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第76回植村直己・帯広野外学校『サバイバルキャンプ』 2011.8.4〜10
やり抜いた! 参加者の感想文

『来てよかった』

佐柄 千鶴音更町・高2

 今回は、というか、もう生徒としての参加はしないつもりだった。去年、宿題が終わらなくて辛い思いをしたし、部活の方にも力を入れたかったし。それで、スタッフとしてお呼びがかかって、まあ、三日程度手伝いに行くくらいだったらいいかと思ったのに、結局一週間来ることになってしまって、正直ちょっと焦った。宿題どうしようって。で、来てみたら生徒としての参加だといわれ、「感想文書くのめんどうだな…。また班長か、めんどうだな」と心の中で少しなげいた。けど、今回の女子はみんなしっかりしていて、初めてなのに作業を結構スムーズにできて、班長が楽だった。ただちょっと、元気がないというか、明るくてよくしゃべる子がいないなーっていう印象だった。ロープワークを習ったときに矢満田さんを縛り上げているのを見て、「ああ、やっぱりこの子達も元気な子どもなんだな」と思った。反対に、男子は元気いっぱいでバカばっかりで、すごく楽しいヤツだなと感じた。登山のときでも、しゃべり笑いながら登る元気があって、すばらしいなと。暇があれば何かしていて、見ていてすごく楽しかった。「このバカな男子のノリに混ざりたいな」って何度か思った。最後のほう、ミニ運動会には混ざったけれど、見ているだけではがまんできなかった。逆に、女子には混ざれなかった。「こんな女の子らしい子達と一緒に居られないわ…」と逃げたところを雅登に拾われた。そこから「重役会議みたい」などと言われた班長トークが始まり、それがすごく楽しかった。笑い話とか色々聞けて面白かった。私は聞いてばっかりで、あんまり話していなかったけれど。男ばっかりの兄弟だから男子に混じるのは落ち着いたし、楽しかった。やっぱり私は「女の子」じゃないなって思ったけど、そんなことは気にしないことにする。
 最初はちょっと面倒だったけど、今回もすごく楽しくて、いい思い出ができて、友達もできた。今一番思うことは、「来てよかった」。
 

『いんしょうに残ったこと』

武藤 花乃子(芽室町・小6)

 今回のサバイバルキャンプは、思ったこと、感じたことなどがいっぱいあった。その中でも、一番いんしょうに残っているのは、十勝で一番高い山、十勝幌尻岳に登ったこと。最初はラクにのぼれて、すぐに頂上にいけると思っていたけど、すごくたいへんで、木の根をのぼるだけでもつらく、体は何百という鉄の球をつけられたように重かった。と中で、もうおりたい、来なければよかったと思ったけど、頂上についたら、そんな気持ちは宇宙のかなたへいってしまい、かわりに、のぼれた、うれしいと思った。ざんねんなことに、ガスのせいでけしきは見れなかったが、来年も来れたら来て、きれいなけしきをみたい。
 二番目にいんしょうに残ったことは、友達ができたことと、サバイバルをしたこと。最初に来たときは、一人にならないか不安でいっぱいだったが、時間がたつにつれ、女子のまり・みー・ちづ、男子たちとも仲良くなれて、楽しい毎日をすごせた(男子とは最後らへんで仲良く?なれた)。
 サバイバルでは食りょうは自分たちでとらなくてはいけなく、つりをするときは、魚をとるほうではなく、エサのミミズをつけるのにひとくろうし、けっきょく魚は目標の5ひきはとれず、3びきしかとれなくて、くやしい思いをした。しかもその後、釣った魚の腹わたをとっているとき、川にあやまって1ぴき流してしまい、もっとくやしい思いをした。サバイバル生活二日目は、あさ5時におきて魚をつりに行った。だが、一日目とちがい魚はあまりとれず、けっきょく一人1ぴきずつしかとれなかった。だが、朝ごはんがおいしすぎて、そんなことはわすれてしまった。そうしてサバイバル生活は終わった。
 最後に、植村直己・帯広野外学校では、ふだん体験できない、マキわり、木のばっさい、ゴエモンぶろ、などたくさんのことをやった。そして、この学校では、食べものの大切さや協力することのすごさなど、いろいろなことを学んだ。これからの生活では、この学校で学んだこと、体験したことをいかして、生活していきたい。
 

