第14回

 翌朝、ダリア保育園。
 健がクラスに入ると、剛がうしろの壁に子供たちの絵を張り付けている。
 「……なにしてんだよ、剛。朝っぱらから」
 健が、いやみっぽく言う。だが、剛は元気に振り向く。
 「よ、健、おはよう」
 「……。おはようじゃなくてさあ。なにしてんのって聞いてんだよ」
 「ああ。……もう正月って時期じゃないからさ、コマだの凧だのの絵を子供たちの絵に変えようと思ったの」
 「ふーん……」
 「なあ、このごろはマモルの絵、すごく元気になったと思わねえ?」
 子供たちの絵を見ながら、楽しそうに話す剛。だが健は、素直になれない。
 「なんか、今日はやけに元気いいね、剛」
 「……そうかあ?」
 「やっぱ、もうすぐ井ノ原さんと婚約発表ともなるとやる気も出るってわけ」
 健はますますいやみっぽい。だが、そう言いながらも、剛の後ろ姿を見る健の顔は、意地悪なというより、さびしそうな表情だ。
 「……」
 剛は絵を張っていた手を止め、ちょっと黙るが、すぐまた元気な声を出して健の方に振り返る。
 「いいから、おまえも手伝えよ」
 「やだよ、俺。他にすることいっぱいあるんだから」
 健はすねたようにクラスを出ていく。その後ろ姿を見る剛。

 「全く兄さんたら、あれでも婚約を解消させないなんて!」
 自宅マンションのソファーにすわってタバコをふかしながらそう毒づいているのは段田まりこ。まりこは少し喫っただけのタバコをもみ消そうとして、灰皿が吸い殻でいっぱいなのに気がつき、むっとする。
 「紗英、紗英、ちょっと来なさい!」
 廊下の方に顔を向けてまりこが怒鳴ると、少ししておずおずと紗英が部屋に顔をのぞかせる。
 「なにしてたの、いったい」
 「あの……、明日の予習……」
 そういう紗英は、井ノ原の家に行くときとは全く違う、実に質素な服で、ひとつにまとめた髪に眼鏡をかけている。それを見ると、まりこは余計いやな顔をする。
 「なにその格好。色気のない。勉強? バカみたい」
 ふん、と鼻で笑うまりこ。
 「大学なんて、あんたが東京にいる口実じゃない。いいのよ。勉強なんてどうでも。そんなことよりおしゃれでもしたらどう?」
 「……」
 「せっかくきれいな顔をしてるのに、快彦を男の子なんかに取られちゃって。おかげでこっちが苦労するわよ」
 「……」
 「とにかく、家のことくらいきちんとやってよね。こっちはあんたにお金をかけてやってるのよ。……ほら、灰皿!」
 言われて、紗英はのろのろと灰皿を取って中を捨てに行く。
 「ほんとに気が利かないんだから。なに考えてるのかわかりゃしない」
 嫌みに言うまりこ。
 
 場末のバー。カウンターの隅で、ウイスキーをあおる坂本。
 「昌さん、このごろペース早すぎじゃない?」
 カウンターの中から心配そうに声をかけるマスター。坂本は答えず、空のグラスを差し出す。
 「……おかわり」

 日曜日。
 剛が寝癖あたまのまま二階から下りてくると、敬三はゴルフに出かけるところである。
 「おはよう、剛くん」
 「行ってらっしゃい。今日もゴルフですか」
 「そうだ」
 「お父さん、ゴルフの日だけは自分から起きるのよ」
 後ろからそういうのは良枝。
 「じゃあ、行って来るよ」
 敬三がそう言って出かけてしまうと、残された良枝と剛は、ちょっぴりさびしく感じる。
 「朝はトーストでいいかしら」
 そう言ってキッチンに入っていく良枝。
 
