幾度かの時化を経て、潮水をかぶった木製の扉は、黒っぽく濃い色をしている。
開けると、ぎい、と軋むような音がして、ちょっとヒヤッとした。
なるべく音をたてないように、サビた蝶番のご機嫌を伺いながら、そうっと中へ入ると、ゾロは寝ていた。
いや、別に意外な光景じゃねェ。こいつはいつも寝てる。寝てるか酒飲んでるか筋肉鍛えてる。ホントにろくでもねえ奴だ。
「オラよ、ゴクツブシ!」
ガン、とオレはゾロの寝ているベットがわりのソファを蹴る。
これも、ゾロが怪我をしたその日のうちにここに運び込まれたものだ。もともとは男部屋にあった。
オレにしてみれば本当は、ゾロ本体を蹴り上げてやりたいところだが、怪我人なのでここは気を遣って、寝床のほうに衝撃を食らわせてやるにとどめた、つもりだった。
「つッ」
緑のアタマのノンキな寝顔が、一瞬歪められた。
心臓のあたりがヒヤリとした。
「て、テメエ、どっか痛かったか?」
「んあ?」
慌てて奴の胸倉を掴んで顔色を窺ったオレに、ようやくゾロは目を覚ましたらしく、ぼんやりしたまま周囲を見渡す。
「なんだ、オマエかよ」
ぼりぼりとアタマ掻きながらアクビしたりしてるが、オレは誤魔化されねェ、今の「つッ」は、「痛ッ」じゃねえのか?意味合い的に。
「なんだじゃねえよ、どっか痛かったかって聞いてんだよ、答えろ」
「ああ?寝てたモンが痛ェも何もねえだろ、アホかテメエ」
オレが心配してやってるってのに、当の本人は寝惚け顔で、まるでオレのほうがオカシイみたいな怪訝な物言いをした。ハラがたった。
「寝てても痛ェもんは痛ェんだよ普通の人間は!テメエ、痛かったから、つッ、とか言ったんじゃねえのかよ」
険悪になるオレの態度に、奴も負けじと睨み返してくる。
「んなこと言ったか?知らねえよ」
「言ったね、さっき言ったね」
「知らねえよ」
「オレがテメエの寝床蹴っ飛ばしたら、つッ!って言ったんだよ」
「おい、そりゃあ、オマエが悪いんじゃねえのか、クソコック」
「オレが聞きたいのは悪いか悪くないかじゃねえ!どっか痛てェのかどうかなんだよバカヤロウ!」
「……馬鹿はテメエじゃねえかどう考えてもよォ!」
「あんだとやるか、このマリモ!」
ケンカになった。
やばいやばい。
アイツのことを心配してたはずがいつの間にか結構本気の乱闘になっていた。
この分じゃ多少アイツの回復までの日数に影響が出てしまったかも知れない。
本人から容態を聞いて、はやく良くなるようにオレ特製のカルシウム倍化メニューを喰わせる予定だったのに。いやまあメシは置いて来たから、どうせ喰ってるんだろうけど。つうか残したらオロす。
……あとどのくらいで治りそうか聞けなかった。
残念だ。
暴れたせいか喉が渇いたので、コップに水を汲んで飲んだ。
それからキッチンに向かって、昼食の下ごしらえを始めた。
全く、朝飯が済んだら昼飯だし、昼飯が済んだらオヤツだし、オヤツが済んだら晩飯だし、忙しいったらねえ。あんなマリモのために余計な時間を費やしてしまった。ああ無駄だった、無駄だった。
そんなことを考えながら、野菜を刻む。
合間に喉が渇いたので、ペットボトルを持ってきて、飲みながら仕事した。
便利だ。フタ閉めとけばひっくり返してもこぼれないし、ちょっとずつ、いつでも飲める。
野菜を切る。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
野菜をボウルに入れる。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
別の野菜を切る。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
切った野菜をまたボウルに入れて混ぜる。
ペットボトルのフタを開ける、口に運ぶ、フタを閉める。
またお茶を飲み過ぎてる、と自分でも分かっていた。だが無性に落ち着かない気分になって、何かを口に運ぶことを止められなかった。
煙草にしなくては、と思った。
