第4回

 次の金曜。
 きらめくイルミが美しい夜の街。
 井ノ原と剛が連れ立ってレストランから出てくる。店を出て、すぐ剛が言う。
 「今日はごちそうさまでした」
 「またまた。そんな挨拶しないでよ。今日はお詫びなんだから」
 「何度も言いますけど、お詫びされる理由ないです、俺。ほんとにもう、気にしないで下さい」
 「まじめだなあ。いいんだよ、固く考えないでよ。俺、君と知り合いになれて、すごくうれしいんだから」
 「……」
 「親父も君のことすごく気に入ったらしいんだ。このごろのキャピキャピした女と結婚するなら、ああいう、おとなしい男の子と結婚した方が幸せかもしれんなあ、なんて言ってるくらいだよ」
 「はあ!? ……結婚!?」
 「! たとえば! たとえば、の話だよ!! 親父、ほら、君のお父さんのこと、すごく信頼してるんだ。出来れば、うちの会社に来てもらいたいくらいだっていつも言ってるよ」
 「……」
 「だから、俺が君と親しくなることも大賛成なんだよ。……そういうこと」
 「そ、そうですか……」
 剛はなんだかよろよろしながら、店の前の石造りの階段を下りる。
 「大丈夫? 酔った? もう帰る?」
 「はあ……」
 「じゃあ、送るよ。……タクシー!」
 快彦がいきなりタクシーを呼び止めようとするので、剛はあわててその手を押さえる。
 「だ、だいじょぶです! 俺、ひとりで帰れますから!」
 「えー。だめだよお。君ひとりで帰せないよ」
 「平気です! 平気ですったら平気です」
 剛はあわてて快彦から飛び離れて、お辞儀をする。
 「ごちそうさまでした! じゃあ!!」
 最後は片手をあげて、地下鉄の駅に向かって走り去る剛。それを見送りながらつぶやく快彦。
 「やっぱ、かわいい……。そこらのずーずーしー女なんかと比べものになんねーよ……」
 快彦の瞳の中には、ハート模様……。

 「ただいま帰りましたあ」
 剛はごく小さな声で言って、そっと自分の部屋に向かおうとするが、リビングから顔をのぞかせた良枝は剛をめざとく見つける。
 「剛くん!? どうだった?」
 とんできた良枝にたじたじの剛。
 「どうって、あの……。井ノ原さんにご飯ごちそうになって……」
 「ええ」
 「ちょっとだけ飲みながら話して……」
 「ええ」
 良枝のなにかを期待しているような顔に、剛は困ってしまう。そこに、剛の携帯のベルが鳴る。助かった気分の剛。
 「あ、電話だ……」
 良枝はとんだ邪魔が入ったという顔。
 「俺、ちょっと電話してきますから……」
 どうにか良枝から逃げ出す剛。自分の部屋にはいると携帯に出る。
 「はい、もしもし」
 「あ、剛」
 「長野くん!」
 「? どうかした?」
 「あ、なんでもねえ! あしたのこと?」
 「うん。4時ごろ待ち合わせるか」
 「オッケ」
 剛はリラックスしてしばらく楽しそうに電話している。だが、扉の向こうで、良枝がこっそり聞き耳を立てていることは知らない……。

 翌日、土曜日。今日は長野とサッカーに行く約束の日。
 午後、元気よく家を出る剛。
 「いってきまーす!」
 「あ、剛くん、あのね……」
 良枝がなにか言いたそうに剛の後ろ姿に声をかける。だが、もう剛は玄関を飛び出していて、聞いていない。心配そうな表情の良枝。新聞から顔をあげ、そんな良枝をちらりと見る敬三。

