日記  
                 
                                    (2005年1月1日〜   )

 満開佐倉文庫だよりに掲載した日記のうち、佐倉本情報や佐倉市民本情報などの個別な情報を
 外して、残った一般的な話を記録しています。


 4月29日
 オフ会で使うレジメをつくる。ほぼ完成する。
 私なりに、満開佐倉文庫のやっていることを整理できたのではないかと思う。

 4月28日
 「はねいガーデン」で行う写真展の準備をする。
 5月7日に行うオフ会のレジメをつくる。文章を入れるので1日では終わらない。

 4月25日
 飛鳥さんからメールあり。

 「玉屋」の坂の件、知っていそうな人に聞いてみたのですが
 未だに、返事がありません。また、別な人にアタックしてみます・・・

 佐倉での「さが」は、独特ですよね。「が」を強く発音しませんか?

 それから、誰かとばったり出会うことを「行き会った」といいませんか?
 これも、佐倉に来て、初めて知った言い方でした。

 <返信>
 こんばんは。坂の件、お手数かけます。

 確かに私は「さが」の「が」を強く言いますね。言われるまであまり気にしていませんでした。
 佐倉では、どうも言葉がにごるようですね。私は鏑木を「かぶらぎ」といっています(私だけか)。
 また、「行き会った」といいます。あれ?これも方言かな?私は全然抵抗がなく使っていました。
 佐倉言葉のサンプル調査に私を使ってください。

 4月23日
 駕籠舁(かごかき)さんから初メールあり。

  館主 様
  お世話になっております。ホームページ「旧成田街道を歩く」を運営している
  駕籠舁(かごかき)と申します。
  たいへん面白そうなので、開設5周年記念オフ会に参加してみたいのですが、
 よろしいでしょうか。 第一部のみの参加希望です。

 <返信>
 こんばんは。はじめまして。
 満開佐倉文庫館主 亀田雄岳と申します。
 ホームページを拝見いたしました。葛飾から成田まで歩き、道々にある道標を
 撮影し、また碑文の文面を丹念に記した努力は、たいへんであったことと思います。

  オフ会の参加資格は司書さんと友人となっています。司書さんは、私の知らない
 佐倉本情報を3冊提供してくれた人です。友人は、私の友達ですから幅があります。
 それでは、まずホームページ「旧成田街道を歩く」をリンクさせてください。その後、
 私の友人となってご参加ください。

 なお開設5周年記念オフ会の目的は、
 昨年、ホームページに掲載したホットな佐倉情報を紹介するためのものです。
 また昨年、私がどのようにホームページを運営したのか、そしてこれからどのように
 運営していこうと考えているのか、ということを話してみたいと思います。その上で、
 司書さんたちといっしょに運営をしていきたいと思います。
 このような前段の話の後に、佐倉にゆかりのある映画の話をします。
 それでよろしければご参加ください。

   オフ会、Sさんは都合で欠席とのこと。次回に参加ください。
 なっちゃんからメールあり。オフ会の1部に参加とのこと。また友人のIさんは、1部、
 2部に参加とのこと。楽しみにしています。

   4月20日
 遅ればせながら、我がホームページの訪問者(アクセス)数が、4月16日に86人
 ありました。これは、統計を取り始めてから最高の数です。
 いつも駄文を読んでいただきましてありがとうございます。
 毎日の訪問者数が、毎日更新する活力となっています。これからも、新鮮な情報を
 提供していきたいと思います。

 4月17日
 Kさんにメールを送る。

 こんばんは。  5月7日のオフ会のことで、お願いがあります。
 実は、オフ会の報告をお願いしていたティさんがこられなくなったので、Kさんが
 以前話していた「満開佐倉文庫は一つの読書運動」というような話をしてい
 ただきたいと思いまして連絡いたしました。
 話の中で、Kさんが読まれた佐倉本との出会いについても取り上げていた
 だければ幸いです。
 時間は決めておりませんが、10分程度でお願いできればと思います。
 いかがでしょうか。

 Kさんよりメールあり。

 オフ会の件、承知しました。あまり自信はありませんが、私でよければ10分弱
 くらいは話せるかと思います。

   『満開佐倉文庫』の御本を、今日、Yさんに貸しましたら、面白いと言って奥さん
 にも見せるとのことで家に持って帰りました。

 4月16日
 スナフキンさんからメールあり。

 オフ会についての返事が遅れまして、すみません。
 残念ながら、当日は仕事となってしまったため、第一部第二部ともに不参加と
 させていただきます。
 佐倉に関して無知な私にとっては、せっかくの機会だったので、本当に残念です。
 またいつかぜひ!と思っております。

 なお、ハンドルネームは砂布巾ではなく、スナフキンです。

 <返信>
 こんばんは。
 仕事とは残念ですね。次回、ご参加ください。

 すみません。すなふきん、と言うものですから、どのような布巾なのかと聞い
 てしまいました。カタカナですか(この前聞いたことを、もう忘れてしまいました)。

 4月15日
 Kさんからメールあり。

 本日、HP拝見しました。いよいよ輪が大きくなって、印西市にまで広がって
 きました。また、いろいろお心遣い、ありがとうございます。

 5月7日ですが、多分大丈夫だろうと思います。参加でお願いします。
 館主の知っているIさんにもに声をかけたいと思うのですが、いかがでしょうか?