 剛にコーヒーをいれると、良枝は自分のカップにもコーヒーを注いで、テーブルにすわる。
 「お父さん、このごろほんとにゴルフが多いわね」
 「……」
 剛は黙ってトーストをほおばっていたが、突然謝る。
 「すみません」
 「あら。どうして剛くんが謝るの?」
 「だって」
 「?」
 「……俺が変な写真撮られたりしたから、お父さん、なるべくいろんな集まりに出ては、なんでもないって顔を見せなきゃならないんでしょう」
 「そんなこと、ないわよ……」
 良枝の声がちょっと弱々しい。
 「お母さんにも、心配かけました」
 「いやね、剛くん」
 そう言う良枝は、いつもと変わらず明るくふるまっているものの、先日の写真騒動の一件を聞いてから、どことなく痩せてしまった。
 「……確かに、世の中には、とんでもないことを仕組む人がいるんだなってことがよくわかったわ」
 「……」
 「でも、考えてみるとね、」
 「?」
 「私も、加藤さんの奥様から、井ノ原さんが剛くんを見かけて気に入っているという話を伺ったとき、気持ちが舞い上がってしまったの」
 「……」
 「井ノ原さんはこの辺りでは有名な資産家のおうちで、お父さんの大事な取引先ですもの。しかも快彦さんはお若くて素敵でしょ。その方が、あちらから、ぜひ剛くんと親しくなる機会を持ちたいとおっしゃっているというんですもの。あたしのほうがまるでシンデレラみたいな気持ちになっちゃって」
 「……」
 「どうしてもこのお話はお断りしたくないって、そう思ったのは、剛くんじゃなくて、たぶん、わたしの方ね。……その気持ちを思い出すとね」
 良枝はカップを両手で囲むようにしてうつむいた。
 「たとえば、先にお見合いしたのに快彦さんに結婚を断られたお嬢さんの身内の方とか、快彦さんが結婚すると知ったら、その相手が憎くてたまらなくなるかも知れない、って思ったりね」
 「……」
 剛が黙って自分を見ているのに気づくと、良枝はあわてて顔をあげた。
 「あらやだ、わたしったら、変なこと」
 「……」
 「とにかく、気にしないようにしましょう。快彦さんだけじゃなく、井ノ原社長も剛くんのこととても気に入って下さって、自分の方でできるだけの対応はするって言って下さっているし。剛くんはこんなにおふたりに好かれているんですもの、なにがあっても大丈夫よ」
 そう言うと、良枝は、窓を見上げると、明るい声を出した。
 「まあ、今日もお天気いいわ」
 そして、笑顔で剛を見る。
 「そうだ、剛くん、快彦さんと約束がないのならふたりで出かけましょうか。……あのね、結婚のお祝いに、剛くんになにか記念になるプレゼントをしたいって、お父さんとも話してたのよ。どこかデパートにでも行って、なにがいいか見てみましょうか」
 「あの……」
 「遠慮しないで、欲しい物を言ってちょうだい」
 「あの、俺」
 剛は、久々に晴れやかな良枝の顔を見て、今まで何度か口にしかけて止めたことを、思い切って今口にすることを決心した。
 「お願いしたいことがあるんです」
 「まあ。なあに?」
 「あの、俺、自分が結婚することを……」
 良枝はやさしく剛を見ている。
 「俺を生んでくれた……、お母さんに報告したいんです……」
 「……」
 言い終わったとたん、良枝の表情が硬くなったのがわかった。
 剛は口をつぐむ。さっきまでの晴れやかな表情が嘘のように、良枝の顔が固くなっている。そうなるのがわかっていたから、今まで何度も口に出すのを止めた言葉だった。
 「……ごめんなさいね」
 だが、良枝は下を向いて、平板な声で答えた。
 「……わたしたち、知らないのよ。今、あなたを生んだ方がどこにいるのか」
 「……」
 「お互いに、連絡は取らないって約束してね。……そういうことなの。だから、それはできないわ」
 「……」
 良枝の抑揚のない声が、深々と自分の胸に突き刺さるのを、剛は人ごとのように感じた。
 「……この話はこれで、終わりにしましょう」
 「あの、でも」
 剛がすがるように声を出した。
 「ごめんなさい、ほんとうにわからないのよ」
 「……」
 良枝は立ち上がって、空になったコーヒーカップを流しに置くと、つぶやく。
 「やっぱり今日は、出かけない方がいいかもしれないわね……」