『楽しかったサバイバルキャンプ』

諌山 莉奈(釧路市・小5)

 私は今回のサバイバルキャンプで、よかったと思うことがいろいろあります。
 まず、みーちゃん、かのこちゃん、ちづちゃんと友達になれたことです。初めて会った時は、あんまり話すことができなくてとても不安でしたが、時間がたつうちに話したり、協力することもできました。
 一日目は、テントを設営したり、まきわりをしたりしました。その中で一番大変だったのがまきわりです。なかなか切れなかったけど木が切れた時にはスッキリしました。
 次の日は、小屋作りと木を切りたおす作業をしました。木を切る時、最初は刃物をきように使えなかったけど、なれてくるとだんだん上手になるので、家でもばっさいしてみたいと思います。せみのぬけがらもたくさんありました。
 四日目は標高1846mの山に登りました。登る前は、富士山も登ったから、らくしょうだと思っていたけれど、登ってみると、富士山とはちがい、葉が多くて、段差もあるし、よく転びそうになるので、山をあまくみてはいけないと思いました。頂上の近くでは呼吸ができなくなりました。頂上から見たけしきは、雲だけだったけど、最後まで全員でのぼれたので、うれしかったです。
 五日目は、きんにく痛でした。だけど、魚を3匹つったり、あまりすきじゃなかったふきやトマトも食べれるようになったので、家族に自まんしようと思います。
 次の日は、朝の5時におきて1・2・3班で一緒につりへいこうと思ったけど脱落者がいたので、各班で行きました。でも1匹しかつれませんでした。でも0匹よりはすごくましだと思っています。やっぱり食料はすごく貴ちょうなものだということをあらためて実感しました。
 山を下山して、もどってきたらテントを設営したり、まきわりをしたり、アジャカナックの準備やごえもんぶろの準備をしました。みんな下山してきてすぐの準備はたいへんだったけど、アジャカナックのあとはぐっすりねれました。植村直己・帯広野外学校では、食料の大切さや友達のよさなど、いろいろ学べたと思います。
 ちづちゃん、みなほちゃん、かの子ちゃんと男子の皆ともまた会いたいし、この野外学校に来てみたいと思います。また、今回のサバイバル生活の経験を生かして、ふだんの生活でも、学んだことをうまく活用していきたいです。
 

『植村直己・帯広野外学校での思い出』

宇久村 皆歩(札幌市・小5)