 <返信>
 こんばんは。
 5月7日、会えるのを楽しみにしています。Iさんも参加してくれるとありがたいです。
 お伝えください。

 4月14日
 ティさんからメールあり。

 ご無沙汰です。
 5月7日に出席することをお約束しておりましたが、仕事の都合で
  申し訳ありませんが、不参加とさせて下さい。
  なを、”点と線”の佐倉駅での撮影風景については以前にメールしましたが、
 ご希望 があれば改めて当時を思い出し、メールすることは可能です。
  出席される方にもよろしくお伝えください。

   <返信>
 了解しました。
 残念ですが、仕事であれば仕方ありませんね。
 当時のことをメールいただけるとありがたいです。
 みなさんには、ホームページを通じてティさんがこられないことを伝えます。
 (みなさん、楽しみにしていたものですから)
 よろしくお願いします。

 4月13日
 印西市のMさんからメールあり。

 早速、修正いただき、まことにありがとうございました。
 今後ともよろしくお願いします。

 リンクしていただけならお願いします。私のほうこそ、
 リンクさせてください。
 益々のご活躍を祈念します。ありがとうございました。

 <返信>
 こんばんは。
 さっそくリンクを貼らせてもらいました。これからもよろしく
 お願いします。

 満開佐倉文庫読者のみなさまへ。
 印旛沼を走っていたミニ蒸気船の話や、吉岡まちかど
 博物館の話が掲載されているホームページ「木下蒸気船
 物語」を、どうぞご覧ください。

 4月12日
 印西市のMさんからメールあり。

 以前、「利根川蒸気船交通史滴々録 印旛沼のミニ蒸気船生功丸」
 を貴文庫に納本したものです。
 その後、きちんと紹介していただきまことにありがとうございます。
 また、貴氏の近刊にも私のことを間接的に紹介していただき
 ありがとうございます。

 さて、今回、ささやかなHPを作成しました。
 初作品で不十分ですが少しづつ直すつもりです。
 この中で印旛沼の蒸気船については、「私の書きもの」ページ中
 でPDFとし、明治期、陸軍作成の『偵察録』の史料を加え
 「利根川蒸気船交通史研究−−印旛沼の蒸気船−−」として
 加筆修正しました。タイトル等を修正していただければ幸いです。
 今後ともよろしくお願いします。
 http://www1.rurbannet.ne.jp/~hiro-murakoshi/

   <返信>
 こんばんは。お久しぶりです。
 さっそく、私のホームページにある題名を修正しました。
 それから、Mさんのホームページにうかがいました。
 論文を数多く発表されたり、吉岡まちかど博物館の設立にかか
 わったり、ずいぶん、ご活躍のこととお見受けします。

 Mさんのホームページとリンクしたいですね。
 これからも、よろしくお願いします。

 なお、ホームページを通じて友人となったKさんが、そちらに転勤
 となりましたので、何かのときに連絡が行くかもしれません。そのとき
 には、よろしくお願いします。

 4月11日
 満開佐倉文庫では、佐倉の開花標識桜を城址公園本丸跡、
 夫婦モッコクの脇にある桜にしたいと思います。
 これが、その桜の写真です。

 

 関連の拡大写真は、こちらです。

 4月10日
 飛鳥さんからメールあり。

 5月7日は出席できます。お手伝いも懇親会も大丈夫です!
 楽しみにしています

 fukikohassyさんからメールあり。

 満開佐倉文庫のoff会のこと、午後二時は大丈夫と思います。
 二次会の方はちょっとわかりませんが、ごめんなさい。
 Sさんも当日参加できるそうです。楽しみにしています。
 世の中、櫻満開。佐倉文庫の亀田様へ、でした。

 城址公園にいってきました。
 佐倉の開花標識桜は、本丸跡の夫婦モッコク右にある桜に
 したいと思いました。
 理由
 1、一本の木として枝振りが良い。
 2、朝日に照らされて、浮き上がる。
 3、夫婦モッコクの脇にあり、誰でもわかる。
 4、本丸跡にある。
 5、枝に添え木をするほど横に伸びており、開花確認が容易である。

 以上の点から、この木を満開佐倉文庫認定の佐倉の開花標識桜
 にしたいと思います。別に標識にしたといっても、あくまでも満開佐倉
 文庫認定という”遊び”です。後日、写真を掲載します。
 ご意見があれば連絡ください。

 4月9日
 七つの子さんからメールあり。

 5月7日のオフ会の件ですが、あいにく、予定が入っておりますので、
 残念ながら伺えないと思います。
 皆様によろしくお伝えくださいませ。

 4月2日に行われた「駅からハイキング」は、常連の参加者が多く、
 今回も参加証である缶バッジをたくさんリュックに付けている方が
 おおぜいおられました。
 春休み中でもあり、中高年の参加者に混じって、家族連れも目立ち
 ました。JR佐倉駅前に、土産品などを臨時に販売するテントが2張
 ほど出ていましたが、関東近県から1,500人以上の参加者があったと
 聞きます。せっかくの機会なのですから、もっと佐倉をアピールするような
 催しを同時開催してもよかったのではないかと思いました。
  私はハイキングに参加せず、10時〜13時ころまで、「新町おはやし館」
 前で、お囃子を聴いていました。
 「佐倉囃子保存会」の会員は、二十代の若手が多く、しかも囃子の
 技量も確かです。他所のお囃子では、笛の吹ける方が少ないようですが、
 佐倉に限っては若手の笛吹きが多く、頼もしい限りです。
 10日(日)は、城址公園の満開の桜のもとで、佐倉囃子の野外研修が
 あるそうです。
 お時間がありましたら、ぜひ聴いてあげてください。

 <返信>
 オフ会、残念ですね。次回、ご参加ください。

 昨日、城址公園の夜桜見学にいってきました。一昨日の大風に桜の花が
 散ってしまいやしないかと気をもんでいましたが、まだしっかりと花をつけて
 いました。それにしても、すごい人だかりでした。
 七つの子さんが子どもの頃には考えられなかった様子だと思います。
 桜にお囃子ですか。なかなか良いですね。多くの人が聞き惚れることでしょう。

