第1回

 夢。
 泣いている子供。
 「……おかあ……ちゃあん……」
 返事はない。
 「おかあちゃん……。にい……ちゃん……」
 しばらく続く子供の泣き声。
 だんだん子供はしゃくりあげ始める。
 どこからか、別の子供の声。
 「どうしたんだ?」
 答えがない。
 「なに泣いてたんだ?」
 しばらくして、べそをかきながら答える小さな声。
 「ボク、泣いてない」
 「うそつけ。泣いてた」
 「泣いて……、なんか……」
 もう一度すすり泣きが始まる。別の声の主はあわてる。
 「泣くなよ!……なんで泣いてんだって聞いただけじゃないか」
 でも、相手のすすり泣きはさっきより激しくなってしまった。泣きながらも、小さな子供はどうにか言う。
 「だって、だって……」
 「……」
 「会いたいんだもん。おかあちゃんとにいちゃんに……」
 「おかあちゃんと、にいちゃん?」
 うなづく子供。
 「ボク……ボクが悪い子だから、ボクだけよそのうちにもらわれたの。もう会えない」
 「そんなこと……。ないだろ……」
 あやふやに、もうひとりの声が慰める。だが、すすり泣きは止まらない。
 しばらくして、今度は無理に元気を出した声。
 「教えてやろうか。ぼくだっていないよ、母さんなんか」
 「……」
 「ぼくは、そんなの平気だ。泣いたりしない。……でも、おまえはまだ小さいもんな」
 「……」
 「小さい子は泣いたってしかたないよな。だからさ」
 「……」
 「特別にぼくの子分にしてやるよ。パンク修理するの、見せてやる」
 「……」
 「うちのじいちゃん、すごくうまいんだ。ぼくだってうまいけど」
 「……」
 「な、だから泣くなよ。……な?」
 「……」
 「ぼくんちにおいでよ。おかあちゃんはいないけどじいちゃんがいるし、ぼくがおまえの兄ちゃんになってやってもいいし……」
 やさしい声だ。あったかくって……。

 朝、どこからか小鳥の鳴き声。
 誰かがベットで、頭まで布団をかぶって眠っている。見えているのは、布団からはみ出した長めの髪だけ。
 まだ薄暗い、カーテンを閉め切ったその部屋のドアが静かに開く。入ってきた人物の足が見える。それは、長めのスカートをはいた女性だ。
 その女性がカーテンを開く。部屋は一気に光に満たされる。振り向く女性。それは、剛の母親の良枝である(配役・市毛良枝)。
 そして、ベットに眠っているのは、もちろん、剛本人(配役・森田剛)。
 良枝は満足そうに、眠っている剛の上に目を注ぎ、微笑みながら剛を起こす。
 「剛くん、起きて起きて」
 「ん……」
 剛はまだ目を開けられなくて顔をしかめてこする。
 「お母ちゃん……?」
 「そうよ、お母さんよ。剛くん、起きて」
 良枝の声にはっとして目を覚ます剛。
 「あ、お母さん。おはようございます!」
 「おはよう」
 にっこり笑い返す良枝。
 「なかなか起きてこないから呼びに来たの。今日はゆっくりしてて大丈夫なの?」
 「……ゆっくりって……」
 言いながら剛は時計を見上げる。時計は8時を過ぎている。
 「よくないっす! やべ、遅刻だ!」
 髪を振り乱して飛び起きる剛。
 
