第7回

 レストラン。天井が驚くほど高く、大理石の柱には凝った彫刻が施してある。一目で超高級なことが見て取れる。そんな一角に、食事をしている剛と井ノ原の姿がある。
テーブルに置かれたキャンドルの炎の揺らぎの中で、剛は料理を口に運びながらも、落ち着かないようすである。
 「どう? うまい?」
 そんな剛を見て、井ノ原が尋ねる。
 「あ、は、はい」
 「またあ。そう、固くならないでよ」
 「あ。……すみません」
 「だからあ」
 苦笑する井ノ原。
 「謝らないでいいの。……ねえ、聞いていい?」
 井ノ原が身を乗り出す。剛はびくっとして食べるのをやめる。
 「剛くん、俺のことどう思ってるの?」
 「……」
 剛は言葉に詰まる。 
 「俺って、そんなに話しにくい? ……何度会っても?」
 剛は多少引きながら、
 「そんなことないです。井ノ原さんやさしいし。ただ……」
 「ただ?」
 「最初会ったときは、おっかない職業の方かなあ、と思いましたけど」
 「ええ? 俺?」
 「はい」
 剛は、驚いた顔の井ノ原を見て、にやっと笑う。
 「うちの子供つかまえて、怒鳴ってたし」
 「ああ……」
 井ノ原は、その時のことをけろっと忘れていたらしい。
 「あの時ね。あの時のことはもう勘弁してよ」
 「はい」
 そう素直に答えながら、剛は今度は本当におかしそうに、満面の笑顔。井ノ原は下を向く。
 「そうだなあ。考えてみりゃ、あんなのが君との出会いなんだもんなあ。そのあといくらがんばっても、俺の印象なんて、いいわけねえよなあ……」
 「そんなことないですけど……」
 剛はあわてて言いつくろうが、井ノ原は半ば独り言のように続ける。
 「……俺さあ、あの時君に、子供が好きだなんて言ったけど、ほんとは子供なんて興味なかったんだよね。まあ、わかってるだろうけど」
 「……」
 「でもさあ、君、かわいいし、あのガキのことマジでかばっちゃって、それ、すごくいいなあって思って。あの時はそれでまあ、嘘言ったわけ。でも」
 「……」
 「君と会ってるうちに、俺も、子供ってかわいいなあって思うようになった」
 「へえ」
 「……。ほんと俺さ、話は聞いてるだろうけど……」
 井ノ原の表情がみるみる真剣になる。そんな井ノ原を怪訝げにみつめる剛。
 「……」
 「君のことマジで好きなんだ」
 ふたりの間に言葉がとぎれる。井ノ原はその先を今言おうかどうか少し迷っているようだったが、ついに思い切ったように口にした。
 「剛くん、どうかな? 俺と結婚してくれない?」
 「……」
 突然の井ノ原のプロポーズに、剛は言葉が出ない。
 「まだそんなにつきあってないけど、俺、自分の気持ちに自信あるよ。君となら、なんだってできる」
 井ノ原が顔をあげる。その代わりのように剛はうつむく。
 「親父も、この頃俺が何にでもやる気を見せてきたって誉めてくれてる。君と会うと思うと、なんでもやれる気になるんだ。今までは確かに、親の威を借りたドラ息子だったんだけどね……」
 しばらくの間、二人の間に沈黙が続く。店の中に流れる、ごく静かな音楽。それと、他のテーブルの食器のたてる小さな音。
 「あの……」
 やっと剛が、思い切って口を開く。
 「もし俺が井ノ原さんと結婚するとして……、俺が保父を続けることは、かまわないでしょうか」
 「保父?」
 「俺、できればずっとダリア保育園で働き続けたいんです」
 井ノ原は、笑顔で答える。
 「いいよ、もちろん」
 そう言われても、まだ剛は井ノ原を見ている。
 「続けてよ、保父さん」
 井ノ原の口調はやさしい。剛は、またうつむいて考える。そんな剛を見つめる井ノ原。しばらくして顔をあげた剛は、決心した顔である。
 「……わかりました」
 「……」
 「俺でよければ、結婚して下さい」
 「ほんと!?」
 井ノ原は思わず立ち上がり、剛の手を両手で握って大声を出す。
 「ほんとにいいの!!??」
 ちょうど二人の脇を通っていたボーイが、何事かと驚いてこちらを見る。井ノ原はそんなことはちっとも気にしないが、剛は恥ずかしくなって手を引っ込め、あわててあたりを見回す。

