アイデアは少々 技術なし 根気なし しまった シマッタ 島倉千代子。困った コマッタ こまどり姉妹・・・・。
私が木工(木を扱うから 一応 木工?という事で)を始めたきっかけは 平成14年 念願の自宅を建てた時の事。 設計士さんは 大変 私達の事を理解して下さって 私達の予算も もちろんの事だったのですが 請け負って下さった工務店さん(実際には工務店側が積算 手配する)も 良い仕事はして下さったのですが 設計士さんとの意思の違いと申しますか 私達の希望していた 物干しデッキとか 作り付け家具が予定していたより 見積り金額が大幅に違っていました。 材はデッキの場合 檜でお願いしました。 作り付け家具は3点 玄関の下駄箱 脱衣所の衣類入れ 居間の収納(半畳分)です。作り付け家具はフラッシュのベニアでお願いしました。 何度か見積りをして頂きましたが 大した変化は無く それは 予想金額を一桁オーバーしていたのです!!。 「これ位 オレが作ったる!」と 大見得を切ったまでは良かったのですが・・・・・ねぇ。 それが 事の始まりです。 以後 まずは物干し場が有りませんので デッキから開始。 図面引きに3ヶ月以上 材料見積りに1ヶ月 道具の買い揃えや その他で約一ヶ月 実寸採取や材料の積算見直し等 平行してやっていた事のずれで1ヶ月 材料を刻みかけて2ヶ月 等々 「はぁ〜 」と ため息ばかり出て来て この先 どうなる事やら しかも どんどん興味は横道に逸て・・・・・道具の使い方 ほぞの嵌め合い等 本を読み ネットで調べるうち もっと横道に・・・・ えらいこっちゃぁ。 副題で「すべては 何で? から始まった。」としていますが 先ず 家(不動産)を購入する段階から 建て売り 自由設計 メーカー 個人工務店 等 制約と自由の「物」と「価格」の関係から始まって 「労賃」や「分業」 はては 自分が製作するにあたって 様々な「何で?」にぶつかりました。一つの目的から 波紋が広がる様に どんどん面白くなって行ったのです。人の興味は いつか飽きると云う結末を迎えるのかも知れません。又は新たにこれ以上の「何で?」を見付けるのかも知れません。趣味として やって見よう と思った時点から「労賃」は消えました。楽しまなくっちゃぁ〜。 無心に木を切ったり 削ったり 危険な道具を使うと 頭の中が真っ白になって 心は開放されるのです。 あれこれ書きましたが これはすべて自分を正当化する為の 悲しーい 「言い訳」です。すっぽり はまってます。 格好にはなってますが 未完成。 取りあえず 物干しは出来る。(’03.12.現在) |
兵庫県の有名な 神戸市のオトナリの市在住(全国的には 花火大会で有名になってしまったか?) 4ん才 ♂ 妻(♀) 子供(小学生♂) の3人暮らし(あの 花火大会で現場に居た二人 よく無事でした 私はお仕事でした) 仕事は 自営業です 小さな自転車店のおっさん(チャリダーのハンドル名はここから来てます) 私の父は 大工でした。 もう 現役を引退して 17年位経ちますか 現在は細々と農業をやっています。 現役時代の道具は たくさん有りますが プロが使っていた物ですので そっとしてあります。使えと言ってくれますが 心情的に使えませんね。道具としては 使ってやった方が良いのは判っていますが 使えるだけの技量もなし。趣味とプロはやり方も違いますからね。 幼児体験と云うのでしょうか すんなり 何の抵抗も無く木を切ってますけど。 ’06.04 少し補正 この年 息子は中学生になりました。 私ももう40台後半・・・ジジイの入り口に入りました。 |
再補正(笑) 現在 私は50+になりました。歳はとりたくないものですよねえ 先ず根気が無くなる・・・というぼやきから始まるのも歳のせいとしておきましょうか。 息子は’09年 晴れて自宅近くの高専に合格しました 何より家から一番近いからとは 口が裂けても言えない動機だった・・・スミマセン! (’09.07.更新) |
再々補正 息子は高専3年生になり 今年の2月に親父が亡くなりました 突然逝ったので後の事はめちゃくちゃです まあ 本人が一番びっくりしてるでしょうが・・・ (’11.09.更新) |