第13回

 しばらくして、今度はやけに騒々しい声が部屋に入ってくる。広間にいた全員が声がする方をふりむく。
 「みなさま、あけましておめでとうございます」
 「新年あけましておめでとうございます」
 それは、派手なロングドレスを着たまりこと、その夫、段田安則である。ふたりのうしろには、この間と同じように、表情のない紗英もいる。ただ、今日の紗英は髪を結い、大きな花の丸模様の振り袖に、帯をお立てに結んでいる。前と同じつまらなそうな表情でもさすがに華やかである。
 「まあ、おきれいなお嬢さん……」
 うらやましそうにつぶやく良枝。
 「みなさん、おめでとうございます」
 段田も、姿に比べて低い、よく通る声で挨拶しながら、男たちの集まっている方に近寄っていく。
 「おめでとう、安則くん」
 これは、雅彦の声。
 「これは段田さん、昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いしますよ」
 そんなおもねる声を出して、段田の隣に飛んでくる男もいる。
 「段田さん、あけましておめでとうございます」
 敬三も段田に挨拶をする。段田は一瞬ちらりと敬三を見るが、その瞳は鋭く、冷たい。だが、それはほんとうに一瞬のことで、次の瞬間、段田はもう人のよさそうな笑顔を作っている。
 「これは、森田さん。お話は義兄から聞きました。今度、森田さんと縁続きになることができるようで、わたしも心から喜んでおります。どうぞよろしくお願いします」
 「こちらこそよろしくお願いします」
 「結納の日には、段田くんも来てくれるそうだから」
 雅彦が言う。
 「ありがとうございます」
 頭を下げる敬三。
 「いえいえ」
 と答える段田は、しかし、頭を下げる敬三を冷たく見る。
 「いや、まことにおめでたい春ですなあ」
 声高にそんなことを口にする客もいる。
 「全くですよ。そう言えば、快彦くんは」
 そんな問いに、雅彦が笑顔で答える。
 「息子はわれわれのところより、あちらの方が居心地がいいらしいですな」
 雅彦の視線の先を見ると、部屋の隅には、立ったままで楽しそうに会話する剛と井ノ原の姿。
 そんな快彦に、雅彦が声をかける。
 「快彦! 少しはこちらにも顔を出して挨拶しなさい」
 呼ばれて振り向く快彦。そして、ちょっと残念そうに剛と言葉を交わすと、快彦は男たちの集まりの方に加わる。

 まりこは紗英をつれて飲み物のワゴンに近づく。
 「これは、まりこ奥さま。なににいたしましょうか」
 あわててまりこに近づく原。
 「水割りでいいわ」
 「はい」
 原がグラスに氷を入れる。良枝は、まりこがいったい何者であるかわからずに、しばしきょとんと派手なドレスのまりこを見ているが、紗英がうしろにぼうっと立っているのを見て、笑顔で紗英に近づく。
 「お嬢さん、わたしがなにかお取りしましょうか」
 「え?」
 「お振り袖は動きにくいでしょう。汚したらたいへんよ」
 「あの……」
 「ジュースでいいかしら」
 「……」
 良枝は紗英の振り袖姿がとても気になるようである。ジュースを手渡しながらしげしげと紗英を見つめ、うらやましそうにつぶやく。
 「やっぱり、若いお嬢さんの和服姿はいいわねえ」
 「……」
 「うちも女の子だったら、結婚式には絶対白無垢を着せるんだけど……」
 そう言いながら、ため息をつかんばかりの良枝。それをうしろで聞いた剛は、思わず飲み物をむせる。
 そんな剛に気づいて振り向き、良枝はにっこり笑う。
 「あら。剛くん、大丈夫よ、あなたに白無垢を着てもらおうとは思ってないから……」
 「はあ……。もちろんです……」
 力無く答える剛。
 まりこは、少し離れたところで、そんな良枝と剛をにらむように見ているが、ふと良枝がふりむくと、急に愛想笑いを浮かべ、ねこなで声で良枝に近づく。
 「奥さま、あけましておめでとうございます」
 派手なドレスのまりこに急に声をかけられて、良枝はびっくりしたようである。まりこは愛想笑いを顔に張り付けたまま良枝に尋ねる。
 「もしかして、森田さんの奥さまでらっしゃいますの?」
 「は、はい……。あの、あなたさまは……」
 「わたし、快彦のおばで、段田まりこと申しますの」
 「まあ! 段田さまの……。お噂はかねがね伺っております。お顔も存じ上げませんで大変失礼いたしました」
 深々と頭を下げる良枝。
 「いいえええ」
 まりこはバカ丁寧である。
 「息子さんとは以前お会いしておりますし、兄からそちらさまとのお話はようく伺っておりますから、今更そんな他人行儀なご挨拶なさることありませんわあ」
 「まあ! 剛くん、こんなときはこちらからご挨拶するのが筋でしょ。存じ上げてるならなんでお母さんに言ってくれないの」
 「……すいません、俺、気がつかなくて……」
 「それじゃあ、すまされないのよ、もうあなたは……」
 「いいんですのよ、そんなこと……」
 まりこはいかにも鷹揚なふうである。
 「息子さんはもう、井ノ原家の人間も同然ですもの。お話を伺ったとき、あたしも段田も、これ以上ない縁組みだと喜びましたの」
 「はあ……」
 「なにせうちは古い家でしょう。快彦が男の子と結婚するのをよく思わない縁戚もおりますけどね、あたしと段田は大賛成で応援してますのよ。ほんとに快彦とお似合いの坊ちゃんだわあ」
 「……ありがとうございます……」
 「さ、じゃあ紗英、今度はあちらにご挨拶に行きましょう」
 まりこは言うだけ言うと、紗英をつれてさっさと段田たちのほうに歩き出す。なんだか疲れたようにその後ろ姿を見送る良枝。