 剛の家。
 剛を送ってきたらしい井ノ原が、玄関に剛と並んで立っている。それを迎える良枝と敬三。井ノ原が、やや照れくさそうにふたりになにかを話している。その隣で剛はむずかしい顔をして、しきりに自分の靴のつま先を見ている。井ノ原の話を聞いた良枝の、驚きと喜びの表情。敬三は、無表情を装っているが、やはりほんとうはうれしいようだ。良枝が井ノ原を強引になかに招き入れる。剛のことを振り返りながら、客間に入る井ノ原。剛は最後に、ゆっくりと玄関をあがる。

 「結婚決めたって〜〜〜!!!」
 ダリア保育園の一角からとんでもない声が聞こえる。
 もちろん、ここは保父3人のたまり場。そして今は昼休み。
 剛はこれ以上つまらないことはない、と言う顔でコーヒーカップをスプーンでぐるぐるとかき混ぜながら、不機嫌に言い放つ。
 「そんなでけー声出すなよ。だからやなんだよ、おまえたちに言うの」
 「そんな、だって、結婚なんて……」
 健は半泣き。
 「剛、ひどいよ。俺たち親友だろ。なんで決める前に俺に一言相談……」
 「特に、健」
 剛がぎろっと健をにらむ。
 「おまえに言うのがやなの。つまんないことでぎゃーぎゃー騒ぐから」
 「ひでー……」
 剛の冷たい言葉に、健は机に突っ伏して本泣きモード。
 「でも、剛くん、それでええん?」
 冷静に尋ねるのは准一。
 「結婚て、ほんまに大切なことやで。お父さんやお母さんへの気兼ねなんかで決めたら、あとで後悔するんと違うか」
 「別に、親に気兼ねして決めたわけじゃないよ。井ノ原さん、いい人だから」
 「ほんま?」
 「……うん」
 「ならええけど……」
 「よくねーー!」
 健が泣き顔をあげて怒鳴る。
 「剛、ひどいよ。俺がマモル見つけたとき、剛、俺にありがとうって言ってくれたじゃん」
 「……はあ?」
 「俺たち、高校で同じクラスになってから、ずっと一緒だろ。俺、これからだってずーーっと剛と一緒だって信じてたのに……」
 「なに言ってんの、おまえ」
 もともと機嫌の悪かった剛の表情が、ますます険悪になる。
 「おまえらが親友だと思えばこそ、俺、こうして一番に報告したんじゃん。それに、俺、結婚したってずっとここで働くよ。それが結婚の、たったひとつの条件だもん。話を最後まで聞きもしないで、人を裏切り者みたく言うなよ」
 「だって、ここで働くったって、剛、結婚しちゃうんだろ……」
 「だあっ。それとこれとは別だろ」
 「全然別じゃないよ!」
 「もう、おめーの言うことはワケわかんねえ……!」
 剛がキレかけたところで、珍しく、休憩室のドアをノックする音が聞こえた。
 ノックの音がしたと思うと、返事もしないうちにドアが開かれる。ドアの向こうには、眉をひそめた園長の顔が見えた。
 「ごめんなさいね、休憩中」
 「園長? なにかあったんですか!?」
 園長の表情になにかを感じて、3人は口々に尋ねる。
 「それがね、今、園長室にマモルくんのお母さんが見えてるの」
 園長は困惑した口調である。
 「で、いろいろとお話を伺ってたんだけど……、担当の森田先生にも一緒に聞いてもらった方がいいと思って」
 「……はい」
 剛は立ち上がる。
 「あの……」
 後ろから健が口を挟む。
 「俺たちも行っていいですか?」
 「ええ。……いいわ」

