第11回
スクーターで走る剛。
だが、剛は思い立って横道に入り、道を曲がり曲がりしながらしばらくそのままスクーターを走らせる。そして着いたのは、以前長野と待ち合わせした公園だ。
剛はスクーターを降りて、公園を眺める。誰もいない。ごくうっすらと公園には雪が積もり始めている。剛はしばらく黙って外灯に照らされた公園を眺める。
「……なにしてるの?」
突然、うしろから声がする。剛は振り向く。もちろん、そこに立っているのは、長野だ。
「なにも」
あたりまえみたいに剛はにやっと笑う。
「どう? 長野くん、……元気?」
「ああ。大丈夫」
「ふう〜ん」
そう言いながらなにか言いたそうな顔をして、結局剛はひとことだけ訊いた。
「クリスマスなのに、ひとり?」
「ああ。ひとり」
長野は笑う。
「剛は?」
「これから友達んち行くとこ」
「そう」
「……でもさあ。……あいつらもう盛り上がってるだろうから、ここでちょっと長野くんと話してってもいいな」
「寒くない?」
「全然」
スクーターと自転車をてんでに引きずって、ふたりはベンチまで行き、雪を払ってそこに座った。ふと空を見上げた長野が言う。
「剛。上見てごらん」
長野が言った。
「あ。すげ」
剛が声を上げる。
冬の夜空からは、白い小さな雪片が、あとからあとから地上に向かって舞い降りてくるのだった。
「おっそいなあ」
健がつぶやく。
電気も消して、音楽まで流して、もうすっかりふたりきりのクリスマス会の用意はできているのだ。
「剛、なにやってんのかなあ。買い物なんてしなくていいのに……」
窓から身を乗り出す健。
「雪降って……、ムード出てる……」
ちょっとだけ雪に見とれてから、健ははっと我に返る。
「そうだ、電話しよ……」
剛の携帯は、剛の部屋の机の上に置かれてある。今日剛は携帯を忘れたのだった……。
「きっしょ。つながんねーよ」
健の顔には不安の色。
「雪ふってっし。剛、スクーターだし。……どっかで事故ったとか……」
外の雪を見ながら、落ち着かなくなる健。
公園。
「式とか、もう、決まったの?」
長野の問いに剛は、ポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめる。
「一月の末には婚約。式はまだ決まってないけど、六月頃かな?」
「そしたら、もう、こんなとこで話すこともないね」
「……なんで?」
剛が言う。
「なんでって? だって、剛、結婚するんだろ?」
「結婚はするよ。もう、決めたんだから。でも……」
「……」
「俺、なにも変わんないよ。俺は俺だもん。来たきゃ公園でおしゃべりする」
そう言って笑い、長野の顔を見て、剛は、真顔になった。
「そういうの、変?」
真顔のまま、剛が尋ねる。長野が答える。
「……いや」
「言っとくけど」
剛が突然口をとがらせて、ムキになったように言う。
「俺、井ノ原さんのこと好きだけど。お父さんやお母さんも好きだし、保育園の同僚達も好きだし……、そういうの、結婚してもちっとも変わんないよ。っていうか、結婚したからって変わりたくない」
「……」
「そう。長野くんのおじいちゃんもずっと大好きだったし……。そういうの、大切にしたいんだ」
「……」
「俺は、変わんないよ」
長野は、子供みたいにムキになっている剛の顔を見る。自分を見る長野の表情を見て、剛が不満そうに尋ねた。
「なんだよ、長野くん」
「うん」
「なに」
「なんでも」
「うそ。なんか言おうとしてた」
剛が何度も尋ねるので、とうとう長野は言った。
「……もしかしたら剛は変わったほうがいいのかもしれないよ」
「え……」
長野の意外な言葉に、剛は目を見張る。
「どういう意味……?」
剛に問われ、長野は自分が言った意味をもう一度考えるような顔をして、そして言い直す。
「えっとね。結婚するくらい誰かを好きになったんだから、きっと剛はこれからどんどん変わるよ、それは悪いことじゃないよって。……そういう意味」
「……」
「そうじゃない?」
「……」
「だから、今みたいに、変わらないって決めなくていいんじゃないかな」
「……」
しばらく言葉がとぎれた。雪だけが舞い落ちる。
剛が急に立ち上がった。
「……俺、そろそろ行くわ。友達が待ってる」
長野も立ち上がる。
道路までスクーターを押すと、うっすらと積もった雪に、タイヤの跡がついた。長野の自転車の跡とまざって、何本かの線がふたりの後ろに続く。剛が言った。
