第2回

 翌日。ダリア保育園。
 気持ちのいい青空の下、園庭に子供たちが集まっている。
 「今日はさくら公園までお散歩だぞーー!!」
 ざわつく子供たちに怒鳴る健。
 「おとなりの人と手をつなぐこと。走らないこと。押さないこと。ふざけないこと。わかってるなーー!」
 健の大声に、元気な子供たちの声。
 「はーーーい!」
 「なにかあったら、すぐに先生たちに言うんだよーー!」
 と、これは剛。
 「よっしゃ、ほな行くでーー!!」
 最後に拳を振り上げる准一。 
 剛、健、准一につれられて、ダリア保育園の4,5歳児たちはにぎやかに保育園を出ていく。
 しばらくは平和に歩いていく一団。ときどき健のよく響く声が、子供たちを注意する。
 「こらあユージ、あんまりふざけるとあぶないって言ってんだろ」
 「そんなに急がなくて大丈夫。なな、走らないで歩くの!」
 健の世話焼きの声を聞いて、おかしくなった剛が思わず大声で、列の向こうの健に言う。
 「健んー。やっぱおまえって奥さんタイプだわ」
 「えー。剛、なんだよそれ。どういう意味」
 「世話女房になるってこと」
 「でえっ!? なんねーよ俺、そんなの」
 「なるなる」
 二人の会話を聞いた子供たちが、騒ぎ出す。
 「みやけ先生、奥さんになるのー」
 「えー。誰の奥さんになるの? おかだ先生? もりた先生?」
 「……!?」
 「先生赤いー」
 子供にからかわれて、健は両手をぶんぶん振り回す。
 「……。うっせー、俺はだれの奥さんにもなったりしねーー!!」
 「なんだよ健、おまえこないだ……」
  剛が言いかけたとき、後ろからスピードを出した車がやってきた。気づいた二人はすぐに列の後方に飛んでいく。
 「そこ危ないから止まってーー」
 「自動車が来たよーー」
 列の前方では、あわてた子供が転んでしまっていた。車は、転んで泣いている子供を気も止めず、アクセルをふかせたまま行きすぎる。その、白いポルシェを運転しているサングラスの男は、井ノ原快彦(配役・井ノ原快彦)。
 「うわあん」
 転んで泣いた男の子を助け起こす准一。そこへ駆け寄る剛と健。
 「ユージ大丈夫だったか」
 「平気や。驚いて泣いただけ。もう泣くな、ユージ」
 「きしょう、あの車あぶねーな」
 ユージをとりまいてざわめく子供たちから離れて、怒ったような顔で車を見送っているマモル。

 ここはさくら公園。
 さっきやってきたダリア保育園の子供たちがアスレチック遊戯で楽しそうに遊んでいる。
 「ほら、押すぞーー!」
 「わーーい!」
 「先生、ぼくもー」
 きゃーきゃー子供たちとふざけあって、保父3人も子供みたいに楽しそうである。だが、
 「あれ、マモルがいない」
 突然気がついて、剛が辺りを見回す。
 「ほんとや」
 准一もきょろきょろする。
 「マモル?」
 健もあたりを見回す。
 「マモルー!!」
 みんなで呼ぶが、マモルの姿はない。
 剛は不安になったらしく、
 「俺、見てくる! ここ頼むよ!」
 言い捨ててあわてて駆け出す。
   
