第10回

 剛はさっさと先に自分のクラスに戻ってしまい、あとに残された健と准一が餅つきの道具を手入れしている。
 「岡田あ」
 健の力のない声。
 「どないしたん?」
 「ねえ、もう、これ、どうしようもないところまで来てるってこと?」
 「……なにが?」
 「なにがって」
 と、健のいらだたしげな声。
 「だから、剛の結婚だよ!」
 「あー」
 と言いながら、岡田は臼をきれいに布巾で拭きあげる。
 「そうなんちゃうか」
 「そ、そうなんちゃうかって、気楽に言うな!」
 「あぶないなあ。健くん杵をふりまわさんといて!」
 そこへ物珍しげにやってくる2,3人の子供たち。
 「せんせいたち、なにやってるの」
 「餅つきの用意してるんや。明日は餅つきやから」
 「わあい、おもち!」
 「そや。つきたてのお餅、おろしで食ったらうまいぞお」
 「違うだろ。餅はやっぱり安倍川だろ! ……って、餅の話なんかしてる場合じゃねー!」
 ぽかんと健を見る子供たち。准一はあわてて、
 「ほら、向こうで紙芝居やってるんやろ。見て来!」
 子供たちを追い立ててから、健を振り向く。
 「健くん、ちょっと落ち着きや……」
 「落ち着いてられっかよ、これが!」
 と健はまた杵を振り回す。
 「あぶないって!」
 「このごろは、剛と顔会わせればいつも口げんかになっちゃうし。剛がほんとにこのまま井ノ原さんと結婚しちゃったら俺、どうすりゃいいんだよー」
 「そう言えば、剛くんと井ノ原さん、来年になったら正式に婚約発表するらしいな」
 岡田がのんびりと言うが、それを聞いた健は血相を変える。
 「え! 岡田、どうして知ってんだよ、そんなこと」
 「俺がこっちで世話になってる伯父さん、井ノ原さんの会社の上の方の人と親しいんやって。それで聞いてきたらしいんや」
 「おまえ、どうしてそんな大事なこともっと早く俺に言わないんだよ!」
 健の剣幕に、岡田はあわてて、
 「だ、だって俺やって昨日聞いたんやもん……」
 健はがっくり肩を落とす。
 「……なんでだよお……」
 「……」
 「なんで剛、そういうこと俺にちゃんと教えてくれないんだよお」
 「……」
 「このままじゃやっぱり、剛、ほんとに井ノ原さんと結婚しちゃうんじゃん」
 「……」
 「そんなのやだよ、俺、絶対。岡田、俺、どうすればいいわけ? ねえ、どうしようーーー」
 健の泣き声が響くダリア保育園。   

 ブラインドが降りた、薄い闇の中。
 ベットの上でからみあう人影。女のあえぎ声。

 弱い冬の日が入ってくる安ホテルの一室。
 男がベットに座り込んだまま、たるそうにタバコに火をつける。女はそばで、下着を身につけている。
 「こないだあんたが拾った女の子、もうお店替わったんですってね」
 スカートのファスナーをあげて着替え終わった女が振り向いて皮肉っぽく言う。男と同じ歳くらいの、いかにも商売女らしい気の強そうな美人である。
 「全くしょうがないわね。なんか言ってやらなくっていいの?」
 「……」
 「ほんと言うとね、あたしも声かけられてるのよ、店、移らないかって」
 男は灰皿を取って、タバコをもみ消す。女はそれをしばらく見ているが、次に口を開いたときは、さっきまでと口調が変わっている。
 「……ねえ……」
 「……」
 「お金稼ぐ女の子がいなくなったら、あんたどうするつもりなの? なにもやる気ないくせに……」
 「……いいじゃねえか。ほっとけよ」
 男がやっと口を開く。それで、女は表情をやわらげる。
 「いいわよ」
 「……」
 「あたし、他の女がいない方が働く気するわ。あんたのこと食べさせるくらい、あたしひとりでじゅうぶんだもん」
 「……」
 男がちらっと横目で女の顔を見る。女は笑いながら顔を寄せて、男の唇の端にキスする。そして、唇を離すと、言う。
 「あんたったら、ほんとどうしようもないんだから。こんなんじゃヒモ稼業やってるとも言えないわよ。ときどきはお店に顔を出してよ。いやな客も来るんだから。ね?」
 男が無言でたばこをもみ消すのを見て、女は「しょうがないわね」と言う表情。
 「じゃあ、あたし、もう行くわね。このごろマネージャーが時間にうるさいのよ」
 サイドテーブルに幾ばくかの金を置いて女は部屋を出ていく。女が出ていくと、男は髪を掻き上げ、おもむろに手を伸ばして無表情に金を数える。男の名は、坂本昌行(配役・坂本昌行)。
 