「このごろ、滅多に会えないけど、今日会えてよかった」
「うん」
「俺、約束して会うんじゃなくて、会いたいと思ったら会えるのが好きなんだよね」
「調子いいな」
「そう?」
「でも、僕もそうだな」
「だろ?」
きゃきゃきゃっと笑って、剛は道路にスクーターを乗り出した。だが、2,3メートル走ると、剛は急にブレーキをかける。
なにかあったかと思って、長野はそんな剛を見つめる。
「……あのさ」
剛がふりかえって、少し照れくさそうに言う。
「さっき言わなかったんだけど」
「?」
「俺、長野くんも好きだから」
「……」
そう言って剛は、もう一度エンジンをかけながら、今度はひとりごとみたいに言った。
「俺、やっぱり、変われねえかも……」
すぐに剛は再び走り出した。
いきおいよく階段を駆け下りる健。ジャケットのフードをかぶって、手には傘を一本持っている。アパートの階段を降りると不安そうな表情で左右を見回す。雪ですでに周りの景色がいつもと違う。健は広い道の方に駆け出す。
スクーターで裏道を抜け、健のアパートの裏手に出る剛。健の部屋の窓が暗いのを見上げ、不審そうな声。
「あれえ?」
階段を上って、明かりのついていない健の部屋のドアを開ける剛。
「おーーい。誰もいないの?」
住宅街の道を、左右を見回しながら歩く健。バイクの音がすると目を懲らすけれど、剛の姿はない。
「ちぇー」
舌打ちしながら剛が健の部屋の明かりをつける。
「なんだ、人がせっかく来たのに、もう終わっちまったんじゃねえかよー」
だが、部屋の中は以外にもきれいで、男が何人も集まって飲み会をした形跡はない。しかも、よく見ると、テーブルにはキャンドルやふたり分のワイングラスや、小さなケーキなどが出されている。
「変なの」
剛は小さなクリスマスツリーを取り上げて、裏をひっくり返して見たりしながらつぶやく。
しばらくして、はっとする剛。
「あ、健のヤツ、もしかして……」
雪を体にいっぱいつけた剛が、家の玄関を入る。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
飛んでくる良枝。
「雪、大丈夫だった?」
「平気ですよ。もう、止みかけてました」
良枝は剛の体の雪を払いながら続ける。
「今日は三宅くんちでクリスマス会だって言ってたでしょ。なにかあったの?」
「いえ、全然」
「三宅くんから電話あったのよ。さっきから3回も」
「へえ〜。なんだろ?」
「さあさあ、すぐにお風呂入ってあったまって」
「はい」
ふたりがそう言っている間に、また電話のベルが鳴る。
「あら。きっとまた三宅くんよ。お風呂からあがったら電話するって言っとくわね」
「あ、健〜」
バスタオルで頭を拭きながら、剛がコードレスで電話をしている。
「健〜じゃねーよ!」
怒鳴る健。
「なんで……、なんで剛、うちに帰っちまうんだよーー!」
「なんでってさ。俺、ワイン置いてきたろ」
「んなこと言ってんじゃねえ! 剛、今日は俺んちに来るって約束しただろ」
「あーー」
「あーーって……」
「あのさ。俺になんか電話しなくていいから。おまえはうまくやってなさいよ」
「? なんだよ、それ」
「今、いるの?」
「?? いるって、なに?」
「だから。彼女」
「はあ〜?」
「ごめん、もっと早く行けばよかったんだけど、ちょっとさ。今日、野郎ども帰したあと、女の子呼ぶ約束してたんだね。言っといてくれればよかったのに」
「???」
「俺行ったらもう、部屋全部きれいに片づいててさ。女の子が喜びそうにセッティングしてあって。健、マメじゃん。あのとき、迎えに行ってたの?」
「……」
「もう〜。結構やってんだな。今度会わせろよ。じゃあ、とりあえず、切るよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
「あ、そだ。つまんないもんだけど、棚の上にプレゼント置いてきたから」
「プレゼント?」
そこへ、顔をのぞかせる良枝。
「剛くん、お父さんがお帰りになったわよ」
剛は通話口をふさいで返事をする。
「あ、はい」
「お母さんね、クリスマスだし一応ごちそう作っといたのよ。これから家族で乾杯しましょ」
「今行きます」
良枝にそう答えて、剛はまた受話器に向かう。
「じゃあな、うまくやれよ!」
「ま、待ってよ!……って、切れた……」
受話器を見つめて呆然とする健。
「……プレゼントって、これ……?」
健の情けない声。