 「マモル、マモル!」
 マモルの名を呼びながら、広い公園の中を捜す剛。もしかしたら勝手に公園を出ていったのかも知れないと思いつき、剛は公園の出口に向かう。
 と、そこで、誰かの怒鳴り声が聞こえる。植え込みの向こうはもう公道だ。あわててそちらをのぞいてみると、案の定、マモルが誰かに怒鳴られているのだった。
 「このガキ、なにしやがんだ!!」
 公園の脇に白いポルシェが止めてある。その隣で見知らぬサングラスの男がマモルの首根っこをつかまえて怒鳴りつけているのだ。
 「なんでこんなことした。あーー? わけを言ってみろ」
 「……その子がなにかしたんですか!?」
 剛は急いで男の背後から駆け寄り、声をかける。
 「したもなにもこのガキが、見ろよ、これ!」
 剛が男の指さしたところを見ると、磨きたてのポルシェのドアに、石で書いたらしい落書きがしてある。しかも、それは、大きな、×じるし。
 「あっちゃーー」
 一瞬間の抜けた声を上げてから、剛はすぐに、男に捕まえられて不服そうに下を向いているマモルのとなりに腰を落とす。マモルの顔をのぞき込むようにして尋ねる。
 「これ、ほんとにマモルがやったのか?」
 「……」
 「ちゃんと言いなさい。マモル、やったのか?」
 剛に強く言われて、不承不承うなずくマモル。
 「やったのかあ……」
 思わずあきれ声をあげる剛。
 「大変なことしてくれたなあ。……なんでだよ、マモル。なんでこんなことしたんだ」
 「だって……」
 「だって、なんだ」
 「だってこいつさっき、あぶない運転したもん」
 「あぶないって……」
 言われて、剛は、この車がさっき保育園の列の脇を走っていった車だったことに気がつく。剛は立ち上がって、車の傷をなでまわしている男の横顔を見る。
 「きしょう、人がちょっと車を止めた間に……」
 男はまだぶつぶつ言っていたが、自分を見ている剛の視線に気がつき、顔をあげる。あげて、サングラスをしているから目元の表情はよくわからないながら、口をぽかんと開けて剛をみつめる。剛もマモルをかばうようにしながら、男を見返す。やがて男が口を開いてなにか言いかけようとする。
 だが、男に再び怒る隙を与えないうちに、剛はマモルの頭を押さえつけながら、自分も深々と頭を下げて怒鳴るように謝った。 
 「どうもすみません!! この子、まだ四つなんです! 悪気じゃないんです!」
 「……」
 「俺の監督不行き届きです! 申し訳ありません!!」
 「え? あのさ……。……君、誰?」
 どうも、さっきまでと違って男は怒っているようでもない。
 「ダリア保育園の保父です。こいつ、俺の組の園児なんです。子供だからおもしろ半分で落書きしちゃったんです。あとでよーーく言い聞かせますから、こいつは勘弁してやって下さい!!」
 「……」
 「もちろん、修理代はお支払いします。うちも金のない保育園だけど、あの、園長と相談して、いや、俺が、出来るだけのことはしますから!」
 「……」
 相手がなにも言わないので、不気味になって、剛はマモルの肩を引き寄せながらおそるおそる顔をあげる。相手は、じーっと自分を見ている。
 「あの。……俺、なにか気に障ること言いましたか……」
 相手は黙ったまま、サングラスを片手ではずす。目元が細くて、案外に親しみやすそうな顔だ。
 「いや。……君の名前、なんて言うの?」
 「? 俺ですか?」
 「そう」
 「……森田剛です」
 「剛くん……。いい名前だ」
 「???」
 男は急ににこやかになった。
 「いいんだよ、こんな落書きのひとつやふたつ。ちょっと磨けば元通りになるから」
 「そ、そうですか……?」
 「そう。大丈夫大丈夫、気にしないで。保父さんかあ。いい仕事だよね。俺も子供って大好きなんだ。かわいいよねえ」
 男がマモルの頭をなで回す。マモルは信用していない顔で上目使いに男を見る。
 「ねえ君、よかったらさあ」
 そう言いながらなれなれしく剛の肩に手を回そうとした男は次の瞬間大声を上げた。
 「いってー!!!」
 マモルが思いっきり男の足を蹴っ飛ばしたのだ。
 「ってーー!! あにすんだよ、このガキ!!」
 「もりた先生にさわんなー!」
 マモルはもう、男から走り去って、あかんべをしている。
 「こいつ、もう許さねえ!!」
 「おい、待て、待ちなさい、マモル!」
 マモルは公園の中に走り去っていく。
 「すみません、俺、ダリア保育園にいますから! なんかあったら連絡して下さい!」
 男に言い捨てて、剛はマモルのあとを追って駆け出した。

