第3回
通された部屋では、すでに敬三が、金持ちそうな紳士(配役・津川雅彦とかかな……)と、和風のグラスに入れられた食前酒を手にしていた。
後から来た剛たち四人がそれぞれ席に着くと、その紳士が、剛をぎろっと見る。良枝に促されるようにして、剛は会釈した。
「まあまあ今日は、ほんとにお天気もよくて、いいお日和になりましたわねえ」
真ん中に座った婦人(加藤治子・前出)が切り出した。
「楽しい会食ができそうですわ。ねえ、奥様」
その言葉に、婦人の隣に座った良枝が、誠にごもっとも、と言ったふうに深く頷く。
「こんなふうにみなさまで集まれるなんて、ほんとにお珍しゅうございましょう」
「それはもう」
「この頃はみなさん、お忙しくていらっしゃいますからねえ」
大人たち全員、なんという意味もないがもっともらしく頷いている。
婦人はにこやかに一座を見回す。
「改めてご紹介するまでもございませんでしょうけど、お坊ちゃんたちは初めてでいらっしゃいますから、私からご紹介させていただきますわね」
剛が顔をあげると、婦人が自分のことを見ている。やばいと思った剛はまたおとなしくうつむいているふりをする。
「井ノ原さん、こちら、森田専務のご長男の剛さんでいらっしゃいますの」
紳士が頷く。
「森田さん、こちら井ノ原社長とご長男の快彦さん」
快彦が会釈すると、敬三と良枝が深々と頭を下げるので、剛も真似をする。
なんだかさっきから、今日初めて会った婦人と紳士が、自分のことをやけにちらちら見る気がする。ここで森田の息子は行儀が悪いと思われると、敬三の仕事上なにか不都合が起きかねないと思うので、剛はとりあえずおとなしく過ごそうと思う。
剛が敬三や良枝とともに頭をあげると、にこにことこちらを見ている快彦と目があった。
「まあ、かたくるしい挨拶はこのへんにしましょう」
井ノ原社長が愛想良く、しかしやり手らしい抜け目のない声で言う。
「森田さんとはいつもお仕事させていただいていましたが、こんないいご子息がいらっしゃるとは全く知りませんでしたよ。知っていたらもっと早くにご紹介いただくんでした。なあ、快彦」
「はい、まあ……」
父親に声をかけられ、快彦はてれたように頭に手をやる。井ノ原社長は今度は敬三に向かい、親しげに言う。
「まあ、快彦にはいずれ私の跡を継がすつもりですし、これからもどうぞよろしく頼みますよ、森田さん」
井ノ原の言葉に、敬三があわてて言う。
「いえいえそんな、こちらこそよろしくお願いします」
これじゃあ、やっぱりかたくるしい挨拶じゃないかと剛が思ったところで、するすると襖が開いて、仲居が愛想のいい顔をのぞかせた。
「こちら、お運びしてよろしゅうございますか」
婦人が鷹揚に頷く。
「え。よろしいですよ」
料理が運ばれ始めると、大人たちは急にくつろいで、男同士、女同士で世間話をし始めた。剛と快彦は、どちらの話にも加わらず、一番下座で向かい合って座っている。居心地悪く剛が顔をあげると、また、自分を見ていた快彦と目があった。快彦は、あわてたように笑顔を作った。
「……で、どうなったの!?」
月曜日の昼休みに、剛が昨日の妙な昼食会の様子を話し終わると、ずっと真剣に話を聞いていた健が剛に尋ねた。
「どうもしねえよ。飯食って、帰った」
「しかし、なんでポルシェのヤツがそこにいたんやろなあ」
と、これは准一。
「さあなあ。偶然だろう。要するに、ヤツは、親父の取引先の御曹司だったってわけだよ。全然知らなかった。向こうも驚いたと思うよ」
「でも、車のことなんも言われへんでよかったな」
「うん。なんか変だけど、案外いいヤツみたいだったし」
剛と准一がそんなことをしゃべっていると、