 翌日。
 出先の会社の応接室で、書類を前になにか説明している井ノ原。それを熱心に聞いている相手。井ノ原の話が一段落したところで、相手は熱心に書類に目を通し、最後にやっと笑って言う。
 「いや、よくわかりました。今のご説明でこちらの疑問は全部解けましたよ」
 「そうですか……」
 快彦は、やや疲れた表情ながら、うれしそうである。
 「君、これ、午後の会議用にコピーとっといて」
 相手は、隣に座っていた部下らしい社員にそう言って書類を渡す。
 「はい」
 書類を手に立ち上がると丁寧に井ノ原に頭を下げ、部屋を出ていく社員。
 相手は急にくつろぎ、時計を見上げて、井ノ原を誘う。
 「もうこんな時間ですな。昼でもご一緒しませんか。うまい店があるんですよ」
 「いえ、昼前にまだ行くところがあるので」
 「そうですか、残念だなあ。さすが、アイズの未来の社長ともなるとお忙しいですな」
 井ノ原は、相手にしない。帰る用意をしている井ノ原に、相手はなおも声をかける。
 「そう言えば、先日は、大変だったようですね」
 「……」
 「あの手紙、うちにまで来ましたよ。なんですか、わざわざわたしまで、お父上の方から、つまらないいたずらですから気にしないで下さいとご挨拶を受けまして。かえって恐縮でした」
 「いえ……。お騒がせしました」
 井ノ原は、無表情に頭を下げる。相手が、独り言のように言う。
 「でもあれは、ただのいたずらなのかなあ……」
 「……?」
 不審そうに顔をあげる井ノ原。相手が、急に口をつぐむ。
 「いやあ、きっと、そうでしょうね。なにぶんお相手は、東光興産の森田さんのご子息なんですから、きっと、わたしの方の聞きまちがいでしょう……」
 「……なんのことですか……?」
 井ノ原は、尋ねずにいられない。
 「いやね、その森田くんのことなんですが」
 相手が声を潜める。
 「実は友人の息子が彼と高校で同級生だったそうなんですよ。それでちらっと話を聞いたら……なんだかなあ、どうも、あれに書いてあったのは、まんざら嘘でもないらしいような話だったなあ」
 「……」
 「いやいや、妙な話ですし、今はね、きっと違うと思いますがね。なにしろ、あんな写真、どうやって撮るんでしょうなあ」
 「……」
 井ノ原の顔色が変わる。
 「いや、すみません。ちょっと信じられないことをする人間がいるもんだと思いましてね。これはお引き留めしました」
 相手が立ち上がる。
 「では、お父上によろしくお伝え下さい」
 相手に挨拶され、井ノ原は思い出したように頭を下げるが、明らかに動揺している。
 部屋に残った男は、井ノ原がドアを閉めると急ににやりとする。よく見るとそれは、新年会の席で段田におもねっていた男である。