だが、煙草じゃ駄目なんだ、とアタマのどこかで感じていた。何がどう駄目なのかは分からないが、とにかくそれじゃ物足りないのだ。
水が飲みたい。
喉が渇いているような気がするんだ。
それもこれも、ストレスのせいなんじゃないかと思った。
ヤりてェ。
そしたら治るような気がする。
でもこの狭い船ん中じゃ、相手なんか、ゾロくらいだ。
一流の料理人でありながら給仕までこなす素敵コックなオレは、なかなか他のクルーと一緒にメシを食ったりすることはしない。
理由は簡単で、メシ時は忙しいからだ。
他の奴らが食ってるときは、オレは奴らに食わせてるわけなんだから、当然と言える。
それをここ最近はありがたいと思っていた。
今日なんか、殆ど何も喉を通らなかった。
食欲がねえ。
お茶の飲み過ぎだ。
分かってる。
だがそんな情けねェところを他の連中に見られたくない。特にあのチョッパーが見たら、きっと心配するだろう。アイツは他人の心配をし過ぎる。
それにしても、一体ゾロはいつぐらいに治んだろう。
やっぱさっき本人に聞いとけば良かったな。あとどのくらいで治りそうかとかさ。
皿を洗って明日の仕込みがすんだら、また格納庫行って聞いてみようと思った。
開けっ放しのキッチンの横の窓からは、真っ暗な海が見えた。船からの明かりで少しだけ、波が光っている。島に繋留してるときは絶対夜に窓を開けっ放しになんかしない。大ッ嫌いな虫が入って来やがるからだ。
海の、本当の沖まで出ると、羽虫はいない。
何か物足りないような気分が消せず、いけないと思いながら、何度も水をコップに汲んで、飲んだ。
時刻は深夜なので当然のように寝腐れ剣士は熟睡していた。
良くあれだけ眠れるもんだと感心する。
どうせいつも寝てるんだから、いつ起こしても同じことだと思って叩き起こした。昼間の一件でこりたので、今度はそっと身体を揺すって起こす。
「ん……」
煩そうにゾロが顔を顰める。
だがちっとも起きない。
思い切ってギュウッと鼻をつまんでやったら「ぶはッ!」と慌てて口を開けて飛び起きた。
「こ、殺す気か、テメエ!」
お、なんだよ、いきなりケンカ腰かよ。
鼻のアタマが赤くなってる間抜け面に、ちょっと笑ってたら、睨みつけられた。
「何の用だ、クソコック」
「何ってそりゃ……」
「悪ィが、ヤれねえぞ」
ずばりと言われて、かっと頭に血が上るのが分かった。
「な、なんだよ、そんな、……そんなんじゃ、ねえ、よ!」
「じゃ、離れろ」
ムカつくくらい冷静な声で告げられて、顔を覗き込むために屈んでいた上体を押しのけられる。
(なんだよ、それ)
まるでオレが無理矢理迫ったみたいじゃねえか、と思うと、悔しさと羞恥で顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
(なんだよそれ!)
死ねとかアホとか、まわらない口で言い捨てて、ウキワとかロープとか投げつけると、オレは逃げ出すように甲板に出た。そして走ってラウンジへ入った。夜中だってのに扉を閉める音が大きく響いてしまった。そのことに自己嫌悪が募った。ナミさんやロビンちゃんが目ェ覚ますかも知れねえじゃねェか。アホか、オレ。
ほんと、アホか、オレ。
凄く落ち着かなかった。まるで小さなガキだったころみてェに、「所在無い」って感覚を持て余していた。どうしたらいいのか分からなかった。
頭を冷やそうと思って、みかん畑の隅へ座った。
ペットボトルを手に持って。
殆ど眠れないまま、朝飯の支度をした。
朝っぱらから戦場のような食卓。それはそれなりに楽しかった。オレの望む日常だった。皆「うめェ」と夢中になってオレのつくったメシを喰ってくれる。少しだけ落ち着いた。一日中メシ作ってたい。そんで、一日中「腹減った」って言って欲しい。そしたら、水飲むの止められるかも知れねェ。
少しも食欲がわかなかった。
手足が痺れる。
むくんでる。
このままじゃ駄目だ。どうにかしないと。
04/06/22
後編
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