 「こら、マモル!」
 マモルを追いかけて走る剛。だが、マモルは西洋カエデの木立の後ろで、もう健につかまっていた。剛は黙ってマモルに近づくと、怒った顔でマモルの頭をこづく。マモルはふくれっ面をする。
 「どうしたの、剛。マモル、なにしてたの?」
 健が驚いて尋ねる。
 「……とんでもねーよ、こいつ。止めてあった車に石で落書きしやがったんだ」
 「えーー?」
 「それも、ポルシェだよ」
 「……ほんとかよ、マモル」
 健がマモルに尋ねる。
 マモルが答えないので、健はもう一度剛に訊いた。
 「で、どうしたの? 謝ったの? ものすごく怒っただろう、相手」
 「う、うん……」
 尋ねられると、剛はあやふやになった。
 「怒ってた、と思う」
 「?」
 「いや、怒ってたんだけど、急にあいそよくなって。最後は、気にしなくていいからとか俺に言ってくれたんだよね」
 「へえ……? ずいぶん鷹揚な人だね?」
 「まあなあ。なんかちょっとあぶない感じだったけど……。まだあそこにいるかなあ?」
 「俺、ちょっと様子見てくる」
 興味を持ったらしい健が、剛たちの来た方に駆けていく。剛は、できれば男はいなくなっていて欲しいと思いながら、マモルの肩に手を置いたまま、健が戻るのを待つ。
 しばらくすると健が戻ってきた。
 「……どうだった?」
 「ポルシェだろ? 白い」
 「そう」
 「……あれ、さっき、俺たちの脇通っていった車だろ」
 「そうらしい」
 「なんか、スーツ着た若い男がきょろきょろしてたけど、あきらめたみたいで、その車に乗ってどっか行っちゃったよ」
 「そうか……」
 ほっと安心してから、剛はもう一度マモルをこづいた。
 「たく。おまえのせいだぞ」
 3人は並んでゆっくり歩き出した。
 「でもよかったね、弁償しろとか言われないで」
 「うん。でも、ダリア保育園の森田って教えたから、あとでなにか言ってくるかもしれない」
 「大丈夫だよ、きっと」
 健が慰める。剛がつぶやく。
 「だといいけどなあ」

 剛からこの一件の報告をされて以来、しばらくはポルシェの男が保育園に乗り込んでこないかどうかが、ダリア保育園職員一同の気がかりだったが、幸い、車の傷は磨けば直る程度のものだったらしく、誰も面倒なことを言ってきたりはしなかった。怒られて少しは反省したらしく、マモルもおとなしくなった。一週間もするうちに、剛はこの事件を忘れてしまっていた。
 
 今夜の良枝はやけに饒舌だった。
 どこそこの坊ちゃんがご結婚なさることになっただのならないだの、その相手はどんな方だの、それがつりあうの、つりあわないのと、得意料理をテーブルいっぱいに並べておいて、自分はそれを食べる暇もなくしゃべっている。それを聞きながら敬三は黙々と料理を食べ、ビールを飲む。剛は良枝の話を半分聞いていない。あんまり興味のある分野の話ではないからしかたがない。でも、良枝があんまり夢中なので、適当に相づちだけは打っている。
 「ね、だから、今度の日曜日は絶対空けておいてね。わかった? 剛くん」
 「……え? あ、はい。あの。……日曜日?」
 「ええそうよ。剛くんが着ていくものは、誕生日に作ったスーツがいいと思うの。剛くんは、あれ全然着てくれないけど」
 「はあ」
 「あたしは和服がいいかしら。洋装の方がいいかしら。ねえ、あなた。聞いてらっしゃるの」
 「どっちでもいいだろう」
 「あなたはすぐそれなんだから。結構です、自分で考えます。……お天気もいいらしいし、お庭が見事よ、あそこは。お料理も最高だし。たまにみなさんとでああいうところでお食事するのもいいものよねー」
 剛が話を聞いていないうちに、いつのまにか日曜はどこかに食事に行くことになっていたらしかった。みなさんと、というからには、他の客もいるらしい。言うだけ言うと、良枝はやっと落ち着いて食事を始める気になったようだった。
 それを見ておもむろに敬三が良枝にビールを差し出す。
 「飲むか?」 
 今週の週末は長野が休めそうだったので、一緒にでかけようと思ってずっと空けておいたのだが、これは絶対に断れそうになかった。ちょっと残念だったがしかたがない。剛は、すぐにあきらめた。

