すっかり衣服を脱ぎ去った素肌に、室温は冷たかった。
伊角は和谷の肩が布団から出ないように、毛布を引き上げて首のあたりまで掛けてやった。
「平気?」
何を平気なのかと尋ねた台詞か自分でもわからないままに、何となく、伊角が気配りの言葉を掛けた。和谷は勢い良く頷く。肌が擦れ合うと慣れない仕草で身をすくませた。
「教えてくれ、伊角さん」
和谷は身の置き所を決めあぐね、うつ伏せになって頬だけを伊角の肩へのせる。
愛しさは、身体の底から湧いてきた。
「うん……」
どう話したら良いものか。
和谷の背に腕を回して撫でてやると、和谷は頭を起こして、それだけは知っている不器用なキスで伊角を求めた。
舌を入れるものだ、という知識だけが先行するものだから、和谷は乱雑に伊角の口内を舐める。その身体をそっと押しとどめて、柔らかく、伊角の唇が動いた。

「……ん…」

徐々に、痺れるような感覚が唇から、舌から、口蓋から生み出され、官能の術としての口付けを和谷が掴み始める。
一生懸命な表情を伊角は可愛いと思った。
時折漏れる水っぽい物音の生々しさに、和谷は身のすくむような思いをした。

「は」

ようやく口付けを解いて、間近で見詰め合った。
伊角さん、と呼ぼうとした和谷の口許から唾液が一筋零れた。伊角が少し笑った。
「伊角さん……もしかして」
和谷は手のひらで口を押さえた。
「何?」
「伊角さん、もしかして、やったこと、あるの?」
指で、自分の唇をなぞった。なんだか腫れぼったくなっているような気がする。
伊角はその和谷の指に自分の手を絡めると、引き寄せて体の上下を入れ替え、和谷を上から見下ろした。
「なあ、伊角さん」
伊角の唇が降りてくる。額、頬、鼻先、喉許。
「答えろよ、伊角さん!」
伊角が苦笑する。
「お前、さっきからそればっかり」
「だって」
和谷は伊角の身体を押しのけ、目線の高さが同じになるように横に並んだ。
「……ある」
「本当?」
「あるよ……でも、そんなにたくさんじゃないよ」
「……あるのか……」
和谷が黙り込んだ。セックスの経験の有無が、まだ重大事である年頃なのだ。
そんなことを、気にしないで欲しいのに。

「オレ、そんなこと全然気付かなかった」

「それは、だって…そんなの話しづらいだろう?」
「何回?」
「………」
「誰と?」
「………」
「それってやっぱ、聞いちゃいけないこと?」
「……うん」
伊角は和谷の髪を撫でてやり、布団の中で手を繋いだ。その手が冷たく冷えて汗ばんでいたので、ふいに可愛そうになった。
「2回、だけ」
早口で素早く答えると、ようやく和谷の表情がほころんだ。
「何だ、それだけか」
「………」
でも、和谷が気を緩めたようなので良かった。
「誰と?」
また和谷が質問を繰り返したので伊角は嫌な顔をした。
「秘密。和谷の知らないひと」
「……伊角さん…ちょこっとだけ」
「駄目」
「女のひと?」
「和谷!」
「ねえ……だって、オレは初めてなのに」
「当たり前だろ。お前、まだ中学生なんだから」
「でも……」
「………女のひと!」
そうなんだ、と和谷が複雑そうな顔をした。
「……そのひととは、今でも会う?」
今度の質問は、頼りなさげな囁きだった。
まだ何も、何の約束もしていないまま、身体を繋げようとしている。和谷にとって性交渉がどれほどの意味を持つものか考えると、可愛そうになる。きっと彼の知識は断片的だ。不安なのだろう。
約束は、何もない。先のことは分からない、何も。
伊角が大きく息をついた。
「会うよ……学校の、美術の先生」
「それ本当か?!」
和谷が驚いている。
「本当。でももう普通。はずみだったんだ。付き合ってたとかですらないよ」
しばらく和谷の反応までに間があったが、結局は、ふうん、と納得したように頷いていた。

少しでも、君が安らかであると良い。

「和谷、しよう。ちゃんと」
「……え?」
「ゆっくり教えるから」
伊角は優しく笑んでいた。


身体を繋げれば、二人はひとつになって、全ての不安なことは消え去るのだと、そう信じてた。
不確定は確定へと移り変わるのだと。


「うん、教えて、伊角さん」
和谷が伊角の胸に鼻を摺り寄せる。伊角の匂いがする。とても落ち着く。でも、こんなに遠慮無くひとの匂いを嗅いだりするのは初めてだったかも知れない。


