第9回

 井ノ原邸。
 大きく門が開かれている。石畳の上を門の中へすべりこんでいく井ノ原のポルシェ。

 「お帰りなさいませ」
 どっしりした玄関を井ノ原と剛が入ると、そこにはすでに家政婦(配役・原知佐子。隼人のおばあちゃんね)が出迎えていて、にこやかにふたりを迎える。
 「原さん、ただいま。父さんまだいる?」
 「いらっしゃいますよ。お部屋でございます」
 「そう」
 井ノ原が靴を脱ぐと、原が言いにくそうに続ける。
 「……それと、奥に、まりこ奥様がみえておられます」
 「おばさんが……」
 井ノ原はちょっと顔を曇らすが、自分を見る剛の顔に気づき、すぐにまた元通りに元気な顔になって原に言う。
 「わかった。とにかくすぐ父さんのところに顔を出すから」
 そう言って家の中に入ると、井ノ原はもう一度原を振り向き、ちらっと剛に目をやりながら、内緒話めかして言う。
 「原さん、ホントはまだ内緒なんだけど、実はこの人がオレの結婚しようとしてる人。森田くんて言うんだ」
 原と呼ばれた家政婦は驚いたようすも見せず、にこやかに剛に頭を下げる。あわてて剛も頭を下げる。原の方が声をかけてくる。
 「こちらで家政婦をしております原です。よろしくお願いします」
 「よ、よろしくお願いします……」
 「どう? かわいい人でしょ」
 と、井ノ原が原にささやく。原は笑顔で答える。
 「それはもう、坊ちゃんのお決めになった方ですから……」
 「森田くんがこのうちにいっしょに住むことになったら、原さんもいろいろよろしくね」
 「もちろんでございます」
 原の返事に井ノ原は満足したようす。
 「さ、じゃ、行こうか」
 井ノ原は剛の背中を押すように廊下を歩き始める。

