん、健くんは健くんや。血筋やらなんやら、そないなものは関係ないっ」
「そうあって欲しいよ」
 健がそう言うと、剛が健に言った。
「健はそうしていいんだよ」
 健は首を振って立ち上がった。剛も立ち上がると、准一に向かって、
「今揺れてるのが分かるか」
と尋ねた。准一は首を横に振った。
「俺と健には分かるんだ。俺の兄貴たちにも。でもお前には感じられない。そういうふうに生まれてこなかったから」
「一体どういうことなんや、教えてくれ」
「だんだん強くなってきてる」
 健がつぶやいた。
 剛は、じっと准一の目を見ると、
「うまく教えられないんだ。でも、准一、お前には俺たちのことを分かって欲しいんだ」
と言い残し、健と並んで去っていった。残された准一は、
「その『たち』には俺は入ってないんか……」
とつぶやいた。

 昼食後、博はまた比良坂神社へ行った。裏に回ると、今度は昌行と快彦がいた。快彦は博に気付くと、じろりとにらんだ。
 博は一瞬足を止めたが、敢えてそばへ寄って声をかけた。
「気になりますか」
 昌行と快彦はちらっと博を見たが、すぐに岩に視線を戻した。博は言葉を続けた。
「その岩が。いや、その岩の向こうが」
 昌行は博の方へ体を向けた。快彦は岩を見たままだった。
「何が言いたいんだ」
 昌行の目は冷たい色を浮かべていた。博はできるだけ穏やかな語調で、
「お役に立てることはありませんか」
と言ったが、昌行は鼻で笑い、
「俺たちのことに首を突っ込むな」
と言った。快彦も博の方を向き、口を開いた。
「いい加減にしないと、やっかいなことになるぜ」
 博はしばらく思案していたが、思い切って言ってみた。
「もう、人の犠牲になることはないでしょう」
 昌行は博の方へ一歩踏み出した。
「どういう意味だ」
 博は一歩下がりながら、
「坂本というのは、黄泉比良坂の坂本……」
「出ていけ」
 昌行は最後までは言わせなかった。
「この町から出ていけ。できるだけ早く。それがあんたのためだ」
 快彦は、コルセットで固められた首でかすかに頷いて見せた。

 夕食をとりながら、博は准一の家族に言った。
「いろいろお世話になりましたけど、明日帰ります」
「何でや。何も分かっとらんやろ」
 准一は驚いたようだったが、母親は安堵したようだった。
「博さんもいろいろ忙しいんでしょ」
「そうなんか?」
「まあ、そう暇なわけではない。それよりも、このままいると人の家のことにどんどん首を突っ込まなくちゃならなくなりそうだから」
「剛くんと健くんのことか」
「うん。これ以上話を聞いて回るのは迷惑だと思うんだ」
「そうか……」
「で、今まで調べて出た結論を、後で皆さんに聞いてもらいたいんです」

(続く)