 私は、サバイバルキャンプで、様々なことを学びました。友達は、たくまだけで、すごく心配しましたが、まりちゃん、かのちゃん、ちづちゃん、それから男子の皆と一週間、仲良く、楽しくすごしました。
 一日目の、草笛から始まり、すごく楽しかったです。
 二日目の学校林の木を切るのは、はじめはすごくこわかったけど、だんだんなれてきて、うれしかったです。友達もできて、すごくうれしかったです。
 三日目、いつのまにか、三日目になっていて、少しびっくりした朝でした。朝ごはんの時、スパゲティーをゆですぎてしまいましたが、いっしょうけんめい食べました。荷物をまとめ、移動の準備もできて、車に乗った時、すごくドキドキしていました。なぜなら、明日は、標高1,846m!!すごくじしんはありました。なぜなら、手稲山をなんども登っていたからです。車をおりて、8キロメートル歩いて、前進基地にようやくついた時、つかれてはいたけれど、「明日もがんばろう!」という気持ちをこめて、登りきろうと思いました。星空は、皆はみえたかもしれないけれど、私は目が悪いので、ざんねんながら、耳で聴くだけでした。星空がみたいなぁと思って聴いていました。
 四日目、とうとう、山登りの日がやってきました。朝からドキドキがいっぱいでした。私は「なんとかして、山を登りきろう」という目標をたてました。最初の方、がんばって登りきろうと、ずっと心の中で言っていました。あと二時間くらいで着くという時に、すごくつかれて、ずっと休みたいと思っていました。きゅうけい時間で、行動食を食べたら、元気がすごく出てきました。その時、私は思いました。「食べ物は、あたりまえのように食べていたけど、ちがう。大切なものだ。食べ物は、大事なんだ。力がつくものなんだ。」と思いました。私は、そんなに力がつくとは、思ってもいませんでした。そして、頂上に着いたとき、つかれてはいたけけれど、「楽しかった。また力をつけて、登りたい」とい言葉が、頭の中にありました。そして、下りは、すごく急で、こんな所を登りきったんだ、と思っていました。その時、私の心に感動がよびおこりました。私は、すごく楽しく感じられたし、感動して、自分自身がすごくびっくりしました。
 五日目。サバイバル生活が始まり、私は、「今までやってきたことを、はっきするところだから、がんばろう」と思いました。魚は5ひきつれたし、フキは味が少しこかったけれど、おいしくできたので、すごくまんぞくしました。
 そして六日目。4時40分に目がさめて、スタッフを起こしてつりに行きました。きのう、つった所に行ったけど、ぜんぜんとれなくて、もうだめだと思った時、五日目のしおりに書いてあったサバイバルの約束「最後まで、あきらめない」という言葉を思い出し、魚を1ぴきつりました。その時、私は、あの言葉は、元気が出る言葉だと思いました。そして、荷物をまとめて、全部持って2キロメートルほど歩きました。そして、車で基地にもどり、すごくうれしかったです。
 夕食のジンギスカンを食べ、またまたごえもん風呂は1番! そして、アジャカナックの火をつける人をきめる時、矢満田さんが、私にたのみました。私はこわかったけど、「こんな経験は、ない。やらないと、そんをする」という言葉が、私の心にひびきわたり、私は、火をつけました。そのとき、すごくこわかったけど、すごく楽しかったし、手ごたえのある感動をあたえてくれたので、矢満田さんにすごく感謝しています。
 そして、私はアジャカナックを見ながら思いました。「私が山を登りきれたのは、私ががんばって、毎日体力をつけてきたのもあったけど、私が盤渓小学校に入っていなかったら、体力もつていなかったし、サバイバルもじしんがなかったと思い、私は盤渓小学校にも感謝しましたが、私を盤渓小学校に送り出してくれた、お母さん・お父さん、それから、私をいつもはげましてくれた、お姉ちゃんやおじいちゃん・おばあちゃんに、ものすごく感謝しています。私は、アジャカナックを見ながら、泣けてくるほど感謝しました。私は、その感謝をもとに、あきらめず、最後までやりとげることを学びました。私は、この植村直己・帯広野外学校にきて、様々な感動や感謝が大切なことだと思いました。それから、食べる物も、ただたんに食べるのではなく、感謝して食べること、力をつけてくれるものであることをわすれずに、いつも大切に、大事に食べ物を食べるようにしようと思いました。また、感動や感謝をさせてくれるような人にもなりたいと思いました。そして、私が一番感謝しているのは、スタッフの方々です。様々な言葉で、元気をつけてくれ、教えてくれて、すごくうれしかったし、たのしかったし、また感謝します。また、スタッフの方々とも仲良くなれたので、感動を呼びおこしてくれる方々、皆をはげましてくれる方々の集まりが、すばらしいと思いました。
 私は、ここへ来て、様々なことを学びました。すごく感謝しています。ほんとうに一週間、どうもありがとうございました。

『この帯広野外学校であったこと』

佐賀 雅登(広尾町・中3)

