この町で生きる。
そう書かれたポスターを発見し、サンジは足を止めた。
そして次の瞬間には
「すみませーん」
と、店の引き戸を開けて中に入って行った。
人生の新しい一歩が即決された瞬間だった。



ラブリィ スイート ホームタウン
旅立ち



サンジに親は居なかった。
物心ついたときにはもうゼフという名の片足の男に育てられていた。
ゼフはサンジの両親の起こした交通事故に巻き込まれて片足を失ったらしい。
でも、サンジの引き取り先がどこにも無いことを知ると、
「だったらオレがそのガキ貰う」
と育ての親になってくれた、らしい。
何にせよ、サンジは覚えていない、うんと小さかった頃の話だ。
「せいぜいコキつかってやろうと思ってよ」
そんな憎まれ口を叩くクソジジイは、レストランのオーナーシェフだった。

この春サンジは高校を卒業した。
卒業したからといって、別にこれといって次にすることも考えつかず、これまで手伝ってきたゼフのレストランを、この先もずっと手伝って、腕利きのコックにでもなってやろうと思ってた。
そんでこのレストランをもっと繁盛させてやる、と。
実際サンジの料理の腕は今や他のコックどもを抜いて、ゼフに次ぐ二番手だった。
それなのに、卒業式から帰ったその日に、ゼフは
「てめえを育てるのは今日で終わりだ!とっとと出て行きやがれ!」
と、言った。
とんでもねえ、ひどい奴だとサンジは思った。
けど、やっぱここはクソジジイの家だしな。
出てけと言われた以上、いつまでも居座るわけにはいかない。
バイトか何か探して……アパートとか借りよう。
こんなに急に行くあての思案を迫られるとは考えてなかったサンジは、思いあぐね、困惑した。とりあえず、いつでも出て行けるようにと荷物を適当にまとめだした。
そのうちに夜中になって、ハラが減った。
何か簡単なものでも作ろうと、サンジは勝手知ったる厨房へ向かった。
母屋の下、一階と二階がレストランになっている。
厨房は一階にある。二階には小さなパントリーだけ。
階段を三階から二階へと降りていくと、誰も居るわけがない個室の客室から明かりが漏れていた。
不審に思ってドアの陰から中の様子を窺うと、ゼフと従業員のパティが居た。
先刻サンジに出て行けと言い張った強引な養父は、今は酒でも飲んで、しかも泣いているようであった。
「泣くくらいなら、出てけなんて言わなきゃいいのに、オーナーはよ」
「うるせえ、オレの気持ちがてめえなんかに分かるかよ」
そんなやりとりが聞こえてくる。
二人に気付かれないように、そっとドアから離れると、生意気なこの高校生コック(本日まで)はポケットから煙草を取り出し火を点けた。
階段は薄暗い。
白い壁紙が灰色に見える。
何だろう、何だかほんとはジジイはオレに出て行って欲しく無いと思ってるらしいぞ。
状況は分からないが、そう思ったら途端にじわっときた。
そうか、あれか、これが獅子がてめえのガキを崖とかから落とすってゆう、アレか。
魔女の宅急便だって、何かえらい子供のうちに「一人前になる」とか言って町を出ていったもんな。すげえよな、魔女はよ。
よし、決めた。
オレもさっさとこの家を出て、独り立ちすんだ。
そんで一人前になって、ジジイに手紙でも書くんだ。
「イロイロあったけど、サンジは元気です」
ってな。
サンジは思わず熱くなった目頭を拭った。階段を駆け上がり、自室へ飛び込んだ。
そうと決まると、あとの行動は素早かった。
夜明け前には荷物まとめて出て行って、「さすがオレの息子だ」って、あのジジイに一泡吹かせてやるんだ、と。
服とか漫画本とか財布とかお気に入りのマグカップとか、そんなに物持ちなほうではないと思っていたのに、纏めてみると大きなカバン二つとリュック一つの大荷物になった。
サンジはそれらを担ぎ上げ、早朝の町の中、ゼフ達の目覚める前に家を出た。
行くあてはなかった。
というか、まだ考え付いていなかった。
きい、と門扉の軋む音が、わけもなくサンジを勇気付けた。
新しい生活の門出だ。