健の部屋の棚の上にあったのは、酒屋の景品の「うさちゃん小鉢」。
受話器を置いた剛が、部屋を出ようとして明かりを消す。
すると浮かび上がる、窓の外の、すでにみぞれに変わってしまった雪。
もう一度部屋の中に戻り、窓に依って、それをみつめる剛。
「なんだよ、あれ」
文句を言っているのは、エプロンに三角巾姿ではたきをかけている剛。
翌日の夕方、ここはダリア保育園。まだ帰らない子供達はお遊戯室で保母さんと遊んでいて、3人はそろそろ少しずつクラスの大掃除を、と園長から言いつかっているのだ。
「なに、剛くん」
尋ねるのはやはり同じ姿の准一。こちらは手に雑巾を持っている。
「……健だよ。今日は朝から、俺とひとことも口を利きやがらねえ」
そう口をとがらせた剛の視線の先には、一人で黙々と子供たちのテーブルを拭いている健の姿。
「ああ……。健くんな……」
今朝から准一も健と口を利いていないが、剛から聞いた話と健の不機嫌きわまりない表情で、昨日、健の計画がなにもかもうまくいかなかったらしいことは、簡単に想像できていた。
「あれさ、きっと、女にふられたんじゃん?」
悪魔のように剛が言う。
「考えたら、そうでなきゃ、俺のとこになんか何度も電話してくるはずないもんな。あんなにはりきって準備して待ってたのに、彼女来なかったんだ、きっと。あーあ。健くんかわいそー」
「……」
これには、常日頃「健くんて変わってる」と思っている准一も、深く健に同情せざるを得ない。
「あんな、剛くん……」
言っていいものかどうか、うしろの健を気にしながら、准一は剛の横顔に小声で言う。
「……なにい?」
剛はごちゃごちゃ置いてある子供の作品をどかして棚にはたきをかけながら、どうでもよさそうに返事する。
「昨日健くんが待ってたのはな、」
准一が言いかけたとき、保母の一人が教室に顔をのぞかせた。
「森田先生、お電話ですよ」
「あ、はーい」
剛はすぐにはたきの手を止める。
「……誰だろ? 井ノ原さんが帰って来るのはあさってだし」
健は全く興味がないように、こちらを見もしない。
剛は准一に声をかけた。
「んじゃ、俺、ちょっと行って来る」
剛が去った教室。
剛の足音が遠ざかったのを見計らって、健がいきなり岡田に怒鳴る。
「岡田!!」
怒鳴りながら健はつかつかと准一に近づいてくる。
「な、なに、健くん……」
「今おまえ、剛に余計なこと言おうとしてただろ」
「余計って、俺は……」
「余計なんだよ! 俺、もう、剛のことなんかどうでもいいんだから」
「……」
「あんな、無神経で、人の気持ちのわかんないヤツ、もうどうでもいい。俺がバカだったんだ。結婚でもなんでも勝手にすれば、って感じ」
「……」
だが、すぐに健はうつむいて、小声になった。
「俺、昨日、剛がなかなか来ないからすげえ心配になって、雪の中、ずっと剛のこと捜したんだぜ? それなのに、剛なんてちょっと俺がうちにいないとすぐ帰っちゃうし、おまけに、プレゼントなんて言って、酒屋の景品のうさちゃん小鉢置いてったんだよ? 俺なんか、剛が喜びそうなもの、どんだけ捜したと思ってんの……」
そこまで言って、岡田の表情に気がついた健はいっぺん口をつぐんだ。だが、それからすぐにまた顔を上げて、強い語調で言う。
「だから俺。剛なんてもう、どうでもいいことにしたんだ。これからだってずっと。……剛が結婚するときだって、俺、ちゃんと笑顔でおめでとうって言えるから!」
「はい、もしもし。替わりました」
剛が電話に出るとすぐに、感じのいい男の声が剛を確認した。
「……森田くんですね」
「? はい、そうです」
「わたし、アイズ秘書室長の佐藤と申しますが」
アイズとは、井ノ原の会社の名だ。それはすぐわかったが、剛は井ノ原の会社の人間からの電話など受けたことがなかったのでとまどった。まず頭に浮かんだのは、出張中の井ノ原になにかあったのか、ということだった。
「……快彦さんになにか……?」
「いえ、そうではなくて」
剛の不安げな問いに、穏やかで品のいい声が答えた。その声だけで、五十年輩くらいの、いかにも秘書室長などをつとめそうな、都会的な人当たりのいい男を想像できた。
「実は、今日、社長がそちらさまとお話したいことがあるということで、こうしてお電話を差し上げているわけなんですが」
「? 井ノ原社長が? 今からですか」
「はい」
「あの。……どういう話なんでしょうか」
剛の問いに、男がまた、安心させるような、親しみを込めた声で答える。