この、植村直己・帯広野外学校であったことは、2つあります。
 まず1つ目は、このログハウスにいて、アジャカナックやジンギスカンを食べたり遊んだりしたことです。もうひ一つは、山の中にいて、登山や魚つりをしたことです。
 最初に、ジンギスカンでは、カマドを一直線にして、それから足りなくなったブロックを運ぶことでした。ブロックを物置から出して、それからカマドを作る所までリヤカーで持っていくという作業が大変で、前でやったとしても力がいるし、後ろでも腰や肩がいたくなるなど大変力がいる作業でした。カマドを作って、その間に木を入れていくのが少し大変でした。リヤカーで持ってきたブロックは、3個だてにして間に木を入れるとできた、と思いましたが、後ろの方が曲がっていて、直すのも一苦労でした。肩に力が入るので、これも力がいりました。あまり運べなかったけど、一直線にできてよかったです。
 次は、アジャカナックです。アジャカナックというのはキャンプファイヤーのことなんですが、ただキャンプに行って、ただ火をつけるだけがキャンプファイヤーだが、自分たちががんばった、苦労をほめてあげてください、と言っていたので、アジャカナックというのです(たぶん…)。二日目に切った木をまん中に置いて、それからゆっくりと一つずつやっていったら、巨大なアジャカナックができました。その後は、夜に皆でアジャカナックで自分たちの苦労をほめました。タタミを火のなかに入れる時、中学3年生だけで入れることになり、巧起と拓未の三人でやりました。とどめに俺と巧起の二人で一緒にやったら失敗して、ちがう方へ行きました。それを見て、俺と巧起は大爆笑していました。大変楽しくて、今までの疲れが一気にふっとびました。
 最後は山の中のことです。
 最初は十勝幌尻岳という山の中で生活をしました。大変だったのは、やっぱり登山です。登山の時には、行動食、昼食セット、スポーツドリンク、ゼリーなどがあました。一番目の橋、二番目の橋と行きながら、所々で休けいしながら行きました。一番最後に見える川で一休みして、それから行っている途中に、足のかかとが痛くて、見てもらったら靴ずれの前兆でした。 一応シップをはってもらって、それからは遅れをとってしまったので、ペースをくずさないでいきました。後半はすごくばてて、すごく足も痛かったです。頂上に着いたときはうれしくて、でもくもっていてあまり下は見えませんでした。下りは登りよりも楽で、ぶじに前進基地にとうちゃくしました。何だかほっとしました。
 とどめはつりです。つりでは、オショロコマという魚をつるために、つり竿になる木を見つけて、糸をつけてやりました。最初は一番目の橋に向かって、それから少しずつ上流に向かいました。俺は0ひきだったので、いろいろなところに行きました。いつの間にかチャプーが帰ってきたので、ともとチャプ―と俺の三人で下流に行きました。それでも1ぴきはつれたので、あまりうれしくなかったけど、初めてつった時の感しょくは今でも手に残っています。この感しょくを大事にしながらつりをしたけど、1ぴきしかつれませんでした。
 「つれたー」とか聞こえたり、「やったー」「つれてるー」などの声が聞こえたので、「いいなぁ」と思いながらつりをしました。けっこうくやしい思いもありました。
 最後に、スタッフの方々、いろんなことを教えてくれてありがとうございました。
 

『キャンプで学んだこと』

吉田 和希(東京都・中1)

 ぼくはこのサバイバルキャンプで、つらいことも、楽しいこともたくさんありました。このキャンプからたくさんのことを学びました。
 一つ目は、つらかろうとあきらめないことです。これは、山登りの時に、ひざのけがが坂道で痛くなり、登るのがつらくなってきたけど、あきらめなかったので、登りきることができたからです。
 二つ目は、命の大切さ、ありがたさです。サバイバル生活中につりをした時に、魚が一匹つれました。しかし、つりばりをのみこんでしまっていて、引きぬいたさいに、内臓がとれて死んでしまいました。その時に、食べることは命をいただくのだから、もっと大切にしようと思ったからです。
 三つ目は、自然の大切さです。ぼくは、東京から来たため、北海道の緑の多さ、川のきれいさに、少々びっくりしました。内心(東京もこんなふうになってほしいな)と思うほどでした。そして、キャンプ中に森の木や、川のきれいさは、たくさんの命の宝庫だと思ったからです。また、森の木は土砂災害を止めたり、水をおいしくして、川は森から出た栄養を海に流す大事な役割があるので、残してもらいたいです。
 ぼくは、このキャンプで学び、実感したことはたくさんあり、全部を身につけてはいないけど、大切にして、忘れぬようにしたいです。そして、この美しい自然をいつまでも残していきたいし、残せるようにしたいです。
 また、このすばらしいサバイバルキャンプに参加したいです。
 

『大変でつらかった登山』

坂井  天(陸別町・小6)

