アデス×クルーゼ

小説 吉野様


『よく晴れた朝が来る』







よく晴れた三日月の夜。

鳴き声が聞こえた。

猫の小さな鳴き声。

けれど、とても強く呼ばれた気がして。

「…お前かな?」

もうすぐで自宅に着くというところで足を止め、振り返って目線を下げると白い子猫と目が合った。

白くて細身の猫は蒼い目でじっと私を見上げ、もう一度、にゃーと鳴いた。

野良猫にしては汚れておらず、高貴ささえ感じる。

「腹でも減ってるのか?」

道に膝をついて問いかけると猫は頷いた。話しかけたのは自分だが答えが返ってきたことに驚いてしまった。

猫に自分の言葉が通じたのか、と。

猫は自分の側にすり寄ってきて、また名を呼ぶように鳴く。

「一緒に来るか?今日は寒いからな」

「にゃあ」

その返事を待って、猫を抱き上げると少し笑ったように見えた。







私の家は祖母が亡くなる時にくれた物で古いが一人で住むには十分すぎるほど広い。

忙しい両親に代わり、祖母が私を育ててくれたようなものだった。

祖母は私を愛し、また私も祖母を深く愛した。

戦争で祖父を亡くしたせいか私が軍に入ることに強く反対したが私の意志が固いことを知ると溜息を零しながら笑ってくれた。

『お前はやっぱり、じい様似だね。けど、お前は戻っておいでね。ちゃんとここに戻っておいで』

そう言って私を抱きしめてくれた祖母ももういない。

『私がいなくなっても、お前はちゃんとあの家に戻って来るんだよ。私の所になんか来るんじゃない。あの家はお前にあげるから』

それが、彼女が私に残してくれた最後の言葉と想い。

私は軍の宿舎には入らず、今もその家で暮らしている。もっとも、戦艦での生活のが多いのだが。









玄関に入り、猫を床に置くと猫はしなやかな動きで奥へと勝手に歩いて行く。

猫を追って居間へと入り、明かりを付けると暖炉の前で丸くなっている猫を確認できた。

そこが一番暖かくなる場所だと知っているのだろうか。

暖炉に火を入れ、台所でミルクを鍋に入れて火をかけてから夜着に着替えてしまう。

紺地のユカタという夜着は祖父のものだが祖母が私にくれた。

それを纏う私を祖母が嬉しそうに、そして少し寂しそうな顔で見ていたことを思い出す。

久方ぶりに戻ってきたせいか、妙な寂しさがじわりと胸に広がっていった。

頭を軽く振って、猫のことを思い出し、台所に戻ると少々温まりすぎたミルクに冷たいミルクを入れて温度を下げる。

スープ皿にそれを注ぎ、猫のもとに置いてやると猫はそろりと舌先でミルクを舐めるとすぐ舌を引っ込めて、綺麗な座り方のまま待機を決め込んだように見えた。

「すまない、まだ熱かったか。冷たいのを足してやろう」

「にゃーあ」

今度は猫は首を横に振った。

どうやら、自然に冷めるまで待ってくれるらしい。それにしても何故、この猫に自分の言葉が通じるのか、不思議で仕方なかった。

「お前を見ていると思い出す人がいるよ。お前と同じ、蒼い目をした綺麗な人だ」

猫は話の続きを促すように私をじっと見上げていた。

「とても綺麗で、強くて、素晴らしい人だ。そのくせ、時々、可愛い顔も見せてくれる。弱さは…なかなか見せてはくれないな」

無意識の内に苦笑いが漏れる。猫は笑わずに先程と同じように私をじっと見ていた。

「何故、あの人に私の想いが届いたのか、今でも不思議に思うことがある。その度に思うよ、もっと強くあろうと」

今度は猫が少し微笑んでくれたように見えた。私も同じように返す。

「自己満足だろうがな。少しでもあの人に見合う自分でありたい。あの人の側で自分を恥じていては失礼だ」

「私が愛しているのだからな」

「そう、折角、愛して………は!?」

真後ろから聞こえた声に同意してから勢い良く振り向いた。

そこには蒼い目をした綺麗な、恋人。

「隊長!?何故…!?」

「鍵が開いていたので勝手に入った。不用心だぞ」