そうかと言って目的もないので、とりあえず見慣れた住宅街をブラブラ歩いた。
だが早朝のこともあり、まだ人影も少なく開いている店も無い。そんな中、既に営業している店があった。
ヤクルトの店だった。
おばちゃんたちが重そうな袋を積んだ自転車に跨り、颯爽と朝の町へこぎだしてゆく。
店の前にはポスターが貼り出してあった。
「この町で生きる」
バイト募集の広告だった。
地元で出来るバイトとして、主婦などを狙ったコピーなのだろう。
そうだ、この町で生きてきたい。
そしたらクソジジイの店とか時々様子見に行けるし……。
何だかんだ言っても、サンジは結構日和見のほうだった。
独立はしたいが、いきなり遠くに行くのもちょっと気が引けた。
広告ポスターの下には、乱雑な手書きの張り紙が添えられていた。
「住み込み可」
即決だった。

サンジがヤクルトレディー(男だが)になることを決心したころ、サンジの育ての親であるゼフは、きちんと片付けられたサンジの部屋と、「出てく。世話になった」と書かれた簡潔な置手紙とを発見した。長年彼を育てた彼は「さすがアホ息子だ」としみじみ感慨に浸り、苦笑したのだった。



翌朝から、サンジの職業はヤクルトレディー(男だが)となった。
もう「高校生」じゃない。立派な社会人一年生である。大人だ。
何だか凄く気分が良かった。
昼間は電話番を兼ねた事務仕事もこなすことになるらしいが、とりあえず主となる仕事は朝のヤクルト配達で、とにかく朝早い。会社など、遅い時間帯に配達する場所もあるが、住宅街なので顧客の殆どは一般家庭だ。
初日だから誰か一緒についてきてくれるのかと思っていたのに、「じゃあ、ここの地区、お願い」と店で地図だけ渡された。
どうしよう。なんかいいの、そんなんで。
疑問に思ったが、とにかく、仕事だ。行かなくちゃならない。
自転車にヤクルトの袋を積み、「ヤクルト」と書かれた帽子を被り縞々のシャツを着ると、サンジは颯爽と早朝の町へ漕ぎ出した。
おばちゃんたちが「新入りさん?若いわねえ!」と声をかけてくれる。
「はぁい、よろしくー!年長のおねえさまがたー」
女好きのヤクルトレディー(男子)は、調子良く軽快な挨拶をして、勤務初日の仕事にかかった。
ちなみに、ゼフのレストランからこのヤクルト販売所までの距離は、ざっと徒歩15分程度であった。

サンジがうけもつ区域は比較的店から遠いが、主婦が自転車で行ける距離の範疇を出ないものでもあり、体力絶倫のこの年頃の彼にはちょろいと言えるものであった。
あの角をまがって、そっから左側のあたりが全部オレのまわるとこ。
くいっと、サンジはサドルを傾ける。
曲がってすぐのところに、赤い屋根の可愛い一軒家があった。
白い塀に囲まれて、芝生の庭がある。
何だかお母さんがレース編みでもしてそうな家庭だなあ、とサンジは考えた。サンジにとって、それが小奇麗で幸せそうな家庭の想像図であった。
庭には人が出ていた。
でもそれはガーデニングに励むお母さんでも犬の散歩に出かけようとしてるお父さんでもなく、朝っぱらから上半身裸でやけに重そうなバーベルを振り回す、若い男だった。
まだ寒いくらいの気候であるのに、汗の玉を飛び散らせている。
思わずサンジはその男に釘付けになった。
「すげえ筋肉だ……」
ムキムキとか、音がしそうだ。
何故か胸の高鳴りが抑えられなかった。



03/09/11




なんでか文章がまとまらない・・・
しばらく時間を置いて書き直そうかと一旦アップ。
ヤク○トは頼んだことがないので、仕組みがよく分かりません・・・フィクションということであまり考えずにお楽しみ下さい。

くうこ様より頂きもの



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