今回はじめて野外学校に参加しました。一番楽しみにしていたのが登山です。
 登山をする前は、どのくらい距離があるのかなと思いました。僕たちが登る山は、十勝幌尻岳で、1846mで、約2キロじゃんと思いました。でも、山に登り始めるとつらくなりました。木の根がひっかかってころびそうになったり、足が痛くなったりして、すごく大変でした。いくら2キロでも山が急なので時間もけっこうかかりました。そして、やっと頂上につきました。頂上の空気は、気持がよくて、ずっとここにいたくなりました。景色は、くもっていて少ししか見えませんでした。でも頂上にたどりついたのがすごくうれしかったです。そして、やっと下りです。下りは、すぐつくだろうと思っていました。でも、下りも大変で、下っているからスピードもはやくなるのでけっこう危なかったです。でも、下りの方が楽でした。楽だけどころんだりして怖かったです。登りも下りもぼくは、川を渡るところが大好きでした。川を石でわたる、すべりそうですべらないところが好きです。
 けっこう登りがつらかったけど、無事に下山できてよかったです。もう一回十勝幌尻岳に登って、次は、もっと高い山に挑戦してみたいです。
 

『サバイバルキャンプがおわって』

小西 巧真(札幌市・小6)

ぼくは、サバイバルキャンプでいんしょうに残ったことが三つあります。
 一つ目は、間伐です。間伐は初めてで、たいへんなこともありましたが、たおした時はすごくすかっとしました。
 二つ目は、登山です。登山では、つかれるとすぐに足が重く感じたけれど、頂上についた時の昼食がすごくおいしく感じられました。下りは、らくだと思っていたけれど、少し歩いただけでいきがきれてきたりしました。はじめて標高1846mの山にのぼりましたが、頂上につくことができたし、けがをせずに下りることができました。
 三つ目は、サバイバル生活です。サバイバル生活では、魚つりに行きました。魚つりでは、一日目は二ひきしかつれませんでした。しかし二日目には減って一ぴきしかつれませんでした。つれた魚はすごくおいしく、魚つりでのつかれもすぐになくなりました。あと、フキ料理も作りました。ぼくは、フキがにがてでしたが、おなかがすいていたためか、にがてなフキも食べることができました。
 ぼくはサバイバルキャンプで、ねむかったり、つかれたりしたこともありましたが、なんとかのりきることができました。サバイバルキャンプに来てよかったと思います。サバイバルキャンプでは楽しいし、難しい勉強をしなくてすむからです。またきかいがあればサバイバルキャンプに来たいです。

 

『サバイバルで楽しかったこと』

増田 知見(浜中町・小5)

ぼくは、この六泊七日のサバイバルキャンプでいろんなことを学びました。つりの魚のつり方、火のおこし方、ロープワーク、ナイフの使い方などなどいろいろ学んだけど、一番楽しかったとは、友達とお話しをすることが一番楽しかったです。その友達とは、三班の伊藤萌林くんです。とくに日本史の問題を出し合ったり、どんな人物が好きか?などを語り合ったりしました。
 最初は班がちがったので、話したりしなかったけど、サバイバルキャンプが始まって四日目の夜にはなしかけて、萌林君が日本史好きなのを知って、ちょっとずつなれていって、ジンギスカンを食べた時には、もう家康は曲がったはしを使って物を食べていたとかを語り合っているほど仲がよくなったような気がしました。ぼくはまだ五年生だけど、歴史をかなり知っている人も友達に話しても聞いてくれる人もいないから萌林君はよい話し相手でした。でも、もうすぐおわかれなので、とてもさびしいです。でも来年のふゆの冬の冒険学校に行けばまた会えるかもしれないので、また会いたいです。
 でも、友達は、たくさんできてしまったので、さびしさが倍になってしまいました。
 また友達に会うためと、もっと自然のことを学習するため、また来年も来たいです。

『植村直己・帯広野外学校の思い出』

大石 巧起(大樹町・中3)

