もともとサンジは水分を取り過ぎる傾向があった。
それがこの頃特にひどい。
この間停泊した島ではペットボトルに入れた飲料の販売が盛んで、ペットボトルなどというシロモノ自体が非常に珍しかったことも手伝って、それを大量に購入したのがその発端。
購入した飲料の大部分は多種多様に渡るお茶の類いであったため、露骨に健康を害するような印象を与えはしなかったが、けれど、こうも頻繁にそれを口に運んでいれば当然水分の過剰摂取となるわけで。
「なんか……」
なんか最近食欲がねぇなあ、とはサンジ自身も感じていたのであった。
ペットボトルシンドローム
(前編)
近頃食欲がねェ。
原因は多分、お茶の飲みすぎ。
分かってるんなら飲まなきゃ良さそうなものだが、何故か無意識のうちに口にボトルを運んじまっている。
一度に飲む量は凄ェ少ねえから(喉渇いてないんだから当然だ)、そんなにたくさん飲んでる気がしないんだが、ペットボトルの減りを見れば瞭然で、結果的に結構な量の水分をとってしまってることに驚かされる。
こりゃいかん。
水を飲みすぎると胃液が薄くなるし、体に良くないんじゃねえか。
コックが口から入れるもので健康を害するなんざ、外聞が悪い。
そこでオレは「禁ペットボトル飲料」を決行することにした。
だがこれがなかなか難しい。
なんか口に入れてないとダメになっちまったのか、落ち着かねえし、イライラしやがる。
別に喉なんか渇いてないはずなのに、凄く喉渇いたみたいな気分になる。
どうしよ。オレ一体どうしちまったんだよ。
前はこんなこと無かったのになあ。
とりあえず煙草でも吸うことにする。
うん、煙草でもいい。煙草でもひとまず落ち着くんだけど。
すぱすぱ煙を吸ったり吐いたりしながらオレは思考を巡らせた。
やっぱあの島で珍しいからって大量にペットボトルなんか買い込んだのがいけなかったのか。いや、そうじゃない。その少し前から兆候はあった、ような気がする。
わけもなく頻繁に水を飲んで、あれ、なんで水飲んでんだっけ、別に喉なんか渇いてないのになあ、と首をひねって、勿体ないからと最後までコップの中身を流し込んだり、そういうことが、何度かあった。
そこに便利なペットボトルが登場したことで、加速度がついたんだ。
中身を全部飲みきらねえでも、フタ閉じておけばとって置けるし、持ち歩ける。
それじゃ、ほんとのキッカケはなんだ。
……分かんねえ。
まあ、あれだな。
オレはデリケエトだからな、ストレスとかかも知れない。
なるべくストレスの溜まらない生活を心がけよう、と思った。
ところで、ここ最近のストレスの原因に、少なからず心当たりがあった。
ゾロが怪我をした。
並大抵の丈夫さじゃないから、あいつが怪我で寝込むなんざ想像もしなかったが、さんざん迷子になったあげくに崖から落ちて、腿の関節を脱臼したり骨折したりしたらしいのだ。
そんなこんなで、今あのケダモノは、有能な船医の厳命で安静にしている。
それが今のオレのストレスになっている。
別にアイツのことが心配なわけじゃねえ。アイツは軽く2,3リットル流血しても死なないような男だ。むしろ滑落くらいで脱臼したってほうが信じられない。アイツは火山口に落ちたって、その辺の洞窟から生還したりするタイプだ。タイプだ、とかゆってるけど、他にそんな話を聞いたことがあるわけじゃないが。まあ例え話だ。
つまりそのくらい、アイツのことなんか、心配していないってことだ。
なのに何故ストレスか、というと、つまり、ここ暫くオレはアイツの怪我のおかげで禁欲を強いられていた、というわけなのだった。
船の上じゃよくある話、とでも言ったらいいだろうか。
要するにオレとアイツは、カラダだけのおつきあいをしていた。
殆ど身動きとれない剣豪のために、普段武器やら錨綱やらを置いてある格納庫が寝室代わりに用意された。男部屋へ出入りするためには梯子の上り下りがあるので、チョッパーがこちらへの移動を指示したのだ。
「んなに気ィつかってくれなくても大丈夫だぜ?」
さすがにあの憎ッたらしいクソ剣士も、チョッパー相手だと、アタリがソフトだ。
精一杯の抵抗が前出の一言くらいで、結局は言いなりになって、格納庫に寝ている。
日頃寝てるか筋肉鍛えてるかの単純な生活を送っていた奴ではあったが、今は更に単純に、寝てるだけの生活に切り替わってしまった。
ちっせェくせに頼りがいのある、可愛いチョッパーが
「いくらゾロが人外でも、一週間は動かしたら駄目だ!」
と言うのだから、従わないわけにはいかない、というわけだ。
それにしてもゾロは丈夫だ。本当に人間じゃないんじゃないかと思う。
「わかったわかった」
と船医に返事しつつも奴は、怪我をしたその日のうちに普通の顔して風呂に入ってた。
翌日も普通に甲板の掃除とか手伝ってた。
それを見かけるたびにトナカイは激怒するが、本人に無理をしているという自覚がないのだから、叱りつけても効果は薄い。
トナカイとの約束があるから、さすがに日常生活の最低限のことをする以外は寝ているが、とにかく涼しい顔。全然平気なように見える。
でもな、あいつ、平気な顔しといていきなり平気じゃなかったからな、出会ったばっかりのころ。
鷹の眼との戦いの傷を押して、平気な顔して次の戦いに挑んでたアイツのこと思い出すと、なんとも言えない重たい気分になる。
アイツは、傍目から見て平気そうに見えても、ほっといちゃ駄目だ。
筋肉馬鹿だから、自分の体調にも気がつかねェんだ。
どうしようもねえ、手のかかる獣だぜ。アホくさ。結局のところ周りに余計な心配かけさせてんの、気付いてねえんじゃねェの?