 それから、佐倉城址公園の開花標識桜として不明門を入った右にある
 大きな桜か、本丸跡の右にある桜が良いか、などと思いました。理由は、
 枝が垂れ下がって、手で触れるくらいの高さにありますから、開花確認が
 容易であると思うからです。
 みなさん、本日と明日に城址公園の花見をして、どの木を標識桜としたら
 よいか考えてください。もちろん、満開佐倉文庫認定の標識桜です。
 「みんなで呼ぼう、佐倉の標識桜」でいきましょう。

 4月8日
 Kさんから近況報告あり。

 オフ会、ぜひ、行きたいとは思っているのですが、新しい仕事場で
 日程等も全く分からない状態なので、今しばらくご猶予ください。

 玉家脇の坂の名前を話題にしていただき、ありがとうございます。
 楽しく拝見させていただいております。また、佐倉本ではないの
 ですが、印西本を見つけました。二十年以上前に読んで、たしか
 出ていたはずだと思っていたのですが、今回読み直して見つけました。

 藤沢周平『一茶』(文春文庫・1981年)P180に木下が出てきます。

 「あの木下の絵師の方はどうなりましたかな。見つかりましたか」
 「それがさっぱりわからんそうですな。これは本当に親が心配しとります」
 駆け落ちは、四、五日前にもあったのである。木下に住むなにがしという
 田舎絵師と、布川の娘という組合わせで、舟で利根川を漕ぎくだる二人
 を見かけたという消息が最後でふっつりと跡を断ったという。

 こうしたものを地道に見つけていきたいと思います。「書き抜いていく」、と
 いうのは昔は考えもしませんでした。佐倉本から学んだことでした。
 それでは、また。

 <返信>
 転勤され、あわただしい日々をお過ごしのことと思います。
 佐倉では、佐倉本の情報をいただきましてありがとうございました。
 また、さっそく印西本を見つけたとのメールをいただき、うれしく思います。
 各地で地域本収集の活動が広がれば楽しいですね。
  そして、それらの地域本を地域文庫に収納してホームページに掲載し、
 その文庫が相互リンクされると千葉県の電子地域文庫連絡会ができる
 のではないかと考えています。そうなれば県内の地域本が簡単に探す
 ことができるようになりますので、たいへんに便利な情報源になることで
 しょう。これはインターネットだからできる機能だろうと思います。
 先は遠いのですが、どんなに遠くても目標が見えますから迷うことは
 ないでしょう。一冊の地域本を探すことを楽しみながら歩みたいと
 思います。

 4月7日
 八谷衣人さんから歴史連載の原稿いただきました。

 ご無沙汰してます。オフ会ですが、20日までにはお返事差し上げます。
 それから、ひさびさに「さくら・しゃべくる・くろにくる」を書きましたので、投稿いたします。
 ネタはあるのですが、下調べがなかなかできなくて、のびのびになってしまっております。
 館主さんでさえしらなそうなことを発掘するのは、簡単じゃないんですよ…。

 〔第W話〕 「佐倉藩士が目撃? 初の北方領土交渉」です。

 <返信>
 ごぶさたしています。また、佐倉藩の幕末原稿をいただきましてありがとうございます。
 私も、このようなことは知りませんでした。みなさんも興味を持って読まれることでしょう。
 いやぁ〜、佐倉藩士はいろいろな方面で活躍していたんですね。そのようなことを発掘
 して、紹介していきましょう。

 4月6日
 Kさんから佐倉本情報のメールあり。

 こんばんは。
   島尾敏雄さんの『死の棘』を読みました。すごい小説ですね。驚きました。愛
 と憎しみ、嫉妬の極限の形が600ページにわたって書き綴られ、また、後半、佐
 倉の町が描かれていますが、さすがにこの地で暮らしただけあって、描写が正確
 なのに驚きました。海隣寺坂近くには今も確かに味噌屋があって、ああこのあた
 りかと分かります。銭湯に行ったとか、警察署に行ったとありますが、それらは
 今のどの辺りでしょうか?警察署は今の場所とは違うのではないかと思ったので
 すが。また、一家で成田山を参詣する場面がP199から詳しく描かれているの
 で、どなたか成田本をお探しの方がいらしたならお教えいただけたらと思います。

   <返信>
 島尾敏雄氏の『死の棘』については、高比良直美さんの『椿咲く丘の町』(1996)
 に詳しいです。この本に島尾敏雄が住んでいた家などが記されています。
 それから、『死の棘』についての評論(?)や、名前を失念しましたが島尾と親しかった
 エッセイストが島尾の内面を書いていましたね。これらを合わせて読まないと、なかなか
 理解できないのではないでしょうか。確か、エッセイストは読み終わるまで何度か挫折
 したとあったと記憶しています。私もそうでした。いや、私だけだったかな?

 4月4日
 昨日、列島各地で桜の開花宣言があり、ニュースで
 取り上げられていました。
 近年にない遅い開花宣言だそうです。
 やはり桜と聞くと、一年が始まるのだなあと心新たにします。
 今年も満開佐倉文庫を楽しく運営していきたいと思います。

 4月3日
 連載エッセイ『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 4月1日
 本日より、5月7日(土)に行う満開佐倉文庫司書オフ会の
 参加を受け付けます。
 開始時間は第1部の報告会が午後2時から。
        第2部の懇親会が、およそ5時ごろを目安にしています。
 希望の方は、ハンドルネームと本名を記して連絡ください。
 会場が決まり次第、参加者に連絡いたします。

 第2部の懇親会は自由参加です。
 第1部だけ参加の方は、「第2部パス」とお知らせください。
 また、第2部のみ参加の方も歓迎です。
 それから、お手伝いいただける方も募集します。

 月別集計「訪問者(アクセス)数」、3月分を記入しました。
 3月の訪問者数は、1315人で、1日平均 42.4人でした。
 ありがとうございます。

 3月31日
 飛鳥さんの司書任期を延長しました。
 N・Tさんの司書任期を延長しました。

 3月29日
 昨日、はねいガーデンに行き、展示会についての打ち合わせ
 をしてきました。
 私の場合は、はねいガーデンに咲く花の写真を展示しますので、
 何枚くらい、どれくらいの大きさで伸ばそうかという打ち合わせに
 なります。