 サッカーの試合が始まっている。サポーター席で、他の観客にまじり、メガホンを片手に真剣に試合の経過を見ている剛と長野の姿。
      
 夜。すでにふたりは帰り道である。
 「きしょ! あのゴールが決まってたらなあ!」
 どうやら二人のひいきのチームが負けたらしく、剛は悔しそうだ。
 「あのとき、ボールがこうだったろ。相手がこう来たのをこう避けて……」
 我慢できなくなって、試合をシミュレートするように、架空のボールをあやつる剛。だが最後は、
 「チェ!」
 舌打ちしながら架空のボールをつまらなそうに蹴る。
 今までそんな剛をおかしそうに見ていた長野が、ふと思いついて、その架空のボールを取りに走る。驚いてそれを見る剛。ボールをキープしたつもりらしい長野が大声で叫ぶ。
 「剛! 行くぞ!」
 一瞬驚いてそれを見ていた剛もすぐその意味がわかって笑顔になる。
 「わかった! 長野くん、こっち!」
 しばらく、二人は真剣に架空の敵をよけ、架空のボールを追って走る。最後に、
 「剛!」
 長野がセンタリングしたつもりらしい。剛がそれをゴールに蹴って、
 「ゴーーール!!」
 長野が叫ぶ。
 「いえーーい」
 夜空の下、片手を高く挙げて打ち合わせ、楽しそうな二人の声が響く。
 じきにふたりは、長野の家近くの分かれ道に立つ。まだ少し息を弾ませながら長野が言う。
 「まだ時間ある? どう? 久しぶりにじいちゃんに会ってく? ずっと会ってないだろ」
 剛はちょっと考えて、
 「んじゃ、ちょっとだけ」
 
 「ただいまあ」
 長野の家は古ぼけていて、明かりも薄暗い。長野のあとについて剛も玄関に入る。長野は暗い廊下を通って、小さな居間に入る。居間では、老人がひとり、テレビを見ている。
 「ただいま」
 長野に大声で再び言われ、やっとこちらを振り向く老人(配役・鈴木清順?)。
 「じいちゃん、オニッコ来たよ」
 「……こんばんわあ」
 剛は老人のために大声で挨拶するが、老人は、剛のことがおぼろげにしかわからないようである。剛の顔をじっと見ている。
 「覚えてる? 子供の頃、よく来たろ? じいちゃんが自転車直すの、いつも見てただろ? ちっちゃくって。ね?」
 「ああ……」
 「この頃は忙しいから来ないけど、高校の頃も来てただろう。ちょっと顔が変わったかな?」
 長野が丁寧に説明する。老人はまだ剛の顔をじっと見ている。剛は困って、ちょっと照れたように笑う。その笑い顔を見て、老人の表情が変わる。
 「思い出した?」
 尋ねられ、老人は、うなずく。
 「ああ。あのオニッコか。大きくなったなあ」
 老人はにこにこそう言うが、うまくろれつが回らないようだ。老人が剛をわかったので長野はうれしそう。老人の前にある空の茶碗や皿を見て、長野が尋ねる。
 「晩御飯、ちゃんと食べたね?」
 「ああ、食べたよ」
 「じいちゃん、もう遅いし、そろそろ寝ようか?」
 「ああ」
 ゆっくりと老人が立ち上がる。長野はそれを見守っている。剛が、おずおずと声をかける。
 「俺……、帰ろうか?」
 長野が笑って振り向く。
 「気にしないで、二階の俺の部屋に行ってていいよ。俺もすぐ行くから」