 「おはようございまーす!!」
 シャツのボタンを閉めながら、剛が朝日の入る食堂に飛んでくる。
 新聞を読みながらゆっくりとコーヒーを楽しんでいた父・敬三(配役・蟹江敬三)が顔をあげる。食堂の壁には、大きな家族写真。それには、今より若い笑顔の良枝と敬三、そして恥ずかしそうな、6,7才の男の子が写っている。
 「ああ、おはよう」
 剛のあとからいそいそと良枝もついてくる。
 「朝御飯、すぐ用意するわ」
 「いいです、食べてる時間ないんで……」
 「え、でもそれじゃあ……」
 テーブルにあったトーストを一切れ取って口にくわえる剛。
 「じゃあ、行って来ます!」
 口をもぐもぐ動かしながら剛は玄関に駆け去る。あわてて剛のあとを追う良枝。
 玄関に座ってスニーカーを履きながら、剛は後ろで自分を見ている良枝に声をかける。
 「今日も帰り、遅くなりますから!」
 「まあ、また……」
 不満そうな良枝の声。
 「このところ、ずっとじゃない」
 「続けて人がやめちゃって、今、人出が足りないんです」
 いつのまにか後ろに敬三も立っている。それに気がつくと、良枝は敬三の方を振り向いて、多少不満げに言う。
 「やっぱり剛くんはお父さんの会社に入ればよかったのに……。ねえ、あなた」
 「……うむ……」
 敬三は良枝の視線に気がつかない顔をして、煮え切らない返事をする。だが良枝はまだ愚痴っぽく続ける。
 「保父さんなんて、大変なばかりで薄給だし。なにもわざわざ剛くんがやることないってお母さんあのときあれほど……」
 「いってきまーす!!」
 良枝が最後まで言い終わらないうちに剛はうちを飛び出す。その声に愚痴をやめ、やさしい母親の顔に戻った良枝が、後ろから剛に声を掛ける。
 「いってらっしゃい! 車に気をつけてね!」
 「はーい!」
 元気に出かけていく剛の姿に、母親の満足感でいっぱいの良枝。そんな良枝の肩を軽く叩く敬三。
 玄関を飛び出した剛は、ヘルメットをかぶりながら、車庫の、父親のボルボの隣に置かれたスクーターに乗り、すぐに門をくぐって晴れた空の下に走り出す。
 通学の生徒や通勤のサラリーマンがちらほら歩く住宅街の朝の道。
 そんな中、スクーターで坂を上る剛の前に、必死で自転車をこぐサラリーマンの姿が見えてくる。サラリーマンは寝起きのままらしく、アタマが爆発している。
 剛はそれを見つけると、いたずらっぽい顔。わざとエンジンをふかせてその自転車のすぐそばを追い越す。
 「?」
 不審に思った自転車のサラリーマンが顔をあげる。
 「おはよっす!」
 振り返りざま、にやっと笑いながら声を掛ける剛。
 サラリーマンがこっちを向く。爆発アタマに黒縁めがねの、なんだかちょっと変わった感じのそのサラリーマンは、剛より5才年上の長野博だった(配役・長野博)。長野はむっとした顔をする。
 「くそっ、抜かされるかあ!」
 長野が叫ぶ。剛は笑う。
 ちょうど坂の頂上に着いた二人は、申し合わせたように並んで坂を下り出す。スクーターの剛は多少ゆっくり、自転車の長野は思いきりスピードを出して。
 「ひゃっほう!」
 風を切りながら長野がおかしな叫び声をあげる。歩いていた女子高生たちが二人を振り返る。楽しそうな剛の笑い声が響く。
 そのまましばらく気持ちよく並んでいた2台は、車の来ない交差点で左右に別れる。
 「おーし、引き分けだあー!」
 叫びながら、そのままの勢いで右に曲がって行く長野。
 剛も笑いながら、あとはまっすぐに、自分の勤める保育園にスクーターを向かわせる。

 ここはダリア保育園。
 そろそろ子供たちが集まる時間。
 「なな、おはよう〜」
 ゆっくりとスクーターで園に近づきながら、剛は、母親と連れだって歩いてきた子供に声をかける。
 「あー、もりた先生だ〜。先生おはよう〜」
 かわいらしい子供の挨拶の声。
 園の駐車場にバイクを止めて、急いで園庭に駆け込む剛。
 園庭では、同僚の三宅健(配役・三宅健)が子供たちを迎えていたが、剛に気がつくと、手を振って大声を出す。
 「剛、遅刻遅刻〜」
 「わりい〜」
 剛が健の隣に立つと、すぐに子供たちが二人にじゃれつく。
 「先生、ボール投げっこしよう!」
 「よーーし」
楽しそうに子供とボールの投げ合いをしだす二人。
 そこへ、母親に連れられた子供がまたやってきた。
 「お、マモル、おはよう!」
 やってきた子供に、他の子供にじゃれつかれたままの剛が声をかける。マモルと呼ばれた子供は、ちらっと顔をあげて剛の方を見ただけでそのまま黙って立ちつくしている。
 「マモル、おはよう! ほら、みんなでボール遊びしよう」
 健がそう言いながら近づくとマモルは急に駆け出して、保育園の建物の中にひとりで入っていく。そんなマモルのうしろ姿を見送る剛と健、周囲の子供たち。
 「マモルくん、ボールしないみたいだよ」
 「そうだな……」
 つぶやきながらふと見ると、どこか疲れた様子の母親が、心配そうにマモルの去った方を見送っている。
 