 ギャラリーは民家風でしたので、家具などをそのまま配置した中に
 写真を展示することにしました。
 ギャラリーのイメージがつかめましたので、これから展示する写真を
 選び、プリントしようと思っています。

 帰りに、電気製品量販店に寄り、プリントする紙を買おうと思ったら、
 サイズがL判(普通の写真サイズ)、はがき、2L判、そしてA4判
 しかないことに気付きました。
 (他の店の品揃えはわかりませんが)
 ま、普通はこれで困らないのですが、写真をやっているものから
 すると、2L判とA4判の間に6切りというサイズがほしいんですね。
 ところが、このサイズがないのです。
 そのようなわけで、写真の大きさはA4判でいくことにしました。
 また、
 写真だけでは寂しいので、詩なども添えようかと思っています。

 3月28日
 飛鳥さんに返信。

 岳真也『土方歳三 修羅となりて北へ』は知りませんでした。
 依田学海が、ようやく描かれ出しましたね。なんと言っても江戸
 城で近藤勇、土方歳三と会うのですから、話の進行から抜かす
 わけにはいきません。
 依田学海の記した『学海日録』を読むと、もう少し幕府方について
 いた佐倉藩が描かれるようになることでしょう。
 会津藩が江戸に帰ってきてからの動きが少しわかります。また
 近藤勇が甲府城代を命じられる前の話も、小説に盛り込めます。
 『学海日録』は、小説の種本となる本です。

 松本良順の江戸脱走は、鈴木要吾『蘭学全盛時代と蘭ちゅうの
 生涯』に詳しいので、どなたかに描いてほしいですね。

 松本良順は、戊辰戦争時、会津の日新館を病院とし、傷病兵の
 手当てをしていました。この間、会津藩の野戦病院には行ったと、
 どれかの資料にあったと記憶していますが、東山温泉にいったことは
 わかりません。
 明治になって、飯坂温泉を紹介(?)した人は松本良順でした。

 昨日、はねいガーデンに行き、花の写真を撮ってきました。まだほとんど蕾
 でした。ですから写真のテーマは蕾にしようか、なんて考えています。
 ちょっと、安易ですね。

 3月26日
 そろそろ、桜の季節です。

 佐倉城址公園の桜は、いつごろ咲くのでしょうか?
 上座公園の桜は?印旛沼周辺の桜は?

 桜を楽しむなら、みなさんに開花時期を教えて、
 みんなで楽しみましょう。
 気付いた人は、上記の桜の開花時期を教えてく
 ださい。

 それから、その場所の開花宣言には、通年、標識
 となる桜の木があるそうです。
 上記の場所で、標識となる桜を決めるのも面白いですね。
 もっとも、どなたさまがすでに決めているとも限りませんので、
 あくまでも「満開佐倉文庫認定」の標識桜としましょう。
 情報を、お待ちしています。

   3月25日
 はねいガーデンから、お礼のメールあり。

 今日は小さな華の展のご案内を掲載して頂き有り難う
 ございました。
  初めての催しで、どうなるかと、ドキドキしています。
  皆さんの協力を頂き、素敵な華の展になるようがんばって
 いきたいと思います。
  これからも、何かとお世話をおかけすることと思いますが、
 よろしくご指導お願いします。

  追伸
 今、やぶ椿が見頃、メジロのお客に花の蜜をご馳走しています。
 ハクレンの花は、来週が見頃かな?

   <返信>
 さっそく、メールをいただきましてありがとうございます。
 メールに写真を添付していただければ、はねいガーデンを紹介
 できます。
 はねいガーデンのたよりや催物案内を送ってくれるときには、
 1行、33文字くらいで行替えしてくれると、こちらの手間が
 省けます。
 来週あたり、ガーデンにおじゃまして写真を撮らせていただきます。
 また満開佐倉文庫の司書さんや友人の溜まり場としても利用させて
 いただきます。そして、季節の花を眺めながら、佐倉本の話などを
 させていただきたいと思っています。

 3月24日
 司書の飛鳥さんへ。
 「現在の司書さん」項目の、得意な分野を
 「少女コミック」から「歴史」に変更しました。失礼いたしました。

 満開佐倉文庫友人の「はねい」さんから、「小さな華の展」の
 案内をいただきました。

 「花を愛する仲間が集まって、ささやかな作品展を開く
 ことになりました。春の一時ドライブがてらにお出かけ
 くださいますようご案内申し上げます。

 期日 平成17年4月29日、30日、5月1日
 場所 はねいガーデン 佐倉市宮本
 問い合わせ 043−498−0729

 展示内容 華道の部 写真の部  押し花の部
        ちぎり絵の部」

   「はねいガーデン」は、自宅にギャラリーをつくり、小さな
 作品展やコンサートなどを開催しています。
 ちなみに私も写真の部に出品する予定です。
 どうぞお誘い合わせの上、ご覧ください。

 3月23日
 我がパソコンのハードディスクを交換するにあたり、データー
 を移し替える作業をしましたが、いやぁ〜懐かしい文章が
 でてきましたね。
 現在は、当時の文章はほとんど削除していますが、デー
 ターには、しっかりと残っているんですね。
 あまりにも懐かしかったので、片隅に再アップをしました。
 (目立たないように小さく載せています)
 しばらく掲載をしておきます。
 これからも、時々、リバイバル文章を載せようかと思って
 います。懐メロならぬ、懐ページです。

 3月22日
 昨日、JR佐倉駅から電車に乗りましたところ、車内の
 中吊り広告に、「城下町佐倉お花見ハイキング」のポスター
 がありました。
 これは東日本旅客鉄道株式会社の主催で「駅からハイ
 キング」というイベントのお知らせでした。

