経済観念

「お金は、死んだら持って行けない」なんて言葉を何時何処でインプットしたのか、私は働くようになっても、貯金とは縁がなかった。
何にお金を使っていたのか?服は似合わないので買わないし、化粧品はニキビが出来ていたので、合わないし、強いて言えば靴は買っていたかもしれない。しかしほとんどは食べるものだったような気がする。そう言えば若いころの私はお菓子ばかり食べていた。お水も飲まなかったので、尿道結石になって救急車の中で、走り回っていた。病院に着いて注射をしてもらったらコロリと小さな石みたいなものが出てきた。すると嘘のように痛みがなくなった。だからその足で病院を出ようとしたら、お医者さんが「まだ退院は出来ない」と言った。それでも家に帰りたかったので、お医者さんと喧嘩みたいになって無理やり家に帰った。小さなお金が大きなお金になる事を知らない私は、お財布に1円も残さず使っていた。そんな私を見かねたのか当時、親友と一緒に働いていた会社で、彼女が経理をやっていて私に天引き貯金を進めてきた。私は嫌だったが、わずかな金額だったので、親友に任せた。3年で会社を辞めた時、社員貯金を合わせて60万円貯まっていた。ビックリしたが別に嬉しくとも何ともなかった。しかしそのお金は姉の結婚式に役に立った。姉が私に「貸して」と言ったのでその後「返して」と言ったら母に烈火の如く怒られた。「姉妹だったら助け合いをしなさい!」だって。私はお金が欲しかったのではない。姉の理由が分からなかったので、ただ単に「返して」なんて言っただけだった。事情を話してくれない事に少し不満だった。子供扱いされて悲しかった。その後姉はその何倍も、私に何でも買ってくれた。私は預金にお金が少しでも貯まるとイライラした。「何でも良いから買いなさい」なんてタムムちゃんに、骨董品を買わせたりしていた。はじめちゃんの仕事が増えた頃、預金に100万円残った。気持ちが悪いので姉にやろうとしたら、姉が郵便局の生命保険を教えてくれた。何でも100万円先払いすると、利息が多くもらえるみたいだった。半額や得をするなんて事が大好きだったのでそれに乗った。これが後々良かった。結局、私達は猫の苦情で家を転々とし、最終的には全く興味もなかった家を買う事になった。この時郵便局の保険が役に立った。家を買ってローンが増えても、浪費家は何時まで経っても浪費家だった。そのほとんどは食事に出かけたり値引きした、気に入らない家具を買ったりした。今でも良いものは何もない。
罰は必ず当たる。私達はものすごい貧乏になった。
家を買う時知った国民金融公庫で何回もお世話になり
実家にもお世話になり挙句の果ては親友に2回もお世話になった。
親友には少しして完済したが、後はまだ未だに返済を続けている。
お金を借りるのは、ものすごいみじめだったけど、
はじめちゃんの明日を信じていたので、私は借りまくった。

そしてお亡くなり。
私には多額の借金が残った。自業自得。因果はまわる。
しかし、借金は私には良いかも知れない。
やる気が起こる。シャキッとする。ダラケない。
「はじめちゃーん」と泣き続けていられない。
結構私には似合っているかも知れない。

タムムちゃんがパートに行くようになって
私の仕事も来るようになって13年目にやっと
「節約」の意味を知った。それまでは節約しょうにも
全く足りなかったので使える時はどんどん使っていた。
だからまた借金が増えた。
アホは何処までもアホで、はじめちゃんはめちゃ気の毒だ。
節約は知ったが、胃が痛くなるから節約はしない。
タムムちゃんと二人になった時、お互いお金には無頓着なので
何か自分の物を買う時は「これ買っていい?」なんて聞くようになった。
タムムちゃんはたまに「ダメー」って言う。

我儘に育った私は「駄目」と言う言葉が嫌いなので
タムムちゃんには言わない。だから昨日もタムムちゃんが
「これ買っていい?」と言った3千6百円の口紅を見た時
『ゲッ、たかーっ』と思ったが
「あら、良い色ね」と言った。
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