もう夏も終わり。あと2日足らずで、夏休みも終わり、また学校にはにぎやかな声がこだまするだろう。 終業式にワックスをかけられてぴかぴかになった廊下も、夏休みの間中、誰にもキズをつけられることなく埃をかぶってしまって、いささか勿体無い気もする。 どうせなら、始業式直前にワックスをかけて磨けばいいものを。そう思いながら、自分の足音だけがいやに響く廊下をゾロは気だるげに歩いた。 ゾロはこの小学校の臨時の用務員だ。本来は大学生なのだが、こうして時間があるときにバイトとして小学校の用務員として働いている。 今は夏休みなので特にやらねばならない雑務はないのだが、警備員の真似事で校内の見回りなんかもしている。夏休み中、たまに図書室などを開放するので、その時に不審者が入ってきたりしないように見張るためだ。 まあそれは口実で、実は夏休み中でも学校に来てこうして校内を歩き回れば、それだけの給料をもらえるから暇つぶし程度にきているゾロだったりする。 大きく伸びをして、校内の窓を開ける。空気の入れ替えをしないと暑さがこもって気持ちが悪い。ゾロは廊下や教室の窓を開けながら、校舎を移動した。 3階の、つきあたりにある視聴覚室のドアをからりと開けて、ゾロは足を止めた。室内は、暗幕がかかって真っ暗だ。しかしその中から、なにかに気づいたように目を細めて、吸い込まれるようにして室内に入り、ドアを閉めた。 「あーつーい!!」 片手にスイカバーを持って、チビナスは歩いていた。もう片方の手には、『なつやすみの友』と読書感想文で使った本が入った青い手さげのバッグがつかまれている。取っ手にはあひるのストラップが揺れていた。 どうやら、近所の図書館で夏休みの宿題の最後の仕上げをしてきたらしい。 「こんなクソ暑いのに夏休みが終わりだなんてしんじらんねー」 はぐっ、とスイカバーを食べながら学校の前を通りかかった時、ところどころの教室の窓が開いているのを見つけて、チビナスは目を輝かせた。 「ゾロがいる!」 教室や校内の空気の入れ替えをするのは用務員の仕事だと、図書館の開放日にゾロがぶつぶつ言っていたのを覚えている。図書館の開放日はお盆に入る前だったから、もうしばらくチビナスはゾロに会っていなかった。 チビナスだって夏休み中プールに行ったり図書館に行ったり遊びに行ったりする友達はいる。けれど、ゾロという存在は別だった。何故かわからないけど、ゾロが好きだった。 ゾロは用務員だけど、本来は大学生だから、ずっと学校にいるわけじゃない。会える日もあれば、会えない日だってあった。夏休みに入ってからはなお更だ。 だからチビナスは、ゾロに会いたかった。迷わず校庭を横切って、校舎の中に入れそうな窓を探す。昇降口は閉まっているけれど、一回の教室の窓が所々開いているから、そこから入れるだろう。 「ゾロはどこかな〜」 休み中でも、もうすぐ新学期だから、職員室で仕事をしている先生もいる。チビナスは見つからないように気を配りながら、一つ一つ教室を見て回った。一番最初に行った用務員室には、誰もいなかったから、きっと校内を回っているのだろう。 チビナスは滅多に訪れない上級生のクラスの前を堂々と歩いた。いつもは6年生のベラミーたちが通せんぼしたり、インネンふっかけてくるから通れないのだ。今なら走ったって教室に入ったって咎めるものはいない。 スキップでもしそうな勢いで、チビナスは傷一つないぴかぴかの廊下を歩いた。 図書室、保健室、理科室、家庭科室を覗いたけれど、ゾロは見当たらなかった。けれど、窓は開いていたので、ゾロが通ったあとを通るのはまたチビナスにとってはおもしろい遊びであった。 そして3階のつきあたり────視聴覚室まできたとき、がたん、と微かに物音が聞こえた。 (ここだ!) いきなり開けたらびっくりするかな?脅かしてやろう。と、想像するだけで笑いが込み上げてくる。チビナスはウキウキしながらガラリ、とドアを開けた。 視聴覚室は暗幕が張ってあって真っ暗で。 電気も点けていないから、さらに真っ暗で。 チビナスが開けたドアから差し込む、昼の光だけが、室内を照らし出した。 その、ドアから繋がる光の道の先には、ゾロがいた。 机に、乗り上げるようにして身を屈めたゾロが、びっくりしたように、チビナスの方を凝視している。 「っ……チビナス!?」 「ぞろ?」 真っ暗でなにしてるの?と聞くより早く、ゾロの下で動く他の存在に気づく。 艶めかしく汗ばんだ喉をさらして、まるで全力疾走したときのような、荒々しい余裕のない呼吸。 漆黒の髪が、顔の半分を覆ってその表情はわからないけど、開いた口から覗く赤い舌が見えた。 ゾロの腰に両足を絡めるようにして机に横たわっているその姿は───── 「……ロビン、きょうとうせんせい」 どうして教頭先生と用務員のゾロが一緒にいるのか、二人が何をしているのか、何がなんだかわからない。 ぐっと小さな手を握り締めたときに、チリン、とあひるストラップのすずの音が響いて、チビナスは我に返った。 