(い……)
視界は紗がかかったようにぼやけていて、サンジは何度か目をこすった。
(イッた……一緒に)
確かに殆ど一緒のタイミングでイッたように思えた。
わけのわからないうちに全身が弛緩して、床に這いつくばっていた。
すぐ隣りでゾロが大仰な溜め息をついて、どっさりと横たわる。
まるで満足した大型犬のような仕種。
(すげえ……)
頭の中に心臓があるみたいに鼓動がうるさく鳴り響いていた。そして身体中の汗が一気に渇いて、体温がまともな温度まで下がってゆく。
(オレとゾロは身体の相性もピッタリだったんだ)
すげえ、とサンジは再度思った。ゾロの経験値とかは考慮に入れないことにした。
心臓の音と、外から聞こえる演説の声。
福祉の充実とか廃棄物の処理についてとか地域の活性化とかを熱心に語っている。
頭が割れそうなほど、全ての音が騒がしい。
それなのに、隣りに横たわる男の、今は落ち着いてきた呼吸のいっこいっこまでが良く聞こえる。
物凄くうるさいと言うことは、物凄く静かなのと同じことなんだ。
何も聞こえない。
そんなことを考えているうちに、本当に何も聞こえなくなってゆき、あ、眠ってしまう、と思ったときにはもう、半分眠った状態だったのかもしれない。
サンジは引き込まれるようにウトウトしながら、やばい、まだ「素敵だった」とか「良かった」とかそうゆう感想を言っていない、やっぱ男は気になるもんだろ、言わなきゃ、でも思いつかねえし、どうすっかな、などというようなことを比較的真剣に考えた。






ラブリィ スイート ホームタウン
巣立ちの歌 (最終回)






朝になって、随分早い時間にゾロは身支度を整え出した。
いくらなんでももう行かなくてはいけないのだと言う。
サンジがなかなか起きられなくて、布団のなかでグズっているうちに、慌しく扉は開かれ、パタンと、閉じた。
急に部屋のなかが空っぽになったみたいな気分になった。実際何もない部屋なので本当に空っぽで、救いようがなかった。
身体中がギシギシ痛かったが、それ以上に寂しくて胸が痛かった。
布団のすぐ横に、丸まったタオルが転がっている。
昨晩、サンジが床を拭いたものだ。
洗濯機が無いので、これはあとでコインランドリーに持って行かなくてはいけない。
あのあと、どうにか身体が落ち着いてから、シャワーだけでも浴びようとバスルームへ向かったサンジの、歩いたあとには、点々と滴が落ちた。
「あれ?」
と思って振り向くと、大口をあけてゾロが寝ているそのあたりは、ちょっとした惨状を呈していた。
何しろ、二人の出した色んな愛の証や、愛の結合に役立ったサラダ油なんかが、床の上に染みを作っている。
思わずポカンと呆気にとられ、それから無言で絶叫したサンジであった。
「ね、ね、寝てる場合か、ゾロ、このマリモ!」
「ん……?」
「ん、じゃねえ!ん、じゃ!拭け!そのへん、なんか、拭くもん……ッ」
(あ……)
じわっと生ぬるい感覚が腿を伝って、今またこぼれた精液が、足許にポツリと落ちる。
それから大騒ぎをして部屋を原状に回復させる作業に励んで。
床を拭いながらソレがどっちの出したモノかについてモメたりし。
サンジがよろめきながら食事を作ったり、布団を敷いて二人で眠ったりして、一日を消費しきった。

これでもう、ゾロはこの町から居なくなる。

また毎日やることが無くなってしまった、とサンジは思った。
いや、まあ、ヤクルト配ったりとか色々あるけど。
頭の中がモヤモヤして、何だかすっきりしない。
レストランを出たときは、あんなに展望に満ちていたのにな、と考えた。
あの時は、闇雲に、何か自分のしたいことが見つかるはずだと思ってた。
まあ、なんつーか、ゾロとつきあいたい、とかそうゆう目的は出来たのだけれど、ゾロには自分の進路があって、巣立ちゆく今日の別れなわけだし。