 夜の繁華街。
 街を流れる車のヘッドライト。酔客の大声、水商売の女たちの嬌声。
 しかし、そんなにぎわいは街の表側だけ。裏側は、破れたゴミ袋が重なる、薄汚れたさびしい街である。
 そんなひとつのビルの裏階段を上る人影。それは、くたびれかけたスーツをだらしなく着た坂本である。
 人の通るところだけすり減った裏階段を上ると、坂本はおもむろに一番奥のドアに向かう。だが、ドアのノブに手をかけようとしたとき、ちょうどドアが開く。中から出て来たのは、いかにも柄の悪いヤクザふうの男。坂本に気がつくと、その男はにやりと下卑た笑顔を作る。
 「よう、色男。どうでえ、ナオンたちの稼ぎはよ」
 返事もせず、坂本はドアを開ける。うしろから嘲りの声が聞こえる。
 「すかしてやがるぜ」
 ドアの中に入ると、そこは、昔ながらの事務室のような作り。手前に白いカバーをつけたソファーのセット。一番奥に大きな机があり、そこに座っているのは、この辺りの顔役のひとり、八名(配役・八名信夫)。坂本が入ったのに気づき、八名が老眼鏡の顔を上げて、眼鏡を外す。
 「おう、来たか」
 「……なにか用ですか」
 「まあ、そこに座りな」
 坂本は、ズボンのポケットに手をつっこんだまま、手前のソファーに座る。
 「ちょいと用事を頼みたくてな」
 「面倒なことはいやですよ」
 「大丈夫、あぶねえことじゃねえ。ちょっとの間、かわい子ちゃんの相手をするだけだよ」
 「……」
 「……だが、誰でもいいってわけじゃねえ。見場がいい男でなきゃ話にならねえんだ。で、おめえさんを呼んだのよ」
 坂本がズボンのシワをのばしながら、つまらなさそうに尋ねる。
 「いくらかいただけるんですか」
 「おめえの女たちがいつも無事に仕事できるのは、誰のおかげかわかってるだろう」
 「……」
 「たいしたことじゃねえ。細かなことは全部こっちで用意する」
 「……。どうでもやらなきゃいけないみたいですね」
 「なかなかおもしろい仕事だぜ。ほら」
 八名が一枚のスナップ写真を坂本に渡す。
 「相手はその子だ。なかなかかわいいじゃねえか」
 「……。男の子ですか……」
 あまりはっきりしないその写真を興味なさそうに見る坂本。