 長野の部屋は、子供の頃から変わらない。古かった机も本棚もそのままだ。あの頃作った飛行機の模型さえも、ちゃんと棚に並んでいる。
 剛は明かりをつけず、窓に腰掛けて、闇に浮かぶそんな部屋の中を懐かしそうに見ている。
 「ごめん」
 しばらくしてそう言いながら長野が入ってくる。剛は顔をあげる。
 「あ……、おじいちゃん、いいの?」
 「うん。もう寝たから。……なんで明かりつけないの?」
 「なんかさあ、この部屋昔のままじゃない。電気つけちゃうとなつかしいものがなくなりそうで……」
 「へえ?」
 「なんでもない。それより……俺、知らなくて」
 「なに?」
 「おじいちゃん、あんなにひどかったんだ」
 「ああ」
 長野は少し笑う。
 「このごろはかなり弱ってる。物忘れも激しいし。……でも、剛のことわかったからよかった。今日は久しぶりにうれしそうだったよ」
 「……」
 剛は、すぐには、なんと答えればいいのかわからなかった。長野は窓枠に手をついて夜空を眺める。背中から剛が言う。
 「あんなに自転車直すのうまかったのにね」
 「うん。手がね……、もう、細かいことはできない」
 しばらく黙って、それからまた剛は言った。
 「おじいちゃんさあ、昔、俺がずーーっと自転車の修理見てても、一度も邪魔だって言ったことなかったなあ。で、ときどき、あのごつごつした手で、アタマなでてくれんだよ」
 「……」
 「俺さ、あの頃、どこでどんな顔して過ごせばいいのかわかんなかったから……。自転車直してるおじいちゃん見てるときが一番落ち着いたよ」
 「……」
 「あー、パンクみつけるの、長野くんも結構うまかったっけ?」
 剛はいたずらっぽく付け加える。
 窓の向こうに星が光る。

 楽しい気分で剛が玄関を開けると、ただいまとも言う前に、もう良枝が飛んでくる。良枝がいきなり言う。
 「剛くん! ……遅かったじゃない! もうすぐ12時よ」
 「あ……、はい」
 突然の良枝の剣幕に、剛は驚いて返事する。
 「電話もつながらないし」
 「……」
 そう言えば、携帯は切ったままだった。電話のことなんか全く考えていなかった。
 「だめよ、もっと早く帰らなきゃ。心配したのよ」
 「……」
 「サッカーはとっくに終わってるでしょ。どこかに寄ったの?」
 「あの。長野くんちに……」
 良枝は口をきゅっと閉じる。良枝が一番不機嫌なときの顔だ。剛はあわてて言う。
 「俺、男だし、これくらいの時間、お母さんが心配する事なんて……」
 「大丈夫じゃないわ」
 「……」
 「あのね、親にとっては、いつまでも子供は心配なものなの。剛くんはまだ未成年だし、なんの連絡もなくこんな時間に帰ったら、私が心配するって考えてくれなくちゃ」
 「……すみません」
 今日は休みだった敬三も奥から顔を出す。
 「良枝。もういいじゃないか。剛くんだってもう社会人だ。友達と話が長引くことくらいあるだろう」
 「友達って」
 良枝は不満そうである。
 「長野さんは、確か剛くんよりずっと年上よ。親が心配することくらい考えて、帰してくださって当然じゃないかしら」
 剛は唇をかみしめる。
 「あちらは親御さんもいらっしゃらないし、気がつかないのかもしれないけど……」
 なんだか、胸の中がもやもやする。自分がしかられるより聞きたくない言葉だった。良枝に言い返したくはないけれど、これ以上なにか言われるのは嫌だった。
 「俺、もう寝ます」
 剛は良枝のそばを通り抜けて二階に上がる。
 「剛くん!」
 良枝は後ろから声をかける。剛は振り返らず、そのまま自分の部屋に入る。不安そうに階段を見上げる良枝。