春の夜は、生ぬるかった。
ゾロの体温が高いおかげか、部屋全体が生ぬるかった。

明け方、ふと目が覚めたので隣りに眠るゾロをたたき起こした。
やけに身体が重たく感じられた。
放って置くと自分の体重で底なしに沈み込んで行きそうなほどダルいし、節々が痛い。
無理矢理起こされて機嫌の悪いゾロを相手に、ヒマ潰しに子供のころの話をした。
とりとめも無い、どうでもいい話が多かった。
寝るのが勿体ないような気がしたのだ。
それから、ゼフのレストランを出た日の話も聞かせてやった。
ついこの間のことなのに、凄く懐かしいような気がして、話してるうちに泣けてきた。
「じ、ジジイはな、ほんといい奴でな」
「あー……ハイハイ」
ずびっとサンジが洟をすする。
「ジジイの奴、パティに言ってやがったんだよ、おまえにオレの気持ちが分かるか、とな。サンジは優しいヤロウだ、アイツにゃアイツの人生選ばせてやりてぇんだ、って。……じ、じ、じ、ジジイ〜、オレぁ、こんなとこでオレの優しさ筋肉男相手に浪費しちまったぜ〜、ケツがイテェ〜、変な人生選んだ〜」
「……良かったじゃねえか」
「あ?」
「良かったんだろ?」
ゾロは布団の中でサンジの腰を探ると、つうっとなぞった。
「…………ッ!」
明かりも点けない部屋の中で、サンジの顔がさっと赤くなるのが分かった。
「ははは、テメエ、ほんとのアホだな」
くあ、とゾロはアクビをした。
でっかい口だ。
その無防備なアクビぶりに、サンジは思わずズボッと手を突っ込んでみた。
「すっげえ!コブシごと入っちゃいそうだったぜ!」
「あが!アホか!テメエは!!」
サンジの手は、さっき鼻水をふいたせいか、妙にしょっぱかった。
「うっせえ、テメエ、エロのくせにひとにアホとか言うな」
「アホをアホっつって何が悪いんだよ」
「アホってゆったら自分がアホです〜」
「いや、マジでアホかおまえ」
ぐい、とゾロの両腕がサンジを引き寄せてくる。
「眠ィ……寝ろ、テメエも」
「ん……うん……」
「あー、七時くらいには起きねえとな……目覚まし……」
「なあ、ゾロ」
「ん?」
「おまえ、大学行くの?」
「前にそう言ったろ、アホか」
「アホアホしつけえな、筋肉」
「アホ」
「なあ」
「んだよ……眠てェんだよ」
「大学行ってなにすんの?」
「あー……教育学部だからな、教育のベンキョウ」
「はぁ?」
「オレぁ、教師になりてえんだよ」
ハー?てめえが先生?と、サンジは素っ頓狂な声をあげる。
悪いかよ、とゾロが言う。
「いや、悪くねえよ?」
枕に頬杖をついてゾロの顔を覗きながら、サンジは二カッと笑った。
伸びてきた腕が、サンジの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「テメエは、どうすんだ?」
「ん?」
ゾロは随分眠いらしく、目蓋が半ば下りかけている。
くあ、と再びゾロが大あくびをする。
ズボッ、とまたしてもサンジは手のひらをその口内に突っ込んだ。
あがが、と慌てて顔を引くゾロを見て笑いながら。
とても簡単な、一つの答えが出されようとしているのを、サンジは感じとっていた。





オレは、どうすんだ。





そして、朝、ゾロは部屋から出て行った。
サンジは残されて、これからのことを考え始めた。
ゼフのレストランを手伝いたかった。
ゾロの筋トレを見学したかった。
ナミの夢を応援したかった。
何とかして、自分の気に入りの人たちが喜ばないかと思ってた。
あのレストランを出て来てからも、近所に住んで町から離れなかったのは、少しでもゼフの手助けになるようなことが無いかと思ったからだった。
(けど、オレは……)
毎日、当たり前のように顔合わせていた、あのレストランの連中なのに。
あの日別れたっきり、一度も様子を見に行っていなかった。
ちっとも心配じゃなかったし、新しい生活に夢中ですっかり忘れていたのも事実だった。
離れても、平気なものなんだ。
これまでの、生活の全てだった、あの家。
そのことに気付いたのは、昨日、ゾロがサンジのアパートにくる直前くらいだった。レストランを出てから、もう一ヶ月近くが経過しようとしているのに、今まで思い出しもしなかった。案外薄情だった自分に驚きながら、あのレストランは、自分にとって何だったのだろうと考えた。
そうだ、忘れたふりすんな、考えろ。



ジジイは、何故オレを追い出した?



「泣くくらいなら、出てけなんて言わなきゃいいのに、オーナーはよ」
「うるせえ、オレの気持ちがてめえなんかに分かるかよ」
「へえへえ」
「サンジはな、サンジは、優しいヤロウだ、アイツにゃアイツの人生選ばせてやりてぇんだ、こんなちっぽけな店のことなんざ、考えてくれなくていいんだ」