「ご心配はいりません。実は、社長はまえまえからそちらさまとふたりきりでお会いになりたいと申されておりまして。社長には、快彦さんのいない場所で、じっくりそちらさまとお話になりたいことがあるんだと思います。もちろん、堅苦しい場ではなくて、どこかでお食事でもなさりながらですが」
「……」
「もし、お時間遅くなられますようなら、それでもかまいません。お迎えを出しますから」
「仕事は……、そろそろ終わりますけど……」
「そうですか。では、お車を差し向けますので」
「迎えなんか別にいりません、場所さえ教えてもらえれば……」
「いえ、そういうわけには。では、あと、しばらくで車がそちらのほうに着くように手配いたしますから。あ、おうちの方にもこちらから連絡を入れておきますので」
「……はい……」
「そう、固くお考えにならず。社長が忙しいもので、突然のお電話になってしまいましたが、どうぞお気楽にいらして下さい」
受話器を置くと、剛は時計を見上げた。6時半だった。今日はもうこれであがれる。
剛が健と准一が待つ教室に戻ると、すぐに准一が尋ねてきた。
「電話ってなんやった? 剛くん」
「うん……」
剛は、生返事をしながら、置きっぱなしにしてあったはたきを掃除用具入れに片づけた。
「井ノ原さんのお父さんが、俺に会いたいって」
「へえ?」
「井ノ原さん出張中なのにさ。井ノ原さんなしで、俺にだけ話したいことがあるなんて……。超面倒そう……」
「まあな……」
健の方はと言えば、剛の話は聞こえたはずなのに、まだもくもくと雑巾をかけている。
「あーーあ」
剛は、エプロンをはずしながら本当にいやそうにため息をつく。
「もうすぐ迎えが来るとか言ってたけど、俺、マジで行きたくない。……なあ、おまえら今日、遅番だろ。俺、替わってやろうか」
「替わってどうするの」
「車来たら、やっぱり忙しいからいけないって言うよ」
「別にそんなん、嘘でもええやん。具合悪いとでも言えば」
「そうだけど……」
剛と准一がなんだかんだとしゃべっていると、健がいきなり振り向いて言った。
「剛、バッカみたい」
言われた剛は、黙ったまま健の方に目をやる。
「井ノ原さんと結婚するって決めたの、剛自身じゃん。だったら、ああいう、お金も地位もある家の長男と結婚したらどういうことがあるかなんて、最初からわかってるはずじゃない。井ノ原家のしきたりとか、長男と結婚する心得とか、あるに決まってるだろ。剛、ただ井ノ原さんがいい人だから結婚するなんて言ってたけど、そんなんじゃやってけるはずないよ」
「……」
「今はまだ恋人気分でいいかも知れないよ。剛は、井ノ原さんに見初められたんだもんね。でもさ、ほんとに結婚してからどうすんのさ。そんなんじゃ井ノ原さんいなかったら、井ノ原家の人間としての勤めなんてなんにもできないじゃん」
「……」
健がまくしたてるのを黙って聞いていた剛は、だんだんふてくされたような表情になって健から目をそらす。
「健くん。そこまで言わなくても……」
「いいよ、岡田黙ってて」
そう言って剛は、もたれていた壁から身を起こす。
「しばらくしたら車来るから、俺、もう行くよ」
「剛くん……」
「じゃあな」
そう言い捨てて、剛は不機嫌そうに教室を出ていく。
健もまた、不機嫌そうに雑巾をバケツの水で絞る。
「健くん、なんであんなこと言うの? 剛くんが結婚しないほうがええのやろ? なのに……」
「言ったろ。もうどうでもいいって」
「そんな……」
「いいの! 俺、とにかく今、剛にすっげえ腹たててるんだから。剛なんて、しっちゃかめっちゃか大変な目に会って、うんと後悔すればいいんだ」
「……」
(続く)
もう11回だって。大河ドラマになってきちゃったなあ……(そんなことないか、)
なんだかんだのクリスマスも終わりましたが、健くんはとうとう剛くんから手を引く決心をしてしまったんでしょうか……? そして剛くんはこのままイノッチと結婚してしまうのか? 前回まーくんの引き受けた仕事とは?
というところで、「剛くんの結婚」はちょっとだけお休み。次回は「必殺苦労人」シリーズ最新作をお届けします。再びスマップからゲストを迎えての感動作です。
江戸の闇にトニセンの必殺技が冴える「必殺苦労人」! どうぞご期待下さい!
(1999.1.31)
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