そうゆうのが迷惑って言うんだよ、と思いながらも、オレはあのクソ剣士の分の朝食をバスケットに入れて、格納庫まで運んだ。別にそんなことしなくても、キッチンまでくらい、歩いて来れるんだろうけどさ。
自分でも口実だってことは分かってた。
あいつの容態を知りたい。あとどれくらいで治るんだろう。別に他の連中の居るところで尋ねたって良さそうなもんだが、何故だか、ゾロがあとどのくらいで治るのかってことを気にしてることを、他の奴らに知られたくない。
だって、そりゃ、「あとどれくらいでヤれるのか」ってことを気にしてるってことに他ならないからだ。
他の連中にはオレとゾロのことはバレちゃいないが、何だか後ろめたくて、意識しちまう。
幾度かの時化を経て、潮水をかぶった木製の扉は、黒っぽく濃い色をしている。
開けると、ぎい、と軋むような音がして、ちょっとヒヤッとした。
なるべく音をたてないように、サビた蝶番のご機嫌を伺いながら、そうっと中へ入ると、ゾロは寝ていた。
いや、別に意外な光景じゃねェ。こいつはいつも寝てる。寝てるか酒飲んでるか筋肉鍛えてる。ホントにろくでもねえ奴だ。
「オラよ、ゴクツブシ!」
ガン、とオレはゾロの寝ているベットがわりのソファを蹴る。
これも、ゾロが怪我をしたその日のうちにここに運び込まれたものだ。もともとは男部屋にあった。
オレにしてみれば本当は、ゾロ本体を蹴り上げてやりたいところだが、怪我人なのでここは気を遣って、寝床のほうに衝撃を食らわせてやるにとどめた、つもりだった。
「つッ」
緑のアタマのノンキな寝顔が、一瞬歪められた。
心臓のあたりがヒヤリとした。
「て、テメエ、どっか痛かったか?」
「んあ?」
慌てて奴の胸倉を掴んで顔色を窺ったオレに、ようやくゾロは目を覚ましたらしく、ぼんやりしたまま周囲を見渡す。
「なんだ、オマエかよ」
ぼりぼりとアタマ掻きながらアクビしたりしてるが、オレは誤魔化されねェ、今の「つッ」は、「痛ッ」じゃねえのか?意味合い的に。
「なんだじゃねえよ、どっか痛かったかって聞いてんだよ、答えろ」
「ああ?寝てたモンが痛ェも何もねえだろ、アホかテメエ」
オレが心配してやってるってのに、当の本人は寝惚け顔で、まるでオレのほうがオカシイみたいな怪訝な物言いをした。ハラがたった。
「寝てても痛ェもんは痛ェんだよ普通の人間は!テメエ、痛かったから、つッ、とか言ったんじゃねえのかよ」
険悪になるオレの態度に、奴も負けじと睨み返してくる。
「んなこと言ったか?知らねえよ」
「言ったね、さっき言ったね」
「知らねえよ」
「オレがテメエの寝床蹴っ飛ばしたら、つッ!って言ったんだよ」
「おい、そりゃあ、オマエが悪いんじゃねえのか、クソコック」
「オレが聞きたいのは悪いか悪くないかじゃねえ!どっか痛てェのかどうかなんだよバカヤロウ!」
「……馬鹿はテメエじゃねえかどう考えてもよォ!」
「あんだとやるか、このマリモ!」
ケンカになった。
やばいやばい。
アイツのことを心配してたはずがいつの間にか結構本気の乱闘になっていた。
この分じゃ多少アイツの回復までの日数に影響が出てしまったかも知れない。
本人から容態を聞いて、はやく良くなるようにオレ特製のカルシウム倍化メニューを喰わせる予定だったのに。いやまあメシは置いて来たから、どうせ喰ってるんだろうけど。つうか残したらオロす。
……あとどのくらいで治りそうか聞けなかった。
残念だ。
暴れたせいか喉が渇いたので、コップに水を汲んで飲んだ。
それからキッチンに向かって、昼食の下ごしらえを始めた。
全く、朝飯が済んだら昼飯だし、昼飯が済んだらオヤツだし、オヤツが済んだら晩飯だし、忙しいったらねえ。あんなマリモのために余計な時間を費やしてしまった。ああ無駄だった、無駄だった。
そんなことを考えながら、野菜を刻む。
合間に喉が渇いたので、ペットボトルを持ってきて、飲みながら仕事した。
便利だ。フタ閉めとけばひっくり返してもこぼれないし、ちょっとずつ、いつでも飲める。
野菜を切る。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
野菜をボウルに入れる。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
別の野菜を切る。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