まだ決断の季節には早い。
全てが、ゆるゆると怠惰に展開する。
それでも今は仕方ないのだと思う。


伊角の腕が和谷を自分の身体の上へ引き上げた。
「大丈夫、途中までは女の子と一緒だから」
耳許で囁く伊角の声が、背筋を這う痺れになる。衣服を着けない素肌が触れ合って、面映かった。
「ほら」
伊角は和谷の指先を導いて頬の輪郭を辿らせる。
「一緒って……」
「オレを女の子だと思って途中まで……」
「……」
和谷が意を決したように、意思的に身体を起こした。頬に唇をあてる。それから、首筋を掠めて、鎖骨の窪みを吸った。
だが、本当はどうしたら良いのか分からない。
どうしたら良いんだろう。
ちらりと、目を閉じたて和谷のしたいままに身を任せている伊角の様子を見上げた。
静かな肌は仄白く、無機であるかのように瑕ひとつなかった。
自信なく和谷の指はさまよって、柔らかな腹の上をなぞったあとに平坦な胸の小さな先端に触れる。伊角の口が笑いの形に歪んだ。
「なんだよ、もう」
「だって」
なんかさあ、と伊角が言う。
だが、憮然とした和谷の刺激が加わるうちにそこはつんと尖って、伊角はまた薄く開いた目を閉じた。思いきってそこを口に含んでみる。自分のものとそう変わらないささやかな突起を舌で確かめる作業に熱中しはじめる。
精一杯の知識を導引して、もう片方の胸の先もつまんでみたりする。
そういう本なら読んだことがあった。友人達と知識を交換しあったりもした。
だけど、どうだったろう。
そういう本の、やたら胸の大きい少女キャラは、男の舌が絡み、指が胸や秘所を探るとすぐに「やん」とか「ああ」とか絶叫して泣きながら悶えていた。
どうだったろう。
伊角もそんなふうになるのだろうか。
それは困る。
「伊角さん」
伊角は静かだった。それも困ると思った。
「ねえ、伊角さん」
顔を起こして伊角を見ると、いつのまにか伊角は腕で顔を覆っていた。
「伊角さん」
また呼びかけると、その腕の向こう側で震えるような溜め息をつくのが聞こえた。その気配の甘さに、ふいに鳥肌がたった。
和谷が手を止めてしまったので伊角が緩慢な動作で腕をおろした。ぼんやりと潤んだ視線が和谷を捉える。
「和谷?」
和谷は答えなかった。
「和谷、大丈夫?」
今度はかろうじて頷いた。伊角が苦笑する。
「心配すんなよ。ちゃんと出来てるよ」
ほら、こっち。
そう言って伊角は和谷の手を、今度は下肢の間に引き込んだ。
「え、なに……伊角さ…」
「ここ」
確りと和谷の指にその入り口を確かめさせる。
「これで初めて同士だろ」
と伊角が言った。


階下で、物音がした。凄く緊張した。時計の針を何度か見たのは覚えているけれど、何時だったのかはまるで記憶にない。夜光塗料の黄緑色の光が目に刺さるようだと感じたのはよく覚えている。それから、伊角の髪の上を流れる窓からの明かり。足の付け根に少しだけ付いた皮下脂肪がやけに柔らかだったこと、とか。そこに、本当は噛みつきたかったこととか。……出来なかったけれど。

あなたは世界の全てではない。
あなたの傍に居ること以上の望みを持ってる。
振切っても、先へ進みたいんだ。
いつか、あなたには理解できないくらいに道が隔たるかもしれない。

それでも、全ての望みは、本当は、あなたに帰結する。


「あ、痛」
伊角が眉を顰める。
何の策もなく挿入しようとした和谷を押しとどめて、そこを解すことを教えて、けれど思ったよりも抵抗があって上手く行かなかったので伊角の機転で隣室の物置部屋に置いてある母親の鏡台の引き出しから化粧用の乳液を持って来た。今度は前よりはゆるく事が進んだが、それでも、随分痛かった。
和谷が心配そうにしているので和ませようと思って、女の子なら自分で濡れるのになあ、と珍しく性的な冗談を言ってみた。でも、和谷には理解しにくい冗談だったようで余計に気まずくなった。
和谷は乱雑になってしまいそうになる体の動きを調整しようと、辛そうに荒く呼吸していた。まだ衝動を飼いならしていない不慣れな情欲が、和谷をもどかしがらせる。
拙さが好ましかった。
「痛ぁ……」
また呻くと、和谷がごめんと呟いた。
「ごめん……伊角さん、オレ……」
和谷がぎゅっと目を瞑る。
どうしても、身体の快楽に意識が集中してしまう。もっと、愛情を感じなければいけないのに。もっと、愛しさとか、二人は一つになったのだという感動とか、精神的な優しい美しい感情を追わなくてはいけないと思うのに。
衝動を押さえきれない。

全ての不安は消え去って、見えなかったあなたの心が分かれば良いと、望んだのに。

「伊角さ……」
「和谷」
和谷がどうにかゆっくりと最後まで挿入しようとする。正直言って苦痛しかなかった。頭では侵入の深さの程度は理解出来るのに、体感では怖いくらい奥深くまで異物が差し入れられていると感じる。それなのに、まだ、入ってくる。
「大丈夫」
自分と和谷の双方に言い聞かせるように、伊角は口にだしてそう言った。
「伊角さん……」
「入った?」
「うん……」
部屋のなかは、とうに暖房も切れて、寒いはずだった。だが和谷は汗をしとどにかいて、顔を紅潮させている。本能が指令するのか、腰を少し揺する和谷の、背中を抱いてやった。多少無理な姿勢ではあったが。
唇を噛み締めている。目を閉じている。勿論それは好ましい。
と、ごめん、と和谷が言った。
「あ、ごめん、伊角さ……駄目……ッ」
爪ま先から痺れるような、寒気にも幾らか似た快楽が上ってきた。あっというまに、ひくり、と身体が不随意に動いた。
「あ」
和谷の手に、きゅっと力がこもって伊角の足を押した。それは解放の合図だった。
大きく、息をつく。
身体の中に、勢い良く何かが流れ込んできた。
「ああ……」




......→6へ続く