確かに猫に気を取られて鍵は閉め忘れた。だが、古い我が家にもインターホンくらいは存在するのだが。

もっとも、森の隠れ家のようなこの家では用心も取り越し苦労というもので。

「そうではなく…っ。何か火急の用でもありましたか?」

「そうだな…お前に逢いたかった、そんな理由では不服か?」

するりと貴方の手が伸びてきて私の頬に触れる。さらりとそんなこと言う貴方にどうしようもなく勝てない。

ただ、貴方の手に自分の手を重ねた。

「光栄です」

そして、唇を重ねた。








「それにしてもよく私の家が分かりましたね」

テーブルにカフェ・オレを置いて、ソファーに座る隊長に問いながらその向かいに座ろうとすると不意に袖を引っ張られた。

貴方の目を見て、貴方の思惑を見極める。

見極めて、貴方の隣に回り、腰を下ろしてその身体をそっと抱いた。

「冷えてますよ。風呂の用意でもしますか?」

「お前が暖めろ、その方が良い」

貴方は細い腕を私の首や背に回して、私を促す。この人の声はまるで猛毒のように私の身体に回り、奥まで響き渡る。

貴方もここが自分にとって一番暖かい場所だと、そう判断してくれたのなら私は。

「お前に似合う夜着だな」

「え、ああ…ありがとうございます。祖父の物で、ユカタというのだそうで。隊長にも似合いそうなのがありますよ」

「ほう?」

「深い紅に白い花が咲いたものがありました…祖母の女物ですが」

冗談めいた口調で言ってみるが本当に貴方に似合うだろうと思っている。あれも綺麗な白い花だったから。

「…遠慮しておこう。それにしても、お前が猫を飼っていたとは意外だな」

私の肩越しに猫を見ているのだろう。きっと、今は素直な可愛い顔をしているに違いない。

猫がにゃーと一声鳴くと、私は腕の中の愛しい人を抱き上げた。

「今夜、連れ帰ったんです。放っておけなかったものですから、貴方に似て」

「それで?放っておかずにどうしてくれるんだ?」

「暖めて差し上げましょう?」

「ふふっ、上等だ」

私は小さく笑う貴方を抱きしめて、寝室へと入った。

ドアを閉める直前に猫がもう一度だけ、にゃあと鳴いた。












朝、目覚めると隣に貴方の姿はなく、慌てて身体を起こした。

床に落とした貴方の服はそのままで、代わりに私のユカタが消えていたので私は幸福な溜息をつく。

普段着に着替え、貴方の服をハンガーにかけてから部屋を出て、居間に入るとユカタ姿の貴方が冷めきっているであろうカフェ・オレを飲んでいた。

庭に通じる大きな窓の前に立つその姿は何とも美しくて表現しがたい。

ユカタの紺が白い肌と金の髪を更に際立たせ、朝陽に注がれる様は何とも天上人を連想させた。

触れても消えはしないだろうかと僅かな不安を抱えつつ、後ろから抱きしめた。

「貴方にこそ、よくお似合いで」

「アデス」

私をふと見上げて、再び顔を窓の外に向けると貴方はゆっくり口を開いた。

「猫が窓を叩くので開けてやった。行ってしまったが…良かったか?」

そう言われて、昨夜、猫がいた場所に目を向けると空になった皿だけが残されていた。

「ええ…行く当てがあるのでしょう。野良猫には見えませんでした。昨日は寂しそうに見えた私を慰めに来てくれたのかも知れません」

「寂しかったのか?」

「貴方がいらしてくれるとは思いませんでしたので」

そう言って抱きしめる腕に力を込めると貴方は小さく笑って俯いた。

「そういえば昨日の問いの答えを頂いてませんでしたね。よく私の家が分かりましたね、の」

「いつか話してくれただろう?東の森の隠れ家のような所だと。少し調べれば分かる。国の重要文化財指定住居だ」

「古いだけです。おかげで半永久的に取り壊される心配はありませんが」

「…ここがお前の帰る場所か」

ふっと声のトーンが下がる。その声に隠された想いを見極めようと全神経を集中させて、貴方だけを感じる。