 園長室。
来客用のイスに腰掛けているのは、やつれた表情のマモルの母親である。
 剛は、軽く頭を下げながら、園長の隣に腰掛ける。健と准一は遠慮して、後ろの方に立っている。
 「お待たせしてごめんなさい。でも、この話はやっぱり森田先生にも聞いてもらわないと」
 園長が母親に言う。母親は、はい、と小さく返事をする。
 「まあ、森田先生が聞いたからどうってことはないんですけどね。……でも、やはり、先生たちは園の子供たちをお母さん同様にかわいがっているわけですし。みんな納得して送り出してあげたいんです」
 「送り出す……?」
 いったいなんのことなのかとあれこれ考えを巡らせていた剛は、園長の言葉に驚いて、口に出した。
 「送り出すって……、なんのことですか」
 「あのね、森田先生」
 剛の隣に座っていた園長が体をずらし、剛に向き合うようにして、言った。
 「マモルくん、園をやめるんですって」
 「やめる……」
 「ええ」
 「引っ越しでもなさるんですか」
 剛が尋ねると、母親は、困ったように顔を伏せて、答えない。その代わりに、園長が言った。
 「そうではないの。あのね、お母様は……、マモルくんをご養子に出されるんですって」
 「え……」
 予想外の話に、剛はしばし言葉が出ない。
 「今度のおうちは岡山なんですって。もう、それが、マモルくん、明日行っちゃうんだそうよ……」
 園長も、それ以上、なんと言っていいかわからない様子である。
 「明日……」
 剛は、今日のマモルの様子を思い浮かべる。この頃どちらかと言えばおとなしくなったマモルは、しかし、特に変わったこともなく、今はみんなと昼寝をしているはずだ。
 「マモルは……、そのこと、ちゃんとわかってるんですか?」
 半ば詰問するように、剛は母親に尋ねた。
 「相手の方に、なついてるんですか?」
 母親は、首を横に振った。
 「いえ、まだ……、2,3回会ったことがあるだけなんです……」
 「そんな……。それで、自分がお母さんから離れるって、わかってるんですか?」
 「いえ。まだ知らないと思います」
 うつむいた母親の答えに、剛は言葉をなくした。後ろで聞いている健と准一も、驚きで黙ったままだ。
 全員が黙ると、母親はうつむいたまま、肩をふるわせた。
 「あの子のためなんです。わたしだって、悩みました」
 それはそうなのだろうと思う。しかし、どうしても剛はそのまま黙っていられなかった。
 「でも……、どうしてもっと早く保育園に相談してくれなかったんですか。そうしたらなにか……」
 「相談? 先生たちに相談したって、なにが変わるって言うんですか?」
 母親は、赤い目をしたまま、急に顔をあげた。
 「わたしだって、あの人が残した店をつぶしたくないと思って、必死にやったんです」
 「……」
 「でもやはり、商売のことがわからない女では、無理があったんです。店も、先日たたみました。……結局、借金だけが残ってしまって……」
 「……」
 「保育園が終わった後も、マモルにご飯だけ食べさせてから、別の仕事にでかけてました。マモルと口を利く時間もなくて……、マモルが保育園で荒れていると言われても、どうしようもなかったんです」
 「……」
 「やっとわかってくれたのか、この頃はマモルもおとなしくなってきてはいたんですけど……、親戚の者が私を見かねて、子供を捜している遠縁のご夫婦を紹介してくれたんです」
 母親の話に、誰も口を挟めない。
 「いい方たちなんです。もう五十近くになられるのに、子供がいなくて、どうしても子供が欲しいそうなんです。でも、全く知らない子供は嫌だと言うことで、ほんの少しでも血のつながりのあるマモルなら、と言って下さったんです」
 「でも、それでもやはり、マモルくんによく言ってからでないと、もし、養子に行ってからお互いがなじめなかったら……」
 「子供なんて、はじめはどうしても慣れないものなんじゃないでしょうか」
 「……」
 「でも、じきに忘れてしまいます。まだ四つの子にあれこれ話して悩ませるより、思い切って大人が決めてしまった方がいいんじゃないでしょうか。だって、……どう考えても……、私といるより、あちらに行った方が、マモルのためにいいに決まってます……!」
 母親が、両手を握りしめて黙った。
 園長が、深いため息をつく。うしろで聞いていた健と准一もうつむいたまま声が出ない。剛は、おこったように表情を固くしてじっとうつむく母親の姿を見ていた。