 どこもかしこも柱が太い。長い年月磨かれた柱は黒光りして、白い壁が余計に映える。洋風と和風が混ざり合った建築で、一目で歴史を感じさせる。剛はきょろきょろとそんな屋敷の中を見回す。とても自分がこの屋敷に住むようになるとは考えられない。
 森田の家は、そう新しくはないが今風の造りだし、長野の家と来たら、古いと言えば古いのかもしれないが、こういう、重みを感じさせる古さではない。ぼろと言った方が早いだろう。
 よく磨かれた広いドアをノックし、井ノ原は中に声をかける。
 「父さん? いる?」
 「いるよ」
 中から父親の声が聞こえて、井ノ原は剛を振り返るとうなずいて見せ、ドアを開ける。
 「ああ、いらっしゃい」
 剛が中にはいると、大きな机に向かって書類に眼を通していたらしい、井ノ原の父、雅彦が、顔をあげてこちらを見ている。
 「お久しぶりです……」
 剛は固くなって挨拶する。
 「父と母からくれぐれもよろしくと……」
 だがそこで、雅彦は、笑顔で大きな手を横に振った。
 「ああ、そんなのはいいからいいから」
 「それと、あの、お約束の先週に来られなくて申し訳ありませんでした」
 「誰か急にお亡くなりになったそうだね。そんなこと、君が気にしなくてかまわんよ」
 「……」
 剛が言葉に詰まると、雅彦は気さくに言う。
 「君は、そのうちわれわれの家族になってくれる人なんだから、細かなことを気にしなくていいんだよ。ただ、今日はわたしは用事が入ってしまってね。ゆっくり君たちといっしょにいられないのが残念だが」
 「そうですか……」
 「それより、わたしは君に礼を言わなきゃならん。……うちのひとり息子はなかなか家に居着かないで遊びまくってたんだが、この頃妙にまじめになってね。どうやら、君と結婚することがたいへん励みになっているらしいよ」
 「父さん!」
 あわてて井ノ原が口を挟むと、雅彦は大声で笑う。
 「まあ、いいじゃないか。だいたい、以前は説教されるのがいやで私から逃げ回っていたのに、今は君が来るからうちにいてくれとうるさいんだからな」
 「……」
 井ノ原照れ隠しらしくむっと黙る。その顔をおかしそうに見てから、雅彦は時計を見上げた。
 「こんな時間か。そろそろ出なきゃならないな。……まあ、ゆっくりしていってくれたまえ」
 そう言って立ち上がると、雅彦は思いだしたように井ノ原に向かって小声で言う。
 「そうだ、快彦。今日は奥にあれたちが来てるから……」
 「知ってます。原さんから聞きました」
 井ノ原も小声でそう答えたとき、突然ノックの音が響いた。
 「どうぞ」
 雅彦が大声で答える。
 「お客様がいらしてるんですって?」
 そう言いながら入って来たのは、雅彦の妹、井ノ原の叔母にあたる、段田まりこだった。(配役・加賀まりこ)
 「……あら。お客様ってこちら?」
 めざとく剛を見つけると、まりこはじろっと剛をにらむ。剛がどう返事していいかわからず、とまどって黙っていると、井ノ原がまりこに言い返した。
 「叔母さん、勝手にこんなところまで来ないで下さいよ」
 「ああら、ご挨拶ね。お客様だって言うからご紹介いただこうと思って私の方からやってきたって言うのに。ね、兄さん、私にもお客様をご紹介下さいな」
 まりこは、人のよさそうな声を作って雅彦に頼む。
 「おばさんには関係ありませんよ」
 井ノ原がおこったように言うと、まりこは井ノ原に向き直った。
 「快彦。わたしは兄さんに言ってるんだからあなたこそ黙っててちょうだい。だいたいあなたはわたしの顔を見ると突っかかるけど、なにかわたしのことを誤解してるんじゃないの?」
 「俺は誤解なんかしてませんよ」
 井ノ原とまりこがにらみあうのを止めるように、雅彦がふたりの間で両手を広げた。
 「まあまあ、いいじゃないか。森田くんがとまどってるよ」
 「……あ」
 そう言われて、井ノ原は黙る。
 「まりこ、言われなくてもそのうちちゃんと紹介しようと思っていたんだよ。こちらは、快彦の友人の森田くんだ」
 「まあ。お友達?」
 まりこに疑うように言われて、雅彦はごほんと咳払いをする。
 「まあ、ちょっと特別な友人だ。……実は、快彦は年明けに森田くんと婚約する運びなんだ」
 「! 婚約……!」
 まりこは一瞬驚いた顔を隠せなかったが、次の瞬間には、もう、満面の笑みを浮かべている。
 「それはおめでたいわあ。そんなこと、もっと早く教えて下さらなくちゃあ」
 「そういうわけですから、叔母さん」
 井ノ原が冷たい声を出す。
 「紗英ちゃんのことは、はっきりお断りしますよ」
 「あらやだ。快彦、紗英のこと、そんなふうに思ってたの?」
 「思ってたもなにも。紗英ちゃんとの結婚話を押しつけてきたのは叔母さんじゃないですか」
 「違うわよ。そりゃあ、紗英は段田の姪で、私は実の娘同様にかわいがっているけど、あなたと結婚させようとなんかしてないわ。周りの人が、勝手にそう思いこんであなたに言いふらしたんだわ」
 「……」
 「紗英はおとなしい娘だから、井ノ原家に嫁ぐなんて考えもしてないわ。あなたを兄のように思ってるだけよ。そんなふうに言ったら紗英が傷つくわよ。だいたい、」
 まりこは片眉をあげて快彦を見る。
 「あの子、今だって、そこにいるのに」
 まりこの言葉に驚いて、一同はまりこの視線の先を見る。するとまりこの言うとおり、ドアの陰の廊下に、おずおずと立ったままの若い娘がいる。
 「……紗英ちゃん……」
 井ノ原が、小さくとがめるような声を出す。
 「紗英、そんなところにいないで入ってらっしゃい」
 「おばさん、紗英ちゃんがいるならいると……」
 「なに言ってるの、勝手に自分でしゃべっといて」
 自分のことが話題になっていると言うのに、紗英はなにを考えているのかわからない表情でまりこのそばにやってくる。
 「わたしはね、快彦、あなたに、おとなしくて友達のいない紗英と親しくして欲しくて連れて来てるだけなのよ。それは、年頃がちょうどいいからって、余計な口を利く人がいたのは認めますけど」
 「……」
 「紗英だって、あなたと結婚するつもりなんてなんにもないのに、全くひどい誤解だわ」
 まりこがここまで一気にしゃべったところで、原が部屋に顔をのぞかせた。
 「旦那様、お車が見えてます」
 「ああ、わかった」
 「みなさまにはお茶の用意ができておりますので、どうぞあちらに……」
 「ありがと。じゃあ、行きましょうか」
 そう言ってもう歩き出すまりこ。