僕が植村直己・帯広野外学校で思い出に残ったことは、三つあります。
 一つ目は、登山です。最初は、かんたんだと思っていたけど、実はきびしくて、頭に木をたくさんぶつけたり、登っていくうちに足がいたくなってきて大変でした。頂上につくと、何だかすっきりしました。景色は、曇っていてたまに下の方が見えるくらいでした。できればこんど、天気の良い日に登りたいと思いました。
 二つ目は、サバイバル生活です。一日目では、つりの時、一日一人五ひきまでといわれて、いざ、つりに行くと、つりのポイントが良かったのか、五ひきつることができました。ほかの三人も五ひきずつつって、合計二十ひきつることができました。早くつれてしまったので、次にフキをとりに行き、おいしいフキをたくさんとることができました。つりとフキとりが終わってキャンプ場にもどって、魚はからあげにして、フキはフキのいためものにして、おいしく食べました。ごはんは、班で一合しかわたされなかったので、次の日に食べることにしました。僕にとっては、物たりませんでした。二日目、朝五時前に起きて、つりに行こうとしていたけれど、いざ起きるときは、はきけがして、ほかの三人にいってもらい、僕はテントの中で八時くらいまでねていました。起きるとだいぶ良くなって、朝ごはんを作り始めました。この日は、魚を三びきつってきてくれて、魚はからあげにして、フキは前の日にとっておいたものを、またフキのいためものにしました。ごはんは一合しかないので、おかゆにして食べました。サバイバル生活をふりかえると、食べものの大切さや、自然のきびしさを体感しました。
 三つ目は、サバイバル生活を終え、ジンギスカンをたくさん食べたあと、まさと君とミニ運動会を作って遊んだことです。最初は二人で遊んでいたけど、だんだん人が集まってきて、最後はほぼ全員で遊びました。ジンギスカンを食べたあとだったので、きつかったです。
 最後に、スタッフの方々、一週間いろいろめいわくとかかけたけど、いろいろ教えてくれてありがとうございました。
 

『自分を成長させてくれた野外学校』

竹本 凱(東京都・中1)

 ぼくは今回、植村直己・帯広野外学校キャンプで、いろんな事を学びました。
 はじめてこの野外学校に来た時にぼくは、「これから一週間、ちゃんとやっていけるかなぁ?」と思いました。けれど、そう思いながらも、けっこう自信はありました。ところが、自信は、初日からうちくだかれました。
 ぼくはよくキャンプに行っていたけれど、テントを建設する、折りたたむということをあまりやったことがありませんでした。テント張りは、最初のほうは、すばやく、テキパキと、というわけにはいかなくて、とても苦労しました。それでも、二回、三回とやっていくうちに、テント建設も、折りたたみもすばやくできるようになりました。今度家族などでキャンプに行った時には、このことを役立てたいです。
 まき割りは、力だけではなく、体のたいせいや、きる場所など、いろいろなコツが必要で、けっこうむずかしかったです。それでも、だんだんうまくなって、上手に割れた時には、とてもうれしい、やったという気持ちがこみ上げてきました。
 3日目には、前進基地に行きました。前進基地についた時には、もうヘトヘトで、「明日の登山、本当に登りきれるのだろうか?」と思いました。
 4日目、登山の日は、登山する前、正直なことをいうと、あまり登りたくありませんでした。どうせつかれてムリ、とか、こわい、とかいろんな事を考えながらも、とっても楽しみにしていました。なんていったって、登山する山が、標高1848mで、一度も千メートル以上の山に登ったことのないぼくにとっては、夢のような、すごい山だったからです。
 けれど、やはり十勝ポロシリ岳、十勝で一番高い山は、一筋縄ではいかなくて、登り始めて三十分ほどで、かなりつかれました。それでも行動食をたべて、水やスポーツドリンクなどを飲んだりしてがんばって登頂しました。ぼくがこの登山で一番印象に残ったのが、全員登頂できたことです。先生の話では、ここ数年、全員登頂はできていなくて、久しぶりの全員登頂だ、といわれたときには、ものすごくうれしくて、とっても達成感がありました。
 登山の次の日からの二日間、サバイバル生活の時は、いままでの中で、一番たのしかったです。サバイバルの一日目は、つりで、全員MAXの5匹で、フキのいためものもたくさん作って、とってもおいしかったです。2日目は、朝に班長がダウンしてしまい、つりのと中で自分以外の残り2人がダウンしてしまって、合計3匹しかつれませんでした。けれど、ご飯やフキなどもうまく調理して、ちゃんと食べられたので、とてもよかったです。サバイバル生活が終わり、前進基地から帰ってきて、とってもおいしいジンギスカンをおなかいっぱいたべ、盛大なアジャカナックを見た時は、とても心が温まりました。
 今回の野外学校で、ぼくは「あきらめなず、くじけないことでがんばりぬく心」というものを学びました。この学びを活かしてこれからも生活し、がんばっていきたいです。
 

