人間椅子

筋少に夢中になっていると、またもや、はじめちゃんのお達し。「キビちゃんの好きそうな音楽だよ」ってカセットテープを差し出した。早速聞いてみた。今回は眠気も起こらず、その場で「人間椅子」にハマった。和嶋さんの歌詞は難しくて内容は分からなかったが、言葉の美しさは感じた。そして鈴木さんの歌声は、津軽三味線の寒風吹き荒らすドラマティックで激しい世界を、民謡調のハードロックに乗せ、すざましく鮮やかに創り出していた。またもや私はウットリした。大阪公演は、必ず前売りチケットを買いに行っていた。その日も朝早く出かけ、購入しようと思ったら、どうしたことか長蛇の列。『メチャ、人間椅子売れてるやん』なんて思った。すると知らない人が、ポンポンと私の肩を叩いて「ここはドリカムのチケット売り場ですよ」と教えてくれた。『なーんや、そらそうやんなー』と思った。しかし『何で、私が間違っているのが分かったのかしら』と不思議に思った。一時、「人間椅子」はマイナーからメジャーに移ったが、またマイナーに戻った。マイナーが大好きな私は嬉しかったが、彼らにとっては大問題だったと思う。やはり男たるもの、メジャーで勝負したいもの。「人間椅子」は、はじめちゃんとかぶる。彼が漫画家になった時、4コマブームに押され、月20本の連載を4年間続けていた。しかし彼が本当に描きたい作品を描く事は出来なかった。俗に言うエロ漫画の依頼やサラリーマンネタが多かった。彼の世界にはないものだが、線にこだわっていた彼は、曲線を描くことによって線の美しさは上達したのではないかと思う。彼の凄いところは徐々に、エロ漫画やその他の依頼を、自分の世界に持って行こうとしたところだ。彼はそこで「ねくらのみかん」とか「こんなに神経ショウ」など摩訶不思議な世界を築き上げた。4コマブームも過ぎ去り、彼に残ったのは「山猫山暮らし」と言うエッセイ漫画だけになった。私はこの作品の大ファンだったが、そこでも彼は単行本の依頼もなく、彼が売れる事はなかった。私は彼の描く漫画は奥が深く、起承転結はもちろん、「痒い処に手が届く」みたいなプロとして持っていなければならない条件を、全てクリヤーしていたので、どんなに売れていなくても、何時かは分かる時が来ると思っていた。彼が亡くなった時、「山猫山暮らし」はよく出来た作品だったのでどうしても単行本にして残したかった。私はお金を貯めて、自主出版しようと計画した。その相談を出版社の編集長にしたら、温情を掛けてもらったのか、事がポンポンと進み、何と私が望んでいた単行本の出版が現実になった。しかし残念ながら売上は芳しくなかった。もう少し売れていたら出版社の好意に報いる事が出来たのだが、彼は漫画家として最期まで売れる事はなかった。たぶん彼が漫画家としてメジャーになるには、何かが足らないのかも知れない。その何かは分からないが、売れている人はやはり
「何か」がある。はじめちゃんも亡くなるまで
その何かを求めて挑戦していた。漫画界から外された後
彼は本当に自分がやりたかった事を、やれたのかも
知れない。絵本を描いたり、詩を書いたり、猫を
描いたり版画に挑戦したり、立体を究めようとし
たり、溢れ出る情熱で彼の毎日は生き生き輝いていた。
癌が再発して家に帰った時でさえ
「今、新しい構想考えているねん」と
新作に向けて意欲を示していた。
彼は亡くなるまで自分を信じ、自分を見つめ、
自分を諦めなかった。彼は生きることに貪欲だった。
きっと死にたくなかったのだろうと思う。
またきっと、生まれ変って彼の続きを
生きるのだろうと思う。
その時、私も生まれ変わって
はじめちゃんを見つけ出し

また一緒に歩んで行きたい。
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