 森田一家の帰りの車中。
 「剛くんもわたしたちといっしょに帰ってしまってよかったの?」
 走り出した車のなかで、良枝が剛に尋ねる。
 「え?」
 「だって。快彦さんとお話があるんじゃないの? いろいろと」
 「今日は、快彦さんはお年賀のお客で忙しそうですから……」
 「そうだわねえ」
 そう言いながら、良枝は少し疲れた声。
 「なんだかいろんな方がいて疲れるわね。みなさん、とてもよい方なんだけど……」
 「おいおい」
 と、運転席の敬三。
 「今からそんなんじゃ先が思いやられるなあ。今月中に結納だぞ」
 「ええ……」
 「結納が終わったら、婚約の披露パーティー。それが終わったら今度はすぐに挙式のことも打ち合わせがはじまる。一番はりきっていたおまえが今からそんなじゃ、だめだろう」
 「あらそんな、ちょっと疲れたって言っただけじゃありませんか」
 知らない客の間ではしおらしくしていた良枝だが、敬三にそう言われるととたんに元気いっぱいで反論する。
 「女はよそに出ると、いろいろ気を使って大変なことがあるんですよ。男の人みたいにゴルフの話ばかりしていればいいってわけには行きませんもの」
 「おいおい。俺だってゴルフの話ばかりじゃないよ」
 「ああら。それしか聞こえませんでしたけど」
 運転席の敬三と、リアシートに剛と並んで座っている良枝の間には、新年早々口論がはじまりそうな気配である。そのとき、先ほどからなにか考えていた剛が、決心したように言う。
 「あの、俺……」
 なにか良枝に言い返そうとしていた敬三が、それを聞きつける。
 「え? 剛くん今、なにか言ったかい」
 良枝も剛の顔を見る。
 「どうかした? 剛くん」
 「あの……、今度俺、いよいよ婚約ですよね、だからそれを……」
 そこまで言ってあとは言いよどむ剛。そこへ、右折車線の敬三の車の前に突然乱暴に割り込んできた車がある。敬三はあわててブレーキを踏んだ。どうにか車はぶつからずにすんで、敬三は文句を言う。
 「あぶないなあ、元日早々」
 「お正月だから、お酒でも飲んでいるのかも知れないわ。あなた、ようく気をつけて下さいね」
 良枝も、迷惑そうに前の車を見て、敬三に同調する。なんだかそれで、剛の言い出した言葉はどこかに行ってしまう。すぐに機嫌を直した良枝が、敬三に言う。
 「あなた、どうせ出たついでですから、三人で神社にお参りしていきましょうか」
 「かまわないが、車が置けるかなあ」
 「少しくらい歩きますよ。……だって今年は、剛くんの大事な年ですもの。家族そろってお参りしたいわ」
 もう、剛がさっきなにか言おうとしたことなど忘れ、そう言うと良枝は隣の剛の顔を見てにっこりする。敬三はバックミラー越しに、剛の表情をちらりと見る。剛は、なにか言いたくて言えないでいる顔である。

 1週間後。
 うちでくつろぎながら鉢植えの手入れをしている良枝。そこへ、突然電話の音がする。良枝はビニールの手袋をはずして電話に出る。
 「はい、もしもし、森田です」
 「ああ、良枝か」
 電話の相手は敬三である。敬三の声はどこか緊迫している。
 「あらあなた。どうかなさいましたの」
 「……。剛くんはいるかい」
 良枝は時計を見上げる。時間は午後の4時過ぎである。
 「保育園ですよ。まだこんな時間ですもの」
 「そうか。そうだな」
 「あなた。今日の夜はね、」
 良枝が話し出そうとすると、突然電話は切れる。
 「どうしたのかしら」
 不思議そうに受話器を見つめる良枝。