いつの間にかチビナスは額に汗をかいて、小刻みに震えている。何故かなんてわからないけど、身体が金縛りにあったように動かない。 そんなチビナスをどう見たのか、ゾロは聞いたこともない声を発した。冷たい、声だった。 「出ていけ」 「……ぞ、ろ」 その声に身を竦ませると、ゾロがハア、と荒い息を吐いた音がした。 それを合図に、チビナスは一目散に視聴覚室を出て行った。バタバタと、駆けて行く音が廊下から聞こえて、そして徐々になくなった。 廊下を走って、一階の窓から飛び降りて、全速力で学校から逃げ出した。今までいた場所が、自分の通う小学校じゃない気がした。 ゾロとロビンが何をしているかなんて、まったくわからなかった。 けれども、肌で感じ取ったあの部屋の空気は、今まで体験したことがなかった。 見てはいけないものを見た。 それを見てしまったから、ゾロはきっと怒ったんだ。 あのときのゾロの顔を思い出すだけでもぞっとする。 理科の時間に見たビデオの、肉食獣みたいな目だった。ライオンやトラなどの肉食生物を捕食するときに似ていた。怖かった。 いつものあの怠惰で強面のゾロではない誰かがあそこにいた気がした。 はあ、はあ、と荒く息を吐きながら、チビナスはとぼとぼと下校道を歩いた。 頬には、何故か涙が伝っていた。 「見られちゃったわね」 乱れた衣服を整えて、ロビンは立ち上がった。先程までの、熱い体は跡形もない。 「ったく誰のせいだと……」 「あら、鍵をかけなかったのはあなたよ。らしくないわね、いつもはちゃんと鍵を閉めるのに」 そんなに切羽詰っていたのかしら?と、細くしなやかな指で、ロビンはゾロの股間をジーパン越しに辿る。それを無造作に払って、ゾロは室内を暗闇に彩っていた暗幕を開いた。ついでに窓も全開にする。 「大丈夫よ、暗かったし、何をしているかなんて、小学生にわからないわ」 ロビンはくすくす微笑んで、それ以上なにも言わずに視聴覚室を出て行った。 それを見送って、ゾロは机に腰掛けて大きく息を吐いた。 ───何をしているかなんて──── 確かにそうだ。 小学生程度の知識では、名前や行為は知っていても、実際やっているところなんて一目でわかるはずがない。 チビナスも、きっと自分たちが何をしているかなんて、見当もついていないだろう。 けれど けれど、ゾロとロビンを見た、あの青い目が脳裏に焼きついて離れない。 無垢で純真で、なにも知らない子供の目。 ぞろ、と舌足らずな声でちょろちょろと周りを走り回るあの子供の、あの瞳。 それが、ゾロを見たとたんに驚愕と怯えに染まった。 何をしているかわからないくせに、その空気だけを読み取った。大人の行為の意味を本能で察知したのだろう。 子供からしたら見当もつかない醜い欲望。子供にはない、生々しい欲望を。 (泣きそうだったな) 「出て行け」と言ったゾロを見て。 明るい場所に浮いたその泣きそうに歪んだ顔が、たまらなかった。 怯えて、震えて、立ちすくむその姿に、確かにゾロは興奮した。そして、そのまま射精した。今まで予告なく中に出したことはなかっただけに、ロビンも目を見開いて驚いていた。 チビナスに欲情したわけではない。ただ、子供を汚したという背徳感が、ゾロを絶頂に導かせたのだ。そこにあったのは、確かに快感だった。 「クソ……っ」 あんな醜く汚い快感を覚えたのは初めてだ。そのあとに残ったのは、紛れもない嫌悪と後悔。 強面のゾロに怖気づかず、ただ無邪気に駆け寄ってきていたあの小学生を、いつしか弟のように、大事に想っていた。うるさい子供だったけれど、一緒にいることは決して嫌ではなくて、むしろチビナスがまとう柔らかい空気が心地よくて好きだった。 なのに。 「最悪だ」 今頃、家に帰って泣いているだろう小さな姿を思い立ち上がった。 そして、すっかり空気の変わった教室の窓を閉めて、部屋から出る。早く、この場所を去りたかった。 教室から出て、そこに落ちていたあひるのストラップを見つけ、手に取る。 携帯電話ではなく、チビナスが持っていた青いバッグの取っ手についていた、小さなストラップ。左右に振れば、チリリン、と軽やかな鈴の音が響く。 あのときチビナスが確かにここにいたという事実にまた身体が重くなり、それを握り締めた。 「ごめんな」 ぎゅっと唇をあひるに押し付けて、ゾロは目を閉じた。 それからゾロは────用務員のバイトを辞めた。 チビナスともあれっきり、会っていない。 end ごめん……なさい。 ************************ 後日談 その後のサンジ ************************ たきさんから素敵な頂きものをしました。 チビナスのかわいさによだれがとまりません。 でも私はたきさんとは違う。 私はへんたいじゃない。 でもよだれがとまらない。どうしよう。 あひるのストラップとかスイカバーとか、たきさんのデティールへのこだわりに唸らされました。しかもそれを効果的に使ってある…たきさんは凄い… (真名井) |