あれ以来金髪は、朝、オレが出かけようとすると玄関まで見送りに出てくるようになった。
あれというのは、つまり、アレだ。
なんだかケツがむずがゆくなりそうな有様だが、慣れってのは怖いもんで、1日経ち、2日経つうちに、それが普通のような気がしてきた。
そんなわけで、大学に行こうと思って身支度整えると、金髪は洗い物してた手を止めて、
「ちょっと待て、今行くから」
と、エプロンで濡れた手を拭った。
金髪がうちに来てからまだいくらも経ってないような気がするが、いつの間にか初夏を迎え、昼間は窓を開けていなければ暑いくらいになった。
ドアを開けたところで、台所から玄関までついてきた(と言っても5歩くらいの距離だ)金髪が、「いってらっしゃい」とこれもまたケツがむずがゆくなるような甘い声で囁く。しかしそれにもすっかり慣れたオレは振り向いて「おう」と短く返事した。
かゆい。
正直言ってかゆい。
やりとりだけを説明すると一見甘ったるい感じだが、実際には金髪もかゆくてたまらねえってツラしてる。ふざけるな。オレのほうがもっとかゆい。
どうやらこれも初期設定で決まってるやりとりらしい。
ヤるようになると、こうなるんだと。
設定の変更の仕方がよくわかんねえし、こればっかりは絶対ウソップのヤロウには聞けねえ。あきらめて放置するしかない。
双方かゆくてたまらねえ顔で目を合わせる。
「今日はバイトで遅くなるから」
「おう。メシは家で食うの?」
「ああ」
「そっか」
玄関に一旦カバンを置いて、靴の紐を結ぶとなるべく後ろを振り向かないようにしてドアを開けた。逃げるように外に出ようとしたが無駄だった。カバンを掻っ攫おうとした手を、金髪にがっちり掴まれた。
「放せ」
「放してえよオレだって!」
ギリギリと腕をねじられる。はっきり言ってすげえ痛い。オレだから無事で済んでるが、女だったら骨とか折れるんじゃねえか。あいつを作った会社は今ではパソコン事業から手を引いてるっていう話だが、頷ける気がする。
どうにかして金髪の手を外して逃げようとするが、右手を外すと左をつかまれ、左手をどうにか捻ってはずそうとすると今度は右手をがっちり組まれる。見上げた運動神経だ。
「てめ、この、いい加減観念しろよッ」
「誰がするかこの変態パソコン」
「オレだって好きでしてんじゃねえよ」
「だったらやめろ」
「やめられたらとっくにやめてるって言ってんだろッてめえがおかしな見栄はりくさってウソップに頼まねえから」
「頼めるか!アホか!」
「だったら観念しやがれってんだろ毎朝毎朝」
「毎朝断られてんのにどうしてやめねえんだこのアホパソコン!」
「やめさせたきゃてめえで設定変更しやがれこの無能マスターが!」
「……なんだと」
一瞬、反応が遅れた。
実際設定変更の仕方がわからねえせいでこうなってるわけなので、痛いところにグサッときた。
その僅かな気の迷いを、奴が見逃すはずがなかった。
ぐん、と一歩踏み込むと両手を一気につかまれる。
させるか!
つかまれた手をはずそうと、一度引くそぶりでフェイントをかけ、そこから勢い良くこちらも踏み込んで体当たりで押し戻す。その手が、かつん、と軽く金髪の頭の上をかすめた。滑らかな、合成樹脂の手触りだった。
「ふぁ……っ」
金髪がびくんと身をすくませた。
心臓がはねて、こちらも動きが止まってしまう。
(な、なんだ今の声は)
せつなげにも見える細められた目に、次の瞬間には光が戻る。なんつうか、こう、獲物を狙う!みてえな光だった。
一閃。
あざやかな手並みだった。
本能的に敵の揺らぎをとらえ、ひるむことなく踏み出すその判断の早さと鮮やかさ。パソコンにしとくのは勿体ねえくらいだった。
ふっ、と金髪が笑った。その呼吸が顎に触れた。
「……手間かけさせやがって」
金髪は皮肉めいた笑みを浮かべると、一仕事終えたその唇に煙草をはさみ、ふう、と煙を吐き出した。実際には煙の出ない偽煙草なので煙を吐き出したというのは、まあ、イメージだ。ちなみに金髪の偽タバコは無煙無香料タイプの他にハーブの香りのアロマ偽タバコなどが選べる。別に選びたくねえ。
「なーんか最近ダメなんだよなあ、耳んとこ。前はこんなことなかったのに」
金髪はぶつくさ言いながら、しきりに頭の上の、奴の身体のなかで唯一パソコンっぽい、三角の耳カバーのあたりをさすっている。