 園長とマモルの母親を残して、3人は園長室を出た。そろそろ子供たちが起きる時間だ。3人ともあれこれと考えていて、無言で廊下を歩く。
 「ねえ、剛」
 しんみりした声で、健が声をかける。
 剛は黙ってマモルのことを考えていたようだが、健に声をかけられて、なにげなく返事をする。
 「なに、健……」
 「あのさあ」
 健が必死な顔で言う。
 「結婚決めたの、やっぱちょっと早まってない?」
 その言葉を聞いて、廊下を歩く剛の足が止まった。そんな剛の顔をのぞき込みながら健は続ける。
 「ね。もっとよく考えてからの方がいいよ、絶対」
 「健」
 剛が、振り返りもせず、言う。
 「……当分、俺にしゃべりかけんな」
 「……ええ……?」
 立ちつくす健。剛はそのままどんどん歩き去る。
 「なんだよあれ、おい、岡田、今のどういうこと……!?」
 「間が悪いわ、健くん。剛くん今、マモルくんのことで頭がいっぱいなの、わからんの……?」
 あきれ顔の准一。

 翌日。
 子供たちの世話をしながらも、剛はしきりに時計を気にしている。昼前になって、剛は園長室に声をかける。
 「園長。じゃ、ちょっと行ってきます」
 机に向かっていた園長も、その声に顔をあげ、時計を見る。
 「あら、もうこんな時間。それじゃあ森田先生、よろしくお願いしますね」
 「はい」
 「あとはあたしが見ておきますから大丈夫」
 「お願いします!」
 園長室を出た剛は急いで靴を履き替え、大きな紙袋をかかえて玄関から駆け出して行く。
 健は、そんな剛の姿を見かけて、園長室からでてきた園長に尋ねる。
 「あ、園長。どこ行ったんですか、剛」  
 「あら、三宅くん、知らなかった?」
 「はあ」
 「マモルくん、お昼の急行で岡山に立つんですって。それで、ダリア保育園を代表して、森田先生にお見送りに行ってもらうことにしたの」
 「……」
 心配そうに続ける園長。
 「マモルくん、向こうでうまくいけばいいんだけど……」
 もう一度剛が去った方を見送る健。