 「ただいま帰りましたあ」
 元気に玄関を入ってくる剛。
 「お帰りなさい」
 キッチンから顔を出す良枝。
 「お疲れさま。すぐ夕御飯よ。手を洗ってうがいをしてね」
 「はい」
 そこへ、また玄関の開く音。
 「あ、お父さんかしら」
 玄関に出る良枝。
 「お帰りなさい、あなた」
 だが、敬三の顔を見て、良枝は驚く。
 「どうなさったの、なんだかこわい顔……」
 「俺の顔なんかどうでもいい。剛くんは帰っているか」
 良枝が返事をするまでもなく、剛が玄関に顔をのぞかせる。
 「あ、お父さんお帰りなさい」
 「剛くん」
 「? はい」
 「君の……、いや、いい」
 「?」
 「すぐ出かける。君は上着を取ってきなさい」
 「? は、はい」
 敬三に言われ、剛はばたばたと階段を上って行く。ただごとでない敬三の気配に、良枝はすっかり驚いてただ敬三を見つめているだけだったが、やっと口を開いて尋ねる。
 「なんですの、なにかあったんですか、あなた……」
 「お父さん!」
 すぐに、ニットジャケットを手にした剛が階段を駆け下りてくる。
 「良枝、ちょっとふたりで井ノ原さんのところに行って来る」
 「あなた、じゃあ、あたしもいっしょに……」
 「いい。すぐ帰ってくるから、おまえは待ってなさい。遅くなるようだったら電話するから」
 「……」
 なんだかわからないながら、剛は急いで靴を履く。敬三は先に玄関を出て車に乗り込み、エンジンをかけて剛を待っている。
 「お母さん、先に飯食っててください」
 あ然としている良枝に言い置いて、剛も急いで車に乗り込む。
 剛が車のドアを閉めると、敬三はすぐに車のアクセルを踏みこむ。
 
 「お父さん?」
 動き出した車の中で、助手席の剛は運転している敬三に声をかける。
 「なにがあったんですか?」
 「……」
 敬三はちらりと剛を見る。不思議そうな顔の剛に、理由を言ったものかと迷っているようだが、敬三にはうまく説明できないようだ。
 「とにかく実物を見ないと」
 そんなわけのわからないことを独り言のように言う。
 「え?」
 「くだらんことだ。だが、世の中はくだらんことでできてるんだ」
 「……」