 人数が少ないので、原がお茶を用意したのは広間ではなく、こじんまりしたレストルーム。それでも重々しい調度品にかこまれ、剛はなんだか落ち着かない。
 「森田さん、お砂糖は?」
 「いりません」
 「では、どうぞ」
 原は剛に笑顔で紅茶の入ったカップを手渡してくれる。受け取って一口飲んで、剛は少し落ち着く。
 「紗英さん、どうぞ」
  原は次に紗英にもカップを渡す。紗英は頭だけ下げて紅茶を受け取ると、誰に見られているわけでもないのに、おどおどと辺りをうかがいながらそれを口にした。まりこはそんな紗英を横目で見ると、ちっと舌打ちをしたそうな顔をする。
 原はそんなまりこの様子をちらっと見るが、そのまま部屋を出ていく。
 原が去ると、まりこは急に機嫌のいい笑顔を作って、剛に向き直った。
 「さあ、やっとゆっくりお話できるわね。……森田くん、でよろしかったかしら」
 「はい」
 「お若そうだから学生さんかしら?」
 「いえ。保育園で保父をしています」
 「んまあ」
 まりこはさも驚いたというように目を見開く。
 「保父さんなの。それが、どうして快彦とお知り合いになったのかしら」    
 「それは……」
 「遊び友達? 快彦は仕事より遊ぶ方が忙しいみたいだから」
 「そんなことありませんよ!」
 ムキになる井ノ原。
 「そうかしらあ?」
 快彦を井ノ原を横目で見てまりこが言う。
 「あなた、お金だけはたっぷりあるから、いつもお金目当ての取り巻きがあなたにくっついてるじゃない」
 「それは……、そんな時期もあったけど、今は違いますよ。……だいたい、剛くんは金目当てなんかじゃありません。剛くんのお父さんはちゃんとした……、東光興産の専務でらっしゃるし……」
 「ま。……東光興産の?」
 まりこがきらっと目を光らせる。それに気づいて、井ノ原は咳払いをしてごまかす。
 「いいじゃないですか、そんなことどうだって」
 「あら。気になるわよ。わたしはあなたの叔母ですもの。あなたの結婚相手のことならいろいろ知りたいわ」
 「叔母ったって」
 と口をとがらせる快彦。
 「ずっとうちには寄りつかないで暮らしてたのに、段田さんと再婚してから急によく来るんじゃありませんか」
 まりこはぎろっと快彦をにらむ。
 「だから? あなた、なにが言いたいの?」
 「いえ。別に」
 「あなたときたら、人のくちさがない噂をすぐに信じるのね。確かにあたしは長い間勝手気ままに暮らしたわ。でも、段田と出会ってからは、変わったのよ。あの人は年下だけど、立派な男よ。東京で勉強させるために、姪の紗英を引き取ったりしてるのを見ればわかるでしょ。子供のないあたしたちには、紗英と快彦が子供代わりなのよ。血はつながっていないとはいえ、いとこ同士として仲良くして欲しいという気持ちだったのに、……それすら誤解されるなんて……」
 まりこは声を震わせ、わざとらしくハンカチを目に当てる。
 「そんな……。子供代わりなんて、気安く言わないで下さいよ」
 井ノ原は、迷惑そうにそう言いながらも、まりこの泣きまねに負けてしぶしぶ謝る。
 「わかりました。俺がなにが誤解してたんだったら、謝ります。でも」
 まりこはハンカチの陰からちらっと井ノ原を見る。
 「とにかく、俺は森田くんと結婚するんですから。それについてはいくら叔母さんがなんと言っても聞きませんよ」
 「あたりまえじゃないの」
 まりこは泣きまねをやめ、にっこりとほほえむ。
 「あたしがあなたの幸せを応援しないとでも思ってるの? このごろでもまだ、男の人同士の結婚を色眼鏡で見る人がいるけど、あたしはそんなことないわ。快彦が選んだ方ですもの、いい方に決まってる」
 まりこはこれ以上ない笑顔で、剛に言う。
 「森田くん、快彦をよろしくね」
 「は、はい」
 まりこはほほえんでいるが、なんとなく剛はまりこがなにを考えているのかわからない。自分を見つめる瞳の奥に、とても冷たい光があるような気がする。井ノ原も、剛が緊張しているのを見て、腰を浮かす。
 「じゃあ、剛くん、家の中を案内するよ。行こうか」
 「あ、はい……」
 井ノ原は剛と部屋を出ようとしながら、表情もなくティーカップを口に運んでいる紗英を見て、もう一度部屋に戻ってくる。
 「紗英ちゃん!」
 井ノ原に声をかけられて、紗英はその無表情な顔をあげる。
 「さっきは、君がいるのに妙なことを言ってごめん」
 「……」
 「ただ、君もさ」
 「……」
 「もう少し、自分を持たなきゃだめだよ。いつもそうやって黙って叔母さんの陰にいるだけじゃ、誰も君を理解できないんだよ」
 紗英は返事をしないが、井ノ原はそんな紗英の顔を強く見つめると、あとはまた剛の元に戻り、ふたりはつれだって部屋を出ていく。そんなふたりの後ろ姿を見つめる紗英の瞳には、さっきまでと違う表情が浮かんでいる。