 ダリア保育園。
 4,5歳児の子供たちがなかよく砂場でトンネルを掘っているが、そこにまだよちよち歩きの赤ちゃんがやってくる。
 「あーー、だめーー!」
 「トンネルこわしちゃう」
 大きな子たちに砂場から押し出されて、思い切り泣き出す赤ちゃん。
 「あー、おまえたち、赤ちゃん泣かしちゃだめだろう」
 「だってえ。ぼくたち作ったのこわしちゃうもん」
 「しょうがないなあ」
 赤ちゃんの砂を払ってやって、剛は、思いついて、入れ物に砂を盛る。
 「じゃあ、ままごとにしよう。赤ちゃんがお客さんで、今日は誕生会なの。ケーキを作って」
 赤ちゃんの前にパコンと砂を開けると、それが、入れ物の形の砂のケーキになる。
 「いいよお。あたし、お花で飾ってあげる」
 「あたしも」
 女の子たちがままごとに入ると、男の子たちも遊びに入る。赤ちゃんは泣きやんで、その辺のシャベルを持って遊びだした。
 離れたところで子供たちと遊びながら、そんな砂場の様子を見ている健。また、准一も子供の世話をしながら、どこか心配そうに健と剛を見比べている。

 しばらくして、職員室。
 ぼんやりと黒板のスケジュール表を見ている剛。
 黒板脇のロッカーからなにかものを取り出している健、そのうしろに准一。剛が、健に話しかける。
 「健、今日早いんだ」
 「……うん」
 答える健は仏頂面。
 「ちょうどよかった。……俺、今、欲しい服あるんだけど、ちょっと迷ってるんだ。暇だったら健、今日つきあわねえ?」
 「暇じゃない」
 間髪を入れず答える健。
 「ふ〜ん……」
 「ほら、岡田これ持って!」
 ロッカーから出した画用紙を准一に渡すと、自分も残りを持って、剛のことなど見もしないで職員室を出ていく健。ちょっと唇をとがらせてそれを見送る剛。さっきと同じく心配げな表情の准一が、ちらっと剛を振り返る。

 廊下に出ると、画用紙を抱えた准一が健に言う。
 「健くん、このごろ剛くんに冷たすぎるんやない?」
 「冷たい? 俺が剛に?」
 「……うん」
 「普通だよ」
 「そうかあ?」
 「もし俺が冷たいんだとすると、……もともとはあっちのせいだろ」
 「そうかも……知れへんけど……。あんな、健くん」
 「なんだよ」
 健は立ち止まって振り返る。准一が立ち止まってしまったからだ。
 「岡田なにやってんだよ。早く来いよ」
 「……なあ健くん」
 「だからなに」
 「このごろの剛くん、ちょっといつもと違うと思わん?」
 「ええ? そんなことないだろ。……まあ強いて言えば、いつもより元気っていうか、がんばってるみたいかな。……うまくいってんじゃねーの、井ノ原さんと」
 「そう思う?」
 「……うん」
 「俺には、無理して元気にしてるように見えるんやけど」
 「はあ? おまえ、なにが言いたいわけ?」
 「やっぱ、やめといたほうがええのかな……」
 つぶやく准一。
 「なに」
 健はいつもと違う准一のようすに、なんとなくなにかを感じる。
 「なに、おまえ。……俺になにか隠してるんだ」
 「か、隠してるってわけやないけど」
 「そっか!」
 健はやっとわかって、准一の腕をつかむ。
 「剛のこと、なにか知ってるんだろ。前もおまえ、年が明けたら剛が婚約するとか聞きつけてきたもん。……そうなんだろ?」
 「う、うん……、でもな、あの」
 「もう。はっきりしないんだから」
 健がふくれる。准一が、決心したように、健の顔を見て尋ねる。
 「健くん、剛くんのことまだ怒ってるんか?」
 まじめに聞かれて、健はちょっとためらうが、答える。
 「……怒ってねえよ」
 「でも、ずっと剛くんにつっけんどんやん」
 「それは、」
 健はちょっと唇をとがらす。
 「なんだか一度そうなっちゃったら直せないもんなの。癖っつーか」
 「悪い癖はなおさなあかんよ」
 「おまえが俺に説教するなよ。それはいいから。なんだよ。早く教えろよ」
 健にせっつかれて、准一は辺りを見回す。振り向くとちょうど職員室から剛が出てくるのが見えた。准一は声を潜める。
 「あとでや。……剛くんが帰ってからやないと……」
 「……わかった」