そうだ。さっきははずみでオレの手が、あいつの耳んとこをかすったのだ。それで、あいつが変な声だしやがるから、つい、隙が出来た。
修行が足りねえ。
オレは苦々しく舌打ちすると、カバンを肩に掛け直し、今度こそアパートを出た。
今日も、奪われた。
「行ってらっしゃいのキス」を。
……本当にとんでもねえ設定してやがる。
微妙な敗北感に浸りつつ、口に残ったなまあったかい体温を必死に忘れようと努力する。
ここんとこ、毎朝こうだ。
しかもあいつは近頃妙に態度がでけえ。なんだあれは、亭主面ってやつなのか。どっちが亭主だ。調子こきやがって。
口を手の甲でぐいぐい拭った。
だが、なまあったかい感触が消えない。
(くそ)
牛丼屋のある角を曲がってあとは道なりにまっすぐ進むと校門が見えてくる。
入り口を入ってすぐのところにタッチパネルで休講を確認出来る掲示板がある。
登録すればメール配信もしてくれるらしいが、登録の仕方が良く分からねえ。
パネルにでかでかと書かれた「休講」の文字を選択し、「本日」を選択し、学科を選択しようとしたところで、
「よ、よお、ゾロ……」
真後ろに、ウソップが立っていたことに気付いた。
「よう、てめえも今来たとこか」
「あ、ああ……」
視線が完全に泳いでいるウソップを見て、オレもようやく不自然さに気がついた。
オレとウソップは同じアパートに住んでいる。
それが同時に学校に着いたってことは、こいつも同時くらいにアパートを出たってことだ。
アパートからここまでは一箇所角がある他は殆どまっすぐの道だ。
当然、ちょっとだけ先を歩いてるオレの姿がウソップには見えていただろう。
「……」
「…………」
「……てめえ、何で声かけなかった」
「え……えええ?」
「すぐ後ろ歩いてたんだろ、ずっと」
「ああ……そ、そうだな」
「アパートからずっと一緒か」
「そうだな……アパートの階段を下りて……せっかくだからてめえを誘ってから学校に行こうかと」
「思ってオレんちの前まで来たわけか」
「皆まで聞くな」
ウソップは首を左右に振った。ついでに長い鼻も左右に振られる。
(見られたか……)
玄関前で、そういやドアも半開きのまま「いってらっしゃいのアレ」だった。
どうせこいつにはバレてるし、どうでもいいかとオレは思いなおした。
そもそも、金髪にケツの穴くっつけたのはこいつなのだ。
……と思って無視して休講チェックに戻ろうとしたら「いや少しは気にしろよ!」とつっこまれた。
あの日、学校から帰ったウソップは、金髪に何か渡すものがあったらしく、オレの部屋の前まで来たんだそうだ。
翌日たまたま図書館のキャレルで顔を合わせたら、複雑な表情で
「夕べはすごかったなー」
としみじみ言った。
夕べ、なんだ、と、思わず大声でオレは聞き返した。あまりにも後ろめたかったからだ。
「な、なんだよ、別にオレだってわざわざ好き好んで聞いたわけじゃねえよ」
「聞いた?」
「え、いや……」
「聞こえたのか」
「ま、まあ、な……」
「そうか」
「…………」
「……………」
「そこで反応を終えるなよ!」
ウソップのつっこみがとぶ。案外こまかい野郎だ。
「たまたま、サンジに渡しときたいもんがあったんだよ。まだ夕方だったし、まさかもう、その、ええと」
後半、しどろもどろになる。
さすがに気まずくてオレも目を逸らす。
だが続く奴の台詞は聞き流せないものだった。
「やっぱすげーなアレ、感度あげすぎたか」
どうやら、金髪のあの過剰反応は、奴のしわざだったらしい。
元に戻せ!と当然オレは主張し、ウソップは金髪にインストールしたらしい何かを、アンインストールするはめになった。本当に、どういう入手経路のどんな何をあいつに仕込みやがった。長ッ鼻め。
昼過ぎ、金髪の作った握り飯を食いながら、今日の午後が提出締め切りのレポートを適当に書いてたら、携帯が鳴った。携帯はあんまり好きじゃねえが、出てみるとバイト先からだった。
何でも、今日は天気が悪いから仕事は中止で、明日にして欲しいってことだ。
今朝は晴れてたので、まさかと思って窓の外を見たら、確かに雨が降っていた。
ここんとこ天気がころころ変わるなァ、と肩をすくめる。
入梅が近いせいかもしれない。
よくわからねえが。
夕方、まだ雨は強く降っていた。
体育館の方へまわって、運動部の奴らが置きっぱなしにしてるビニ傘を1本失敬した。ビニールが劣化してるのかひろげるとバリバリ音がしたが、まあいいだろう。アパートに着くまで凌げれば。