 十月の空が抜けるように青い。空気も実にさわやかだった。
 約束の日曜、朝から良枝は落ち着かない。
 「いいお天気だわ」
 そわそわしていたと思うと、急に窓辺によって剛に声をかける。
 「こんな日は、なにかいいことがありそうねえ」
 「……」
 「ねえ、剛くん」
 「? あ、はい」
 ぼんやりしていた剛が、あわてて返事をする。良枝の方に顔をあげると、良枝は黙ってにこにこと自分を見ていた。
 「? ……あの?」
 剛が遠慮がちな声を出すと、良枝はおかしそうに笑った。
 「そんな顔しないで、なんでもないのよ。さ、そろそろ着替えなくちゃ」

 敬三のボルボで菊兆につくと、菊兆の広い庭は、良枝の言ったとおり、美しい秋の色に染まっていた。
 「お食事の前にお庭を見られるかしら」
 和服姿の良枝は早速仲居にそう尋ねると、うれしげに庭に降りる。まだ、他の客は来ていないらしい。剛と敬三もぶらぶらと良枝のあとををついていく。しばらくして「あなた」と良枝が敬三を呼ぶので、敬三は良枝に近づいて、二人はいかにも仲のよい夫婦らしく、肩を並べて歩き出した。剛は二人の邪魔をしないように別の小道に入った。作り物めいてはいたが、美しい苔に覆われた庭に、ちょうどよい具合に色づいた落葉が散り敷いてあるのは、さすがに風情があった。それに見とれていると、突然、誰かが剛に声をかけた。
 「あれえ。君ぃ」 
 うれしそうな声である。剛は振り向く。
 「偶然だねえ。……ほら、僕、覚えてる?」
 「?」
 剛は一瞬考えたが、その人なつこそうな細い目には忘れられない特徴があった。
 「あーー、ポルシェ!!」
 「そうそう。僕のこと覚えててくれたの。うれしいなあ」
 そう言う相手は、ほんとうにうれしそうである。剛は返事をとまどった。半分忘れていたのに、こんなところでまさかポルシェの相手に会うとは思わなかった。剛はしかたなく、口ごもりながら謝る。
 「その……、その節はすみませんでした。あの……、車、どうなりました?」
 「やだなあ、そんなに固くなっちゃって。平気だよ、車なんて。それよりさあ、こんなところで会うなんて、僕ら、なんかこう、運命みたいなものでつながってるみたいだねえ」
 「は? ……運命?」
 「こんなすがすがしい日に、こんなきれいなところで再会できるなんてさあ」
 剛が、なんと答えればいいのか考えていると、向こうから、良枝の声がした。
 「剛くん、どこにいるの?」
 「あ、ここです!」
 助かった、と思いながら剛は大声を出した。ところが、やってきた良枝は、見知らぬ婦人(配役・加藤治子?)と一緒だった。
 「あらあらあら」
 やはり和服のその婦人は、剛たちがふたりでいる姿を見ると、上品そうな笑顔を作った。
 「まあ。こちらが森田さんの坊ちゃん? お噂通り、かわいい方ねえ」
 「ええ、まあ……」
 良枝が婦人に愛想良く答える。婦人はポルシェの男に向かって言う。
 「快彦さん、もうこちらの坊ちゃんとご一緒だったのね。じゃあ、わたしが改めてご紹介する必要はないわね」
 「あーー、いやあ、でも、それとこれとは……」
 ポルシェの男が照れたようにわけのわからないことを言うと、婦人は、ほほほと品よく笑う。そしてその笑顔のまま、今度はゆっくりと剛の上に視線を動かした。老婦人ながら、美しい笑顔である。だが、彼女に見つめられて、剛はなにかに捕まったような気持ちになる。
 「さあ、そろそろお食事の用意ができる時間ですよ」
 笑顔のまま、婦人が促した。そのまま婦人は、快彦さんと呼んだポルシェの男と並んで、先に歩き出す。キツネにつままれたような気持ちで、剛は黙ってにこにこしている良枝とそのあとに続いた。

(続く)


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(1998.11.15)


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