 さて、剛と井ノ原が去った客間では、まりこがさっきまでの笑顔とうって変わり、悔しそうに唇を噛みながら、ふたりが去ったドアをにらんでいる。
 「やっぱり、そうだったのね。紗英、あんたがしっかりしないから、快彦が男なんかと結婚するって言い出すのよ。あたしがこうやって連れてきてやっても、あなたときたらなにもできないでぼーっとしてるんだから」
 「……」
 「このままじゃ、あたしは貧乏桟敷。井ノ原家の財産はおおかたが快彦のものになってしまう。……そんなの許すわけには行かないわ。あたしのためにも、そして……」
 そう言いかけたとき、再びドアが開き、不機嫌そうな男の顔が現れる。男の顔を見て、急に甘えた声を出すまりこ。
 「あなたあ。……いついらしたの?」
 男は不機嫌なままどんどん部屋に入り、冷たい声を出す。
 「今、庭を歩いている快彦を見かけたが……、誰だ、いっしょにいたヤツは」
 「ああ、あれね。快彦の恋人らしいわ」
 「恋人?」
 男の目つきが鋭くなる。
 「快彦が男の子と結婚するらしいっていうのは、やっぱり本当だったのよ。兄さんがはっきり言ったわ。年が明けたらふたりは婚約するって」
 「ふん」
 男はバカにしたように鼻をならす。
 「男と結婚するとは、ドラ息子の考えそうなことだな」
 「しかも、あの子、東光興産の専務の息子なんですって」
 「……東光興産の……」
 「そうよ。兄さんたら、あたしがなんと言ってもあそことの取引を優先させて、あなたの会社から仕入れようとしないんですものね。頭にくるわ」
 「……」
 「快彦は紗英と結婚してくれなくっちゃ困るのよ。そのために紗英をわざわざ田舎から呼び寄せてやったのに。……ねえ、紗英」
 紗英は言葉もなくうつむく。
 「あなただって、井ノ原家の若夫人と呼ばれたいでしょ。もう、貧乏はいやよねえ」
 まりこの言葉に、男はますます不機嫌そうな声を出す。
 「紗英は俺の姪だ。おまえは俺の実家が貧しかったのをバカにする気か」
 「そんなこと」
 男の不興に、まりこは驚いて振り返る。そして男にしなだれかかりながら、
 「あなたをバカになんてしたことなんて、一度だってないわ。あなたはハンサムで頭がよくて、強引な男よ。女って、そういう男に一番弱いのよ」
 「……」
 「ねえ、安則。でも、あなたが、はるか年上のアタシと結婚したのは、何のためなの?」
 皮肉を込めたまりこの言葉にも、安則と呼ばれた男(配役・段田安則)は表情を変えない。冷たい声のまま言い放つ。
 「おまえは俺の理想の女だ。はじめて会ったときから、おまえは美しくてしたたかで金があって、とても俺の手の届く女じゃなかった。……だから、俺はおまえを手に入れたんだ」
 「……うふん……」
 段田の言葉にまんざらでもない様子のまりこ。段田は、そんなまりこの肩を抱きながら、なにごとかを思いめぐらせ、細めた目を光らせる。
 そんなふたりの傍らで、じっと窓の外をみつめる紗英。

 「ねーえ、どうだったあ」
 保育園の物置から、明日の餅つきのための杵と臼を取り出しながら、健が尋ねる。
 「なにが」
 と、答えるのは、剛。
 「だからあ。昨日、井ノ原さんちに行ったんだろ」
 「ああ、行ったよ」
 「それでさあ」
 言いにくそうに上目遣いで相手を見る健。
 「やばいことなかった?」
 間髪を入れず健の頭をひっぱたく剛。
 「てー。またすぐ人をはたく」
 「余計なこと言ってないでこれ運べよ」
 「重いよお。剛、そっち持ってよ」
 「やだ」
 「なんでえ」
 「おまえ今、妙なこと考えたろ」
 「考えてないよ」
 「いーや、考えた」
 「考えてないって」
 物置からいつものふたりの言い争いが聞こえ、あとから様子を見に来た准一は、開き戸の手前であきれたため息をつく。

(続く)


 どうも腹黒そうなキャラが登場しましたが、いったいなにが剛くんを待ち受けているのでしょうか!? (ううっ、わたしが教えて欲しい……)
 とりあえず次回まーくん登場……。

(1999.1.17)


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