 駅。剛が階段を駆け降りて左右を見回す。捜す間もなく、ホームの売店の前に立つマモルと母親の後ろ姿が見える。
 「マモル!」
 剛の声に振り向くマモル。母親も振り向く。だが母親は、剛だと気がつくと、少し迷惑そうな表情。剛は息を切らせてふたりに駆け寄る。
 マモルはよそゆきを着て、自分のリュックを背負っている。
 「かっこいいなあ、マモル」
 駆け寄った剛はまずそう言ってマモルの頭をなで、それから笑顔でマモルの隣にしゃがみこんだ。
 「これ、マモルに渡したくて持ってきたんだ」
 そう言うと剛は、持っていた紙袋からごそごそとなにかを取り出した。
 「ほらこれ、今日、ダリア保育園のみんながマモルにって描いたんだ。見てごらん、ユージやななの描いたのもあるよ」
 じっと手渡された画用紙の束を見つめるマモル。
 「おまえ、ユージとよく喧嘩してたけど、マモルが保育園をやめるって言ったら、ユージが一番泣いちゃってさあ。……あ」
 余計なことを言ってしまったと思って、剛はマモルの母親の顔を見る。母親は、やはり、迷惑そうに黙ってこちらを見ている。
 「いや、……ちょっと泣いたけど、すぐ、元気になったよ。だって、どこに行ったって、マモルはみんなの友達だもんな。みんなも手紙書くって。先生も書くよ。マモルも、書いてくれる?」
 「……これ、お砂場」
 マモルは、絵を指さす。
 「そう。よくおまえ砂のかけっこして俺におこられたよな」
 「これ、……ぼく?」
 「そう。これ、ユージが描いたんだよ。マモルにそっくりだなあ」
 「これ、もりたせんせい」
 「そう」
 剛は笑う。
 「ちょんまげしてるせんせいだから、俺みたい」
 「さ、マモル、そろそろ列車が来るわよ」
 話を中断させるように母親が言った。
 「先生にありがとうございましたって。それから、さよならって。ね?」
 マモルは、うつむく。園の中でのマモルと全く違う。大人びたような、あきらめたような顔である。剛は胸が詰まる。
 列車の姿が見えて来たと思うと、列車はどんどん近づいて、3人の脇を風を起こしながら通り、しばらくして止まった。ぷしゅっと音がしてドアが開き、中から2,3人、乗客が降りてきた。
 「さ、マモル」
 母親がマモルの手をつかもうとした。その時、突然マモルが叫んだ。
 「やだっ」
 マモルは母親の手を払いのけると、剛に抱きついた。
 「行きたくない、せんせいっ」
 「マモル……」
 「マモル!?」
 あわてた母親が声をかける。
 「マモル、わがまま言わないで、ほら、お菓子買ったでしょ」
 「いやあ!」
 3人の脇を、列車に乗る乗客たちが通り過ぎる。母親はあせって大声を出した。
 「マモル、早くしないと列車が出ちゃうのよ。乗ってからお母さんがゆっくりお話してあげるから。ね」
 「いや、せんせい、ボク、よそのうちの子になるのいやなの!」
 剛は、どうしても、マモルの抱きついてくる腕をほどけなかった。
 「先生、この子を乗せて下さい!」
 母親のあせった声。しかし、剛は、マモルを抱いたまま動かない。
 「先生!」
 しかし、ドアは3人の脇で、再び音を立ててしまった。ゆっくり列車が動き出す。
 マモルは泣き顔をあげて、動き出した列車を見ている。剛も、母親も、黙って列車が去っていくのを見た。
 列車が見えなくなると、母親が急に、両手で顔を覆って、わっと泣き出した。剛は、自分が出過ぎたことをしたのを感じた。剛がなにも言えないでいると、マモルは、不思議そうに母親が泣くのを見ている。
 「ママ……」
 母親は、マモルの呼ぶ声も、あたりの客たちの視線も、今はなにも気にならないように、子供のように泣いていた。なにもかもをひとりでなんとかしようとしていた女性の、気持ちの糸が切れたみたいだった。
 「ママ?」
 マモルが、おそるおそる母親に近づいた。母親は、まだ、泣いている。
 「ママ」
 「……」
 「ママア」
 マモルが母親に抱きついた。
 「ママ、ごめんなさい」
 マモルの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