『サバイバルでたいへんだったこと』

伊藤 萌林(帯広市・小6)

サバイバルキャンプでたいへんだったことは二つあります。
 一つ目は山登りです。ぼくは山登りは小さな山しか登ったことがなかったので、初の本格的な登山となりました。登る前は、とても登りきれないと思ったけれど、思ったよりかん単に登れました。でも、やっぱりきつくて、と中と中で足が上がらなくなったり、四つんばいになって歩いたりしました。それでも、頂上に立ててよかったです。でも、ガスでけしきがみられなかったのがざんねんです。こんど登るときには、けしきをみられるといいです。
 二つ目は、サバイバル生活です。サバイバル生活一日目は、班の全員が五ひき(上限)つれたのでよかったです。でも、二日目は、リーダーがダウンして、三人でつりに行きました。でも、結果はサブリーダーが1ひき、ぼくが二ひきつった所で、ぼくと五年生の大地くんがダウンしたので、つりが中止になって三人全員で帰りました。
 班のみんなで、一日目に「明日はこんなにつれないだろう」と予想していたので、一日目に二日目の分のフキを取っていたので、それで助かりました。来年は一日目、二日目ともに五ひきつりたいです。
 

『たのしかったサバイバル』

酒井 大地(白糠町・小5)

『たのしかったサバイバル』
 ぼくはつりにグループの人たちといっしょにいきました。川の上流までいきました。
 つりでは、うまいほどよくとれる場所が見つかってバンバンつれました。本当に楽しいサバイバルキャンプでした。

『たのしかったアジャカナック』
 よるキャンプファイヤーをしました。ぼくは、炎があんなに高くなるとは思っていなかったのでびっくりしてしまいました。火のこが星みたいできれいだったです。

『おいしかったジンギスカン&焼きそば』
 よるジンギスカンをたべました。肉がやわらかくておいしかったです。
 焼きそばもやりました。めんがあつあつでおいしかったです。

『つらかった十勝幌尻岳』
 登山をしました。どんどん山の中にはいっていくと、その分、道がけわしくなってつらかったです。でも頂上から見えてけしきはきれいだったです。

『サバイバルキャンプを終えて』

吉田 拓未(標茶町・中3)

僕が植村直己・帯広野外学校のサバイバルキャンプに来るきっかけとなったのは、母がこの話をもちかけてきて、僕はなんとなく、楽しそうだし、ためになりそうだと思ったからです。
 はじめてサバイバルキャンプをやり、しかもリーダーになったら、はじめの方はなにをどうやってすればいいのか、全然わからなくてとまどっていました。あと、テントの中で寝られるのかなとか、いろいろ不安でした。でも、まだわからない所もあるけど、たくさんのことが知れたり、一応まとめられるようになりました。 
 山登りでは同じような道があったり、急な斜面とかがあって、とっても大変でしたけど、行動食を食べてまた歩けるようになり、頂上まで行けて、無事に戻ってくることができました。
 サバイバル生活では、天斗がダウンしてしまいましたけど、昼ごはんを食べて復活したから、心底よかったなと思いました。下山してからは、ジンギスカンなどおいしいものをいっぱい食べられて、とても幸せでした。
 山登りの行動食や、サバイバル中のごはん、サバイバルを終えたあとなど大変なことをしたあとの、あのごはんの味を忘れないようにして、これからできるだけ、食う、寝る、出す を大切にして生活していきたいです。
 

『印象に残ったこと』

佐内 祐(東京都・中1)