 実施日は4月2日(土)で、募集定員は2,000人とあり
 ました。2,000人ですよ、すごいですね。
 締切日は3月31日までとなっています。
 詳しくは 03−5447−0973まで問い合わせてください。

 参加費無料。記念に「缶バッジ」のプレゼントがあるそうです。
 私は、こちらの方が気になりますね。
 それから、あの中吊り広告は、掲示したあとどうするのでしょうか。
 あのポスターはよかったなぁ。カラー刷りのチラシはもらってきましたが、
 何と言っても、ポスターにはかないません。
 どなたか、中吊り広告の行方をご存じの方は教えてください。
 もし、このホームページを見ているJR関係者の方がいましたら、
 厚かましいお願いですが、賞味期限が切れた後、いただけませんか。

 3月21日
 昨年、佐倉市民音楽ホールでおこなわれた合唱祭で、「さとやま
 さくら賛」「佐倉城の唱」「佐倉市制の歌」が歌われました。
 そのときの合唱をCDにしたとのことで、一枚いただきました。
 大切に保存したいと思います。ありがとうございました。

 佐倉東高校の『図書館だより』 49号(平成17年3月8日)に、
 ほぼ1頁を使って、満開佐倉文庫が紹介されました。
 ここには、佐倉本の集め方や楽しみ方が記されています。
 そして「本校図書館でも、この満開佐倉文庫の企画に全面的に
 協力したいと考えています」とありました。
 いよいよ、満開佐倉文庫は高校の協力もいただけることになり
 ました。高校生もホームページを訪れてくれることと思います。
 司書さんの、さらなる佐倉本情報提供を期待しています。

 3月20日
 「司書さんへのおしらせ」を追加しました。

 周囲では送別会をおこなったという話を聞く時期になりました。
 私も先日、先輩の送別会に出席しました。
 ついこの間までは末席に座っていたのに、いつのまにやら挨拶を
 させられる年代になってしまいました。
 歳月の早さを感じるこのごろです。

   3月19日
 15日から、パソコンの容量アップのため、ハードディスクの交換作業を
 していました。
 していたといっても、私がしたのは、これまでハードディスクに溜めてあった
 データーを外付けのハードディスクに移し替えただけで、あとはパソコン店
 に預けて、ハードディスクの交換をお願いしたということになります。
 これまでは、Cドライブに30GB、Dドライブに20GBの容量でしたが、
 今度はCドライブに250GB、Dドライブに250GB、外付けで160GB
 となります。
 これで当分は、容量の心配をしないですむのではないかと思っています。
 そのようなわけで、ここ数日はホームページの更新ができず、またメールを
 読むこともできませんでした。
 メールが溜まっています。さっそく返事を書くことにしましょう。

 3月15日
 昨日の続き。
 Kさんが印西に転勤との話を受けて。

 Kさんとは、当ホームページにメールをいただいたところ
 から交流が始まりました。
 Kさんからは、私の満開佐倉文庫が一つの読書運動と
 いわれ、今まで気づかなかったことを教えられました。

 Kさんと、佐倉本以外にも千葉県各地に印西本や成東本
 などができるとおもしろいなどという話をしました。
 Kさんは、満開佐倉文庫に合わせて、大漁銚子文庫、
 水郷佐原文庫、里見館山文庫などという文庫名を考えて
 くれました。
 そのようなことをやっていただける人がいましたら歓迎します。

 私は、いつもKさんの読書量に圧倒されていました。私の方は
 とみに読書ペースが落ちてきており、刺激を受けていました。

 Kさんとは一年前までは他人でしたが、この1年間、ホームページ
 を通じて、いろいろなことを話してきました。
 当ホームページを通じて、同じ趣味を持つ人たちが交流できる
 ことはすばらしいことと思います。

 Kさんは、転勤されますが、インターネットは距離がありません。
 これからも、よろしくお願いします。

                        館主

   3月12日
 司書さんへおしらせ。
 オフ会の報告会で聞いてみたいことがあれば連絡ください。
 ご指名のあった司書さんに、依頼してみます。

 3月11日
 オフ会の申し込み受付期間を4月にずらしました。
 オフ会当日、何人かに会場設営の手伝いをお願いしたい
 と思います。後日、協力依頼人数をアップします。

 私のパソコンのハードディスク容量が、ほとんど満杯になって
 きましたので、近日中にハードディスクの容量を大きくしよう
 と考えています。
 私のパソコンは自作(つくってもらった)のパソコンですから、
 容量を大きくすることは、さほど手間がかかりません。
 ただどれくらいの容量にしようかと、お店の人と相談をして
 います。
 それは、これからどのようなソフトを使って、どのような
 データーを蓄積していくのかというところにつながっている
 からです。言ってみれば、満開佐倉文庫の数年後の形を
 考えているということでもありますね。

 3月10日
 「郷土の新刊案内 平成14年、 平成16年」を更新。
 せっかく電子年報2004年版をつくったのに、追加という
 ことになってしまいました。
 年報は、数ヶ月置いてから作った方がよさそうですね。

 下段に、これまで掲載した資料を整理して「佐倉データー
 ハウス」という項目をつくりました。

 下段の佐倉データーハウス→サブカルチャー→映画の項目に、
 北野武監督の映画「Dolls」の解説を追加しました。

 3月9日
 雪にも負けず
   風邪にも負けず
 欲はなく
 ただひたすらと
 佐倉本を
   紹介する
 そのような人に 私はなりたい

 あれ、宮沢賢治の詩のパクリですね。
 とにかく、風邪が治ってきました。

 3月4日
 司書のみなさまへ。
 満開佐倉文庫開設5周年記念のオフ会を5月7日(土)の午後に
 開催します。
 会場は、まだ決めていませんが、この日で作業を進めます。

