あなたとセント・バレンタイン

「君とメリー・クリスマス」番外編

第2回

 翌日はいよいよバレンタインデー。(現実には第二土曜で休みですが、まあ、この際それはおいといて)
 朝、にっこりと可愛い包みをカバンに入れる恵。メグはチョコのラッピングのリボンをつまんで、しばしにらめっこしてからカバンにしまう。紗弥加は机の上のチョコの包みを、祈るように見つめている。加奈子はといえば、チョコの包みにかけ声をかける。「がんばれよっ」
 美穂は掌のチョコの包みにうん、と一人で頷いて。多香美は小首を傾げて微笑んで。六つのチョコの包みはまるで魔法にかかったようにきらきら輝く。
 さて、学校。
 朝からそわそわしているメグ。
 「おーい、森田、女の子が来てるぜ」
 からかいの声に、しょうがなさそうに席を立って廊下に出る剛。
 「もうやだやだ……」
 その度にチョコなんか渡すのやめようかな、とメグはいじけた気持ちになってしまう。剛なんか、あのパーティーの時はやさしいこと言ってくれたけど、あれからそんなこと忘れたみたいな顔してるんだもん。
 ため息をついてチョコの包みを見る。
 でも、これは特別なチョコなんだから……。
これだけは渡さなきゃだめ。
 弱虫でいじけ虫のメグはだめなんだから。
 けれどとうとう放課後になってしまった。
 准一がささっと健の側によって声をかける。
 「健くん、今日紗弥加ちゃんとこ行くんか?」
 「なんだよ、急に」
 「いや、俺もな、今日学校の校門で待ってるって恵ちゃんに言ったん」
 「うそ。岡田、やったじゃん」
 健はからかう、というふうでもなく言う。
 「じゃ、一緒に行こうか」
 「行こ行こ」
 「……剛は今日もサッカーの練習あるんだろ」
 健が剛に尋ねる。
 「ある」
 そっけない剛の返事。
 「じゃ、俺達は、さ」
 行くから、と言うのを抜かして立ち上がる准一と健。もちろん二人は紗弥加と恵の通う女子校へ直行する気である。
 「いってらっしゃーい」
 つまらなそうに返事をして、剛は部室に行こうと立ち上がる。
 でもそんな剛にすぐには声をかけられなくて、メグが声をかけたのは、剛が靴を履き替えようとしているとき。
 「あ、あの、剛」
 「……なんだ、恵。俺に用?」
 「あの」
 なんか剛の機嫌が悪そうなのでひるむメグ。でも、このチョコの魔法を信じて。
 「これ!!」
 両手で渡す。
 「これって……もしかして、チョコ?」
 「うん、そう」
 「……俺に?」
 「うん、そう」
 「そっか……」
 なになに、剛、変な顔してチョコを見てるよ!
 「ありがとう!」
 顔を上げた剛は笑顔。メグはどっきん! この顔、弱いなあ……。
 「すっげえうれしい!」
 そんなこと言われたら、なんて言っていいかわかんない。どうにか答えた言葉は、
 「自信ないけど手作りチョコなの。絶対食べてね!」