 保育園。赤や黄色のきれいなはっぱ、シイやクヌギの実など秋の山で採ってきたいろいろなものが子供たちの机の上に乗っている。3クラスが集まって工作の時間が始まる。
 「さあ今から、みんなで集めた葉っぱや木の実を使って好きなものを作るよー」
 園児の前に立って、剛が大声を出す。
 「これはね、さっき先生たちが試しに作ってみたんだけど……」
 剛が言うと、健が脇からいろんなものを台に置く。剛はそれを取り上げて、
 「これは、どんぐりのこま。これは、木の実の首飾り。それでこれは……。これ……なんだ?」
 葉っぱや猫じゃらしがごちゃごちゃ絡まったものを手にして剛が首を傾げると、
 「それは、フクロウなんや。俺が作ったフクロウの置物!」
 子供たちの後ろに立っていた准一が大声をあげる。
 「ああ……、フクロウ。フクロウかあ? これ」
 剛はぶつぶつ言うが、すぐ気を取り直して、
 「まあ、こんなふうにいろんなものが出来るんだ。おもしろいだろ?」
 おもしろいー、かわいいー、という子供たちの声。
 「じゃあね、みんなもこれから作ってみよう。上手にできたら帰りにお母さんに見せてあげようね」
 「はーーい」
 「カナヅチやキリはあぶないから先生たちがやるからね。やって欲しい人は、先生に言って」
 こう怒鳴るのは、健。
 早速子供たちはテーブルごとに固まって、にぎやかに工作を始める。剛、健、准一はそんな子供たちの間を見回ったり、道具の使い方を教えたりしていく。
 やがて剛は、マモルのいるテーブルに回っていく。  
 マモルの向かいの子に声をかける剛。
 「あ、いいな、それ。首飾りだろ?」
 「うん。お母さんにあげるんだ!」
 「そうかあ。お母さん、喜ぶな」
 「うん」
 そう言いながら、剛は、マモルがなにもしていないのが気になっている。剛はマモルに声をかける。
 「マモル、作らないのか」
 「……」
 マモルは口をとがらせたまま答えない。
 「ほら、マモルもお母さんに作ってあげようよ。かわいいどんぐりがいっぱいあるぞ!」 「いらない!」
 マモルは剛が差し出したどんぐりを手で払いのける。驚く剛。
 「マモル……?」
 「作んない!」
 「おい、マモル……」
 マモルはまた、黙り込んでしまう。顔を見合わせる、剛、健、准一。

 夜。子供たちがいなくなった教室をかたづけている3人。教室の後ろの棚には、子供たちの作りかけの工作が置いてある。健がそれを見ながら言う。
 「結局マモル、なにも作んなかったなあ……」
 「うん……」
 剛と准一も頷く。
 「なんかおかしいで、あいつ」
 と言うのは准一。
 「こないだまで妙に乱暴だった時があるやん」
 「そうそう」
 「それが、最近はなんにもやる気ないみたいや。話しかけても、返事もようせんときがある」
 「うん」
 3人はそれぞれ考える表情だが、理由は誰にもわからない。
 「一度親によく言ったらどうなん」
 准一はマモルのクラス担当の剛の顔を見る。
 「うん……、でもなあ」
 「でも、なに」
 と、健。
 「マモルんち、お父さん亡くなって母ひとり子ひとりだろ。今はお母さんがお店をひとりできりもりしてて、いつも見てもすごい疲れた顔してんだよ。なんか余計なこと言いたくなくて」
 「でもさあ、そんなこと言ったって、自分の子供のことはわかってなくちゃ」
 と、健。
 「そうなんだけど……。前、マモルがポルシェに落書きしたときも、お母さんに言ったらすごく考えこんじゃっててさ」
 「そうやろなあ」
 「でも、ちょっとは言っといた方がいいと思うよ」
 「……だなあ」
 剛は考えながら頷く。そんな剛を見て、健がみすかしたように言う。
 「ねえ、今日、剛、自分もあんまり元気ないんじゃない?」
 「そんなことないよ」
 「そうかなあ。そうだ、今日はせっかく3人とも一緒なんだから、帰り、どこか寄ってメシ食ってこうか。どう、岡田」
 「ええよ」
 「な。剛もいいだろ。たまにはつきあいなよ」

(続く)


 少々書きためてあったのですが、このごろなまけててどんどん追いつかれている。どうしようー!

(1998.11.29)


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