 敬三と剛が井ノ原雅彦(津川雅彦。前にも出てますが……)の書斎にあわただしく入ると、部屋の中では、雅彦の他に、快彦もふたりを待っていたようだった。
 「快彦さん……?」
 剛が声をかけるが、快彦はいつもの笑顔ではない。剛を見る表情がこわばっている。こんな快彦を見るのははじめてなので、剛はとまどう。
 「あの……」
 剛は、部屋にいる3人を見回す。なにもわからないのは剛だけのようだった。雅彦はさすがにいつもと表情を変えたりはしないが、敬三も、快彦も、なにごとかを知っていて言えない様子だ。剛は、やっと声を出して3人に尋ねる。
 「……いったいなにが……?」 
 雅彦が敬三の顔を見る。
 「剛くんにまだお話になってないんですか」
 「はあ……」
 敬三も困ったように答える。
 「……実はまだ、私もその写真を見たわけではないので……」
 「そうですか」
 雅彦は落ち着いている。
 「それほどたいした手紙ではありませんよ。ただ、おそらく大多数の招待客に送りつけられていると見ていいでしょうね」
 「大多数……」
 「ですが、とにかく剛くんにどういうことか聞かないことには、我々がどうするべきかもわかりませんからな」
 「はい……」
 雅彦と敬三の会話を聞いて、剛には、ますますなんのことかわからない。
 「写真? ……手紙……?」
 雅彦が、「いいですか?」と言うように敬三の顔を見る。敬三はしかたなく剛に向き直って告げる。
 「剛くん」
 「はい」
 「実は……、言いにくいことだが……」
 「はい?」
 「君を中傷した手紙が、婚約発表の会の招待客に送られているんだ。井ノ原社長にそれを教えてくれた方がいて、わかったんだ」
 「……中傷……?」
 「その中には君の写真も同封されているらしい。その説明を君にしてもらいたいと、そういう話なんだ」
 「剛くん誤解しないでくれたまえ」
 雅彦が言葉を挟む。
 「私も快彦も、けして君を疑っているわけではないんだ。ただ、こういう卑劣な行為には、私たちは気持ちを一つにして対抗しなければならない。そのためにも、これがどういう状況なのか、君から正直に話してもらうことが必要なんだ。まず聞きたい、この写真に写っているのは君だろうか」
 そう言いながら、雅彦は机の引き出しから、3枚の写真を取り出して、そのまま剛の目の前の机に並べて乗せた。
 剛は無表情にその写真を見た。
 敬三も脇から写真をのぞき込む。
 それは、夜の街角で口づけをかわす男同士の恋人たちの写真に見える。
 2枚ある、唇を重ねている写真は人物の顔がよく見えないけれど、1枚はふたりが唇を離した写真あとらしい写真だった。それには、はっきりと剛の表情が捉えられている。
 「これですか……」
 写真を見た敬三がかすれた声を出した。雅彦が剛の顔を見る。しかし、それよりも、快彦が後ろから自分を見つめている視線を、剛はさっきから痛いほど感じていた。部屋がしんと静まった。
 「俺です」
 しばらくして、3人の男が見守る中、剛は答えた。
 「これは俺です」
 「そうか」
 雅彦だけがそう言った。快彦と敬三はなにも言わない。剛は続けた。
 「日取りも覚えています。この間、快彦さんが出張から帰る前日のことです……」
 そう言って剛が口を閉じると、雅彦は井ノ原の顔を見たが、井ノ原がなにも言わないのを見ると、自分で剛に尋ねた。
 「で、我々はそこに写っている人物について、君に尋ねてもいいんだろうね。その男を君は知っているのかな? 知っているなら、誰なのか、君とどういう関係なのか、教えてもらわなきゃならない」
 剛はもう一度写真を見た。その男は、一緒に写っている剛と比較して見ると、ちょうど快彦と同じくらいの背丈らしい。年は快彦より上だろう。とぎすまされたような容姿が、横顔でもはっきりわかる。
 「あの、俺は……」
 答える剛の声が、ためらうように小さくなった。快彦が剛を見る。
 「……知りません……」
 つぶやくように剛が言う。
 「知らない……? 知らないような男と、なんだってそんな写真を撮られたのかね」
 雅彦の問いに、今度は、剛ははっきりと顔をあげた。
 「その夜、俺、アイズの秘書室長と名乗る男に電話で呼び出されたんです。どういうことかわからないのに車に乗った俺がバカでした。人気のない場所で降ろされたと思ったらなにがなんだかわからないうちにいきなり腕をつかまれて、そんなことに……。写真まで撮られていることはちっとも気がつきませんでした……」
 敬三がはっと気がついてつぶやく。
 「この間剛くんの言っていたいやがらせとは、このことだったのか……」
 剛は、そう言った敬三の方を振り向いた。
 「……はい」
 敬三が悔しそうにつぶやく。
 「そのときすぐ、なにがあったかわたしに言ってくれていれば……」
 「すみません」
 剛は唇を噛んだ。
 「言いたくなくて……。まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった……」
 「……。そうか……。そうだろうな……」
 敬三がため息をつく。
 もう一度、剛は写真を手にとって眺めた。
 ふたりの後ろには、ちょうど、「ホテル・ツーハート」と書かれたネオンさえ見える。奥にちらりと写ったそれらしい建物は、どう見てもラブホテルだ。後ろにラブホテルのネオンがあることなど、その場では意識にも上らなかった。すべて計算されていたのだ。なんだかあまりにうまく撮れていて、自分でもこれが無理矢理仕組まれた写真とは見えない。だいたい、唇を離した時の表情が、自分でも妙だ。相手の目を見つめているようだ。驚いてはいるが、嫌がっているようには見えない。
 「そうだとすると、剛くんが一番の被害者と言うことになるな」
 雅彦が言った。
 「おそらくこれは、君が快彦が婚約するのを快く思わない者の仕業だろうからね……」
 「……」
 「君をわざわざ呼びつけて不愉快な思いをさせて悪かったね」
 「いえ」
 「もっと早く君から聞いていれば、できることもあったんだが……」
 「……」
 「まあしょうがない。とにかく、わたしたちは、こんな卑劣な手段は歯牙にもかけないということだけははっきりさせたいね。ふたりの婚約と結婚の予定に変わりはない。……そうだろう、快彦」
 雅彦がそう言って、敬三が快彦を見た。快彦はゆっくりと剛の方に顔を向けた。快彦を見ていた剛と目と目があって、快彦はためらいがちな返事をした。
 「もちろん、そうです……」
 そんな快彦をみつめる剛。

 帰り、敬三と雅彦が玄関先で挨拶をしている。敬三を待っている剛に、快彦が近づいて、言う。
 「剛くん、俺、あんな写真気にしてないから」
 剛は、そんな快彦の顔をじっと見て答える。
 「……はい」

 帰りの車中。
 剛はリアシートで、窓を流れる車のライトを眺めている。なにごとか考えている表情。バックミラー越しにそれを見る敬三。

(続く)


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 よかったら感想でもひとこと……。

(1999.2.27)


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