 女子校の校門前。
 下校してくる制服姿の女の子がちらちらと立っている健と准一を見る。……特に健くんを見る女の子達の目つきには熱いものがある、と准一は思う。でも、健は特に気にしてもいない。
 「なあなあ、健くん、チョコどのくらいもろたん?」
 さっきから気になっていたことを聞いてみる。
 「チョコ? 全然もらってないよ」
 「全然……ってことないやろ。やたらと呼び出されてたやん」
 「全部断った」
 「断った……? 女の子に?」
 「うん。だって、応えられないのにもらうだけもらっちゃ悪いだろ?」
 「ず、ずいぶんはっきりしてるんやなあ。……みんながっかりしたやろ」
 「そうかも知れないけど、どうせあとでがっかりするかも知れないし」
 たいしたこともないように健は言う。
 「なんか、健くんてすごいな」
 「え。……なんで?」
 「だって男ならちょっとはあるやん、チョコの数自慢したりとか」
 「ああ、俺。そういうのないな」
 ほんとにないなあと准一も思う。ありそうなんだけど、ない。健くんは自分の気に入ったものしか見てないと言うか。まあ、考えてみれば誰もそうか。
 「あ、紗弥加ちゃん」
 健が笑って手をあげる。紗弥加が悪い方の足を引きずるように歩いてくる。紗弥加は、前のようにおどおどしていない。むしろ足を引きずり加減なのが魅力的な特徴に見える。それはきっと花のような笑顔のせい。
 「女の子って変わるもんやなあ」
 思わずつぶやく准一。……変わったんは健くんの力やろか。それとも、紗弥加ちゃんの中に潜んでたものなのかなあ……。
 などと、ほんのちょっとだけ哲学した准一だったが、あっという間にそんな気分は吹き飛んだ。恵の走ってくる姿が目に入ったからだ。
 「か、かわい……」
 准一の目に映る風景。それは舞い散る花びらの中をスローモーションで駆けてくる恵。
 「岡田さん、遅くなってごめんなさい!」
 「え? いや、全然待ってへんで。な、なあ、健くん」
 「うん」
 四人は肩を並べて歩き出す。
 「四人一緒だなんて珍しいから、どっかでお茶でも飲んでこうか」
 と、健。
 「ええなあ、それ」
 と、准一。今まで何度か勇気を出して恵を誘ったが、おしゃべりが続かなくてどうしていいかわからなくなることばっかりだったので、健くんと紗弥加ちゃんもいてくれたら心強いし恵ちゃんも楽しいんじゃないかと思う。
 「うん、でもちょっと今日……」
 と、困ったように小声になる紗弥加。
 「加奈ちゃんがうちに来たそうだったから、つい、学校の帰りにうちに寄ってねって言っちゃったの……。だから、ゆっくり出来ないのよ」
 「そう……」
 がっかりしたような健の声。
 「なんや紗弥加ちゃん、加奈子のことなんかほっとけばええやん!」
 思わず口を出してしまう准一。
 「あいつ、どうせ紗弥加ちゃんのお兄さんに会いたいだけやろ。この頃しょっちゅう行ってるみたいやんか。今日みたいな日にほんま図々しいんやから……」
 「だって、加奈ちゃんが来たい気持ちわかったから。加奈ちゃんがお兄ちゃんのこと好きでいてくれるの、あたし嬉しいし」
 紗弥加が小さな声でいいわけを言う。
 「……。そおかあ。でもなあ」
 それじゃ、自分のバレンタインはどうでもええんか? と言いそうになって准一はやめておいた。
 健も無口になってしまうし、紗弥加は健の顔を見たときの笑顔も消えて泣きそうな顔になってしまった。
 何か変な感じになってしまった。どないしよ。
 准一がなんと言おうかと思っていると、袖口が引っ張られた。
 「?」
 見ると、恵である。
 二人きりにしてあげましょうと言うつもりらしい。准一は頷いた。

 黙ったまま健と肩を並べて歩き、角を曲がってしばらくして、紗弥加はやっと気がついた。
 「あれ、恵ちゃんと准くんがいない」
 「ほんとだ」
 そう言って健も振り向く。
 「どうしたのかな」
 紗弥加がつぶやくと、
 「二人でなんか話したいんじゃないか」
 と健。
 「そうだね……」
 そう言って、紗弥加は鼻がつんとしてしまった。
 准くんと恵ちゃんはうまくいってるんだね……。
 なんか、変。それはいいことなのに、急に悲しくなってしまった。
 立ち止まった紗弥加に健が尋ねる。
 「どうしたの、紗弥加ちゃん」
 「あ、なんでも、ないの……」
 あわてて鼻をこすって、そしたらやっぱり涙がぽろり。
 「紗弥加ちゃん……?」
 「ごめんね、健くん。……怒ってる?」
 「怒って? ……なんで?」 
 「だって、せっかく今日誘ってくれたのに、紗弥加が勝手に……」
 「怒るわけないだろ。……それは、少しがっかりしたけど……」
 健の優しい声。
 「そういう、やさしい紗弥加ちゃんが俺は好きなんだから」
 「……」
 紗弥加は声が出ない。嘘みたい。どうして健くんがそんなことあたしに言ってくれるんだろ。あたしはなんて答えればいいんだろ……。
 どうしていいのかわからなくてしばらく立ちすくんでから、紗弥加ははっと思い出した。
 そうだ、チョコ。あのチョコがある!
 紗弥加は急いでカバンからチョコを取り出す。
 「健くん、これ……」
 「……チョコ?」
 「うん、そう、あの……」
 「……」
 だって、これは魔法のチョコ……。
 「あたしも健くんのこと、好き……」