   内容は、
 <第1部 報告会>
 @、満開佐倉文庫の経過とこれから   館主
 A、映画「点と線」の佐倉駅ロケの思い出  ティさん(予定)
 B、映画「ドールズ」の佐倉撮影現場について  M・Tさん(予定)
 C、「うるし坂」に交差する新道の経過とその後    館主
 D、連載小説の魅力       黒田碧さん(予定)

 <第2部  懇親会>

 そのほか、昨年から今年にかけて、ホームページ上で話題となった
 ことについて、司書の○○さんに話を聞きたいというものがありまし
 たら、連絡ください。
 ご指名のあった司書さんに依頼してみます。
 もちろん、どこかの場面で各司書さんから一言をいただきますので、
 そこでも話題にはなるとは思います。
 なおオフ会のおしらせは、このホームページ上掲載しますので、各司書
 さんには個別に連絡はいたしません。ご承知ください。

 3月3日
 上段、修復中。

 3月2日
 トップページの下段、修復終了。
 ご迷惑をかけました。

 訪問者(アクセス)数を更新。
 2月の訪問者数は1083人でした。

 平成17年 月別集計「郷土の新刊案内」をアップしました。

 3月1日
 司書のみなさまにおしらせ。
 満開佐倉文庫開設5周年記念のオフ会を5月7日(土)の午後に
 開催する予定です。
 当日は、中国からティさんが帰国してくれそうです。もし実現しましたら、
 松本清張原作の映画「点と線」の佐倉駅ロケについて話を聞きたいと
 思っています。
 また、M・Tさんからは北野武監督の映画「ドール」の佐倉撮影現場の
 発見についての話を聞きたいと思っています。

 話が進みましたら再度、ホームページに掲載します。

 2月28日
 風邪気味で操作をしていたら、トップページを削除して
 しまいまいました。
 もう、パニック状態です。

 画面はバックアップのある、昨年の12月11日にもどってしまいました。
 思えば、今年になって随分画面を変えたのですが、今年のバックアップを
 とっておらず、新規の画面が全部パアになってしまいました。
 そのようなわけで、トップ画面を修復しながら、「満開佐倉文庫だより」
 を掲載していきます。
 しばらくは「だより」の日記だけを、ご覧ください。申し訳ありません。
 なお、メールは大丈夫ですので、情報をお待ちしています。

 2月25日
 昨日、Eさんからいただいた映画情報「指導物語」の続き。
 「指導物語」には国鉄佐倉駅が出てきます。また歩兵第57連隊の
 兵士がエキストラで出演しています。

 戦記ものとしては、市川雷蔵の「陸軍中野学校」に10秒ぐらい、
 歩兵第57連隊の看板が出てます。
 映画の戦記ものを探すとしたら、2・26事件関連はどうでしょうか。
 佐倉連隊は鎮圧部隊ですから、路上などで歩哨に立っている兵士
 の中に、57連隊がいるかもしれません。確認方法としては、襟を見て
 ください。当時の連隊の見分け方は襟についた徽章です。57とあれば
 佐倉連隊です。

 勝新太郎の「兵隊やくざ」は、ソ連国境を警備する連隊を描いたもので、
 ここには第一師団が駐屯していました。佐倉連隊も第一師団隷下に
 ありましたので、同じような生活であったと思います。

 最近亡くなった岡本喜八監督の映画「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」
 などもイメージがつかめます。ただ、この連隊は、連隊番号は桁が大きい
 ものでした。それは、敵の目を欺くために、いろいろな連隊番号になっていく
 からです。

 アメリカ映画で、レイテ、グアムをあつかった映画を探していますがありません。
 57連隊はソ連との国境警備から一転して、レイテ、グアム戦に参戦します。
 アメリカ映画には「トラ・トラ・トラ」「パールハーバー」「ガダルカナル」などがあり
 ますが、レイテ、グアムの陸上戦はありません。もし、情報がありましたらお知ら
 せください。・・・・でも、観るかなあ・・・?

 2月24日
 なっちゃんの司書資格を延長いたします。

 Eさんから初メールあり。
 昭和16年に放映された映画「指導物語」に佐倉駅が出てきます、というもの
 でした。せっかく、メールをいただいたのですが、すでに手元にあります。申し訳
 ありませんね。また、探してください。

 2月22日
 ティさんに、司書になっていただきました。
 今度のオフ会のときに、映画「点と線」のロケの話を聞きたいで
 す。日程が合って帰日できると良いですね。

 また、M・Tさんは北野武監督の映画「Dolls」のことを聞かせて
 ください。

 2月21日
 佐倉で練習に励んでいたマラソン選手、千葉真子さんは、
 このほど佐倉から引っ越すことになりました。
 先週、図書館などにあいさつにきたそうです。

 短い期間でしたが、佐倉の路上で練習をしている姿を見かけ
 た人は多かったのではないでしょうか。
 私たちは、千葉さんが佐倉に住んでいるだけでうれしくなって
 いました。
 ありがとうございました。
 ますますのご活躍を期待しています。

 2月20日
 Y・Tさん、M・Tさんに満開佐倉文庫の司書になっていただきました。
 これから、よろしくお願いします。

   2月18日
 下段に「佐倉市民本記録」の項目をアップしました。

 2月15日
 『満開佐倉文庫年報 ー平成16年(2004)版ー』を、佐倉図書館、志津図書館、
 佐倉南図書館に送付しました。自家製本の仕上がりをご覧ください。

  2月14日
  黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』を更新しました。

 2月5日
 2月2日〜4日までメールを開かずにおり、本日、開きましたら62通のメールが到着
 していました。このうち、ほとんどは館主と関係ないところから送られてくるメールです。
 最初、メールのカウントが40、50と続いたので、またウイルスにやられたかと思うほど
 でした。ホームページを開設していると、いろいろなメールが送られてきます。でも、
 館主が知らないメールは見ないで削除します。これは以前、ウイルスにやられた経験
 から学んだものです。