「バカだなあ、剛」
いきなり健が言う。剛は口をとがらせた。
「なんだよ健、急にバカって」
「それ、お見合いだよ」
健の言葉に、准一は飲んでいたコーヒーを吹き出した。剛も思わずむせ返る。健が嫌そうな声を出した。
「うわ、汚ねえよ、岡田」
「み、み、みあ……!?」
「早くここ拭けって」
健に言われて、准一はしょうがなく雑巾を取りに行く。その間に剛が健に言い返す。
「見合いって、誰と誰が見合いなんかするんだよ!」
「バカ。剛とポルシェに決まってんじゃん。他の誰が見合いするんだよ」
「バカバカ言うなって言ってんだろ! なんで俺があいつと見合いしなきゃいけねーんだよ!」
「怒鳴んなよ。俺だってしらねーよ、そんなこと」
「しらねーなら、いい加減なこと言うな」
「そう思ったから言っただけだよ」
「思っただけって、おめーはいつも一言多いんだよ、健」
「なんだよ! 剛、俺のこといつもそんなふうに思ってたわけ!?」
いつの間にか二人が立ち上がって怒鳴りあっているのを見て、あわてて准一がとんできた。
「ど、どないしたん、ふたりとも」
「……健が変なこと言うからだよ」
「だって、そんな気がしたんだもん」
「も、もうええから。そろそろ子供たちが起きるで。な、な」
テーブルの上を拭きながら、准一は必死で二人を取りなす。剛は不機嫌そうに休憩室を出ていこうとする。後ろで、准一が健にせっついているのが聞こえる。
「健くん、謝りや」
「……なんで俺なんだよお」
健は、剛が聞いていることを意識しているようだ。不服そうに岡田に言う。
「俺だけじゃねえもん。剛だって俺のこと……」
ふんっと顔をそむけて、剛は廊下を歩き出した。
今日も遅番までいて、それからあしたの用意をして、保育園をあとにしたのは9時だった。スクーターのそばに来てから、剛は外灯の明かりで携帯のボタンを押した。しばらくして、相手が出た。
「はい、20世紀マテリアルです」
「……長野くん?」
「なんだ、剛」
「まだ工場いるの」
「もう終わる」
「そっか」
「剛は?」
「俺も今終わったとこ」
「そう。……じゃあ、俺もすぐ出るよ」
「ふーん」
頷いただけで剛が自分からはそれ以上じゃべらないでいると、長野が言った。
「公園で缶ビール飲もう。あ、剛はコーラね。おごる」
「ケチくせー」
「うるさい」
携帯をしまうと、剛はヘルメットをかぶった。健とケンカしたあとずっとほぐれなかった剛の表情が、やっと楽しげに変わっていた。
二人の家にほど近い、住宅地の中の公園に先についたのは、剛である。手持ちぶさたにベンチにすわって、ぼんやり外灯に照らし出された遊具などを見ていると、やがて自転車を必死にこいでやってくる長野の姿が見えた。
「お待たせー」
長野は今日も頭が爆発している。そんな長野が息を切らせているのを見ただけで、剛は不思議に楽しい気持ちになる。
「はいこれ、途中で買ってきた」
長野にコーラを手渡された剛は、不満そうにつぶやく。
「俺もビールがよかったなー」
「だめ。未成年だし、エンジン付きに乗ってんだから」
「ここからだったら押して帰れるよ」
だが、長野は剛の文句に耳を貸さずに、ベンチにすわるとすぐにプルトップを開けてビールをうまそうに飲んだ。それを見ながら、剛は思いついて言った。
「そうだ、長野くんも携帯持ってよ。連絡しにくいよ」
「俺はたいがい家か工場にいるけど?」
「でも、夜はどっちいるかわかんないよ」
「そうかあ。でも、そうそう電話なんかする相手ないしなあ」
俺は?と尋ねそうになって、剛はやめておいた。
「まあ、考えとくよ」
そう言って長野はまたビールを飲む。それを見て、剛もコーラの缶を開ける。