外はまだ早い時間帯なのに薄暗かった。アスファルトの上を浅い川のように雨水が流れていく。
交差点を通過しようとした時に、そろそろあいつのスーパーのバイトが終わる時間だと思いついた。
目的のもんは買えたが、思いのほか店員に気に入られてるらしく、総菜屋のバイトは続けている。
こんな雨だし、迎えに行ってやるかとなんとなく思いついた。
もしかしたら、その時既にイヤな予感がしていたのかも知れない。あいつが、自分の意思で出歩くことについて。
でもそれがあいつなんだと思う。
店内は相変わらず毎週水曜日が特売日であるという内容の歌を延々放送していて、にぎやかだ。
総菜屋は入ってすぐの右側にある。
傘は盛大に滴が落ちて邪魔なので、傘用ビニールの置いてあるラックに勝手に引っ掛けておく。盗まれたらそれまでだ。どうせくすねてきた傘だし。
惣菜を並べるための棚の前に、見慣れた黄色い頭が見えた。どうやら、何かもめてるようで、しきりになだめるような話し声が聞こえてきた。
「まだ仕事中だから、ほら、もちっと待てって」
出来立ての惣菜を載せたトレイをかばいながら、金髪は必死に黒髪のガキを振り払おうとしてる。全力でしがみつかれ、業務用の白いエプロンが引っ張られもみくちゃになっている。
「つまんねえよ、サンジ、遊んでくれよ、あと肉くれよ」
「売りもんだって言ってんだろ!時間切れの分あとでやるから、いいから、しばらく向こうで遊んでろって!オレはヤロウにサービスする機能はついてねえの!」
「ひでえよサンジ!遊んでくれよ!」
もーッ、しょうがねえなあ、とぶつくさ言いながら金髪は近くにあった試食用のウインナーを、しがみついて離れないガキの口に放り込んだ。高校の制服を着ている。間違いなく、あれはルフィだ。こっちから顔は見えねえが、他に有り得ない。
うんざりしながら近寄ると、傍らにシャンクス(のパソコン)も突っ立っていた。ルフィをいさめもせず、めちゃくちゃ爽やかな笑顔でたたずんでいる。
放置してねえで止めろよ、と呆れたが、あいつは別に保護者ってわけでもねえんだから、まあ止めるわけもないか、と思い直した。
「おい、てめえら店内で騒ぐんじゃねえ」
注意すると、金髪の腰にしがみついたまま、ルフィがこちらを見る。エプロンの紐がほどけかかっている。りぼん結びがダラリと伸びて、惣菜のショーケースにかかりそうになっていた。
オレはルフィの襟首を掴んで、金髪から引き剥がす。
無理やりひっぺがされたルフィが不服そうに口を尖らせると、なだめるように、金髪が「よしよし」とルフィの腕をさすった。普段男相手の時の無愛想さからは考えられない、思いのほかやさしげな仕草だった。
対野郎モードじゃなくて、対ガキモードもあるのかよ。
「怖い顔ですね」
先刻からの爽やかな笑顔満面のまま、シャンクスに言われた。
「ああ?」
「ルフィ、迷惑をかけているようです。やめましょう」
さっきは野放しにしてたくせに、オレの面見てから止めるってどういうことだ。
「い、や、だ」
「でもゾロが怒っているようです」
こいつの敬語は本当に気持ちが悪い。これ以上違和感のある光景があるだろうか。
それにあれだ、「怒っている」と面と向かって指摘されると、若干気まずい。
「え、ほんとか」
ちらり、とルフィが上目でこっちを見る。
「じゃ、大人しくする。肉も後でにする」
不承不承と言った様子で、ルフィは大人しくシャンクスに預けていたらしいカバンを受け取った。
「一体なんだったんだ」
一応事情を聞いてやろうかとオレはルフィに尋ねた。
「新しいゲーム買ったから、すぐに試そうと思って」
「ゲーム?」
「ここの3階に電気店が入っているでしょう。そこでダウンロードサービスを受けたんですよ」
「……へえ」
本当に、こいつの敬語は気持ち悪い。この上なく気持ち悪い。
「テレビがなくても出来るゲームだ!外でも遊べるようにしたんだ!」
ルフィは必死で主張する。
「だからサンジに試してもらおうと思って」
「テレビがなくても出来るゲームね」
「そーだ。指相撲だ」
「指相撲……」
確かに、外でも出来るゲームだった。同時に外でやる必要のないゲームでもある。
「すげえ簡単なんだ。シャンクスにデータが入ってるから、ケーブルでサンジと繋いだら対戦出来る」
「…………。」
オレが黙り込んだのを「感心している」とでも受け取ったか、ルフィが得意そうに主張する。