 司書さんへのおしらせ「満開佐倉文庫開設5周年記念についての案」は、上段に
 移動して掲載をします。何か良い案がありましたらお知らせください。

   2月1日
 「平成17年 月別集計」に、「訪問者数」を掲載しました。

  1月29日
 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』を更新しました。

  1月27日
 連載エッセイ『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

   満開佐倉文庫年報の件。
 Word版の表紙を更新しました。→ のりしろの関係から、題名などを1cm、
 右にずらしました。内容は変わっていません。

1月20日
 佐倉市民音楽ホールで、「第2回 印旛沼再生行動大会」が千葉県・
 印旛沼流域水循環健全化会議の主催によって開催されました。
 市民・NPOの意見交換の後、「印旛沼流域自然環境トークセッション」が
 開催され、「印旛沼流域の水環境が育む生き物たち」をテーマに話し合い
 がされました。
  このパネラーの一人に私がなり、アマチュア写真家として印旛沼の風景に
 ついて話しました。もう一回、答弁が回ってきたらホームページの話をする
 はずでしたが、時間切れとなり、話すことができませんでした。残念!
 そんな日もありますね。
 今度は、「印旛沼風景写真家」としてデビューしようかなあ。

   1月18日
 年報について。
 Word版の表紙を変更しました。これはHtml版の表紙をコピーして
 つくったため、Word版の表紙もHtml版の表紙仕様になっていたのです。
 どこが違うかといいますと、Html版には、上段と下段に余計な文字が入って
 しまうのです。これがWord版では消えています。

 さっそくKさんから「年報ができて便利になりました」というメールをいただき
 ました。また、富士山の情報や佐倉本の情報をいただきました。
 後日、紹介します。

 年報ができて、ほっとしています。
 年報が、ほぼ15日でできるなんてすごいですね(内容にもよりますが)。
 普通の印刷なら、このようにはいかなかったでしょう。
 今年も1年が終わったところで、すぐに校正に入れるぐらいの整理をして
 いきたいと思っています。

 1月17日
 初めての電子出版物『満開佐倉文庫年報 ー平成16年(2004)版ー』
 ができました。上段に掲載しています。
 文章は、Word版とHtml版の2種類があります。Word版の方が字数を
 整えていますので、印刷するときれいに仕上がります。Wordソフトを利用
 していない方は、Html版から印刷をしてください。
 なお、それぞれ表紙と本文がありますので、両方を印刷して合わせてください。

 司書のみなさまに。
 電子出版物の感想をお知らせください。そして、不備な点を指摘していた
 だけると今後の参考になります。

 試行錯誤の2週間、Html文章をWordに移行する方法についてはKさん
 に教えていただきました。お礼申し上げます。

 1月12日
 トップページを整理しました。
 ふたたび、印旛沼フォトギャラリーを上段に開設しました。
 現在のところ、下段に掲載してある『印旛沼の四季』の写真を、
 いち早く見られるようにしたものですが、また印旛沼の写真を撮ろうと
 思っている意思表示でもあります。もっとも、新しい写真が掲載できる
 のは、まだまだ先のこととなります。

   1月9日
 電子年報づくりに苦戦しています。
 印刷用原稿をプリントして、冊子として読んだら、どうも文章の
 流れが良くないのです。
 ホームページ上の文章を読む人は、ホームページを知っていますので
 私が文章を掲載するときには、その辺のところを省くことがありました。
 しかし、その文章が冊子となり、ホームページを知らない人、ましてや
 満開佐倉文庫の1年間の動きを知らない人が読むとなると、これまで
 の文章では意味が通じないところが出てしまいました。
 そのようなことで、もう一度、文章を補足しています。でも、その文章
 をみなさんが読んだら、くどい文章に見えるでしょうね。
 ・・・、というようなことを悩んでいます。

 1月8日
 飛鳥さんからメールあり。

 去年の「新選組!」が終わった直後に放送されたNHKの「その時
 歴史は動いた 土方歳三函館に死す」(12月15日放送)の中で
 新選組が鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、土方歳三が「友人の佐倉
 藩士、依田七郎に語った」として『譚海』を引用していました。

 ずっと録ったままで、ビデオから消そうと見ていたら「佐倉藩士」と出て
 いたので、消せなくなってしまいました。DVDで永久保存ですね!

 私も佐倉に敏感に反応する、「満開佐倉文庫」病に罹ってしまった
 ようです(笑)

 でも、土方歳三と依田学海は友人関係だったのですか?
 江戸城で会った幕臣同士だと私は思っていたのですが・・・

 先日引用した本、歴史読本クロニクル@「土方歳三の35年」の中にも
 「佐倉藩士だった依田学海の『譚海』には、鳥羽伏見の戦いに敗走した
 歳三と江戸城で出会ったときの印象が・・・」と、学海が見た土方の印象
 を取り上げています。「眼光人を射る」なんて、友人なら言わないと思う
 のですが・・・

 今年も「新選組」でスタートした、飛鳥でした。

 <返信>
  佐倉藩士依田七郎(学海)と土方歳三の件についてお知らせします。
 私の知っているかぎりでは、七郎と歳三は深い友人関係ではなかったと
 思います。
  それは、依田学海の記した『学海日録』に、歳三のことを記した条は、第2巻
  (189頁)に、江戸城で会ったことしか記していないからです。

 鳥羽・伏見の戦いから帰った近藤勇・土方歳三は江戸城に上がりました。
 そのとき依田が二人に会って、話を聞いています。歳三の名前が日記に出
 てくるのは、このときだけです。