「剛、なんかあったの?」
急に長野が言った。
「え?」
剛が聞き返すと、長野は笑った。
「さっきの剛、なんだか相談事があるときみたいな電話のしかただったからさ」
「そう?」
「うん。なんだか」
「うそ。俺、長野くんなんかに相談なんかしねえよ。長野くんちっとも役にたたねーもん」
「そっちこそ嘘つけ。いつも俺のあとついて歩いてたくせに」
「……! それはガキの時!」
「そうかなあ」
長野は意地悪そうに言う。
「確か、保父さんになるの反対されてどうしようって、ずいぶん落ち込んで電話してきたときもあったけどなあ」
「あれは! ……あんときはちょっと参ってた。でも、相談したわけじゃないよ。だって長野くん、話聞いてただけじゃん」
剛のムキになった反撃に、長野は楽しそうに笑った。
「そうそう、おもしろがって聞いてただけ」
「ほら。ひでーよ」
「で、今日は?」
「だから、なにもねーって」
「そりゃあ結構」
そう言うと長野はビールをぐっと飲み干してから言った。
「昨日ダメだったから、今度の土曜は一緒にサッカーでも見に行こうか」
「いいなあ、それ」
剛はたちまち元気になる。
「じゃあ、そうしよう。今夜はもう帰ろうか」
長野は立ち上がった。
「俺が帰って夕飯作らないと、じいちゃん、腹すかせて待ってるから」
「おじいちゃん、元気?」
立ち上がりながら、剛も思い出して尋ねた。
「うん、ちょっと」
長野の顔が曇った。
「自転車を触りたがってるんだけどね、なかなか……」
「……」
さっきまで感じなかったのに、立ち上がると夜風が冷たかった。剛が思わずくしゃみすると、長野はいつものように笑った。
「風邪ひくなよ」
「お帰りなさい、剛くん!」
剛が玄関を入ると、良枝が満面の笑みを浮かべて出迎えにとんできた。
「ただいま帰りましたあ」
「お風呂、すぐ入れるわよ。それともお食事が先?」
「あ、じゃあ、メシにします」
「はいはい」
剛の背中を押すようにして、良枝は食堂に向かう。その時、玄関でまたドアが開く音がした。
「おーーい、ただいまあ」
「あら、あなた」
「あらあなたじゃないよ、今帰った」
「ちょうどよかった、あなたも剛くんと一緒にお食事にしちゃって下さいな」
「おいおい、俺は添え物かい」
あきれたように言う敬三。良枝は聞いていない。
しばらくして、いそいそと剛と敬三の給仕をしている良枝の姿が見える。剛は食事、敬三は晩酌だ。だいたいをテーブルに並べたところで、良枝がうれしそうに言う。
「あなた、今日、お電話があったのよ」
「電話? 電話ってどこから」
「どこからって。昨日お会いした、加藤さんの奥様からに決まってるじゃないですか」
剛は、箸を動かす手を止めて、良枝の顔を見た。良枝の声が、珍しいほど弾んでいたからである。
「昨日帰り際に、社長さんと同じ車になられたら、社長さん、とてもご機嫌がよくてらっしゃったんですって。よかったわあ」
「ああ」
敬三はあまり興味がないように、答える。
「それなら、僕のところにも今日井ノ原社長から直接電話があったよ」
「まあ!」
「仕事の話のついでだけどね。とてもおとなしそうないい坊ちゃんだって、剛くんのことを誉めていただいたよ」
頷く良枝。
敬三はちらっと剛の方を見る。剛はもう、敬三と良枝の話など全く耳に入れていない。自分には関係ない話題だと判断したらしく、ぱくぱくと食事に専念している。敬三はそれを見てから良枝に言う。
「まあ、その話はいいとして。メシ、もらおうか」
敬三が言うが、やはり剛を見ていた良枝はよくわからずに聞き返す。
「え?」
「メシだよ、メシ」
「ああ、はいはい」