 昼過ぎ。
 保育園は昼御飯も終わり、子供たちは昼寝の時間である。
 剛が小さな休憩室に入ると、中にはすでに同僚の三宅健や岡田准一(配役・岡田准一)が休んでいた。ここは、保父3人のたまり場である。
 「剛くん遅かったな」
 「うん、ちょっとな」
 実はさっき、マモルが隣で寝ていた子が自分を蹴ったと言って暴れ出し、ちょっとした騒ぎがあったのだ。
 もぐもぐとチョコレートを食べていた准一が、腰掛けた剛にチョコレートの箱を差し出した。健は気を利かせて剛のコーヒーカップにインスタントコーヒーをいれている。准一が言う。
 「これ、まりな先生からの差し入れや。新婚旅行のおみやげやって」
 「へえ、まりな先生来てたの」
 チョコをつまみながら剛が意外そうな声を出す。まりな先生とは、つい半月前に結婚退職した先輩の保母である。
 「そう、さっきこっちに顔だして少ししゃべってった。今は園長室にいると思うで」
 「新婚旅行の写真とか持ってきてたよなー」
 と、やや皮肉に言いながら、健が剛にコーヒーカップを渡す。
 「相手、医者って言ってたっけ?」
 カップに口をつけながら、剛が尋ねる。
 「そう」
 「どんな人? よさそう?」
 「そやな。えっと。いい人そうやったな」
 と答えるのは岡田。
 「なあ、健くん」
 「まあね。いい人そうとしか言えないタイプ。つまり、ブ男。毛深くて汗っかきそうで、俺の一番苦手なタイプ」
 「健くん、そないはっきり……」
 「なんだよ、岡田だってそう思ったくせに。おまえはすぐいい子ぶるんだから」
 「……」
 准一の表情など無視して健は続ける。
 「でも、顔が悪くたって医者だもん。おまけに、まりな先生は一目惚れされて、どうしてもって言われて結婚したんだから、あとは好き放題だよ。いいよなー。見たろ、岡田。まりな先生、服もアクセもシャネルだったぜ」
 剛と准一は顔を見合わせる。
 「いいなあ……。なんかこのごろ俺も仕事疲れちゃって。あー、結婚してー。どっかに金持ってるいい男いねえかなあ」  
 「えー、おまえ、そうなのー」
 あきれた剛の声。
 「おまえ、毎日楽しそうにしてんじゃん」
 「そりゃあさ」
 健はちらっと剛の顔を見る。
 「……もともと子供は好きだけどさ。でも、かわいいときはいいけど、生意気言われるとやっぱ腹立つし。おまけに」
 健が口をとがらせる。
 「うかうかしてたら、いいのはどんどん女と結婚しちゃうんだからさ。いくら今は男の子と結婚する男が増えてるとは言えさ」
 「……」
 「早くしねえと、俺の美貌も色あせちゃうよ」  
 「……」
 しゃべりながら、どこからかリップクリームを取り出して、唇に塗りだす健。手鏡までだしてのぞき込んでいる。あきれて再び顔を見合わせる剛と准一。

 夜。保育園からの帰り道、朝と同じく自転車で帰ってきた長野の姿を見つける剛。声をかけようとすると、長野は通りを曲がる。曲がった狭い通り沿いに長野の家がある。ちょっとためらってから、剛は長野のあとをついて古い通りに入る。
 曲がればすぐに長野の住む小さな家の前。壊れかけたような家だが、昔は自転車屋だったらしく、半分読めなくなった「長野輪店」という看板が出ている。店先だった方は錆びついたシャッターで締め切りになっている。
 長野が自転車を降り、その自転車を家の横の通路にしまおうとすると、剛がいきなり長野のそばでスクーターを止める。長野は驚いて顔をあげるが、剛だと気がつくと、すぐに笑顔。
 「剛」
 長野の笑顔に剛も安心したように笑う。
 「そこであんたの後ろ姿見えたから、ちょっとついて来た」
 「剛らしいね」
 朝と違って長野は壊れていない。頭は爆発してるし、変なめがねだけれど、穏やかな笑顔である。もちろん、こちらが長野本来の姿に近い。
 「うちに寄ってく? じいちゃんいるよ。オニッコの顔見たら、うれしがるかも知れないよ」
 その言葉に剛は顔をくしゃっとさせて笑ったが、残念そうに答える。
 「そうもしてらんねえんだ。このごろ帰りが遅いって、朝お母さんが心配してたし」
 「そっか」
 「それより今度の週末は? 俺は空いてるけど?」
 「それが……。こないだじいちゃんの検査で会社休まなきゃならなかったんで……。今週は俺は休みなしなんだ」
 「そっかあ」
 剛はうつむいて返事をして、ヘルメットをかぶりなおした。
 「来週はきっと空くよ。剛が暇だったら、どこか行けるかも」
 「うーーん」
 剛は煮え切らないように返事をした。
 「来週はまだわかんねえけど」
 「そうだな。じゃあ、それまで会えなかったら、電話するよ」
 「ん」
 素っ気なく返事をして、剛はすぐにスクーターの向きを変えると走り出した。その華奢な後ろ姿を見送る長野。

(続く)


 剛くんがとってもいい子なキャラなんですよ……。
 あと、わかりにくかったかもしれませんが、このお話の世界は男同士で結婚できる世界なんで。そのつもりで読んでください!

(1998.11.8)


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