

新興住宅に移った時、隣の人が「何時も楽しそうに笑っていますねー」と言っていたぐらいだから、はじめちゃんとの生活は笑いが絶えることはなかった。暗いタムムちゃんでさえ、巻き込んでいたように思う。私は「パパちゃんおはようー」から「パパちゃんおやすみー」まで彼と居ると嬉しくて、嬉しくて、何時もおかしいぐらい機嫌が良かった。確かに毎日が楽しくて、楽しくて仕方がなかった。だから私の毎日の口癖は「うれしい?」だった。1日何十回聞いていたか、計り知れない。私は相手が喜んでいないと共に生活する意味を見失う。喧嘩をしてもその日に必ず解決をして、3人で笑い合った。
はじめちゃんはテレビも「お笑い番組」しか見なかった。末期の癌になって自宅に帰って来た時でさえ、お笑い番組を予約録画していた。彼のその姿が今も目に焼き付いて離れない。
今から考えると不思議なのだが、私の口癖が「うれしい?」から「しあわせ?」に変わったのは何故なのだろう。多分彼が脳の手術に成功して無事生還した時からだ。きっと自然に「幸せ」と言う言葉が出たのだと思う。彼の仕事の依頼がなくなってから、私は何時もはじめちゃんと手をつないで、スーパーに買い物に行っていた。そんな当たり前な事が出来なくなった時、こんな毎日がいかに幸せだったのか噛みしめた。だから彼が退院した時の喜びは「幸せ」以外になかった。「幸せ」は究極の言葉だと思う。私は彼の癌が見つかる迄の4年間、毎日、毎日事あるごとに「しあわせ?」と聞き続けていた。はじめちゃんは両手を広げて「しあわせー」と言って楽しそうに笑っていた。その顔が今も忘れられない。はじめちゃんがこん睡状態になっても、ベットに寝ている彼の姿を見るだけで私は幸せだった。彼の存在があれば他には何も望まなかった。だからと言って、私は彼の延命治療は望まなかった。
癌の検査で再発の危険性があると分かった時「今後の治療は抗がん剤をチューブで首から流し込む」と医者は決定した。首にチューブを差し込むのは抵抗があったが、その時は何も疑わず「よろしくお願いします」と頭を下げた。しかしその日は抗がん剤の専門医が休んでいたので、治療は明日からになった。重い気持ちで家に帰り、私はある事に気づいた。私は彼と長い間暮らして、彼の運の強さをつぶさに見てきたではないか。「何故今日、担当医が居なかったのか?」「それは彼を守っている誰かが私に何かを知らせているのではないのか」。私はタムムちゃんにインターネットで彼の癌の種類を調べてもらった。そこには彼の癌には抗がん剤が効かないと示されていた。生まれて初めて一生の選択を迫られた。そして私は彼の運の強さを信じた。気が付くと夜の11時になっていた。明日では遅すぎる。病院に電話をするとこれも運命が味方したのか、代表の医者が夜勤で泊まり込んでいた。タムムちゃんと車を走らせ病院に向った。私はその医者に「治療はやめます」と言った。医者は説得をしても「お金がない」と言い続ける私に呆れ、最後は私をなじり出した。しかしこれで良いのだ。お金がないと言えば医者は黙る。退院させる。私は一刻も早く彼をこの病院から出してあげたかった。
これ以上痛い思いはさせたくなかった。
そしてその時の私は、彼の癌が再発するとは
夢にも思わなかった。
「バンザーイやっと退院だー」なんて喜んだ。
幸せが6ヵ月戻ってきた。
それで良い。彼がホスピスに移ったお陰で
自宅で最期を迎えられたもの。苦しむことなく
旅立ったもの。それで良いのだ。
ただ彼の姿がないのは淋しいが何時かは逢える日が
必ず来る。だからそれでいい。
タムムちゃんと2人になった時
「しあわせ?」っとタムムちゃんに聞かなくなった。
私は「良かった」っと安心した。
だって「しあわせ?」って聞き出すと
また誰か死んでしまうみたいなんだもの。
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