 翌日、ダリア保育園。餅つきが終わったあと、全園児が集まって、わいわいとお餅を配ってもらっている。それも一段落ついた頃、タオルを頭に巻いたまま黙って餅を食べている剛のそばに、餅の皿を持った健が寄ってしゃべりかける。
 「ねえねえ。きなこ餅っておいしいよね」
 「……」
 「やっぱ、餅はつきたてだよねえ」
 「……」
 「剛、お餅つくのうまいね」
 「……。なに」
 「? なにって?」
 「なんかあやしいんだよ。急ににやにやしてしゃべりかけて」
 「なんだよそれ……」
 言いかけて、しかし健ははっとして機嫌を直し、また笑顔を作る。
 「……ねえ剛、もうすぐクリスマスだけど」
 「……」
 「今年のイブは友達と一緒に過ごさない?」
 「友達?」
 「うん。俺と岡田と剛と、あと、高校の頃の友達も呼んでさ。来年はもう、剛は友達となんか過ごせないかもしれないだろ。だから、みんなで俺の部屋でクリスマス会やろうよ」
 真剣に言う健。剛はふと箸を止め、そんな健の顔を見てから自分でも驚いたようにつぶやく。
 「そっかあ……」
 「? ん? なに?」
 「……来年のクリスマスは俺、井ノ原さんちにいるわけだ……」 
 健はぎょっとして、
 「そ、そうでもないかもしれないよ」
 「?」
 「なんでもない! じゃあ、クリスマス、いいよね!?」
 剛がなんとも返事をしないうちに、健はさっさと一人で決めて、剛のそばを離れる。
 「岡田岡田」
 子供たちに混じってお餅を食べている岡田にこっそり近づく健。
 「やったー。剛、クリスマス、いいみたい」
 「ほんま? ええのかな、井ノ原さんと過ごさなくて」
 「いいのいいの、そんなの。……今度こそ俺、びしっと決めるから」
 「……あ、ああ……」
 「岡田も協力頼むね」
 「うん……」
 不安顔の岡田をよそに、健はにこにこ顔でお餅にかぶりつく。

 お餅つきも終わり、保育園はどこの教室もクリスマスのかざりものでいっぱい。お遊戯室では子供たちが聖誕劇の練習。台本を片手にはりきって演出している健。背景を作っている剛と准一。

 夜。クリスマスらしく飾り付けられた街。街には、いつにもまして幸せそうによりそう恋人たちの姿が目立つ。
 そんな中に、健の姿。健は傍らを通り過ぎるカップルの姿など気にもとめない。華やかなリボンに彩られたショーウィンドウを熱心に見つめている。

 風俗店の並ぶ裏通り。坂本がけばけばしい立て看板の脇で足を止めてタバコに火をつける。ちょうど目の前の店から、坂本の女が客と連れだって出てくる。客と笑っていた女は、坂本に気がつくと、笑顔を消して坂本の方をふりむく。だが、タバコに火がつくと、坂本は女の方を見やることもなく、猥雑な人通りの中を歩き出す。

 レストラン。もちろんここもクリスマスムードがいっぱい。店の真ん中には大きなクリスマスツリーが立ち、窓越しには街の華やかな夜景。そんな窓際で、笑顔を見せながら食事している剛と井ノ原。
 「すげえおかしかった、あそこ」
 どうやらふたりはデートで映画でも見てきたあとらしい。剛が思い出したようにまた笑う。そんな剛の笑顔を、少しまぶしそうに見る井ノ原。
 「……どうしたんですか?」
 井ノ原がしゃべらないのにやっと気がつき、剛がちょっと不審そうな顔をして井ノ原を見る。
 「いや。……あさってはせっかくのクリスマスなのにさ」
 どうしてもグチってしまう井ノ原。
 「……。しかたないですよ。仕事なんだから……」
 「まあね……。婚約発表の前に、地方の事業所にも顔を見せとかなきゃいけないのは、俺もわかってるんだけどね。……でもさあ、この時期に何日も出張しろなんて、血も涙もないよね」
 「……」
 井ノ原がほんとうに悔しそうなのに比べ、話を聞いている剛の方は、クリスマスを井ノ原と過ごせないからと言って、さほど落胆しているようでもない。窓越しの街の夜景などを眺めている。それに気がつき、井ノ原は少し口調を変える。
 「……剛くんは、クリスマス、なにして過ごすの?」
 「ええと。保父仲間の友達がいっしょにクリスマス会やろうって言ってるから、たぶん、そこに」
 「ふうん。仲いいの」
 「え。まあ」
 「そのクリスマス会、剛くんの昔の恋人とか混じってないだろ?」
 「いませんよ、俺、そんなの」
 思わずきゃきゃっと笑う剛。剛は半分冗談としか聞いていない。井ノ原は黙ってそんな剛を見つめる。

 保育園のクリスマス会。
 健演出の聖誕劇は、ところどころセリフのまちがいがあったものの無事終了。それを見て、気がつかれないようにこっそり部屋を出る剛と准一。
 劇も終わり園児たちが輪になって歌を歌っていると……、現れたのは、サンタさんとトナカイ。大喜びの子供たち。サンタが子供達にプレゼントを配る。そのまわりをぴょんぴょんとびはねるトナカイ。
 