良枝が敬三の茶碗にご飯を盛ったところで、剛は食事を終えて立ち上がる。
「ごちそうさまでしたー」
食堂を出ていく剛。それを見送る敬三と良枝。
翌日、ダリア保育園。
まだ、子供たちは来ていない。早く来た剛が部屋をかわいくかざりつけていると、おずおずと健がドアから顔をのぞかせる。
「……剛、おはよう」
剛はちらっと振り返る。
「よう」
そう言っただけで、またかざりつけをする剛。健はまだ立ち去らない。
「……剛、まだ怒ってる?」
「なにをだよ」
「昨日のことだよ。もう怒ってない?」
「……怒るって。俺、最初から怒ってなんかねえよ」
剛の返事に健は安心したようだ。少しほっとした表情で教室に入ってくる。
「後で考えたら、やっぱり俺、変なこと言ったかなあって。ごめん、剛」
「いいって」
剛は穏やかな表情で振り返る。
「あやまんなよ。……俺も悪かったし」
剛にあやまられて、健はすっかり元気を取り戻す。
「だよなあ。剛がポルシェと見合いなんて、そんなわけないもんな!」
「そういうこと」
健は剛の隣にたち、かざりものを手にとって、壁を眺める。
「あ、それ、こっちにかざろうよ。ほら、この方がかわいいって!」
「そうかあ?」
「そうだよ」
二人は仲良く並んでかざりつけをしだす。
夜。今日は早く家に帰っている剛。キッチンでは良枝が料理中。剛はリビングのソファでテレビを見ている。そこに、電話が鳴る。良枝がこちらを見て、頼むわ、という顔をする。すぐに剛が受話器を取る。
「もしもし、森田です」
「……あ、……森田さん?」
相手が繰り返す。
「はい」
「……あの、剛くん?」
「……そうですが?」
「俺、いや、僕、先日会った井ノ原ですけど。井ノ原快彦」
「あ……」
「いやあ、菊兆では驚いたよね、偶然で」
「……」
「で、家に帰ってから気づいたけど、俺、前に君のこと驚かせちゃったこと、ちゃんと謝ってなくてさあ」
「いえ、あれは……」
「今度、会えないかなあ。一度、二人きりでゆっくり話がしたいんだ」
「いえ、別に、……気にしないで結構ですから」
「それじゃあ、俺の気がすまないよ。いつでもいいんだ、君の都合のいいときで」
「そう言われても……」
口ごもってふと気がつくと、いつの間にか良枝がエプロンで手を拭きながら、傍らに来ている。
「剛くん? だあれ?」
良枝に聞かれ、受話器を押さえながら、しかたなく、剛が答える。
「あの。……井ノ原さんの……」
「坊ちゃんなの?」
剛が頷くと、良枝は、ちょっと貸して、と剛から受話器を受け取る。良枝は愛想よく外交辞令を述べて楽しそうに話しているが、しばらくして、剛をちらっと横目で見ながら、快彦に返事をしている。
「はい。……わかりました。伝えておきます。はい。……では、お父様によろしく。はい。では……」
満足そうに受話器を置く良枝と、不安そうにそれを見ている剛。
「あの。……なんでした、今の」
「あのね。快彦さん、どうしても、あなたに会ってお話したいことがあるんですって」
「……」
「いいわよね、一度お会いしても」
「え……」
言葉のでない剛。
「ああ真剣におっしゃっているのに、お母さん、とてもお断りできなかったわ。ね。一度だけお会いして」
「……」
剛のとまどった表情を見て、良枝も顔を曇らせる。
「ごめんなさい、なにか都合悪かったかしら」
「いえ、そんなことはないですけど……」
良枝をがっかりさせそうで、はっきりしない返事しか言えない剛。
(続く)
剛くんの身辺にあやしい動きが。(笑) がんばれ剛くん!(笑)
(1998.11.22)
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