 「どうしたかなあ、健くんと紗弥加ちゃん」
 「……」
 「うまくいったやろか」
 そう言ってはいるものの、実は准一は、さほど健と紗弥加を心配しているわけではない。
 また、恵となにをしゃべればいいかわからなくなってしまったのでつい口に出しだけと言える。
 あのパーティーの夜に恵に会って、やっと名前だけを聞いて、二晩よく眠らずに考えて、これはどうにかせんとあかんと覚悟を決めて、三日後には好子おばさんに恵の電話番号を教えてもらったのである。
 それからドキドキしながらどうにかこうにか電話をした。恵は怪訝そうな声で電話に出たが、今度会えるかなと尋ねたら、しばらく間をおいてから「はい」と言ってくれた。
 次の日公園の噴水前に不安そうに来てくれた恵ちゃんはやっぱりすごくかわいくて、とにかくそこまではなんとかうまくいったんやけど……。
 でも、そこからが問題。自分がとんちんかんなことばかりしゃべってて、恵ちゃんはしゃべりもせずじっと俺の話を聞いてるばかり。こんなんでええのやろか? 
 だいたい。こんな可愛い子がどうして俺と会うてくれてんねん。……もしかしたら、恵ちゃんは素直な子だから、断るのは悪いと思ってつきおうてくれてるだけかも知れん……。いつもそんなことを考えてしまって。
 准一は思い切って立ち止まった。やっぱ、聞かな、あかん!
 「な、なあ、今日、俺とおうててほんまにええんか?」
 「……え?」
 恵はびっくりしたように言う。
 「なんでですか?」
 「なんでって……。今日はバレンタインデーやで」
 「はい」
 「バレンタインって言ったら……、女の子には大事な日やんか」
 「はい」
 「俺、昨日、調子に乗って、今日会って欲しいなんて言うてしもたんやけど、ほんまによかったんか?」
 「……」
 「俺、健くんみたいにもてるわけでもないし、女の子の気持ちとか全然わからんねん。恵ちゃん、無理してるんと違うか?」
 准一にそう言われて、恵は大きな目をますます大きく見開いた。准一はそんな恵を見てため息をつくような気持ちで思う。
 ……かわいいなあ……。
 でも、恵ちゃんに負担をかけてるなら、嫌なんや。もちろん恵ちゃんのことはずっと好きやけど、まだ恵ちゃんは中学生なんやから。俺はもっとゆっくり待っててもええんや。
 「恵は」
 准一があれやこれや考えていると、恵が口を開いた。
 「無理なんかしてません!」
 「……え?」  
 気がつくと、恵は准一の見慣れない表情をしている。これは……。
 もしかして……怒ってるんか?
 「どうしてそんなこと言うんですか!」
 「め、恵ちゃん……」
 「ひどいです、そんなこと言うの!」
 ……確実に怒ってる……。
 「なんで怒るんや……」
 「だって、だって……」
 恵の瞳が准一をキッと見つめる。
 「恵は好きでもない人と会ったりしません。岡田さんじゃなかったら会ったりしません! 昨日だって、紗弥加先輩に誘われたとき、菅野さんのおうちに行けば岡田さんにも会えるんじゃないかと思ってドキドキしながら行ったんです。今日会おうなって言われたとき、とっても嬉しかった。チョコだって、岡田さんにあげるためだから、一生懸命つくってたのに……」
 「恵ちゃん……」
 「……だのに、何でそんなこと言うんですか」
 「恵……」
 「恵は岡田さんといるだけで楽しかったのに、それじゃ足りないですか」
 そう言って、恵は口を閉じた。怒った表情が急に消えた。
 「恵はいつもどうすれば気持ちが伝わるのかわからなくて、どんなふうにすればこの気持ちが伝わるのかわからなくて……、うまくおしゃべりもできなくて……」
 恵の大きな目が涙でいっぱいになった。なにか言おうとして、でも、准一は声が出ない。
 かわいくて……。
 「……泣くなや……」
 やっと声が出た。
 「……ごめん、俺、なにもわからんで……」
 「……」
 「俺、ほんまなにもわからんかったん。知りおうたばかりなのに、恵ちゃんのことばかり考えてるし、なのに恵ちゃんのことなにも知らんし、どうすればいいのかよくわからんかったんや……」
 「……」
 「恵ちゃんを大事に思てること、言いたかっただけやったんやけどな……」
 恵は黙ったまま下を向いている。
 ぼうっと突っ立ったまま、俺はほんまにあほやと准一は思う。
 なに恵ちゃんのこと泣かせてんのやろ……。
 「なあ、顔上げてや」
 そう言うと、少しすねた表情のまま、恵が顔を上げた。
 やっぱ、かわいい。
 じっと見ていると、恵が急にカバンを開いた。
 恵が取りだしたのは、小さなかわいい包み。恵はなにも言わずに准一にそれを差し出す。
 「これ、俺に……?」
 准一は思わず訊いてしまう。
 「……ええん?」
 頷く恵の表情は、恥ずかしそうな笑顔。そして、しっかりと言う。
 「言ったでしょう。恵、岡田さんのために作ったんです」
 気づくと、准一の中にさっきまであった不安は全部消えていて、残っているのは手の中の包みの軽やかな確かさ。
 「バレンタインチョコって、やっぱ、ええなあ……」
 幸せな気分でつぶやくと、恵が小声で言う。
 「……だって、そのチョコは特別なんです……」

(つづく)

 うわー。みんな、これはドラマだから。こういうのもあるかって思って読んでください……。次回のターゲットは坂本君です!(1998.2.10)


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