 「お疲れさまでしたあ」
 剛が保育園の玄関を出ていく。
 そっとそれを壁の影からのぞくと、健は急いで准一のところに駆けていく。
 「剛帰ったから。岡田、早く、さっきの」
 「う、うん……」
 幸い、子供たちはおとなしく遊んでいるし、他の保母もいる。准一は少々気まずそうに辺りを見ながら、急いで職員室の自分のロッカーからカバンを取ってくる。ふたりはいつもの休憩室にこそこそと入ると、頭を寄せ合ってすわる。
 「なに、なに、なんだよ」
 「俺の伯父さんのところに送られてきたものなんやけど」
 「伯父さん」
 「前に言ったことあるやろ。井ノ原さんの会社と取り引きあってな。剛くんと井ノ原さんの婚約パーティーにもよばれてるんや」
 「ふうん?」
 「俺、昨日、久しぶりに伯父さんちに夕飯食べさせてもらいに行ったんや」
 「うん」
 「伯父さんは、俺が剛くんと同僚やって憶えてて、俺に、剛くんどうしてるって聞いてきたんや。なんのことやと思ってたら、そのあと伯父さんからとんでもないもの見せられたん。……剛くん、今、たいへんなことになってるらしいで」
 「……たいへん……?」
 「うん」
 准一の目は、これ以上ないくらい真剣だ。
 「剛くん、俺たちに知られたくないのかもしれん。ひとつも相談なんてしてこなかったし、ずっとなんでもないふりしてるし。でも俺、これ、健くんに見せといたほうがええんやないかと思って、借りてきたんや。だって、これ、嘘ばっかりやもん。もしかしたら、剛くんに俺たちの知らないつきおうてる人いたのかもしれんけど、剛くんは井ノ原さんと結婚すること鼻にかけたりしたことないし、井ノ原さんをバカにしたりしたこともない。写真にやって、なんかわけがあるんやないかと思う」
 「……写真?」
 「うん」
 「写真って?」
 それには答えず、准一は、下を向くと、悔しそうに言った。
 「……。なんか俺腹が立って腹が立って。剛くんが気の毒でしょうがなくなってん。俺と健くんが剛くんの味方にならないでどうするんやって、そう思って」
 「……さっきから、なに言ってんのか全然わかんねえよ……」
 健がとまどった声を出すと、准一はカバンの中から、すでに開封してある一通の手紙を出した。
 「見てみて」
 「……これ?」
 「そう。ワープロで打った手紙と、写真が3枚や」
 准一の表情にただならないものを感じて、健はごくんと唾を飲む。
 封筒を手に取る。ごくありきたりの真っ白な封筒。宛先は、ワープロで打ったものをシールで張ってある。
 准一の目を見ながら、健はまず、中の写真を取りだした。封筒は手紙をいれたまま、とりあえず机の隅に置く。
 健が取りだした写真に見入ると、准一も脇からのぞいた。健が乾いた声で言った。
 「なにこれ? ……剛のキスシーンなわけ……?」
 「たぶん……」
 「なに、この人、井ノ原さんじゃねえだろ。誰だよ」
 「知らん」
 「うしろ、ラブホじゃん? ……なにこれ? どういう……」
 健が夢中になって少し大きな声をあげたとき、突然後ろから声がした。
 「……ずいぶんいーもの見てんじゃん!」
 健と准一は飛び上がりそうに驚いて振り向いた。
 「剛くん……」
 「剛、さっき帰ったんじゃ……」
 剛は、バカにしたようにふたりを見て、手に持った白い封筒で、自分の頬を軽くはたいて見せた。
 「忘れ物取りに戻ったんだよ。この部屋が明るかったから、ついでにちょっとのぞいてみたわけ」
 「あ……、その封筒」
 健はあわてて机の上を見る。さっきおいた封筒がない。
 「夕方からふたりでなにをこそこそ話してるのかと思ったら、こういうもの見てたわけ」
 「違うよっ、俺たちは」
 「剛くん、違うんや! それ返して!」
 准一は封筒を取り返そうとしたが、剛はひょいと封筒を持ち替えた。
 「いいよ、別に。なに見ようがお宅たちの勝手。……でもこれは俺が預かっとく」
 「あかん、返せって!」
 「返せないね」
 剛は、くるりと後ろを向くと、開いたドアから廊下に駆け出した。ふざけているような感じだったが、本気の走り方だ。
 「剛!」
 「剛くん!」
 あわてて廊下に飛び出た健と准一は、ちょうど逆方向から歩いてきた園長にぶつかりそうになる。
 「な、なに、あなたたち!」
 「すみません!」
 園長の怒り顔を後ろにふたりもすぐに剛のあとを追うが、剛はもう身軽に保育園の玄関を飛び出している。
 健と准一が門を飛び出したときはもう、エンジンの音を響かせて、剛のスクーターが小さくなって行くところだった。
 「どうしよ……」
 「……」