切った野菜をまたボウルに入れて混ぜる。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
またお茶を飲み過ぎてる、と自分でも分かっていた。だが無性に落ち着かない気分になって、何かを口に運ぶことを止められなかった。
煙草にしなくては、と思った。
だが、煙草じゃ駄目なんだ、とアタマのどこかで感じていた。何がどう駄目なのかは分からないが、とにかくそれじゃ物足りないのだ。
水が飲みたい。
喉が渇いているような気がするんだ。
それもこれも、ストレスのせいなんじゃないかと思った。
ヤりてェ。
そしたら治るような気がする。
でもこの狭い船ん中じゃ、相手なんか、ゾロくらいだ。
一流の料理人でありながら給仕までこなす素敵コックなオレは、なかなか他のクルーと一緒にメシを食ったりすることはしない。
理由は簡単で、メシ時は忙しいからだ。
他の奴らが食ってるときは、オレは奴らに食わせてるわけなんだから、当然と言える。
それをここ最近はありがたいと思っていた。
今日なんか、殆ど何も喉を通らなかった。
食欲がねえ。
お茶の飲み過ぎだ。
分かってる。
だがそんな情けねェところを他の連中に見られたくない。特にあのチョッパーが見たら、きっと心配するだろう。アイツは他人の心配をし過ぎる。
それにしても、一体ゾロはいつぐらいに治んだろう。
やっぱさっき本人に聞いとけば良かったな。あとどのくらいで治りそうかとかさ。
皿を洗って明日の仕込みがすんだら、また格納庫行って聞いてみようと思った。
開けっ放しのキッチンの横の窓からは、真っ暗な海が見えた。船からの明かりで少しだけ、波が光っている。島に繋留してるときは絶対夜に窓を開けっ放しになんかしない。大ッ嫌いな虫が入って来やがるからだ。
海の、本当の沖まで出ると、羽虫はいない。
何か物足りないような気分が消せず、いけないと思いながら、何度も水をコップに汲んで、飲んだ。
時刻は深夜なので当然のように寝腐れ剣士は熟睡していた。
良くあれだけ眠れるもんだと感心する。
どうせいつも寝てるんだから、いつ起こしても同じことだと思って叩き起こした。昼間の一件でこりたので、今度はそっと身体を揺すって起こす。
「ん……」
煩そうにゾロが顔を顰める。
だがちっとも起きない。
思い切ってギュウッと鼻をつまんでやったら「ぶはッ!」と慌てて口を開けて飛び起きた。
「こ、殺す気か、テメエ!」
お、なんだよ、いきなりケンカ腰かよ。
鼻のアタマが赤くなってる間抜け面に、ちょっと笑ってたら、睨みつけられた。
「何の用だ、クソコック」
「何ってそりゃ……」
「悪ィが、ヤれねえぞ」
ずばりと言われて、かっと頭に血が上るのが分かった。
「な、なんだよ、そんな、……そんなんじゃ、ねえ、よ!」
「じゃ、離れろ」
ムカつくくらい冷静な声で告げられて、顔を覗き込むために屈んでいた上体を押しのけられる。
(なんだよ、それ)
まるでオレが無理矢理迫ったみたいじゃねえか、と思うと、悔しさと羞恥で顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
(なんだよそれ!)
死ねとかアホとか、まわらない口で言い捨てて、ウキワとかロープとか投げつけると、オレは逃げ出すように甲板に出た。そして走ってラウンジへ入った。夜中だってのに扉を閉める音が大きく響いてしまった。そのことに自己嫌悪が募った。ナミさんやロビンちゃんが目ェ覚ますかも知れねえじゃねェか。アホか、オレ。
ほんと、アホか、オレ。
凄く落ち着かなかった。まるで小さなガキだったころみてェに、「所在無い」って感覚を持て余していた。どうしたらいいのか分からなかった。
頭を冷やそうと思って、みかん畑の隅へ座った。
ペットボトルを手に持って。
殆ど眠れないまま、朝飯の支度をした。
朝っぱらから戦場のような食卓。それはそれなりに楽しかった。オレの望む日常だった。皆「うめェ」と夢中になってオレのつくったメシを喰ってくれる。少しだけ落ち着いた。一日中メシ作ってたい。そんで、一日中「腹減った」って言って欲しい。そしたら、水飲むの止められるかも知れねェ。
少しも食欲がわかなかった。
手足が痺れる。
むくんでる。
このままじゃ駄目だ。どうにかしないと。
04/06/22
後編
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