

ラジオを聴きながら仕事をしていた、はじめちゃんはある日私に言った。「筋少の大槻さんの詩は良いよ」。私の大、大好きでこの世で一番尊敬する、はじめちゃんのお言葉。その日から私は森進一さんや前川清さんの歌を聴くのをやめた。ビデオ屋に飛び込み、「サーカス団パノラマ島へ帰る」の武道館ライブを借りてきた。ワクワクしながら見ていたが、何しろ演歌大好きで40歳の私だ。ライブ自体、見るのも聞くのも初めて。私は何度見ても、ウトウト途中で眠ってしまった。しかしあの、はじめちゃんが褒めていたのだ。理解出来ない自分は恥ずかしいと思った。眠気を殺して最後まで見る努力をした。最後まで見終わった時、私は筋肉少女隊にはまった。未知の世界を知った感じがした。全てが素晴らしい。ビデオが擦り切れるまで100回以上見たかも知れない。筋少に関するビデオやCD、音楽雑誌すべてを買占め私は筋少にのめり込んだ。確かに大槻さんの詩は奥が深かった。私はなかでも当時「これでいいのだ」が大好きだった。詩の内容は一人の男性が無実の罪を背負わされ、恋人にも「罪を償うのよ」なんて言われて弁明することもなく、すべてを受け入れ刑に服する。刑期を終え出所した彼は言い訳もせず、恋人の提案で、彼は犯してもいないのだが、恋人と共に一生を掛けて罪を償う旅に出る。「人生辛い事があってもこれでいいのだ、コレデイイノダ」と言い「これでいいのか、これでいいのか」と続く。そして最後は「これでいいのだー」で終わる。私はこの潔よい考え方にシビレてしまった。むろんこれは、漫画家の赤塚不二夫さんの哲学なのだが、こんなにハッキリ分かりやすく「これでいいのだー」なんて叫んでもらうと、気持ちがスッキリする。私は今でも絵がうまく描けなかったり、仕事がうまく運ばない時、潔く自分の実力を認め「これでいいのだ」と叫ぶようにしている。大槻さんの深いところは「これでいいのだ」と言い切れる定義を述べている。どんな自分でも全てを理解し愛してくれる人が、傍にいるからこそ、どんな辛い事があっても生きて行ける。だから後の事は「これでいいのだーこれでいいのだー」。あーやっぱりシビレる。はじめちゃんが亡くなって初めて人生の厳しさを知った。と言うより大人の大変さを知った。大人はえらい。文句も言わず子供の為一生懸命働いている。子供のいない私は、何時もはじめちゃんの傘の下やりたい放題だった。彼はどんな私も包んでくれた。しかし人は何時かは包まれる方から包む方に回らないといけない。それが大人。
私は何時になったら大人になれるのだろう。
何時になったら自分に自信が持てるのだろう。
甘えることの簡単さを
何時知ることが出来るのだろう。
笑って「これでいいのだー」と
人生を全うする日は何時来るのだろう。
いやいや、私の良い所も悪い所もすべて
愛してくれたはじめちゃんに出会えたのだから
こんな自分でいいのだ、こんな生き方しか
出来なくてもいいのだ。
これからどんな辛い事があっても
これで、これでいいのだー。
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