 暗くした部屋で、子供たちが「きよしこのよる」を歌っている。お遊戯室の裏手では、サンタに扮していた准一とトナカイだった剛が、大慌てで着替えている。そこに顔をのぞかせる健。
 「早く早く。子供たちにふたりがいないのばれちゃうよ」
 「わかってるって! 焦らせんなよ」
 
 夕方。満足そうな子供たちが、プレゼントを手に帰っていく。それを見送る剛に、健が上気した面もちで声をかける。
 「剛、じゃあ……、俺、先に帰るね」
 「ああ。お疲れさま」
 「剛、あがったら、俺んちに来てよ。ね」
 「うん。俺、9時までだから、おまえら先にはじめてていいから」
 「う、うん……」
 「そう言えば、今日、何人くらい来るの?」
 「え? あ、あの……、いろいろ声かけたんだけど、みんな約束があるみたいでさ」
 「そうだろうなあ」
 「俺と岡田と剛と……」
 「は? それだけ!?」
 「い、いや、あと2,3人は来ると……、思う」
 「……。ふう〜ん」
 健は、なにか気づかれたかな、という顔。だが剛は、別に気にしたふうもない。
 「じゃあ、俺はどっかでワインかなにか買ってくよ」
 「……わかった。待ってるね!」
 剛と別れ、玄関で上着をはおりながら、健はドキドキしてたまらないようす。
 「お疲れさまでーす」
 声をかけながら玄関にやって来た准一に気がついて、健はあわてて准一に飛びつく。
 「だめだろ岡田、そんな元気な声だしちゃ」
 「え? ああ、そうやったか」
 「そうやったかじゃないよ。おまえは風邪気味だからクリスマス会はパスってことにするんだから」
 「わかってるって」
 「ほかの奴らも全員パス。結局俺と剛だけのクリスマス」
 「最初からだれも誘ってないんやろ」
 准一の茶々など無視して健は続ける。
 「ふたりっきりでテーブルに向かい合ってさ。キャンドルの光のなかで、俺はついに告白するんだ。今まで言えなかったけど、ほんとは俺、ずーっと剛のこと好きだったんだって。剛、驚くかなあ……」
 「……」
 「あわてて結婚決めたこと、後悔しちゃうんじゃないかな。きっと言葉も出ないよね……。そしたら俺、やさしく言おう。「よく考えて。今ならまだ間に合うよ」って……。そしてふたりはみつめあい……。わーー! どうしよう、俺!! ……いいのかな、いいのかなあ、なあ、岡田、聞いてる!?」
 すっかり別世界の健に、准一は「やってられんわ」という顔。
 「まあ、……がんばってや……」
 「うん、ありがとう!」
 健の方は、夢いっぱいである。

 健の部屋。健はどうやらアパートに一人暮らしい。
 うきうきと用意をする健。
 「よし、飾り付け完成〜!」

 9時になり、保育園を出るためにヘルメットをかぶる剛。暗い空から雪がひとひら舞い落ちる。

 途中の酒屋でワインを選んでいる剛。酒屋さんもクリスマスムード。にぎやかにジングルベルが流れている。
 「2本くらいあればいいのかなあ」
 剛がレジにワインを出す。そのワインを包みながら、お店のおばさんが剛に言う。
 「どうぞ、そこの一つ持っていっていいですよ」
 おばさんが指さす先を見る剛。

 健の部屋。鼻歌で、やはりジングルベルを歌っている健。
 「あとはキャンドルをたてて……」

(続く)


 ひるねくらぶもカウント30000を越えることが出来ました。皆様いつもありがとうございます_(._.)_

 さて、「剛くんの結婚」のほうは、ついにまーくん登場……。でも、いいんでしょうか、こんなんで!?
 いったいこの先なにが起こるんでしょう。書いてる本人おろおろ。
 とまあ、いつも必死で先のストーリーを考えてますんで(^_^;)、これからもよろしくお願いしますね!

(1999.1.23)


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