  依田学海の『譚海』を世に紹介した作家が子母澤寛の『新撰組始末記』
 (264頁)です。
  これが元となって、映画や小説などに近藤と土方が江戸に帰ってきた様子
 が描かれるようになります。
 ですから、学海の日記がなければ、近藤や土方が江戸に帰った様子は描け
 なかったのです。また、近藤勇の傷については『松本順自伝』がなければ描け
 ませんでした。江戸に帰った近藤と土方の行動の元本は、佐倉ゆかりの人物
 が記したものなのです。ちょっと、自慢してください。
  なお、『譚海』は漢文ですので、『学海日録』の方が読みやすいでしょう。

 佐倉に敏感に反応するようになったのは、良いことですね。やればやるほど感度
 が良くなっていきます。

 飛鳥さんは「新選組」が終わらないようなので、私も少し付き合います。
 今年は近藤以後の、松本良順を追ってみたいと思います。

 1月7日
 七つの子さんのホームページに、麻賀多神社の初詣写真が掲載されて
 います。ずいぶんと賑わったようです。七つの子さんへの飛び方は、私の
 ホームページ下段にある「佐倉古写真館」から行けます。ご覧ください。

 <おしらせ>
 千葉県と印旛沼流域水循環健全化会議主催の「第2回印旛沼 再生行動大会」
 が、
  平成17年1月20日(木) 午後1時〜4時30分
  佐倉市民音楽ホール(京成臼井駅下車 徒歩3分)
 で開催されます。当日は「印旛沼流域の水環境が育む生き物たち」
 というテーマで、自然環境トークセッションが行われます。
  このパネラーの一人として館主が出ます(本当は、そのようなガラでは
 ないのですが)。エントランスホールでは、館主の印旛沼写真を展示い
 たします。
 また会場では、これまで撮った印旛沼の風景写真の中から選りすぐった
 ネガを多数映写します。時間のある方は、どうぞお越しください。

 1月5日
 昨年末、Kさんからメールをいただいたっきりにしていました。

 ご無沙汰しております。
 さて、私は司馬遼太郎氏の小説の幕末物はまだあまり読んでいないので、これ
 から少し読んでみようと思い、今回『花神』を読みました。
 館主の御本に「松平壽子」さんのところで紹介されていましたが、その他に松本
 良順、佐藤泰然の名が何度か出ていました。ご存知だとは思いますが、以下
 書き出してみます。テキストは4冊本の新潮社のハードカバーです。

 『花神』(一)
 P299 このためポンペに自由な医学教授をゆるしたのではなく、幕府の奥医師
     松本良順(のち順。明治後軍医総監)だけに受講をゆるした。

 『花神』(二)
 P56 松本良順(のち順と改名、戊辰戦争には佐幕軍に参加、のちの陸軍軍医
    総監・男爵)が頭取職をひきつぎ、洪庵式のシステムを一変させてポンペ
    様式をとり、現在の医学教育の源流をつくった。

 P75 松本良順のような洋医もいれば榎本武揚のような洋式陸海軍の指導
     者もいる。
 P83 幕府の医官松本良順が、まるで戦国の武将のような風耒でゆったりと
     すわっている。

 『花神』(三)
 P123 ここは「松平壽子」さんのことが書かれていました。

 『花神』(四)
 P64 順天堂は蘭学者佐藤泰然・尚仲をもってその学祖としている。

  四巻目まで読んできて、千葉県の地名が何度か出てきたので、それもメモを
 とってみました。P71市川、鴻ノ台、P102関宿、P104松戸。ある本を読み返すと
 いうのは時に苦痛を伴うことがあり、将来、こうした市や町で『満開佐倉文庫』
 のような試みをする時、少し参考になればなあと思っていました。

 <返信>
 こんばんは。
 『花神』の件、お恥ずかしいのですが、学生のときに夢中で読んだのですが、
 そのころは、あまり佐倉を意識していなかったのか、まったく記憶にありません。
 というか、佐倉の順天堂、そして佐藤泰然が佐倉で改めて知られるのは昭和50
 年代ですから、私が本を読んでいたころには、佐倉では、順天堂がどのような塾で
 あったのか、また佐藤泰然がどのような人物であったのかが理解されていなかったの
 です。ましてや、松本良順などは佐倉と関係がないと思われていたのではないで
 しょうか。
 やはり、「佐倉の歴史を次世代に伝える」ということは大事なことだと思いました。

 私は暮れから風邪がなおらず、そのような中で、ホームページを整理したり、年報
 づくりを優先させてしまいました。
 メールをいただきたときには、もう少し記したいと思ったのですが、やはりメールを打つ
 というのは、なかなか話すようには進まないものですね。まどろっこしくなってしまいます。
 今度、ゆっくり話しましょう。
 ありがとうございました。

     1月3日
 満開佐倉文庫年報の原稿を修正をする。
 「印刷用表紙」と「印刷用原稿」をプリントすれば、一応、印刷物という
 形になる。
 あとは、しばらく掲載して、さらに修正があるかどうか判断したい。

 1月2日
 トップページを今年用に整理する。
 昨年の「満開佐倉文庫だより」は、下段の【掲載記録】に収納する。
 今年の「満開佐倉文庫だより」は、それを整理するにあたって細分する。
 細分は、下段の通りとする。

 満開佐倉文庫年報の作成作業を終了する。プリントできるように「印刷用
 原稿」に文章をまとめたが、今しばらくそのままとして訂正があれば訂正する
 ことにしたい。

 2005年1月1日
  明けまして
   おめでとうございます。
  本年もよろしくお願い申し上げます。

 昨年から年越しホームページ作成をしようと、紅白歌合戦が終わってから
 インターネットを立ち上げたら、Kさんから佐倉本情報のメールが入ってい
 ました。
 10時に、インターネットを確認して、今年のメール整理は終わったと思って、
 いましたから、おっとっとになってしまいました。やられましたね。
 さっそく、メールを送ることにしましょう。ただいま午前0時15分です。

 午前0時のカウント数は、31272です。この数字から1年が始まります。



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