 「ごめんなさあい」
 母親が、顔もあげずに、マモルを抱きしめた。
 「ごめんなさい、ごめんなさい」
 母親に抱きしめられながら、マモルが何度も言った。マモルの髪が、母親の涙で濡れた。
 剛は、そっとあたりを見回した。ふと階段の下に立っている人影が目に入る。健だった。
 剛はマモルと母親を振り返った。母親はようやく顔をあげて、バックからハンカチを取り出した。そして、マモルの顔を拭いてやる。
 剛は、そっと、健の方に歩き出した。
 近づくと、健は目を赤くしている。
 「いつ来たんだよ」
 「剛、泣いてる」
 「バカおまえ、これは汗だよ」
 ふたりはマモルと母親を振り返った。母親が、涙を拭いて、ベンチにマモルをすわらせた。マモルは、おとなしくされるままになっている。
 「……どうなったの? マモル、岡山に行かなくてよくなったの?」
 「わかんねえ」
 そう言ってから、剛は続けた。
 「……でもさ。きっと、マモルのお母さん、ずっとマモルに涙も見せないでがんばってたんだと思うんだ。子供に、余計な心配させたくなくて」
 「……」
 「でも、マモルはちゃんとわかってたんだよな。だから、誰にも言わずにひとりでがまんしてたんだ。それが今、ふたりでいっしょに泣けたのは、いいことなんじゃねえかな? 世界中にふたりきりの親子なんだから」
 そう言いながらも、剛はなんだか少し寂しそうな顔をする。
 「そうだね……」
 「もし、次の列車でマモルが岡山に行くことになってもさ……。俺たちには口を挟めないことだけど」
 健は、そっと剛の横顔を見る。
 「……うん。……あのさ、剛」
 「ん?」
 なにか言おうとした健は、だが、すぐやめた。
 「なんでもねー」
 「ふん」
 剛は変な顔をして健を見たが、すぐに歩き出した。健もすぐ、剛に肩を並べる。剛が尋ねてきた。
 「それより、健、おまえ、どうして来たの? クラスは?」
 「ああ」
 健はちょっとやばい、という顔をして、
 「俺もどうしてもマモルの見送りしたくてさ……、岡田にクラスいっしょに見ててくれるよう頼んできた。あ、このこと園長には内緒」
 「いいのかよ」
 「平気平気。岡田は苺ショートくらい買ってけばそれでOKなんだから。……でさあ、剛」
 「さっきからなんだよ」
 「俺、もう、剛に口きいてもいい?」
 「ガキ」
 「……なんでだよ」
 「もう口きいてるのにいちいち聞くのがガキなんだよ」
 「なんだよ、自分だけ大人みたいに! あ、ちょっと待っててよ。そこの不二家で岡田にケーキ買ってくから」
 健の声に剛が振り返った。
 「つきあってらんねえよ! 俺、先に帰ってる」
 「もう! いいだろ、ちょっとだよ!」
 ケーキ屋の前で立ち止まった健のふくれた声に、剛が笑いながらもう一度振り返った。
 「俺にも口止め料買ってこいよ! ペコちゃんのほっぺでいいや」

 翌朝、保育園。剛、健、准一が登園した子供たちと遊んでいると、母親に連れられたマモルがやってくる。
 マモルのまわりに歓声を上げて集まる子供たち。保父3人も集まる。剛に向けて頭を下げる母親。園長も出て来る。
 子供たちはマモルの手を引っ張って園庭で遊び出す。マモルの表情は、どことなく落ち着いて明るい。剛、健、准一は顔を見合わせて笑い合う。

(続く)


 ついにイノッチのプロポーズをOKした剛くん!(笑)
 マモルくんの一件も落着し、これで、「剛くんの結婚 第1部了」ってとこですか(笑)

 ええと、「坂本くんは出ないんですか」というご質問がありましたので、ここでお答えしときますね。答。まーくんもしばらくしたらちゃんと重要な役で出演します。でも、ちょっとナニな役(笑) まーくんファンの方、許されて!

 自分もドラマを書いてらっしゃると言うかずさん。どうぞ投稿(? ってほどなものではないですが)なさってね。うれしいです(^^)

 さて、今年も残り少なくなってしまいましたが……、「剛くんの結婚」は、次回より新展開第2部スタート!!(? ちょっとだけマジ)

(1998.12.20)


(第6回)

(メイン)

(第8回)