「待ち合わせを…しましょうか」

「何?」

「私が死んだらここで貴方をお待ちしています。貴方が死んだらここに来て下さいませんか?」

「…っふ、先に死ぬのは私かも知れないぞ?」

「いいえ。私は決して貴方より後には死にません」

これは確信だ。

いつも生より死と向かい合う貴方だ。私はその前に立ちはだかりましょう。

どうか貴方は私を見ていて下さい。死も絶望も私を襲えばいい。だから、どうかこの人を見逃してはくれないだろうか。

どうか、どうか。

「…いいだろう、ここで待っていろ、アデス。そう待たせはしない」

「私はいつまでもお待ちしておりますから。生きて、いいんですよ、クルーゼ隊長」

「馬鹿者、お前がいないのに長生きする必要も意味もない」

そんな言葉を当然だとでもいうような顔で言う。なんて愛おしい。

貴方を抱きしめる腕を解いて、どうした?と問いながらこちらに顔を向けてくる貴方にキスをした。

その顔がどうしてだか笑う猫と重なった。


















「…イ、レイ。デュランダルを起こすのだろう?そろそろ起きなくては先に起きてしまうぞ?」

「ん、ん…ラ、ウ?」

レイの部屋のカーテンを開けながら目覚めを促すクルーゼを幼いレイはぼんやりと見つめていた。

「寝惚けているのかな?」

クルーゼはレイのベッドに腰を下ろして、上体を倒しながらレイの顔を優しく撫でる。レイは嬉しそうに笑った。

「おはようございます、ラウ」

「おはよう、レイ」

「ラウ、あのね、ラウの夢を見たんですっ」

「ほう?それは嬉しいな。私は君の夢で何をしていたのかな」

「僕は猫になっていたんです。それでラウの大事な人が拾ってくれたんです」

「私の、大事な人?」

「はいっ、大きくて、とても優しくて…ラウのことが大好きで、ラウも彼のことが大好きでした」

「……」

「名前が…あれ、何だろう、忘れてしまいました…」

しゅんと項垂れるレイの頭をクルーゼは優しく撫でた。その顔は苦笑いに近い。

「気にすることはない、レイ。夢の話なのだから…途方もない、話だよ」

「とほうもないってどういう意味ですか?」

「普通は有り得ないということさ、私には縁遠い話だ。誰かと想い合うなど」

そう言うクルーゼの表情に動揺はなく、当然だという顔だった。けれど、レイには夢で見たクルーゼよりも寂しそうに見えたのだ。

レイは小さな手を伸ばしてきゅっとクルーゼを抱きしめた。

「いいえ、ラウ。ラウはあの人に会えると思うんです。嘘じゃないです、本当ですよ…?」

「…ああ、わかったよ、レイ。覚えておく。さ、デュランダルを起こしにいくのだろう?」

「あっ、そうでした!ラウもご一緒にいかがですか?」

「いや、私は寝かしつける方が得意でね。行っておいで」

「はいっ、朝食はご一緒して下さいねっ」

言いながらベッドを降りるレイに頷いて見せて、クルーゼはその小さな背中を見送り、ふっと身体をベッドに横たえた。

「途方もない…そうだろう…?」

シャツの胸元をぎゅっと握りしめて、自分を戒めるように自ら言い聞かせる。

この身体に希望は宿さないと決めた、あの時を思い出す。

だが、すれ違った黒い軍服の男をクルーゼが横目で捕らえるその時まであと、わずか。













END




切ないお話をありがとうございました//
吉野さん曰く↓
『今回、大分吉野的裏設定を発動させてしまいました。アデスは
おばあちゃんっ子だとか、祖父母殿は日本(和風)贔屓だとか。』
で、浴衣姿のアデスと隊長〜(≧∇≦)//
青味がかった画像で頭の中に写りこんできました//はうう〜
隊長…色っぽいです。アデスと同じ浴衣でも、すごく二人の浴衣姿の印象は
違うのだろうな…と//ああ…隊長…美しいです(〃∇〃)
ネコのレイもきっと綺麗なネコにゃんなのだろうな〜とうっとりしつつ
刹那の甘い夢…ひとときのやすらぎ
アデスの誠実な暖かさが身に滲みる季節です