薄暗い夜更けの店内で、あの晩、ジジイはそんな話をしていたんだ。
オレは、どうすんだ。
オレのしたいことは、何だ。

猛然と、サンジは寝床から起き上がり、そのへんにあった服を着て財布だけを引っ掴むと、顔も洗わないまま表へ飛び出した。
突っかけたままの靴が脱げそうだったが、構わず全力で走った。もともとサンジは足が速い。擦れ違うひとがぎょっとして見ているのが分かったが構わなかった。ゾロの家が見えてくる。ますます身体中に力が入る。汗も後ろへ飛ぶ。景色も筋のような色に流れて、心臓の音だけが耳の中で聞こえる。凄くうるさいけど、凄く静かだ。
(ゾロ、ゾロ、ゾロ)
ゾロに言いたいことがある。
ガシャン、と勢い良く門扉を開けると、いつものように、あの、庭に通じるサッシ戸が開いていた。サッシ戸の向こうにはリビングと、リビングと続きになっている台所があって、リビングにはソファがあって、その前にはテレビが置いてある。
ソファの上には人影があった。
新聞紙をめくりながら、奥の台所へ向かって何か話し掛けている。
……ゾロ!
「……ゾ……ッ……どーもこんにちは!」
部屋の中にいたのは、似ても似つかぬヒゲ面のオッサンだった。
全然ゾロみたく可愛くなかったが、筋骨隆々だったから、きっとアイツのオヤジなんだろう。
咄嗟のこととは言え好印象を残したかったので、唖然としたままのオヤジにむかって取りあえずスマイルを残しつつ、サンジは踵を返して駅へと向かう。
そうだ、とっくに家なんか出てるに決まってる。
今日引越し先に行かなくちゃ、荷物の受け取りが出来ないって言ってたじゃないか。
駅前へと通じる大通りを、サンジは物凄い勢いで走った。
勿論駅にもゾロは居ない。
空港だ。
飛行機で発つと言っていた。
空港は変に市街地から離れた場所にあるので、電車とバスを乗り継いで行かなくてはならない。サンジは電車の中で進行方向に向かって全力疾走したい気持ちを押さえるので必死だった。

空港にバスが着くと、サンジは一番にバスから降りて駆け出した。
地方の小さな空港なので、発着ロビーも広くは無い。
土産物屋が2、3軒並んでいて、その先に案内所と、椅子が並んだだけの簡単なロビーがある。どこにもゾロは居ない。搭乗ゲートの中を覗き込んでみたが、そこにもゾロは居なかった。
分かっていた。
ゾロがサンジの部屋を出たのは早朝。
今はもう、すっかり陽も上って、もうすぐ昼時だ。
ダラダラと汗が額からしたたって、長めの前髪が張り付いて邪魔だ。
どさっとロビーの白い革張りの椅子の上に腰を下ろすと、サンジは手足を伸ばして、思い切り、伸びをする。
丁度飛行機が行ったばかりなのか、辺りには誰も居なかった。案内所のお姉さんだけが手持ち無沙汰の様子でカウンターに立っていた。
「んーッ」
あちこちが筋肉痛やら肩こりやらでバキバキいった。走ったせいか、膝もガクガクする。こんな時になんだが、ゾロと夕べ、セックスしちゃったんだ、という実感が湧いてきた。
嬉しいな、と素直に思えた。
「そっか、行っちゃったのか……」
ぐしゃ、と張り付いた前髪をかきあげて、胸ポケットから煙草の箱を出した。
火を点ける。
ヤニを吸う。
煙を吐く。
また吸う。
吐く。
それから、ケツポケットに手を入れて、携帯電話を取り出した。
2、3度コールして、明らかに不審そうな男の声が聞こえてくる。
「はい、ロロノア……」
「不審者扱いしてる声だな、ばーか、オレだ、サンジだ」
「テメエ、何でオレの番号知ってやがる」
「調べた。テメエ、しょっちゅう部屋にケータイ置きっぱなしにしてただろ」
「…………部屋ってオレの部屋だよな?」
「あ?たりめーだろ」
「……当たり前か……そうか……別にいいけどよ」
そんで?何か用事か?とゾロが聞いてくる。
「オレ、もうこっち着いてて……そう、そろそろ荷物来るんだよ」
ついさっきまで一緒に居たのに、もう遠くに居るんだと思うと不思議な気がした。
周りはそれほど騒がしくないから、今はきっとどこか屋内にいるのだろう。新居の中なのかもしれない。
おい、ゾロ
と、サンジは言った。
「オレ、コックになりたいんだ」
「……ふーん」
「本気で、そう思ってんだ」
「そっか」
「あと、おまえともっといちゃいちゃしたい」
「アホか」
「見てろ、おまえ、きっとすげえ驚くぞ、近日中に」
「何する気だよ」
「まあ、見てなって。あ、あとな、おまえに言いたいことあったんだ」
「おう」

「夕べ、すっげえ気持ち良かった」

受話器の向こうで、ゾロが絶句するのが伝わってきた。





サンジが調理師学校の願書を抱え、ゾロの大学の近所のレストランでアルバイトを始めるのは、一ヶ月ほど後のことになる。
新天地からサンジはゼフに手紙を出した。
「色々あったけど、オレは元気です」と書いた。
短い間だったけど働いていた店のおばちゃんからは、ときどきミルミルが箱で送られてくる。
夏休みには帰省しようと思う。
ゾロと一緒に。





end





04/6/2

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ここまでお付き合い有難うございました!
思いがけず長いお話になってしまったり当初の予定と違う展開になってしまったりと大変でしたけれど、おかげさまで最後まで書ききることが出来ました。
こんなに楽しい連載は初めてでした。
また頑張ろう、と思えます。シアワセ!

(この話の後日談、というか、その後の二人については海戦厨房様へ差し上げた短編がひとつあります。)

ラブリィスイートなサンちゃんはクドウ様にお嫁入りさせて頂きました。てゆうかサンジばっかりずるいです。いつクドウさんは私本体とけっこんしてくれるのでしょう。