「前略
 皆様にはますますご発展のこととお慶び申しあげます。
 さて、(株)アイズ社長井ノ原氏長男快彦氏、東光興産専務森田氏長男剛くんの婚約が内定されていることは、皆様すでにご存知の通りです。
 まことに喜ばしい出来事ではありますが、実は、当社におきまして調査いたしましたところ、残念ながら晴れやかな結婚に似つかわしくない事実が発覚いたしましたことをご報告しなければなりません。

 同封の写真をご覧下さい。
 背の低い方の人物が森田剛くん本人です。当社調査の結果、この写真を撮影に成功しました。すべてはこの写真が雄弁に語っております。老婆心ながら付け加えるなら、この夜彼とひとときを共に過ごしたこの人物は、婚約者井ノ原快彦氏とは全くの別人であります。
 ですが、それは驚くには値しません。なぜなら彼、森田くんが、高校在学中から、不特定の男性の恋人を常に身辺においていたことは、彼を知る友人の間では有名な事実です。
 また、アイズ社長令息である井ノ原快彦くんと婚約に至ったことを森田くんが周囲にたいへん自慢し、吹聴していたことも、しかしながら快彦氏を「世間知らずな坊ちゃん」と嘲笑していたことも、快彦氏以外、知らぬ者のない事実です。快彦氏に井ノ原家の一人息子としての財産がなくても森田くんが快彦氏との結婚を承諾したかどうかは、まことに疑わしいと言えます。……」

 そこまで読んだ剛は、あきれてその先を読むのを止めようかと思った。
 写真の他に、写真と同封された書面があることは、井ノ原の家に行ったときの雅彦や敬三の会話から知っていたが、どういうわけか、それを見せられたことはなかった。どういう文章があの写真につけられていたのかと、自分から父親たちに尋ねるのもおかしなことだった。
 どうせ、あんな写真と共に送られた書面である。あることないこと中傷しているだろうことは想像していた。
 だが、そこまでをいい加減に読み飛ばしていた剛は、その先の文章が目に入ると、吸い付けられるようにその文面を読み出した。

「さて、森田剛くんについて当社が調査し得たのは、それだけではありません。森田剛くんの出生につきましても、当社は独自に情報を入手しております。
 まず、森田剛くんは、東光興産専務、森田敬三氏の実子ではありません。戸籍上養子であります。5歳の時に別れた彼の実母は、未婚で彼を生み、彼が引き取られた時には、いわゆる風俗嬢をしていたことがわかっています。もともと、彼は父親もわからずに生まれた私生児でありますが、そんな母親の子供と知りながら彼を引き取った森田氏の行動に、不審を抱かれる方も多いと思います。それにつきまして……」

(続く)


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 うちのHPの感想でもいいですし、V6のことについてでも結構です。
 どうぞ一言残していって下さいね!

(1999.3.6)


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