植村直己・帯広野外学校で様々なことを学びました。太い木をがんばってたおした間伐体験、結び方を習ったロープワークなど、ぼくにとって初めての体験をたくさんしました。その中でも特に三つのことが印象に残りました。
 一つ目は、一週間の朝昼晩、ほとんど自分たちで作った食事です。カマドを使って作ったことのないおいしい食事をたくさん作りました。たき火でも、家で作る食事以上のものが作れることや、たとえ飯ごうが無くても、使い終わった缶でもおいしいご飯が作れることは、とてもおどろきました。今度、キャンプに行った時には、おいしい料理を作って、母たちに「おいしい」と言わせてやりたいです。
 二つ目は山登りです。前進基地まで進んで登山をしましたが、思った以上に苦しかったです。どこが道か分からないくらいの道を五時間もかけて登りました。途中、少しずつ行動食を食べて、なんども「もうだめだ」と思いましたが、頂上に全員でたどり着いた時は、本当に感動しました。今でも、その感動は忘れていません。
 三つ目はサバイバル生活です。いつもは食事のことはまったく考えず、遊ぶことだけを考えていましたが、サバイバル生活では、食べ物のために一日中動いていました。オショロコマやハナカジカがなかなかつれなくて、食事があまりとれず、一日中、ずっと空腹でフラフラしていました。少ないコメや魚をどうやって増やそうか考えたり、ろくに飯が食べられず空腹でふらついたりして、いつも食べている食べ物の大切さ、空腹のつらさを、改めて実感しました。
 自然との共存は、口で言うのは簡単ですが、実際はとても難しいことでした。いつも食べている食べ物も、こうやって色々な人が苦労してとったり、作ったりしてくれたものだということがよくわかりました。
 このように様々な体験ができたのは、やさしく、分かりやすく教えてくださったスタッフの方々や、色々な時に助けてくれた友だちのおかげだと思います。植村直己学校に来て本当に良かったです。
 ありがとうございました。
 

『心配だった登山』

横塚 樹(帯広市・小6)

ぼくがこの植村直己・帯広野外学校で一番楽しかったり、つらかったりしたのが登山です。
 登山では、これに申しこむ前に、すごく心配でした。なぜかと言うと、登山なんかしたことないし、体力もそんなになかったからです。でも、いざ登山となると、かなりつかれたけれど、なんとか登れました。自分でもびっくりしました。登る時、最初はすこし心配でした。でも、最初の方は、登っているとけっこうたのしかったです。けれども、後の方になると、急なところがいっぱいあって、かなりつらかったです。だけど、頂上まで登りきると、雲がかかって、けしきは見えなかったけれど、頂上まで来たというたっせい感が、つかれをわすれさせてくれました。
 そして、下りは、ここにくる前は、足がガクガクになるだろうと思っていましたが、そんなにガクガクにならず、すこしおりる時にいきおいがついてころんだりしましたけど、前進基地についた時には、校長先生たちがむかえてくれて、すごく、登っておりきったんだという気もちでうれしかったです。
 でも、かなりつかれていたから、前進基地で食べたスイカがとてもおいしかったです。ぼくは、スイカが、どっちかというときらいな方だったけど、つかれていたのですごくおいしく感じました。それでぼくは、もしも食べ物がなかったら、きっと登山中にうごけなくなっていたのかなと思って、食べ物がすごく大切なのがわかりました。
 こんなことなどから、本当に植村直己・帯広野外学校にきてよかったと思います。また来年も来れたら来たいです。
 

『植村直己・帯広野外学校の思い出』

中谷 天斗(陸別町・小5)

一番思い出にのこったのは、登山です。登山は、い外につらく、大変で、けいしゃが85度(よそう)ぐらいで、すごくきゅうだと思いました。登山でのぼった山の名前は“十勝幌しりだけ”です。十勝幌しりだけは、すごく上きゅうむきで、のぼるのがこんなんな山なのに、17人全員がのぼれて、うれしく、これはきせき中のきせきと思いました。
 ぼくは、このけいけんをいかし、これからもたくさんの山をのぼりたいです。
 二番目に思い出に残ったことは、キャンプファイヤー(アジャカナック)です。キャンプファイヤーは、とてもくろうしてつきあげ、すごくおおきくなりました。
 来年はサマーin陸別に行くので、これませんが、中学にはいって、来れたらまた来たいです。
 さいごに、スタッフの方々、おせわになりました。またいっしょにはなしをしましょう!