戦後生まれの私は、当時の殆どの人がそうだった様に貧しかった。父は腕の良い職人だったが戦争で職を失い8年間、九州の炭鉱で働いていたが閉山になり、親戚の居る大阪に行く事になった。父は若い頃から大酒飲みで、小さな工場の給料はお酒とパチンコに大半消えていた。私が中三になっても貧乏は続き、高校進学は遠い世界の事だったが、三人姉妹で末っ子の私だけは年の離れた姉達のお陰で高校に行かせてもらった。厳密に言えば駄々をこねたのだ。私の時代になるとクラスで一人位しか中卒はいない。自分に何の自信もなかった私は、将来社会に出て「私は中卒です」と言える勇気がなかった。とはいえ勉強の出来ない私に進学は不可能だった。
それでも『行きたい」と粘っていたら、不思議と道が開けた。三年間バレーボール部に所属していた私は特待生として私立の学校に入学金と月謝を半額にしてもらって行く事が出来たのだ。しかしこれには裏があった。その学校はチビの私などに用は無くエースアタッカーだった私の親友が狙いだった。そこで中学の顧問は考えた。私と言うコブ付きで交渉してくれたのだ。単純な私はただただ嬉かった。高卒の履歴を勝ち得ただけではなく、親友とまた三年間一緒に学校に通えるのだ。
こんな幸せ者は何処にも居ないと思った。だけど人生は甘くない。
無理は良くない。
三年間ボール拾いに終わった私は惨めという惨めを一生分味わった。身から出た錆だ。それ以来、背伸びはせずに等身大で生きる事にした。以外にこれが今となっては一番楽な生き方だった。

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