「ほら、シャンクスとサンジ、向かい合え」
「え……あ、ああ」
唐突な指示に戸惑いつつも金髪は素直に言われた通り、赤い髪の人相の悪い(そして気持ち悪いことに丁寧な物腰の)男の前に向かい合って立った。
「シャンクス、ケーブル出せよ。サンジ、耳貸せ」
「了解しました」
オッサンのパソコンは、マスターの言いつけに従ってごそごそズボンのファスナーに手をかけた。思い出した。あいつのケーブルって、確か。
「ば……ッ!」
同時にルフィが素早くうちのアホ金髪の三角の耳に手を掛けたのが目に入る。
手のひらに馴染んだ、滑らかな手触りの合成樹脂。
そしてそのすぐ真正面ではズボンの中からなんか取り出そうとする物騒なオッサン。
「おい……ッ」
慌ててオレは腕を伸ばした。咄嗟の、考えるより先の行動だった。
「ふぁ……っ」
「おい!やめろ!」
ごつ、と後頭部に鈍い痛みが走った。
金髪を横抱きにしてかばおうとしたはずみに、ショーケースに思い切りぶつけてしまった。
丁度オレの真後ろにあった加工食品コーナーの棚が、振動でビーンとしびれたような響きを奏でていた。
頭の上からぼとぼとと魚肉ソーセージのビニールが落ちてくる。
「お、おいゾロ」
「大丈夫か」
「……っ」
オレは一言も無かった。
腕の中で、心配そうにこちらを見上げる金髪と、あっけにとられているルフィと、買い物中の主婦達の前で股間のチャックからケーブルをずるずるぶら下げてるシャンクスを前に、さすがに発すべき言葉を見失ったのだった。
そうだった。
エースのヤロウが、パソコンの耳がついてねえほうがリアルだからって、あいつのケーブルを股間に設置したんだった。
周囲のヒソヒソ言う声が痛い。
傾いた陳列棚から、今度はハムがぼとぼと落ちてきた。
「あっ」
金髪がふいに声をあげた。
「もうバイト終わりの時間だ。じゃ、すぐ支度してくるな」
のんきそうに伸びをして、手早く周りを片付けだす。
片付けながら、耳をガシガシこする。感触が残ってるのかも知れない。今朝のオレと同じように。
斜めに傾いだ金属製の棚を、金髪が元通りに直そうとした拍子に、またぼとぼとと、今度はレトルトのミートボールが滑り落ちた。
「おい、てめえ邪魔だ。いつまでもよっかかってんじゃねえよ」
金髪は嫌そうに顔をしかめると、オレを押しのけ、店員としての使命を全うして辺りを整えた。そしてとっととロッカールームに行ってしまったのだった。
ひとまず、出口付近で戻って来るのを待ってやることにした。
外はまだひどい雨だった。
ふと、野菜コーナーの端っこからこっちを伺っている怪しげな人影を見つけた。
比較的若い男だった。
縞々の鉢巻みてえのをしてる。やけに目つきが悪くて隈が濃い。ガラの悪そうな上着を着ている。一見してカタギには見えない。
目が合うと、男はさっと顔を伏せ、オレ達の立ってるのとは反対側の出口から出て行った。
あの男、見覚えがある。
金髪を売ってくれと迫られたことがある。
(……気のせいか?)
首をひねったところに、丁度金髪が戻ってきた。
「どうした」
「いや、別に」
「そう。あ、一応おばちゃんから傘借りてきたけど、てめえ、傘持ってなかったよな確か」
「いや、学校の置き傘適当にくすねてきた」
「あっそ」
「……なあ」
いそいそと店内用傘ビニールから「ソゲキング」マークの入った傘を取り出すルフィに、いきなり外に飛び出すなよ車も入ってくんだから、と注意してから、オレは金髪に話しかけた。
「おまえ、知ってるか?変な服着てて人相の悪い……」
「あ、知ってる」
かなり適当な説明だったにもかかわらず、金髪はすぐに頷いた。
「よく惣菜買いに来てくれる客だ。こんな雨なのに来たのか、よっぽど惣菜が好きなんだな」
「そうか」
一瞬の登場にも関わらず、やけに気になる男だ。
それはそうと、大事なことを忘れていたと気づいたので、仕方なく手を貸してやることにした。
シャンクスのパソコンのことだ。
奴は紳士的な笑顔を浮かべつつも股間からケーブルをブラブラさせたまま、雨の屋外に繰り出そうとしていたのだった。
黙ってズボンの中に押し込んでやった。
パソコンのケーブルとかディスクとかの差込口ってのは、どうしてこう、おかしなところについてんだ。
もっとも、金髪の耳カバーは本来おかしなところではなかったはずなのだが。
07/6/14
back next
遅くなりました!