
私は世界で1番尊敬している人と、一緒に暮らす事が出来た。これって幸せ。
彼を知れば知るほど、彼のやる事成す事私とは、けた外れの人間性に驚く。これって素敵。正直な私は彼の素晴らしさを、誰かれ構わず「はじめちゃんってすごいねんでー」なんて自慢していた。ある日、女友達が「自分の夫を自慢するのはみっともない」と言った。ビックリした。その意味が分からなかった。
そう言えばテレビを見ていたら、そんな事を言っている人が確かにいた。
でもその考え方はおかしい。小説志望の人が芥川龍之介を尊敬したり、映画監督に憧れている人が、ジョージ・ルーカスを尊敬したり、彫刻家がミケランジェロを尊敬したり、母親のように生きたいと思った人が「私は母を尊敬しています」っと胸を張って言うではないか。「自分にとっては」の事なのに「みっともない」とは誰に対する気兼ねなのかしら、なんて思ってしまう。人生は自分が思うよりズーット短い。1度しか今の自分は生きられない。
若い頃、はじめちゃんが勤めるデザイン事務所に、一風変わった人間が入ってきた。彼は夢を追いかけている若者に、仕事の世話をしようと、自分でデザイン事務所を開いた。その考えに若者は賛同した。彼は埋もれた作家の紹介にグループ展とか、仕事の斡旋をするようになった。立派な事だ。私は彼を尊敬した。そんなある日、彼の事務所に顔を出すと、突然彼がはじめちゃんの仕事に対する姿勢を、彼の居ない所で私に怒った。彼の考えは「入ってきた仕事は、力のない人もある人も関係なく、皆でこなしてやって行く」、「自分ひとりで受けるとは何事だ!」と言う事らしい。はじめちゃんの絵が先方に気にいられ、依頼され、ただ単純に受けただけなのに、どえらい剣幕だ。私は『馬鹿か』と思った。仲間の一人が認められたのだ。何故それを喜んでやらない。「一人一人の個性を伸ばし成功に手を貸す事が、本当の意味での、作家を育てると言う事ではないのか!」と無性に腹が立った。何と肝っ玉の小さい人間かと落胆した。私の悪い癖が出た。彼をボロクソに批判した。彼は机を倒し暴れた。理論付出来ない、彼の真意のなさに益々『馬鹿か』と思った。すると若い男の子が「キビさんOさんを尊敬してたら何故、Oさんの意見に従わないのか!」なんてへなちゃこな事を堂々と言ってきた。『何を機嫌取っとんねん!』と、また『馬鹿か』と思った。「君には自分の意見はないのか!」と切れ「Oさんが死ねと言ったら死ぬのか!」と言った。当たりはシーンとしていた。誰一人私に味方をする人はいなかった。
偶然居合わせた、私の長年の友ですら、
私の肩を持ってはくれなかった。
私はそれ以来、集団を信用しなくなった。
集団は怖い。誰かに気兼ねをしなくてはならない。
気兼ねなんて、人生に何の意味もないのだ。
家に帰ってはじめちゃんとタムムちゃんに
一部始終を話した。2人は「キビちゃんが正しい」
と言ってくれた。私は泣いてしまった。
「正しい」と言ってくれた言葉に泣いてしまった。
いくら自分が正しいと思っても、それを「正しい」と
言ってくれる人がいないと、私は生きては行けない。
自分の考えを認めてくれる人と、暮らすのは幸せだ。
だから私は何時も「はじめちゃんはすごい」と
自慢をし、尊敬するのだ。
尊敬とは、やはり自分自身の考えを持っていないと
尊敬する事の意味がないのではないかと思う。
どうなりたいとか、どう生きたいとか考え出すと
人は必ず、何時か
尊敬する人に出会えるように、なっているような気がする。
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